2024.09.26

推しの逸品:コレクション・スポットライト Vol. 4 栃木県立美術館 アルフレッド・シスレー《冬の夕日(サン゠マメスのセーヌ河)》

お話を伺った人:武関彩瑛(ぶせきさえ) 学芸員

アルフレッド・シスレー《冬の夕日(サン゠マメスのセーヌ河)》1882–83年ごろ

全国の美術館のスタッフが、自館のコレクションの中から「推しの逸品」、つまり皆さんに鑑賞してほしい一作品にスポットライトを当ててご紹介いただく連載企画。第4回で訪れたのは、2022年に開館50周年を迎えた栃木県立美術館。栃木にゆかりのある作家の作品に加え、西欧の近現代美術作品も数多く所蔵する同館で、新たにコレクションに加わった作品を「推しの逸品」として武関学芸員にご紹介いただきました。

栃木県立美術館の屋外展示空間に立つ武関彩瑛学芸員

コレクションの軸のひとつは19世紀の風景画

日本における公立の近現代美術館の先駆けとして、1972年に開館した栃木県立美術館。2022年に開館50周年を、またその翌年には栃木県が誕生150周年を迎えることから、県民に喜んでもらえて話題となるような作品の取得を目指し、調査を始めました。美術館が作品を購入するための「栃木県美術作品等取得基金」が12年ぶりに増額され、入手可能な作品を調査する過程で国立西洋美術館から具体的な作品情報が寄せられたことをきっかけに、今回「推しの逸品」として選んでいただいた作品の購入が決まりました。19世紀印象派の画家、アルフレッド・シスレー(1839–1899)の油彩作品《冬の夕日(サン゠マメスのセーヌ河)》です。武関学芸員は次のように説明します。

「当館が所蔵する西洋美術の作品において中心となるのが、19世紀のイギリスとフランスの風景画です。当館の収蔵作品には、19世紀イギリスを代表する風景画家であるウィリアム・ターナーとジョン・コンスタブル、フランスのカミーユ・コローなどの作品も含まれています。シスレーはパリでイギリス国籍の両親のもとに生まれ育ち、17歳でロンドンに渡った際に作品を見たターナーとコンスタブルに夢中になり、画家を目指すようになったと言われています。のちにフランスで画家としてのキャリアを築いたように、シスレーはイギリスとフランスの両国にゆかりがあり、当館のコレクションにおけるイギリス美術とフランス美術をつなぐ役割を果たしてくれるだろうと考え、購入に至りました」

「画面奥に描かれた煙突からは煙が出ており、朝方ではなく夕暮れの光景が描かれたことがわかります。水面に反射する夕日や木々の影の描写に、印象派らしい筆触分割の技法が使われています」と説明する武関学芸員。

左からジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《風景・タンバリンをもつ女》1840–50年ごろ、ジョン・コンスタブル《デダムの谷》1805–17年ごろ[「コレクション展I 始まりの美術」(2024年4月20日〜6月16日開催)展示風景] 

「推しの逸品」は旧松方コレクションの一作品

国立西洋美術館から《冬の夕日(サン゠マメスのセーヌ河)》が紹介された背景には、国立西洋美術館の開館と作品との歴史的な関係があります。1959年に開館した国立西洋美術館の創設のきっかけとなったのが、実業家の松方幸次郎(1865–1950)によって1916年から約10年をかけてヨーロッパで収集された、膨大な数の絵画や彫刻作品の存在です。のちに松方コレクションとして知られるようになったこれらの作品の数々は、自分の手で日本に美術館を建て、若い美術家たちに本物の西洋美術を見せたいという志を抱いた彼の手で収集されました。

しかし、1927年の昭和金融恐慌によって状況は一変します。自身が経営する会社の債務処理のため、日本に持ち帰った作品は銀行などに差し押さえられ、ロンドンで保管されていた作品は1939年に火災で焼失するなど、松方コレクションは散逸を余儀なくされました。さらに、パリのロダン美術館に預けられていた作品は、第二次世界大戦によって敵国財産としてフランス政府に押収されてしまいます。1951年のサンフランシスコ平和条約の締結以降、日仏の政府間で交渉が続けられ、1955年には日本側が東京にフランス美術館を創設することを条件に、松方コレクションの日本への寄贈返還が決まりました。

フランスから返還された約370点の絵画や彫刻作品を基礎として国立西洋美術館は開設されましたが、それ以前に散逸し、現在は世界各地の美術館やコレクターが所蔵している作品も多く存在します。それらの旧松方コレクションに含まれる作品のひとつが今回の「推しの逸品」、シスレーの《冬の夕日(サン゠マメスのセーヌ河)》です。このように日本とゆかりのある作品であり、また、印象派の重要な画家の一人でありながら、日本の美術館にはあまり収蔵されていないシスレーの作品が、栃木県立美術館のコレクションに加わったのです。

栃木県立美術館では、シスレーの《冬の夕日(サン゠マメスのセーヌ河)》購入以前から旧松方コレクションの2作品を所蔵。左からアーンズビー・ブラウン《九月の朝》1910年代、デイヴィッド・コックス《ウォッシング・デイ(洗濯日和)》1840年[「コレクション展I 始まりの美術」(2024年4月20日〜6月16日開催)展示風景]

