国立アートリサーチセンター(NCAR)で働く人々をシリーズで紹介します。第1回では、NCARのミッション「アートをつなげる、深める、拡げる」のなかから、アートを「深める」活動に取り組む情報資源グループに焦点を当てます。
研究の立脚点となるポータルサイト
そのベースとなるのは、日本における現代アートの持続的発展を目指して2018年に始まった、文化庁アートプラットフォーム事業のウェブサイト「アートプラットフォームジャパン 」におけるコンテンツ。美術館の収蔵作品の総合データベース化を目指す「全国美術館収蔵品サーチ『SHŪZŌ』」や、作家の経歴からレファレンスまでを検索できる「作家情報」といったものがあります。NCARはこれを文化庁から引き継ぎ、NCARが運用するリサーチポータルとして再始動させようと取り組んでいます。
そこで扱うデータ量は膨大。アクセス性を高めるために意識しているのは、表記を標準化し、参考文献などのレファレンス情報を充実させ、日英バイリンガルでの発信を徹底すること。
そうした作業の先に目指しているのが、日本のアートに関する研究の立脚点となるようなポータルサイトを実現し、情報発信力を高め、世界の人々に日本のアートの価値をより深く理解してもらうことです。
原点は美術館での勤務経験
情報資源グループに所属する常勤スタッフは4名。非常勤スタッフや業務委託スタッフとの連携で日々の作業を行っています。NCARに着任する前はそれぞれ別の美術館に勤務していたことがあり、さまざまな経験を通して、ときには課題も感じてきました。
そうした課題に対して、NCARの情報資源グループとしてどのような取り組みが可能なのでしょうか。4名に話を聞きました。
プロフィール
川口雅子 グループリーダー 私立美術館での勤務を経て、2003年に国立西洋美術館に入職。同館では情報資料室長として図書室(研究資料センター)の活動を統括し、館の活動をサポートする傍ら、コレクション情報の整備にも携わった。学生時代の専攻は西洋美術史。
谷口英理 副グループリーダー 2007年より国立新美術館情報資料室に勤務。設置準備室の段階で国立アートリサーチセンターに入職。専攻は日本の近代美術史。
石黒礼子 主任研究員 民間企業での勤務と並行して、文化施設内の図書室にて司書業務に従事。2005年8月より公立美術館にアーキビストとして勤務。2022年9月より国立アートリサーチセンター設置準備室に入職。専攻は西洋美術史。
秋田奈美 研究員 2022年より公立美術館でアーカイブズ資料の担当として勤務したのち、国立アートリサーチセンターに入職。専攻は戦後日本美術史。
NCARでの業務につながる、これまでの経験
——まず4名の経歴についてお聞かせください。
川口 私がNCARに異動する前から勤務していた国立西洋美術館(以下、西美)は、ときに、「日本のなかの外国」といった見方をされることもある美術館です。
1959年の開館時から、ヨーロッパやアメリカに留学して美術史を学んだ歴代の研究員(学芸員)が海外の例に倣って研究環境を整え、維持するだけではなく、常にそれを更新する努力もなされてきました。
私も大学院時代にドイツに留学して美術史を学びましたが、西美に就職してからも、他国にも行って学ぶことを求められました。
西美では、作品の調査研究や展覧会企画など、美術館の活動に資するため、研究基盤を整える仕事をしていました。揃えた学術資源は、外部の学芸員や研究者にも公開しています。
学術資源にはたとえばカタログ・レゾネという本のジャンルがあります。わかりやすく言うと、作家の全作品集のことですが、その作家がどのような作品を手がけてきたのかという画業全体を網羅するものです。
また、あるテーマについて調べるために、どのような文献にあたる必要があるのかを調べられる、ビブリオグラフィ(書誌)と呼ばれるものもあります。
こういった学術資源の発行状況を把握し、研究資料センターに備えるのが、私の西美時代の大事な仕事の一つでした。西美では海外の進んだ研究ツールの恩恵を被るばかりでしたが、双方向的に日本から海外に対しても恩返ししたい、といつも気になっていました。
谷口 私は大学院時代から日本近代美術史の研究を続けながら、東京文化財研究所という機関で資料やデータ整理のアルバイトをしていました。
東京文化財研究所はアート・ドキュメンテーションやアーカイブズに関する日本でもっとも古い機関です。そこで美術史研究のイロハや、戦前から続くデータ編纂の仕組みを学ぶことができたことが、今のNCARでの仕事にもつながっていると感じます。
