グループワーク 小学生対象
藤田+小野グループ 生活に生きる美術体験
- ファシリテーター:
- 藤田覚(京都市立西京極西小学校 教諭)
- サブファシリテーター:
- 小野範子(茅ヶ崎市立緑が浜小学校 教頭)
- 受講者:
- 10名(小学校教諭5名、学芸員4名、指導主事1名)
- 課題作品:
- マルセル・デュシャン《泉》
藤本由紀夫《キュレトリアル・スタディズ12:泉/Fountain 1917-2017 Case 2 :He CHOSE it》
グループワークの進め方
- アートカードで「心の動く」作品を選んで自己紹介
- 3つのグループに分かれて心が動く場所や物を見つけてデジカメで写し、美術館という施設を鑑賞する
- 付箋を使って対話による鑑賞を行ない、活動を振り返る
- 小学校高学年を対象とした生活に繋がる鑑賞プログラムを作る
- 鑑賞をする際に作品についての情報をどこまで伝えるのかについて、各グループの鑑賞プログラムをもとに比較検討する
グループワークを振り返って
講評
学び方で用いられていることで大事なのが「道具」ですが、カメラは人間の感覚とは絶対的に異なるので転換の道具と言えます。藤田・小野グループはカメラという道具を巧く使っていました。カメラは動いている世界を固定し時間を止めます。さらに面白いなと思ったのは、シャッターを押すまでの間に人間が何を考えるのかということを考えさせられました。モンドリアンのような写真を撮っている方がいらっしゃいましたが、カメラが私たちをモンドリアンにするのかもしれません。「観点」というキーワードも浮かびました。色やかたち、主題……多様ということ。池田さんの作品はレイヤーでできています。レディメイドは、美術とはなにかという、あの時代でなければ生まれなかった主題だと思います。小学校では難しいと思われがちですが、文脈をとりあげることは可能だと思っています。 (奥村高明)
今井+東上グループ 着物着るもの見ないもの?
- ファシリテーター:
- 今井陽子(東京国立近代美術館 工芸課 主任研究員)
- サブファシリテーター:
- 東上豪(京都市立樫原中学校 教諭)
- 受講者:
- 10名(小学校教諭7名、学芸員2名、指導主事1名)
- 課題作品:
- 木村雨山《変織縮緬訪問着「花」》1965年
芹沢銈介《型染鯛文着物》1968年
グループワークの進め方
- 「今日の私」:アートカードで(自己紹介)
- 「詩人探偵」:麻田浩《原風景(重い旅)》で(アイスブレイク)
- 「私の見ていること」:課題作品をじっくり鑑賞、そして分析
- 「みんなの見ていること」:2グループに分かれて見たことを共有、見どころをまとめて発表
- 「見たことを伝える、引き出す」:腹ごなしに、トーカーと子ども役に分かれて対話型トークの演習
- 「子どもたちと作品を見るには?」:グループ毎に対象学年を設定し、鑑賞授業を考える
グループワークを振り返って
講評
学びの方法については、「対話とアクティビティ」がクローズアップされていました。対話型の欠点は、さまざまな活動の可能性を対話だけに押し込んでしまうことです。うなるような発言がでると、そこに吸い取られてしまうんです。今井・東上グループは面白いアクティビティをやっていらっしゃいました。「主観と客観に分ける」のは面白いなと思いました。主体的・対話的で深い学びというのは、あくまでも学び方の問題です。それが目的なのかどうかが曖昧ですが。主体性が確保されている学び方をしないといけないし、対話的というのは多様な資源やあらたな素材をとり出しながら行なうものだと感じました。そうすると「探る」学びができるだろうと考えました。(奥村高明)
西村+中西グループ ミニ鑑賞ツアーをつくろう!
- ファシリテーター:
- 西村德行(東京学芸大学 芸術・スポーツ科学系美術・書道講座 准教授)
- サブファシリテーター:
- 中西久恵(京都市立西ノ京中学校 教諭)
- 受講者:
- 11名(小学校教諭5名、特別支援学校教諭3名、学芸員2名、指導主事1名)
- 課題作品:
- 麻田浩《旅・卓上》1992年
グループワークの進め方
- 風景を見るための「質問を考える」(「誰でもみつけられそうなもの」と「誰もみつけられそうにないもの」)
- 課題作品をじっくりと鑑賞し、「質問を考える」(「開いた質問」と「閉じた質問」があることを意識させる)
- 子供たちが思わず「見たい!」と思うミニ鑑賞ツアーを3つの班に分かれて作る(麻田浩の8作品を対象)
- 各班のミニ鑑賞ツアーを楽しみ、各班の考えたツアーや「質問」の工夫などについても発表する
グループワークを振り返って
講評
「問い」について考えさせられました。問いには、事実的な問い、概念的な問い、創造的な問いがあります。概念的な問いは、概念をもっていないと答えられない問いです。「なぜ作者はそう描かなければならなかったのか」というのは小学校でも視野に入れておくべきかと思いました。「鑑賞能力」とひとことで言ってしまうと見えなくなると思います。鑑賞活動によって育つ能力と言い換えるとよいかもしれません。造形的なものの考え方というのは、応用可能性だと思います。視覚を身につけるか、あたらしい概念を見つけるのか。そこまでを考える。子どもが感じ、見ているものは我々と違うことを知り、その上で何を育てていったらいいのかを考えることが重要です。そんなことを、私は一人の参加者として考えていました。(奥村高明)