2025.03.17
DEAI調査レポート6

DEAIとミュージアム―アメリカ博物館連盟の報告書をふりかえって

国立アートリサーチセンター
客員研究員 伊東俊祐

DEAI調査レポート6 | DEAIとミュージアム―アメリカ博物館連盟の報告書をふりかえって

この「DEAI*調査レポート」シリーズでは、「DEAIリサーチラボ」のメンバーがミュージアム**に関する調査内容を紹介しています。本記事では、国立アートリサーチセンター(以下、NCAR)客員研究員である伊東が、2024年9月に翻訳監修した『Facing Change(変化と向き合う)―アメリカ博物館連盟 ダイバーシティ、エクイティ、アクセシビリティ、インクルージョンに関するワーキング・グループの理解―』〈日本語版〉についてふりかえり、ポイントをまとめました。

*「DEAI」とは、Diversity(多様性), Equity(公平性), Accessibility(アクセシビリティ), Inclusion(包摂性)の4つの文字の頭文字をつなげたアクロニム(略語)です。2023年8月に国立アートリサーチセンターの活動として発足した「DEAIリサーチラボ」では、世界の潮流となっているDEAIの理念についてリサーチするとともにミュージアムの「アクセシビリティ」の基準を底上げするための具体的な方法や要件を検討しています。

**このレポートの「ミュージアム」は、美術館だけでなく、考古・歴史・民俗・文学などの人文科学系博物館、自然史・理工学などの自然科学系博物館や、水族館、動植物園のほか、資料館や記念館も含みます。

はじめに

国立アートリサーチセンターでは、2024年9月20日に『Facing Change(変化と向き合う)―アメリカ博物館連盟 ダイバーシティ、エクイティ、アクセシビリティ、インクルージョンに関するワーキング・グループの理解―』〈日本語版〉(以下「報告書」と記します)を発行しました。この報告書は、アメリカ博物館連盟(American Alliance of Museums、以下「AAM」と記します)が2018年に発行した報告書『Facing Change: Insights from the American Alliance of Museums'. Diversity, Equity, Accessibility, and Inclusion Working Group』をAAMの許諾のもとに、この分野の研究者である邱君妮氏の協力を得て翻訳監修したものです。

本記事では、この報告書の内容についてふりかえるとともに、ミュージアムをめぐる動静について簡単に紹介したいと思います。

AAMとDEAIへの取り組み

AAMは、およそ35,000館という世界最大の規模を誇るアメリカ合衆国のミュージアムやその関係者によって構成される専門家団体です。1906年にアメリカ博物館協会(American Association of Museums)として設立され、この分野では世界的にも長い歴史を有する権威のある団体です。

 さて、AAMにおけるダイバーシティ、エクイティ、アクセシビリティ、インクルージョン(以下「DEAI」と記します)の実現に向けた本格的な取り組みは、2015年4月27日にアトランタで開催されたAAM年次総会において実施された、当時はスミソニアン協会の国立アフリカ美術館長であったジョネッタ・ベッチ・コール博士(Johnnetta Betsch Cole, Ph. D.)1による基調講演が契機とされています。コール博士はアメリカ合衆国を代表する人類学者の一人で、とりわけアフリカ系アメリカ人でもある自身のルーツや経験から、人種、性別や不平等の問題をテーマにした研究や教育に取り組んでいることで知られています。博士は講演の中で、ミュージアムが「現代の最重要課題のひとつである多様性の問題をめぐる変化を促すだけでなく、生み出すことによって、社会的価値のある存在になる」(報告書 4ページ)ことを強調し、21世紀の全米のミュージアムが目指す基本的な方向性を掲示しました。なお、この基調講演は、AAMの公式YouTube2で公開されており、2025年3月現在でも視聴することが可能です(ただし、英語のみの視聴となります)。

 基調講演の後、AAMはこれからの組織的戦略としてDEAIの分野に本格的に取り組むようになり、2017年の春にDEAIに関するワーキング・グループを立ち上げました。そのメンバーには、先述のコール博士を含めた様々な専門分野や組織の人々が集い、6か月の間にミュージアムにおけるDEAIの取り組みについて様々な議論を交わしました。その成果物として作成されたのがこの報告書です。

報告書について

 この報告書の大きな特徴としては、単にミュージアムに来館する人々への対応を示しているというよりも、「ミュージアム職員が自らの仕事の中心にDEAIを組み込むための指針となる、共通の語彙と一連の基本的原則」(報告書 3ページ)を知る、ひいてはミュージアムにおける自身の取り組みを省察し、これからのミュージアムはどうあるべきか?ミュージアムの社会的な意義を考えていくための指標として掲示されている点にあります。特にワーキング・グループがその議論の中で学んだことや教訓が「5つの理解」としてまとめられていますので、簡潔に紹介したいと思います。