「地元の景色みたい」という来館者からの感想

アルフレッド・シスレー《冬の夕日(サン゠マメスのセーヌ河)》1882–83年ごろ

アルフレッド・シスレー《冬の夕日(サン゠マメスのセーヌ河)》(部分)1882–83年ごろ

オンライン上に作品の感想を書き込める外部提供のサービスを本作品で試験的に導入。来館者からは多くの投稿が集まっている。

2023年に作品が納入され、2024年の4月よりコレクション展でお披露目されると、複数の来館者から「栃木県の風景と似ている」という感想が寄せられたことに驚いたと武関学芸員は話します。

「風景画の傾向のひとつとして、ノスタルジーを感じさせる作品があります。とくに19世紀のフランスやイギリスでは、川辺や森を描いた作品が多く見られます。日本は川が多い国ですし、栃木には緑豊かな場所が多くあります。もしかしたら来館者の皆さんも、このシスレーの作品が身近な風景と重なり合い、懐かしさや親近感を覚えたのかもしれません」

栃木県立美術館では、企画展と同じようにコレクション展も会期ごとにテーマを変えながら行われるため、本作品が常に見られるわけではありませんが、2024年末までコレクション展示室に展示されることが決まっています。

風景画の色への興味

大学で美術史を専攻したという武関学芸員に専門分野を伺うと、古代ローマ美術という答えが返ってきました。

「2000年ほど前のローマ帝国の美術は、ヴェスビオ火山が噴火した火山灰に埋もれたポンペイの壁画などが有名ですが、私はこれを初めて見た時、当時の色彩がとても鮮やかに残っていることに衝撃を受けました。ローマ時代の壁画のなかでも、とくに風景画を専門に研究してきたのですが、風景を描く色に関心があります。風景の色彩表現というのは、時代や地域を問わず美術の本質的な部分に関わるものなので、近現代の風景画も古代ローマの壁画と同じ視点で見ていると言えるかもしれません」

栃木県ゆかりの作品と西洋美術をつなぐ

栃木県立美術館は昨年(2023年)、国立アートリサーチセンターが全国の美術館と協働し、国立美術館のコレクションを活用する公募事業「国立美術館 コレクション・プラス」の第1回(2024年度開催分)に応募し、採択されました。応募した企画の提案者は武関学芸員で、栃木県出身の画家・刑部人(おさかべじん 1906–1978)とフランスの写実主義の画家ギュスターヴ・クールベ(1819–1877)の関係に着目しました。

「刑部人は当館でも2度ほど個展を開催したことがある画家です。以前から、主題などにおけるクールベとの類似点は指摘されているのですが、今回の企画をきっかけに国立西洋美術館さんでクールベの作品を実際に拝見すると、ペインティングナイフで鋭く描き留めた様子が写真で見ていた以上に感じられ、同様の表現が作品に見られる刑部が制作技法においても影響を受けていたことがわかりました。刑部のご遺族に生前のご様子などをインタビューさせていただくと、クールベのことを敬愛していたと話されていましたし、制作記録の手帳を見せていただくと『エトルタ(註)のごとき崖を描く』と記されたページもありました。今回の展示を機に資料や作品を体系立て、調査をさらに進めていきたいと思っています」

「国立美術館 コレクション・プラス」に採択された企画は、「コレクション展III 刑部人とギュスターヴ・クールベ ―風景画家たちの眼」として、2024年10月26日から12月22日に栃木県立美術館で開催されます。栃木県立美術館が所蔵する刑部人の作品を、国立西洋美術館が所蔵するクールベによる絵画作品《波》と《雪景色》の2点とともに展示する予定です。

栃木県ゆかりの作品を多く所蔵するのみではなく、西洋美術史にも目を向ける栃木県立美術館に足を運び、古今東西のさまざまな美術表現のつながりを楽しんでみてはいかがでしょうか。

「コレクション展I 始まりの美術」(2024年4月20日〜6月16日開催)展示風景

栃木県ゆかりの作家の作品も多く並ぶコレクション展示室。手前は、栃木県出身の竹工芸の重要無形文化財保持者(人間国宝)、勝城蒼鳳(1934–2023)《風車文透編花籃 春想》2008年(栃木県立美術館寄託)[「コレクション展I 始まりの美術」(2024年4月20日〜6月16日開催)展示風景]

フランスのノルマンディー沿岸の地名。クールベはここで断崖の景色を繰り返し描いた。

【武関学芸員による、推しポイント】

「推しの逸品」としてシスレーの《冬の夕日(サン゠マメスのセーヌ河)》を選んだ理由について、武関学芸員は次のように話します。

「本作品について、来館者の方から、報道の映像や写真で見るよりも実物のほうが明るいという感想もいただきました。画面の明るさは印象派の特徴のひとつだと思うのですが、私も現物を初めて近くで見たときに、夕陽が水面で揺らめくようなオレンジ色が浮かび上がって見えて、映像ではつぶれてしまいがちな筆致にも目を引かれました。ぜひ実際の作品を当館でご覧いただきたいと思い、今回の『推しの逸品』に選ばせていただきました」

武関彩瑛
ぶせきさえ


栃木県生まれ。2021年より、栃木県立美術館に学芸員として勤務。これまでに「題名のない展覧会—栃木県立美術館50年のキセキ」、「印象派との出会い―フランス美術の100年 ひろしま美術館コレクション」(いずれも2022年)を担当。大学院博士課程後期に籍を置き、博士論文の執筆も行っている。

同じカテゴリのNCAR Magazine

同じカテゴリの活動レポート

最新のNCAR Magazine

BACK