講演
- 日時:
- 8月2日(日)13:30~14:30
- 講師:
- 逢坂恵理子(横浜美術館 館長)
美術館が目指す鑑賞教育の可能性
ただいまご紹介いただきました横浜美術館の逢坂でございます。さきほど一條さんに研修会の10年の軌跡をご紹介いただきましたが、研修会の期待に応えるこれまでの講演内容を考えますと、今日の私の話が、どこまでみなさまの期待に届くだろうかと、気持ちがひきしまってまいりました。本日、このような会にお招きいただきましたことを、加茂川幸夫館長にも改めてお礼申し上げたいと思います。
美術館の役割
私自身は美術館に20年ほど勤務してまいりましたが、「美術館が目指す鑑賞教育の可能性」について、みなさまがすぐ現場にもちかえって実践できる打ち出の小槌のような可能性、成果、もしくは方法論を私がお話できるのかと期待されると、それは少しちがうと、まず先にお伝えしておきたいと思います。可能性といっても非常に様々ありまして、本日は、美術館がどんなところか、社会のなかで何を期待され、何に応えていかなくてはいけないのか、そのなかで鑑賞教育というものがどのような可能性をもっているのか、ということを、かいつまんでお話しさせていただきたいと思います。
まずはおさらいのつもりで、日本の博物館法に記載されていることをお伝えします。博物館法は、昭和30(1955)年に地方公共団体と私立の公益法人の美術館に対して──当時、公益法人はなかったんですけれども──規定されたものです。国立の美術館は、博物館法の適用外で、独立行政法人化されて別の規定のなかで活動しています。これは意外と知られていません。
美術館、博物館については、「資料(作品)のもつ情報をよりよい条件(環境)のなかで表現し、市民に提示することにより、思想(表現の目的、意義、価値および考え方)を伝達する機関」と書かれています。美術館が思想を伝達する機関だと頭のなかで整理されている方は、ほとんどいないと思います。博物館法をつくった人たちは、目に見えない様々な考え方を、芸術作品を通して伝えていくのが美術館だと言葉で表現しています。ということは、広い意味での人間教育の場であると私は思っています。学校教育とまったく異なるところは、採点がないということです。五段階評価もありません。社会全体が数字で評価されるようになってきていますけれども、美術館の鑑賞にかんしては、採点のない世界として考えていきたいと思います。
美術館の活動内容
次に、美術館がどういうことを行っているところなのか、基本をお話しします。美術館には、調査・研究(Curator, Researcher)、収集・保存(Curator, Conservator)、企画・展示(Curator)、教育・普及(Museum Educator)という4つの柱があります。
調査・研究から企画・展示まではキュレーター、日本でいうと学芸員がやることです。海外ではリサーチャーという、調査を専門に行うスタッフがいて、保存に関しても、コンサベーターという専門家が美術館に常駐していますが、日本では、博物館法ができた頃から、美術館のなかの専門家は学芸員だけだと思われてきました。教育普及は美術館活動のなかで非常に大切なものですが、長い間、美術館は収集・保存と企画・展示、すなわち収蔵品を活用して展示するコレクション展、もしくは作品を国内外から集めてきて展示する企画展に重きが置かれていました。教育普及という言葉が多くの方に浸透してきたのは、日本では90年代後半なのではないかと思います。美術館のなかに鑑賞教育を専門に行う職員が十分配置されているかというと、まだまだ不十分な状況です。しかし、美術館教育の専門家が必要であるという意識は、21世紀に入ってからは飛躍的に高まっていると思います。
美術館の活動には、変わらず守らなければいけないことと、変化する時代の要請に応えていかなくてはいけないことの、ふたつの柱があります。これはある意味相反するものです。変わらず守らなければいけないこととは、過去の作品をきちんとした状態で未来につなげていかなくてはいけないという、非常に大切ですが、ある意味保守的な活動です。それに対して、今の時代の様々な状況を伝えていくというのは、革新的な活動でもあるわけです。