博士課程修了後は、国立新美術館(以下、新美)に就職しました。
新美には主に美術関係の図書を取り扱うライブラリーと、ライブラリーには収まりきらない記録資料(アーカイブズ)があり、私はライブラリーとアーカイブズを統括する仕事を担当しました。
欧米の主要な美術館や研究機関と比べて人手も含めたリソースが足りないなかで、どのように研究環境を整えられるかということを考えるうちに、記録史料類の収集・整理・保存・提供を行うための科学的理論・方法を研究するアーカイブズ学と出会いました。
日本では、手紙や手書きの原稿類、写真、映像など、作家、美術関係者、美術関係機関にまつわるさまざまな記録資料がきちんと整理されておらず、アクセスしにくいという現状があります。それを打開できないかと、アーカイブズについて学びながら方法論を模索してきました。
石黒 大学卒業後、民間企業に就職し、その仕事の傍ら、週1~2日ほど文化施設内の図書室で司書としてアルバイトをしました。
その後、2005年から約17年間、公立の現代美術館でアーキビスト(歴史的価値のある記録を収集、整理、保存、管理し、閲覧できるように整える専門職)として勤務しました。
その時々のアートの現場で起こっていることを記録に残し、未来にわたって活用できるようにアーカイブズを形成するというのが、前職の最大の役割だったと思います。
私はその美術館の開館間もない時期に着任しましたが、収蔵作品に関わる業務、例えば、作品画像の整理や著作権の管理、出品歴や修復歴といった記録の保管や、コレクション・カタログ(美術館の収蔵作品を掲載した目録)の編纂、コレクション・データベースの更新と情報公開など、仕事はどんどんと増えていきました。
業務を進める中で、日本では2010年代に入っても、オンライン上でのコレクション情報や画像公開がなかなか進まないことを感じていました。2018年の著作権法改正で、一定のサイズ以下の画像であれば許諾なく公開できるようになりましたが、そのような環境整備も含め、日本全国のコレクションを視覚的に確認できる総合サイトのようなものを通じて、コレクション情報の公開・発信に携わりたいと考えました。誰もがその情報をもとに日本のアート研究を深めることが可能になる、そんなリサーチ環境を実現したいと思っています。
秋田 私は大学院で専攻の美術史の他にアーカイブズ学を学んだのですが、記録を残し、公開していくことの重要性を強く感じるようになりました。研究を進める中で、記録が残っていなかったり、情報へのアクセスが限られていたりして、作品や資料にたどり着けないことがあったからです。
大学院修了後は、公立の現代美術館に資料担当として勤務しました。主に作家にまつわる美術資料(収集アーカイブズ)の整理・保存・公開を行っていました。
実際に勤務し始めると、限られた人員や予算、時間の中で業務を行うことの難しさを感じました。また、自館の課題は他館の課題でもあったことを知り、館をこえて広く問題解決される必要があるのではないかと問題意識を抱くようになりました。
そんなときにNCARの求人を見つけ、全国的な視点で俯瞰して状況を見ることができる仕事だと思ったので応募し、勤務が決まりました。
NCAR設立に至った課題認識
——川口さんは西美在籍中からNCARの設置準備室に加わっていたそうですが、NCARはどのように組織されていったのでしょうか。
川口 私の知る限りですが、独立行政法人国立美術館でNCARの構想が立ち上がり、法人内の各館職員にも知らされるようになったのは、今年(2023年)3月の発足より3年ほど遡った頃だったと思います。
それ以前に、それとは全く異なる文脈で、日本の美術に関する情報発信が不十分だという認識から、国立美術館の各館の情報担当者が集まり、活動する場も形成されていました。
そこでは、各館の情報発信を充実させる必要があるし、美術史研究所のような機関を持つべきではないかという課題認識が共有されていました。
振り返ってみれば、そのときに追求していたことは、いまNCARで取り組んでいることと重なる部分もあるような気がしています。
日本全国の美術館の情報を集約・発信し、研究のために活用できるようにするとともに、そうした課題を解決するために、全国を俯瞰するハブのような機能の設置を目指すようになり、NCARが設立されたと理解しています。
