推しの逸品:コレクション・スポットライト Vol. 7 岐阜県美術館 オディロン・ルドン《野の花の花瓶》
お話を伺った人:松岡未紗(まつおかみさ)学芸員
オディロン・ルドン《野の花の花瓶》1900–05年ごろ
全国の美術館のスタッフに、自館のコレクションの中から、皆さんに鑑賞してほしい一作品をご紹介いただく連載企画「推しの逸品」。第7回で訪れたのは、1982年に開館した岐阜県美術館です。
山本芳翠(1850–1906)をはじめとする地域ゆかりの作家らの絵画や彫刻、地場産業の一つである陶磁器などの工芸に加え、オディロン・ルドン(1840–1916)のコレクションは、世界的にも知られる規模と内容を誇ります。また、2024年から25年にかけては、同館を皮切りに広島と東京へ巡回した大規模展「PARALLEL MODE:オディロン・ルドン-光の夢、影の輝き-」も開催されました。
2025年秋には、本展をはじめとする展覧会の開催や、開館以来続くルドンとその周辺の象徴主義の作家たちに焦点を当てた作品収集が評価され、「第20回記念 西洋美術振興財団賞」を受賞されています。
展覧会で注目を集めたルドンの名品《野の花の花瓶》を「推しの逸品」に選んだ松岡学芸員に、自館についてコレクションの特色などと合わせてお話を伺いました。
岐阜県出身で幼い頃から館を訪れていた、という松岡学芸員
「美とふれあい、美と会話し、美を楽しむ。」をテーマに運営
岐阜県美術館が位置するのは、JR西岐阜駅から徒歩10分ほどのところにある、緑豊かな「県民文化の森」の敷地内。木々の間を小川が流れ、遊歩道の周囲には彫刻作品が点在しています。取材に伺ったのは、日差しに少しずつ秋を感じるようになった9月末。木々の葉もほんのり色づき始めていました。
西門
白い建物が岐阜県美術館 本館
正門を入って右手にあるアトリエには、招聘した美術作家が作品制作を行う「アーティスト・イン・ミュージアム[AiM]」の会場や、美術館サポーター(ボランティア)の皆さんの活動拠点が。また、美術家の日比野克彦館長と同館のアートコミュニケーター「~ながラー」の皆さんによる「明後日朝顔プロジェクト」にも目が留まります。「明後日朝顔プロジェクト」とは、2003年に新潟で開催された「大地の芸術祭 越後妻有トリエンナーレ」において、アーティスト 日比野克彦が新潟県十日町市莇平の集落の住人たちと共に朝顔を育てるかたちで始まったアートプロジェクトです。全国20箇所以上の地域が取り組んでいます。
アトリエ
「明後日朝顔プロジェクト」
正面玄関から本館へ足を踏み入れると、天井高8メートル、奥行き70メートルもある美術館ホールが広がっていました。石やタイルなどがふんだんに使われ、重厚感がありながらも、天井のルーバーや窓からの光で、とても明るい空間です。チケットの販売やコンシェルジュ機能をもつ「ナンヤローネステーション」の、積み木を重ねたような DIY感と、ポップなタイポグラフィが醸し出す雰囲気は、文化芸術や創作へのおおらかな姿勢や、館と来館者とのあたたかな距離感までもが伝わってくるようでした。
「ナンヤローネステーション」と美術館ホール
1982年11月3日に開館した岐阜県美術館は、2019年11月3日、主に展示室の壁面や空調、照明などの設備面を中心に改修し、リニューアルオープンしました。
2015年に就任した日比野館長は、岐阜市の出身。2006年の個展開催をきっかけに、各地域の人々とさまざまな協働制作を展開してきました。
リニューアルを機に、これまで掲げていたテーマ〈美とふれあい、美と対話する。〉を、〈美とふれあい、美と会話し、美を楽しむ。〉にアップデート。学芸スタッフが企画する展覧会を通して「美とふれあう」場を創造し、教育普及スタッフが中心となって「美と会話」する場を創出、そして新たにつくられたアートコミュニケーションチームが、来館者とともに「美を楽しむ」時間や空間を育むことに取り組んでいます。
地元の方々が作品を見て発する「これってなんやろーね?」に由来したという「ナンヤローネ プロジェクト」もその一つ。より多くの人にアートの魅力を体感してもらおうと、展覧会やイベント、体験・鑑賞プログラムなど、日々のさまざまな活動に広がっています。
カフェコーナー「HUTTE ナンヤローネ」。HUTTE(ヒュッテ)とは、ドイツ語で「山小屋」を意味する。リニューアルオープン後、多目的ホールに併設された。奥に見えるのは、ミケランジェロ《ロレンツォと夕と曙》の模刻。