まず、「美術館は探究と実験の場」です。探究というのは調査・研究のこと、実験というのは新しいことをどんどん取り入れていくという考え方ですね。「美術館が都市と市民生活に必要不可欠な一部であることを示す」。さきほど加茂川館長がおっしゃったように、「ほんとうに美術は必要なのか」という問いに対して、美術館を通して「必要です」と人々に伝えていかなくてはなりません。「都市」といっても、小さな町から政令指定都市、もしくは東京のように1300万人も暮らすような巨大な都市までありますが、地域とそこで生活している人たちに対して、美術館が何をしていけるか、ということを考えていかなくてはなりません。「視覚的な芸術(ヴィジュアル・アート)を通して考えるきっかけを提供」すること。さきほど、博物館法には、美術館が思想を伝達する機関だと書かれているとお伝えしましたけれども、考えるきっかけを提供すること、これはまさに鑑賞教育が果たしてくれることだと思います。「創造性への配慮」は、クリエイティブな力をどのように伝えていけるか。そしてこれは狭い美術の範囲だけではなくて、様々なジャンル──政治や経済、医療や福祉、環境、食生活など──へ橋渡ししていくことで、創造的であるということはどういうことかということを伝えていかなくてはいけないと思います。美術館も変化しなくてはいけません。
これは、21世紀の美術館としてサバイバルする能力ともいえますが、ニューヨーク近代美術館の館長、ポンピドゥ・センターの館長などとお話をしている時に伺ったことをお伝えします。
美術館がサバイバルしていくためには、まず、魅力ある展覧会(事業)を企画できること、企画する能力を持ち続けていくことが大切です。それからコレクションを充実させていくということ。日々、様々なアーティストが新しい表現を試みているなかで、美術館は過去に目を向けると同時に未来に目を向けなくてはなりません。そこで、その時代ごとにコレクションを収集していくことができるのかどうかが大切になります。それから3つめ、今、生きているアーティストをひきつけることができるかどうか。そして4つめに、今日のポイントともなりますが、質の高い鑑賞者を育成できるかどうか。質が高いというと、みなさんは、知的あるいは学術レベルが高いことと思われるかもしれませんが、これは決して知識の集積ではなくて、自分がこれまで出会ったことのない表現に対しても、謙虚にそれを受け入れて楽しむことができるかどうか、ということです。5つめは──これは館長として加茂川館長も私もいつもつきつけられている課題だと思いますが──、こうした活動を担保するものとして、バランスある運営維持能力がその美術館にあるかどうかです。美術館の自治と予算をどうやって確保するかということ、すなわち政府から提供される資金だけではなくて、個人の協力、サポーターや企業の協力をどのように得ることができるかを考えますと、4つめの鑑賞者の育成は、とても大切なことになります。
ニューヨーク近代美術館の
「ヴィジュアル・シンキング・カリキュラム」
それでは、私自身が鑑賞教育とどのように出会ってきたかをかいつまんでお話ししたいと思います。といいますのも、私自身は美術館教育担当者(ミュージアム・エデュケーター)ではなくて、学芸員(キュレーター)として美術館の活動にかかわってきました。海外でもよく言われることですが、美術館学芸員と美術館教育担当者との間には、大きな溝があると言われます。作品の解説ひとつとっても、教育者がわかりやすい表現で観客に伝えたいと思っていても、学芸員がそんな表現では作品の本質からはずれると反対して、意見がまとまらないということがあります。しかし、今、時代はずいぶん変わってきました。学芸員と美術館教育担当者が協力すべき時代になってきたと思います。
そんななかで、私自身は、1983年から91年までICA Nagoyaという、現代美術を紹介する民間のギャラリーで仕事をしておりました。名古屋にある、工場跡地を使ったかなり広いギャラリーに、アーティストを招待して作品を制作してもらっていました。ダニエル・ビュランというフランスのアーティストのインスタレーションなどICAの活動を通して、私は多くのことを学びました。ICA Nagoyaの閉館後、93年から94年の間に、現京都造形芸術大学教授の福のり子さんとたまたま海外で出会いまして、ニューヨーク近代美術館の新しく開発された鑑賞教育のメソッドを知ることになりました。そのメソッドを日本でも紹介するために、私が日本側、福さんがニューヨーク側の担当コーディネーターとなって、1週間ほどニューヨーク近代美術館で鑑賞教育の研修会を行いました。これは、ニューヨーク近代美術館の教育部長だったフィリップ・ヤノウィン氏と、アメリア・アレナス氏の講習を受けるもので、旅行代理店といっしょにツアーを組み、毎回十数人くらいを束ねてニューヨーク近代美術館に連れて行くということを3回やりました。
