2024.05.30

推しの逸品:コレクション・スポットライト Vol. 3 大阪中之島美術館 ヤノベケンジ《ジャイアント・トらやん》

お話を伺った人:中村史子 主任学芸員

ヤノベケンジ《ジャイアント・トらやん》2005年

全国の美術館のスタッフが、自館のコレクションの中から「推しの逸品」、つまり皆さんに鑑賞してほしい一作品にスポットライトを当ててご紹介いただく連載企画。第3回では、大阪駅を中心とする梅田エリアの南側に位置する中之島に2022年に開館し、黒いキューブ状の建物が地域のランドマークとなっている大阪中之島美術館の中村史子主任学芸員にお話を伺いました。

大阪中之島美術館の前に立つ中村史子主任学芸員

大阪中之島美術館の顔となる「子供の守護像」

1983年に大阪市制100周年記念事業構想のひとつとして「近代美術館の建設」が発案され、構想委員会や準備室などの段階を経て、大阪中之島美術館が開館したのは2022年2月2日のこと。長い準備期間中に作品収集を開始し、大阪と関わりのある近代・現代美術や近代・現代デザインの作品と資料に加え、西洋美術史上の名作を含む所蔵品数は6000点以上に及びます。

2004年の金沢21世紀美術館における滞在制作で、ヤノベケンジは「子供都市計画」を実施。そのシンボルである巨大な子供の守護神像として《ジャイアント・トらやん》を制作した

そして今回の「推しの逸品」は、展示室がある5階と4階をつなぐ階段横に常設展示されている、ヤノベケンジ(1965-)による《ジャイアント・トらやん》。子供の守護像として制作された、全長7.2mのロボット型巨大彫刻です。中村学芸員は次のように説明します。

「ヤノベさんは大阪出身の作家であり、キャリアにおいて重要な作品をこれまでに大阪でも何点も発表してきました。また、私たちは観光客から美術の専門家まで多くの人々に開かれた美術館でありたいという思いを持っています。そこで当館の象徴となるような作品を探すなか、専門知識を前提とする作品ではなく、より多くの人が見て楽しめて、どこか大阪らしさを感じさせるものを選ぶべきだと考えました。そうした背景があり、ヤノベさんの《ジャイアント・トらやん》を収蔵し、企画展やコレクションを紹介する展覧会を見に来たどなたでも鑑賞できる4階の階段横で公開することが決まりました」

2004年、その年に開館した金沢21世紀美術館で、ヤノベケンジは滞在制作を行いました。今回の「推しの逸品」は、その滞在中に、地元に暮らす多くの人々とともに子供のための未来の街を構想し、子供向けの小さなサイズで電車や市役所、ディスコなどを作り上げた「子供都市計画」に端を発します。その子供都市のシンボルとして、金沢で座った姿勢の像として生まれた《ジャイアント・トらやん》は、2005年に豊田市美術館で開催された個展では2本足で立つ像となり、以後、国内外で展示されてきました。

「推しの逸品」を前に作品説明をする中村学芸員

板金技術をもとに、成形した樹脂にアルミニウムの板をリベットで留める技法を採用し、丁寧な手仕事で作品を完成させた

「サバイバル」から「リバイバル」へ

1990年代より、放射線を感知するたびに数値がカウントされる自作の防護服を着用し、原発事故から10年後のチェルノブイリに赴いて撮影した「アトムスーツ・プロジェクト」と題する作品シリーズなど、「サバイバル」をテーマに制作を続けてきたヤノベケンジ。2003年、ヤノベの父親が退職後に趣味で始めた腹話術の人形にちょび髭をつけ、バーコード頭にして自身が着用した防護服のミニチュア版である「ミニ・アトムスーツ」を着せて生まれたキャラクターが「トらやん」です。子供サイズの子供専用の映画館をコンセプトとする作品《森の映画館》(2004)では、映画館前に立ち、そこで上映される映像において、ヤノベの父との漫才調の腹話術の掛け合いで核の問題を伝えるなど、ヤノベの作品に度々登場してきた「トらやん」。そのキャラクターを巨大化させ、《ジャイアント・トらやん》は生まれました。そこには大きな方針転換があったと中村学芸員は話します。

「かつては、廃墟を彷彿とさせる場所にアトムスーツを着て冒険に行くなど、ヤノベさんはユートピアが失われた後の世界をいかに生き延びるかという方法をアイロニカルに表現していました。しかし作品制作を続けるなかで、子供たちに希望や未来について語りづらいからこそ、より素直に子供のための未来都市を考えようとコンセプトを転換されて、その変化を象徴する作品として《ジャイアント・トらやん》が生まれました。その転換をヤノベさんは、『サバイバル』から『リバイバル』とおっしゃっています」

胸元のコックピットには「トらやん」の姿が

鎌倉時代を代表する仏師、運慶・快慶の金剛力士像など古今東西の神仏像について調べ、また、アニメやサブカルチャーなどの要素も柔軟に取り入れながらヤノベが制作した《ジャイアント・トらやん》。調査や研究の一環として美術館を訪れる専門家から、美術館1階カフェのアイスクリームが美味しいことを聞きつけてくる来館者までに開かれた館でありたいと考える大阪中之島美術館にとって、この作品によって「あそこに行くと巨大なロボットが見られるらしい」という口コミが広まり、来館者が増加することも大歓迎だといいます。