ちなみに松岡学芸員も、学芸員として採用される前には、同館で学芸業務専門職として学芸補助の他、広報や教育普及活動を行っていた経験があるそうです。
地域の人々とともに育んできた岐阜県美の40年
岐阜県は、明治洋画の重鎮である山本芳翠を筆頭に、熊谷守一 (1880–1977) 、川合玉堂(1873–1957)、前田青邨(1885–1977) 、荒川豊藏(1894–1985)など、日本美術の流れに重要な役割を果たした、優れた作家を多数輩出してきました。その歴史は、日本画家の土屋禮※一(1946–/※「禮」は「ネ」に「豊」)や長谷川喜久(1964–)、国内外の芸術祭で作品を発表する現代美術家の大巻伸嗣(1971–)ら、第一線で活躍する現代作家へと連なっています。
同館のコレクションは、国内外の近・現代の絵画や彫刻、工芸に加え、県ゆかりの作家や地域の美術を支えた作家らの作品、資料の収集など多岐にわたります。中でも特筆すべきは、19世紀末に登場した象徴主義を代表するフランスの画家、オディロン・ルドンのコレクションでしょう。
「館の開館準備が始まった1979年から、所蔵作品の収集に着手する中で、偶然、ルドンの「黒の時代」にあたる木炭画や版画作品のコレクションが市場に出るとの情報を得ます。当時、東京国立近代美術館で企画展が開催され、徐々に注目を集めていた作家でしたが、同時期に開館を控えていた国内各地の館では主たる作家としての収集は行われていなかったようです。加えて、ルドンがパリで師事した画家ジャン=レオン・ジェロームには、岐阜ゆかりの洋画家 山本芳翠も学んでいます。岐阜に縁がある上に独自性もあることから、これを購入・収蔵し、館のコレクションの軸として、その後も継続的に収集していくことを決めました。」
ルドンは、木炭画や版画、パステル画や油彩画とさまざまに技法を変えながら、イマジネーションの世界を描きました。その夢幻の芸術は、19世紀末のフランスのみならず日本においても、美術や文学、音楽、漫画など、幅広い分野に影響を与えたことが知られています。
約130点からスタートした同館のルドンコレクションは、コツコツと収集や研究が続けられ、現在、260点を超えています。すでに初期から晩年までの作品を網羅しつつありますが、多作だったルドンは、現在もカタログ・レゾネに未掲載の作品が、個人コレクターなどの元に数多くあると考えられています。
《野の花の花瓶》も、まさにそういった作品のひとつでした。2024年から25年にかけて開催された企画展「PARALLEL MODE:オディロン・ルドン-光の夢、影の輝き-」のため、数年をかけてフランスで調査する中で、存在のみが知られていた同作品を入手できる機会が巡ってきました。
「現地を訪れるたびに、しかるべき方々にお会いしては、ルドンの作品を探していることを伝え続けていました。ですので、本作の存在を初めて聞き、実際に目にできたときは、非常に感慨深いものがありました。なんとか当館で収蔵できないか、と、時間をかけて慎重に検討を重ねていきました。」
オディロン・ルドン《野の花の花瓶》1900–05年ごろ パステル・紙 岐阜県美術館(田口コレクション)蔵
「当館は2027年に開館45周年をむかえます。その節目に、と、公益財団法人田口福寿会様が寄贈を提案してくださったのです。
今回、大規模な改修工事を経て展示環境が整ったタイミングで、ルドンコレクションを軸とした2024年の大規模展(PARALLEL MODE 展)の開催や、開館45周年記念の展覧会の構想、その先の未来に描く新たな岐阜県美術館像についてお話しをしていく中で、まさに当館のコレクションの顔となるような本作を加えていただきました。
同法人は岐阜で創業した企業を母体とし、地域の教育や福祉、文化芸術、スポーツなど幅広い分野で社会貢献活動に取り組まれています。当館も開館当初から、館の象徴となるような作品の寄贈などを通して支援いただいてきました。
岐阜県は美術家を多く輩出してきた土地柄もあってか、多くの個人や法人の皆さまが、当館を「私たちの美術館」というお気持ちで見守り、応援し続けてくださっています。コレクションへの寄贈についても、美術館にとってどんな作品が相応しいのか、という視点でご相談くださることもあり、本当にありがたく、開館当時からの収集方針を踏襲しながら、質の高いコレクション形成につながっていると思います。」