ここで知ったのは、「ヴィジュアル・シンキング・カリキュラム」というものです。これは作品から観たものを自分の思考につなげて作品を読み取っていくというメソッドなんですけれども、今はヤノウィン氏が美術館を離れまして、「ヴィジュアル・シンキング・ストラテジー」という名前で、学校教育の現場で先生と実践し、研究を進めていらっしゃいます。
ツアーに参加してくださる方は、民間の美術館やフリーの方が多かったのですが、そこには公立美術館の方がお休みをとれず、参加できないという問題がありました。
そのために、水戸芸術館で94年に働くようになってから、全国美術館会議に協力してもらって、ヤノウィン氏とアレナス氏のおふたりと福さんを招いて、4日間の研修会を水戸芸術館で開催しました。全国の美術館に呼びかけたのですが、それほど予算がなかったので、5日間の滞在で5万円(宿泊費別)の受講料をとりました。その当時、美術館としては破格の高額の受講料だったうえに、対話式だったので多くの方にご参加いただくことがむずかしく、人数を限定したのですが、定員40人のところに倍以上の応募がありました。
そしてここで、作品から読み解く力をどうやって育むかということを集中的に学びました。対話式のトークが必ずしも日本の土壌に合わないこともあり、いろいろな紆余曲折もあったのですが、作品から読み解く力を育む対話式の鑑賞が、このあたりで日本に導入されたのではないかと思います。
展覧会「なぜ、これがアートなの?」
そのあと、川村記念美術館、豊田市美術館とともに「なぜ、これがアートなの?」という展覧会を水戸芸術館で開催しました。これは、黙っていても来てくれる美術愛好家ではなく、初心者向けに展示を構成したものです。この展覧会を構成できたのは、アメリア・アレナス氏の力です。彼女は美術館の教育者として、教育だけでなく非常に豊かな美術史に対する知識があって、どのように展覧会を構成すれば、美術にあまりなじみのない人たちでも作品を観ることができるかということを、私たちに教えてくれました。特徴のひとつは、作品のキャプションを会場で掲示せず、展示の最後に出品リストを渡すことで、希望する人は、もういちど展示の入り口に戻って、キャプションと照らし合わせながら作品を観ることができるようにしたことです。
例えば、カンディンスキーの抽象画とシンディ・シャーマンのピザの表面を撮影した作品を並べています。多くの方々は抽象的な絵画に対して、どうやって観ればいいのかわからないという思いを抱きます。ここでは、「かたちのないかたち」というタイトルで、いくつかの作品を並べ、まずカンディンスキーの抽象画を観て「わからないよ」と思っている人に、となりのシャーマンの作品を見せて、「じつはこれ、ピザの作品なんだけど、あなたわからない?」と問いかけるような、日常のなかの出来事と美術作品を結びつけることができるような展示構成になっています。
これらの活動を行うきっかけとなったのは、さきほどお話しした、ICA Nagoyaでの経験です。ICA Nagoyaで先端的な現代美術を紹介していた時、不便な場所にありながら、全国の美術関係者、評論家、美術に非常に関心の高い方々が来てくださって、活動を高く評価してくださいました。でも、それはほんとうに一握りの人たちでした。近くの学校に出かけて行って、「生徒さんたちを連れていらっしゃいませんか?」と声をかけたこともあったのですが、「ちょっとむずかしくて・・・・・・」と言われたことが、私にとってはひとつのスタート地点になっています。現代美術=むずかしい。この先入観をどうにか払拭したい。美術には、こんなにも豊かな世界があるのに、と思ったのがひとつのきっかけでした。
美術鑑賞とは何か
ヤノウィン氏が、MITの発達心理学の研究者たちと鑑賞者の態度を分類するためにある統計をとった結果、鑑賞者の態度は次のように分類できました。おおざっぱに書いてありますが、5段階あります。
1番目は美術館に来たことがない人。ふつうの子どもたちもここに入るかもしれません。2番目は、自分の意思では来ないけれど、他の人に連れてきてもらったことのある人や団体で来る人、学校の生徒たち。3番目が自主的に美術館に来る人。美術大学の学生などです。4番目が、美術に慣れ親しんでいて、行きたい美術館や観たい展覧会を自発的に選んで来る人。この4番目が、美術館で働いている私たち学芸員や美術評論家を指しています。5番目は、ほんとうに一握りの人たち。30代、40代じゃ、まだはなたれ小僧なんだそうです。(会場笑)長い人生経験があって、豊かな知識があって、美術の仕事についていなくても、知識に邪魔されることなく、美術が人生の一部になっている人、しかも自由に作品を鑑賞するという楽しみを味わえる人です。
