ごあいさつ

最初に、猛暑のなか、ご参加いただいたみなさまに心よりお礼申し上げます。

美術館を活用した鑑賞教育を推進すべく、その充実をめざした指導者研修も、今年で10年目を迎えました。このように多くのみなさまにご参加いただいて記念シンポジウムを開催できますことは、じつに感慨深いものがあります。30名を超えるOBの参加者に深くお礼申し上げます。

この種の研修会の企画、実施はかなりの労力を要するものですから、ここだけの話ですが、人数も限られる教育普及の担当者は、今年限り、今年限りと念じながら担当してきた、できれば区切りのいいところ──5回目とか10回目とか──で、一度ピリオドを打ちたいと思う気持ちがなかったといえば嘘になる、それがこれまでの偽らざる経緯といえるからです。それが続いて10年目を迎えることができました。

この間、途中でプログラムの見直しはありましたが、多くの皆さまのご協力と熱心な参加者があって、大きな成果を上げつづけることができました。鑑賞教育のための環境づくりにわずかなりとも貢献できたのではないかと自負しております。

10年を機に、これまでの研修会を総括しつつ、今後のめざすべき方向や課題について整理することには、大きな意義があると思います。今では独立行政法人国立美術館の恒例行事として欠くべからざるイベントとなっており、どこかでピリオドを打つという選択肢は見当たりません。

個人的には、今後、研修会参加者のOB会のようなものを組織して、全国的な連絡会、ブロックの研究会に発展できれば望ましいと考えていますが、今回は担当者のアイデアを採用して記念シンポジウムを開催することになりました。記念講演をお引き受けいただいた逢坂・横浜美術館長はじめ、ご協力いただいた関係者のみなさまに心よりお礼申し上げます。

鑑賞教育に関しては、みなさま方のほうがはるかに専門家ですから、私は語るべき多くの言葉をもちません。ただ、現在開催中の合同展「No Museum, No Life?──これからの美術館事典」は丁度タイミングよく、美術館の役割、仕組みや機能について紹介しつつ、コレクションの名品を楽しんでいただく企画になっています。そのご案内を兼ねつつ、美術館の意味について少しお話ししたいと思います。

「美術館なしで生きられますか」と尋ねられて、「大丈夫」と答える方もおられることでしょう。しかし、「あなたの周囲から美術(アート)がなくなっても暮らせますか」という質問ならどうでしょうか。もちろん、美術館の意味は人それぞれです。当館にある東山魁夷の代表作《道》を、折にふれてご覧になるお客様がおられます。一度、人生に迷った時にこの絵を見て「生きて行こう」と思えた、その後もたびたび訪れると全国紙に投稿しておられました。勇気やパワー、また、癒し、喜びなど美術作品には本物だけがもっている力があるのです。

国立美術館は、国民の財産というべきコレクションを充実させ、国民一人ひとりの文化的教養の向上に役立つ展覧会の開催や教育の場を提供して、国民一人ひとりの幸せや豊かさの増大、すなわち豊かな社会づくり、社会の利益に少しでも役立ちたいと努力しています。

近頃、理系の人材やグローバル人材の養成が国家的な課題といわれます。しかし、科学の分野でも美的感性が重要とされますし、文化的教養に裏打ちされない国際人は考えられません。感性を育み文化的教養を深める、一人ひとりの生活や人生を豊かにすることができる、それが美術館の役割です。

さて、美術館に足を運ぶこと、それは本物にふれることです。スマホのアプリやゲームがどれほど高性能になっても、本物の存在感、質感には及びません。現代社会には様々な娯楽が大量に溢れ供給過剰になっています。また、様々な形の美術館や展覧会も増えてきました。しかし、テーマパークやTVのバラエティとは違う、各種のゲームソフトなどでは味わえない本物の感動を体験できる、そして本物を見る目を育てることができるのが美術館なのです。未来を担う子どもたちには、ぜひとも、そのことに気づいてほしいと願っています。学校教育に携わるみなさまとともに、働きかけていきたいと思います。

「No Museum, No Life?」。いま一度考えてみませんか。子どもたちにも考えてほしいのです。一人ひとりの人生を豊かにして、この社会を幸せで潤いのあるものとするために。この指導者研修会そして10周年記念のシンポジウムが、鑑賞教育の充実はもとより美術館の意味について考える機会になることを心より願っています。

本日は誠にありがとうございます。

平成27年8月

東京国立近代美術館 館長
加茂川幸夫