館内のお気に入りスポットとして紹介してくれた、美術館ホールからの眺め
アリスティト・マイヨール《地中海》(1902-05) 本作も田口福寿会の寄贈作品
花瓶の花を描き続けて探求した、豊かな光と色彩の表現
《野の花の花瓶》は、60代をむかえたルドンが、パリで暮らしていた頃に描いた作品です。光の表現を探求し続けてきた彼の集大成ともいえる時期であり、パステルの多様で繊細な色彩からは、みずみずしい花々の香りが漂ってくるような華やかさが感じられます。
「作品を展示するにあたり、ルドンが描いた当時の色彩の輝きを、できるだけ忠実に鑑賞していただけるように照明調整を行っています。晩年のルドンは、本作のような花瓶に生けた花をテーマに、油彩やパステルなどのさまざまな画材を用い、背景や構図のバリエーション豊かに、数多くの作品を描きました。 その中でも本作は、特に緻密に構図が練られており、イメージがどんどん膨らんでいくような描き方で丁寧に仕上げられています。何より、とても美しい作品ですよね。
この《野の花の花瓶》をルドンが描いた時期は、パリで万博が開催されていたり、自身の住まいを引っ越し、環境や交友関係に変化があったりした頃にあたります。多くの人との出会いから影響を受けつつ、作品を描いていたんだろうと想像し、さらなる調査や研究を続けているところです。」
「岐阜県美術館コレクション名品選」のルドンコレクションの展示風景
開館前から40年以上にわたり、ルドン作品の収集と研究に取り組んできた岐阜県美術館では、今後ますます、作品群の継続的な展示と、保存・修復作業の両立が重要になっていきます。大学院で保存修復を専門的に学んできた松岡学芸員は、まさに同館のルドンコレクションを未来につなぐために必要不可欠な存在、ともいえるでしょう。
「開催した大規模展『PARALLEL MODE:オディロン・ルドン-光の夢、影の輝き-』は、当館が所蔵するルドンコレクションを全て公開する初めての機会でした。また、ルドンの全画業や日本における受容も作品によって紹介すべく、国内外から作品をお借りし、過去最大規模として約330点もの作品を展示しました。
今後もこのルドンコレクションを軸に、世界各国の所蔵館と、調査研究やコミュニケーションを深めていけたら、と考えています。そのためにも、他館の所蔵作品を安心して預けてもらえる美術館であるように、また、お問い合わせがあったときにお答えできるよう日々勉強し、コレクションの保存と活用に、丁寧に取り組んでいきたいですね。」
「描かれた花の一つひとつを丁寧に鑑賞してみると、豊かな色彩のなかに、ほの暗く描かれた部分がみられ、花が咲いて輝きを増す雰囲気を幻想的に描いています。」と説明する松岡学芸員。
【松岡学芸員による、推しポイント】
花の表現も素晴らしいですが、描かれている花瓶にも魅力があります。実はルドンと同時代を生きていた陶芸家マリー・ボトキンが手がけたものであることがわかっており、現在も調査を続けているところです。また、ルドンは用いる紙のサイズごとに、描く花瓶もだいたい決めていたようで、興味深いですよね。
当館は、《眼をとじて》や《アポロンの戦車》など、広く知られている作品を所蔵していましたが、やはり本作は、誰もがルドンの作品だとわかっていただけますし、これからの美術館の顔と言える存在になるはず。本作が加わったことで、これまで収蔵してきたコレクション群の価値もさらに高まったと思います。
松岡未紗
まつおかみさ
岐阜県生まれ。2012年より岐阜県美術館に学芸員として勤務。絵画担当。保存修復担当。所蔵品の保存と活用を目指し、所蔵品のメンテナンスや保存額縁への調整、修復を行いながら、絵画の展覧会を企画。2024年には「PARALLEL MODE:山本芳翠」と「PARALLEL MODE:オディロン・ルドン」とのダブル回顧展とルドン展と連動した日比野克彦館長によるアートまるケットプロジェクトを企画する。
岐阜県美術館
岐阜県岐阜市宇佐4‐1‐22
Tel 058-271-1313
https://kenbi.pref.gifu.lg.jp/
「大正・昭和‘モード’の源泉 国立美術館 コレクション・ダイアローグ」開催中
会期:2025年11月15日(土)~2026年2月15日(日)
(取材撮影・執筆:Naomi)