今までの美術館は、1と2を無視してきたと言われました。これは90年代の最初の頃の話です。そして美術館教育は、1と2の人たちにどうやって訴えることができるかということが、とても大切である。それを教えてくれたのが、フィリップ・ヤノウィン氏とアメリア・アレナス氏でした。
では、「美術館の鑑賞ってなんだろう?」。私も含めて、皆さんは作品を十分観ているのでしょうか。福さんたちによると、一般に展覧会に来ている人たちは、ひとつの作品を10秒も観ていないそうです。ほとんどの人はキャプションや解説をみている。キャプションをみて、「ああ、これがあのゴッホのアイリスの花の絵か」とか、「これがカンディンスキーか」とか、キャプションを読んだことによって、作品を観たと思ってしまう。作品をくまなく観るということは、意外とみんなしていない。ヤノウィン氏とアレナス氏には、「それができると、作品の声を聞くことができるんだよ」と言われました。
水戸芸術館で「美術」という言葉から、一般の方々が何をイメージするか、記述式のアンケートをとったことがありました。もっとも多かったのが、「絵と彫刻」。それから「贅沢で価値の高いもの」「美しい作品」、そして「上品なもの」。こういったことが、あまり美術館にいらっしゃらない方々の美術のイメージです。こういうことを念頭に入れながら、それだけではなくて、美術というのはこういうものなんですよ、と伝えていくにはどうしたらいいかを考えるもうひとつのきっかけになりました。
多くの方々は、美の基準が、人によって、時代によってちがうことに気づいていません。美術史家や有名な評論家などの評価、あるいは新聞記者などによってメディアで伝達されている作品がすばらしいと思ってしまう。ですが、美の基準というのは、美人の基準が個々人ちがうようにちがうのです。同じ作品でも、どの時代に観たか、どのような経験を経てから観たか──小さい時に観たのか大きくなってから観たのか、悩んでいる時に観たのか、人生の岐路に立った時に観たのか──、それらのちがいによって、感じる美しさや価値がかわってきます。ひとつの作品を例にとるだけでも、100人みんなが同じようにすばらしいと言うことはありえません。作品の意味や訴えていること、これらをどのように感じ取るかは、人によって異なります。それから、アーティストが試みようとしている表現を、どこまで自分たちが受け入れられるかによってもちがいます。作品によっては、「こんなのアートじゃないよね」と思う人もたくさんいると思います。さきほど「なぜ、これがアートなの?」という展覧会をご紹介しましたけれども、「なぜ、これがアートなの?」という問いは、一般の方が心の中でよく思う質問です。そのなかで、「これはアートなんです」と伝えていくためには、その方々が何を感じて、何を享受できるか、といったことがとても大切です。こういうことがクリアされていかないと、美術鑑賞はむずかしいという印象を拭うことができません。
では、美術館の鑑賞に知識は必要なのでしょうか。知識は必要ですが、知識がなくても作品は鑑賞できます。鑑賞の段階は様々にあって、鑑賞者の作品の受け止め方によって、アーティストの思いとはちがう意味が作品に付加される、それはそれでありうることなのです。作品への一人ひとりの感じ方のちがいは、知識だけでものを考えることとは別の世界のことです。高学歴の人がどの作品も正しく鑑賞できるかといったら、そんなことはないのです。美術を受け入れられない人もたくさんいます。なぜか。美術鑑賞には、鑑賞者自身がどのように感じ、それをどう判断するかということが、とても大切だからです。この作品を、こういうふうにみたから20点です、こういうふうにみたから50点です、そして、これが100点の答えです、というものはありません。正解のない、点数のつかない世界を楽しめるかどうか。そういう柔軟性があるかどうかです。
横浜美術館での活動:「みる、つくる、まなぶ」
横浜美術館は、89年に開館しました。開館当初から「みる、つくる、まなぶ」という3つの言葉を掲げています。横浜港が開港したのが1859年なので、当館では、19世紀半ば頃からの近代美術・現代美術──版画、写真、工芸など──に焦点を当てて作品を収集し、展覧会を開催してきました。展覧会が「みる」、開館当初から施設を充実させて展開してきた「市民のアトリエ」「子どものアトリエ」という創作活動が「つくる」にあたります。そして美術関係の図書を中心に映像の情報などを収集・公開している美術情報センターという図書室が「まなぶ」にあたります。この3つの柱が当館の特徴です。