情報資源グループが進める「日本アーティスト事典」の作成
「アートプラットフォームジャパン」(*)として作成されたコンテンツをベースに、日本の美術に関するリサーチポータルサイトの作成を進められていますが、具体例として、「日本アーティスト事典」の編集プロセスを紹介していただけますか。
(*)日本現代アートの持続的発展を目指し、文化庁アートプラットフォーム事業(2018-2023年)により構築されたウェブサイト。NCAR発足に伴いコンテンツが引き継がれ、NCARのリサーチポータルサイトとしての運用が始まっている。
川口 「日本アーティスト事典」は、日本の近現代アーティストに関する総合事典(オンライン版)です。
日本では、レファレンス情報を十分に備えた事典が諸外国に比べると限られています。そのような状況を打開するために、「こうした書籍でこの作家のことが言及されています」「過去に開催された個展のカタログがあります」というレファレンス情報を網羅したアーティスト事典を作ることに取り組んでいます。
——事典の規模を考えると膨大な量の作業を想像しますが、どのような体制で執筆や編集を進めていますか。
谷口 まず、グループ内の担当ですが、川口と私がアーティストや執筆者の選定、執筆依頼から原稿の校正、ファクトチェック等のすべての作業を、石黒と秋田は主に校正や、文献情報などレファレンス情報部分の整備としての文献情報の部分を担っています。
川口 「アートプラットフォームジャパン」には美術作家に関するデータが既に二千数百名分あります。そこからまず、過去に、東京国立近代美術館など全国に7館ある国立美術館で展覧会を行ったことがある作家などを100名近く選出し、解説とレファレンス情報の日本語原稿の執筆を進めています。
現在作業を進めている分は、今年度中にウェブサイト上に公開する予定です。来年度以降も、段階的に情報を増やしていきたいと考えています。
谷口 原稿の執筆者は、国立美術館各館の学芸課長や研究員に適任の方を推薦してもらっています。そういった連絡調整というのが最初の大きな仕事ですね。
川口 情報を収集してから、どのようにバイリンガルにするかというのも大きな課題です。
例えば、日本語で書かれた『現代の絵画』という書籍が重要だという情報があったとしますよね。外国の研究者がその『現代の絵画』を日本の図書館で探そうとした場合、もし「Contemporary painting」といった任意の英訳タイトルしかなかったとしたら、その研究者は『現代の絵画』という本にたどり着くことができません。
そのようなことが起こらないために、「Gendai no kaiga」など、ローマ字でのタイトルも掲載する併記する工夫が必要です。
国内の大学や美術館関係者だけでなく、海外のキュレーターや大学などでも信頼されるリサーチポータルになることを目指し、本当の意味で求められている情報は何かを考えながら、プロジェクトを進めています。
グローバルな文脈における日本美術
谷口 私たちは、こうしたデータベースの編纂だけでなく、「調べ方案内」(=リサーチガイド)も作成しています。
例えば「このアーティストについて調べるためには、このレファレンスツールをこのように使えばよい」などということを知ることができる、リサーチのための案内書のようなものです。
これらの情報を充実させることによって、アートの研究がより広く深く進んでいくと考えています。
私は日本近代美術を研究していますが、研究環境が整っていないことで日本美術がどんどんマイナー化しているのではないかという懸念を感じています。それを解決するためには、環境を整え、日本人だけでなく海外の人にも日本のアートを研究してもらって、新たな視点が加わることが重要だと思っています。
そのためにも、互換性がある、標準化された情報がバイリンガルできちんと提示されていることが必要です。
川口 グローバルな文脈でもっと活発に日本のアーティストが取り上げられるような状況をつくるべきだと私も常々思っています。
アートの研究の立脚点となるポータルサイトを整備することで、ゆくゆくは、他の国々の作家情報にアプローチするのと同じアクセスのしやすさで日本の作家についても調べられるような状況を生み出したいですね。
いろいろな角度や文脈で日本のアートの価値を見い出すことが可能になって、日本のアートに関する研究がもっと深まり、それが未来にもつながっていくことに貢献できればと思っています。
(取材・執筆・撮影:中島良平)