1. すべてのミュージアム職員は、自らのアンコンシャスバイアスと向き合うために個人として取り組まなければならない
アイコンシャスバイアス(unconscious bias)とは「無意識の偏見」という意味で、他者に向けられた自らの持つ先入観や思い込み等を意味します。報告書でも「私たちの誰もがアイコンシャスバイアスを持っています」(報告書 7ページ)と記されているように、DEAIを進めるにあたってはまずは自らが持つバイアスを認識する、つまりわたしたち個人の内面から取り組むことから始めなければいけないことが述べられています。これはとても示唆的で、なぜならば自らのそれとは異なる他者・異なる文化への恐れや摩擦が、偏見や排除、あるいは差別を生む要因ともなるからです。そういった意味では、まずは様々なことを知る、学ぶというプロセスを取り入れていきながら意識し続けていくことが不可欠といえるでしょう。

2. 定義に関する議論が進歩の妨げとなってはならない
DEAI、すなわちダイバーシティ、エクイティ、アクセシビリティ、インクルージョンは、それぞれどういった意味を持つのでしょうか?日本語では順に多様性、公平性、利便性、包摂性と直訳されますが、そうした言葉も少しずつ目にするようになってきました。とくに近年ではビジネスシーンにおいても、日本をはじめグローバルなレベルで取り組みが広がりつつありますが、その概念については曖昧さを装ったまま使用されている場面も多く見受けられます。ワーキング・グループでは「明確な定義を定めることによって、共通認識を持ち、前進することが可能になる」(報告書 8ページ)として、ダイバーシティ、エクイティ、アクセシビリティ、インクルージョンという言葉が意味するところの定義とその理由についてまとめられています。

3. インクルージョンはミュージアムの影響力と持続可能性の要である
報告書では「ミュージアムの存続可能性と財務的な持続可能性は、私たちが意義のある魅力的でインクルーシブな存在になれるかどうかに大きく掛かって」(報告書 9ページ)いると述べられています。つまるところ、人種や民族、ジェンダー、障害、世代といった捉え方がローカルなレベルでも広がりつつある昨今の状況をミュージアムの運営に反映させていくことが、館のマネジメントや社会的な信用度を高めていくのに有効となるポテンシャルを秘めているといえるでしょう。そういった意味でも、DEAIは絶え間なく変化し続ける時代や社会とともに歩んでいくためのヒントを与えてくれる、ポジティブな取り組みでもあるのです。

4. 長期的かつ真の進展を遂げるためには制度の変革が不可欠である
DEAIへのアプローチは、単に来館者対応をアップデートさせていくための取り組みと思われることもありますが、報告書でもDEAIが「権力と特権に関する広範な議論の一部」(報告書 10ページ)であると述べられているように、館の使命・体制・雇用・組織・予算・事業、さらにはコレクションの内容に至るまで、これまでのミュージアムの制度を再考することで、将来的な発展に向けてブラッシュアップさせていくための取り組みでもあります。そのため、管理職や経営主体を含め、ミュージアムに関係する様々な分野のスタッフが一体となってDEAIを推進していく責任を持つことが重要であるといえます。

5. インクルーシブな姿勢を推進するために、組織のあらゆるレベルにおいて権限を与えられていることも必要不可欠である
報告書ではインクルーシブな姿勢を推進するためのリーダーシップとは「常識に異議を唱える意見に対し、敬意をもって耳を傾けること」であり、特に「より経験の浅い職員、より給料の低い職員、または臨時雇いの職員の知恵を信頼する」ことも重要であると述べられています(報告書 11ページ)。インクルージョンへの取り組みは特定のスタッフに任されるものではなく、ミュージアムの組織全体が一体的かつ横断的に推進していくためにリーダーシップを発揮するための権限がスタッフに与えられていることが必要といえるでしょう。

DEAIをめぐるミュージアムの動静

 以上、報告書の概要について紹介していきましたが、こうしたDEAIの考え方はAAMの優先事項として位置づけられ、様々な議論の末、2022年には『Excellence in DEAI Report』と題した新たな報告書を発表しました。当該報告書は、AAMが実施するミュージアムの認定制度や各館での活動にDEAIをベースとした取り組みを進めていくための指針についてまとめられたもので、こうした指針をもとに、全米のミュージアムではDEAIの実現に向けた一層の取り組みが進められていくようになりました。

なお、ミュージアムを含む全米におけるDEAIへの取り組みは、2020年にミネソタ州ミネアポリスで発生した黒人のジョージ・フロイド(George Floyd)氏が白人警官による不適切な拘束によって命を落とし、これを端緒にいわゆるBlack Lives Matterに代表される人種差別への抗議運動が全米のみならず世界的にも広がったことが背景としてあるようです。現にミュージアムの世界では、これまでは組織の体制から人材、展示、コレクションの内容に至るまで欧米中心、男性中心、マジョリティ中心であったのが、女性や黒人等がミュージアムの管理職に就任、あるいは非欧米やマイノリティにも関心が広げられるなど、DEAIを重視したアプローチへと舵取りがされています。