さきほど美術館の運営にはバランスが必要で、経費を捻出しなくてはいけないというお話をしましたが、いくつかの例を紹介します。美術館の前庭をクラッシックカーの展示会に貸し出した様子です。ふだん美術館に来ない中高年の方、車に興味のある男性などが来てくれました。下村観山の展覧会の開催時には、みなとみらいコミュニティクラブの方をお招きしました。みなとみらいにはたくさんの企業のオフィスがあり、この企業の方々と連携して、特別鑑賞の日を設けています。チケット代はいただきます。こういったことを夜間にやっておりまして、観山展では日本画の展覧会だったうえにお正月で生け込みもしていましたので、お抹茶をふるまうイベントをグランドギャラリーで開催しました。
「みる、つくる、まなぶ」の展開については、鑑賞教育では、ギャラリートーク(みる+まなぶ)を開催しています。また、造形+鑑賞(みる+つくる)としては、当館は学校と連携した造形教育をかなり実施しています。造形教育と鑑賞教育を結びつけることができるというのが私たちの特徴でもあります。近年開発しているのは、鑑賞ワークショップ(みる+かんじる+かんがえる+つたえる)です。みることと考えることをポイントに重点的な活動をしています。
「コレクション・フレンズ トーク」というイベントも行っています。当館の収蔵作品を支援していただくコレクション・フレンズという支援制度を立ち上げまして、会員の方には、コレクションに親しんでいただけるように、交流会等を行っています。
「アートクルーズ」は、夜7時から9時まで2時間みっちり学芸員が案内する、通常ではみられない、美術館のいろいろな側面を伝えるトーク・イベントです。これも3000円の参加費をいただいているので、当初、お茶や軽食を用意していたのですが、熱心な方々が応募してくるために「お茶よりもみたい、聞きたい」ということで、2時間じっくり、みて話し、質疑応答を受けることになりました。人数は限定されていますが、人気のあるプログラムです。
さきほど造形と鑑賞を組み合わせたワークショップについてふれましたが、例えば、石田尚志さんという映像作家の個展を開催中に、子どもたちに向けた、アーティストといっしょに作品をつくるワークショップと作品鑑賞も行いました。
他にも木版画の展覧会では、「市民のアトリエ」と「こどものアトリエ」のエデュケーター、鑑賞教育を担当しているエデュケーターの全員が参加したプログラムを実施しました。作品を鑑賞したあと、プロの刷り師の方に、十版くらいの刷りを実演してもらいました。その後、アトリエのスタッフが用意した小さな版木を使って、自分の作品を作ります。このように、鑑賞と造形とプロの技術をみるという活動を合わせたものだったのですが、これが非常に好評でした。これまで独立した活動が多かった「市民のアトリエ」、「子どものアトリエ」、鑑賞教育のチームが一丸となって準備し、成果を出すことができました。参加者の女の子が、刷り師の技術をみて、目を輝かせて、「将来は木版画家になりたい」と言って、お母さんをちょっとびっくりさせていたというエピソードもありました。(会場笑)
その他、コレクションの鑑賞ワークショップでは、子どもたちがマックス・エルンストの作品に触発されて作品をつくっています。これも「子どものアトリエ」と鑑賞チームがいっしょに行っています。 また、一般市民の方にコレクションや展覧会の作品を簡単に説明していただくということで、ボランティアによるトークを養成しています。展覧会の前に10分くらい「ココがみどころ!」を話してもらっています。
水戸芸術館での活動:「高校生ウィーク」
これは水戸芸術館の事例です。全国どこの高校生でも展覧会を無料で観られる、「高校生ウィーク」という事業を、毎年2月、3月あたりに開催しています。当初は、高校生に作品を鑑賞してもらうことでしたが、今では高校生たちが「高校生ウィーク」をエデュケーターとともに運営に関わるというところまで発展しています。そのなかの活動で、いろいろな仕事をしている地元の人に来てもらって話を聞くとか、アーティストといっしょに作品を制作するとか、展覧会の広報・宣伝のアイデアを高校生から出してもらって展開していくということなどを実践しています。他にも、ワークショップの中にカフェをつくって、展覧会にいらした方が無料でお茶を飲めるようにしています。サービスしてくれるのも高校生、サービスする人たちのエプロンも地元の洋装の先生に相談しながら高校生もいっしょにつくりました。 作品を単に観るだけでなく、アーティストと接するなど作品への複数の回路をもつことによって、美術館への敷居も低くなり、鑑賞への道筋もまた開けていくように思います。