5階展示室から4階に降りる階段の踊り場では、階段を使う人々のほとんどが足を止めて《ジャイアント・トらやん》と対面

きっかけは学生時代のボランティア体験

大学で美学・美術史を専攻した中村学芸員は、学生時代に「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2006」に向けて現地で作品を手がける現代美術家のクリスチャン・ボルタンスキー(1944-2021)の制作現場にボランティアスタッフとして参加しました。それまで中村学芸員にとって美術といえば、美術館で作品を鑑賞し、本や講義を通じて美学や美術史、作品解釈について学ぶものでしたが、実際に作品の制作現場に行くと、それまで経験したことのないライブ感のあるアート体験があったといいます。

「同時代を生きる作家がときに悩み、苦しみ、また楽しみながら作品を作る様子を間近で見ることができたボランティア体験は衝撃的でした。ボルタンスキー氏がインスタレーション作品を制作するために、私たちボランティアスタッフは廃校を掃除したのですが、その空間で新たな作品が生まれることに高揚感を覚えました。それまで、美術館などで整然と展示された作品しか知りませんでしたから。その体験から、現代で活躍しているアーティストと一緒に仕事をしたいと考えたことが、同時代のアートを研究し、同時代の作品を展覧会で紹介する学芸員の仕事を目指すきっかけになりました。

ヤノベさんのほかにも、森村泰昌さんや、当館で2024年の秋に個展を予定している塩田千春さんなど、現在、世界的に活躍されている大阪ゆかりの美術家は多くいらっしゃいます。しかし、彼らの足取りをつぶさに研究できる場所がまだ十分にあるとはいえません。1980年代には、色彩豊かで、空間全体を用いたパワフルな表現で知られるムーブメント『関西ニューウェーブ』が注目され、また90年代にかけても造形美術とパフォーマンスの垣根を横断するような共同制作が活発化するなど、大阪を含む関西圏からはさまざまな展開が生まれ、多くの作家が輩出されました。当時の大阪の美術をきちんと調査し、発掘していくことは当館の使命だと思っています。また、私個人としてもそこを追究していきたいです」

開館以来、多彩な展覧会を開催

大阪中之島美術館は、2022年の開館以降、モディリアーニや岡本太郎、モネの展覧会を開催し、多くの来場者を集めています。また、大阪を拠点に活動し、近年世界的にも高く評価される前衛芸術家集団「具体美術協会」(1954-1972)を紹介する大規模な企画展「すべて未知の世界へ — GUTAI 分化と統合」を隣接する国立国際美術館と共同で開催して話題を呼びました。2024年には、パリ市立近代美術館、東京国立近代美術館、大阪中之島美術館の3館の所蔵作品で構成する「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション」展が、東京国立近代美術館(5月21日〜8月25日)から大阪中之島美術館(9月14日〜12月8日)へと巡回する予定です。

大阪中之島美術館は、大阪の近代・現代美術の重要な研究拠点としても、文化施設が立ち並ぶ中之島のランドマークとしても、地元の人々はもちろんのこと、大阪を訪れる多くの人々も魅了し続けるに違いありません。

「さまざまな人と活動が交錯する都市のような美術館」をコンセプトに、館内を「パッサージュ(歩行者専用のアーケードで囲われた通路、小径を意味するフランス語)」の動線が複雑に交差する。設計は建築家の遠藤克彦

【中村学芸員による、推しポイント】

中村学芸員は、「推しの逸品」にヤノベケンジ《ジャイアント・トらやん》を選んだ理由を次のように話します。

「ヤノベさんの作品の一番の魅力は、ご自身の想像力、あるいは妄想力を実際に形にしてしまうところです。そうして生まれた《ジャイアント・トらやん》は、美術館のみではなく、大阪市役所や大阪の北加賀屋にあるMASKという巨大倉庫など、いろいろな場所で展示され、お客さんを楽しませてきました。過去には火を噴くパフォーマンスもしているんですよ。

少子高齢化や地球温暖化など、さまざまな問題に直面する昨今、子供たちに未来を語り、希望を与えることが難しいように思います。しかし、ヤノベさんは自分の思いを《ジャイアント・トらやん》という作品にし、夢中になって頑張れば、どれだけ壮大なものであっても想像を形にできるはずだと、子供たちに夢を見させてくれている。そのように未来へ向けての可能性を見せることが、アートの魅力ではないかと考えています」

中村史子
なかむらふみこ


大阪中之島美術館主任学芸員。2023年まで愛知県美術館学芸員として「これからの写真」(2014)、「生誕120年 安井仲治」(2023)などを企画、担当。「国際芸術祭あいち 2022」(2022)のキュレーターを務める。直近では、大阪中之島美術館で2024年5月25日から8月18日まで開催される「没後30年 木下佳通代」展を副担当としてサポート中。専門はコンテンポラリーアート、写真、視覚文化。

(取材・執筆・撮影:中島良平 )

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