こうしたアクションは2020年代以前からその兆しを見せ、DEAIという言葉は使用していないものの、2015年のUNESCO(国際連合教育科学文化機関)による「博物館及びその収集品並びにこれらの多様性及び社会における役割の保護及び促進に関する勧告」や、2022年のICOM(国際博物館会議)規約に定める「ミュージアムの定義」の改訂3に代表されるように、その理念が重要視されてゆくようになりました。より多様で、包摂であることが、いまや21世紀のミュージアムに求められる普遍的な役割として日本をはじめとしたグローバルなレベルで認識されていく過度期にあるのです。

さいごに

先ほど、DEAIへの取り組みはグローバルな広がりを見せている、と述べましたが、最近年の世界情勢にみるパワー・ポリティクスの変容は、ますます予測不可能な展開を見せてゆくようになりました。特に、第2次トランプ政権はDEAI政策を「違法で不道徳な差別的プログラム」4としてこれまでの連邦政府の方針を全面的に撤回させたことは記憶に新しいですが、こうした方針を受けて連邦政府からの資金提供を受けているワシントンD. C. のナショナル・ギャラリー・オブ・アート(National Gallery of Art)はDEAIに向けた取り組みを終了5、同じく米州機構(OAS)が運営するアメリカ美術館(Art Museum of the Americans)も黒人やLGBTQをテーマとした展覧会が中止6となるなど、早くも影響を与えているようです。このようにDEAIは現在のアメリカにおいて、ミュージアムの界隈でもその根本から岐路に立たされていることもまた事実です。しかしながら、このような不安定な時代であるからこそ、我々は物事を冷静にかつ客観的に捉え、より一層の「対話」を促していくための姿勢が求められているといえるでしょう。

DEAIへの取り組みは、こうした不安定な時代においてもミュージアムの社会的価値を高めるためのプロセスでもあります。もっとも、ミュージアムは元来多様に満ちています。思い起こせば、近代的なミュージアムの起源ともなった「驚異の部屋」7も多様な珍物を集めたものであったし、ミュージアムやそのコレクションは現在でも多様な拡がりを見せています。さらにそれを取り巻く人も、そこに訪れる人も多様です。つまるところ、ミュージアムは多様であってはじめて成り立つのです。そういった意味でも「ミュージアム」という場、そしてその成り立ちや社会的な意義を博物館学的に再考し、見つめ直していく作業もまた、われわれミュージアムに関わる立場として無視することのできない課題であるといえるでしょう。

さいごに、報告書と同様にコール博士のメッセージ(報告書 7ページ)を引用し、ミュージアムの未来が誰にとってもインクルーシブであり、かつ持続可能であり続けることを願って、筆をおきたいと思います。

この絶えず変わり続ける世界で存在意義を持ち続け、芸術面でも財務面でも存続可能であり続けるためには、すべてのミュージアムは大胆に、むしろ厚かましいくらいに、ミュージアムで何が起こっているのか、ミュージアムが誰のものなのか、科学、歴史、文化、芸術の力を通じて重要なストーリーを語るという特権を持つ、私たちミュージアム職員が何者なのかということを、全力をかけて考え直さなければなりません。



1)1936年生まれ。ワシントン州立大学助教授、マサチューセッツ大学教授、ハンター大学教授、スペルマン大学長、ベネット大学長、国立アフリカ美術館長、全米黒人女性評議会長、美術館長協会長等を歴任。現在、スペルマン大学名誉学長、ベネット大学名誉学長、国立アフリカ美術館名誉館長、アメリカ人類学協会フェロー、アメリカ芸術科学アカデミー会員等、AAMシニア・ダイバーシティ・フェロー等。
2)「Dr. Johnnetta Betsch Cole: 2015 AAM General Session Keynote Address」
https://youtu.be/TmROOwIIVYM?si=4W9aYuLckTpjIoRd(2015年4月27日公開)
3)ICOM日本委員会公式HP「新しい新しい博物館定義、日本語訳が決定しました」
https://icomjapan.org/journal/2023/01/16/p-3188/(2023年2月16日公開)
4)The White House公式HP「Ending Radical And Wasteful Government DEI Programs And Preferencing」
https://www.whitehouse.gov/presidential-actions/2025/01/ending-radical-and-wasteful-government-dei-programs-and-preferencing/(2025年2月20日公開)
5)The Washington Post HP「National Gallery of Art ends diversity programs due to Trump executive order」
https://www.washingtonpost.com/style/2025/01/24/national-gallery-art-ends-diversity-programs-due-trump-executive-order/(2025年1月24日公開)
6)The Washington Post HP「Art Museum of Americas cancels shows of Black, LGBTQ artists following Trump orders」
https://www.washingtonpost.com/entertainment/art/2025/02/26/art-museum-of-americas-cancels-shows-trump-dei-orders/(2025年2月26日公開)
7)あらゆる種類、分野のモノをコレクションとして蒐集し、陳列した空間。西欧中世からルネサンスの時代にかけて、ヨーロッパの王侯貴族の間で流行した。

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