ヨコハマトリエンナーレ2014での活動
次に、横浜美術館で実施しました夏の教室の活動をご紹介したいと思います。これは昨年開催され当館が主会場となりました、ヨコハマトリエンナーレ2014で試みたものです。アーティスティック・ディレクターの森村泰昌さんの発案でした。中高生から参加募集し、開幕前の5月から開催中の10月まで、長期にわたっていろいろなことを学んでもらって、学んだ成果を小学生に伝えるというイベントです。運営もたいへんでしたし、募集人数も20人と多くはなかったのですが、一人ひとりが濃密な体験をすることによって、美術に対する思いや理解度は格段に深まりました。しかも、ただ鑑賞するだけでなく、インプットしたものを小学生にアウトプットするということで、中高生のアイデアや実践の方法を自ら検証しながら伝えていくことができたのではないかなと思います。これはヨコハマトリエンナーレ2014の会場で、中高生が小学生に対して説明しているところです。また、作品を説明するだけではなくて、中高生が考えたテーマをもとに、いっしょに造形ワークショップをやりました。
最終的にこの活動は、中高生の手で『船長の航海日誌』という記録にまとめられました。エデュケーターが記録にまとめるのではなく、ファシリテーターとして関わり、中高生たち自身にまとめさせたのは、中高生の自発性と異なる世界の人たちと関わるという体験を大切にしたためです。中高生のアイデアをかたちにするため、アドバイスをしてくれるデザイナーにも参加してもらいました。この活動は13回にわたって行われ、ヨコハマトリエンナーレ2014に関する講義、森村さんのお話、設営前の空っぽのギャラリーの見学、設営作業の見学など、いろいろな活動を行いました。そのうちの2回が小学生のための解説だったのですが、中高生からは、小学生に説明するなかで、自分たちが気がつかないような作品の見方をする小学生に逆に教えられたとか、単に鑑賞するだけではなくて、自分たちが考えたことを伝えるためにいろいろなことを模索した、それが功を奏したように思う、という感想などが出ました。
このワークショップには登校拒否生徒が参加していました。いろいろな経験を積んでいる大人、自由な発想をするアーティスト、小学生、同じように美術に興味のある中高生と交わっているうちに、ワークショップ終了後には高校の卒業資格の試験を受けて、無事この4月から美術大学の学生となりました。もうひとり、ご両親や先生からは反対されているんだけれど、どうしても美術大学に行きたいという生徒もいましたが、その生徒にとっては、この活動が終わったあとも、エデュケーターがよい相談相手になっています。教育というのがけっして一過性のものではなく、そして数でもなく、限られた時間のなかで完結するものでもないということを、私たち自身も身をもって体験することができました。
美術作品と出会うとはどういうことか
美術作品と出会うとは、どういうことなのか。自分が知らない作品、価値が定まっていない作品と出会うとは、どういうことなのか。それを受け入れるには、未知との遭遇を楽しむ視点が必要です。今までの自分の価値観のなかではすくいきれないものを味わっていくためには、自分の経験というものを広げていかなくてはいけない。大人には意外とむずかしいのですが、子どもたちはすごく柔軟にこれらを吸収していきます。それから、アーティストの表現を読み取るということは、目にみえない、描かれているものの裏側にある考えやメッセージを受け取る力、観察や読解の力、想像力を養うことです。そして同じ作品を鑑賞しても、チームで異なる意見を話したり聞いたりするうちに、自分とはまったくちがう考え方や価値観をもった人がいることに気づきます。それは、わずかなちがいによって相手をいじめたり排斥したりするのとは対極にある、異なる視点を知り、それを受け入れていくことです。
ここで、とつぜんですが美術とはまったく離れた話題をちょっとだけお話ししたいと思います。ハーバード大学で起業家のための講座を開講しているティナ・シーリグ氏が、「起業家に必要な創造力を高める9つのポイント」を提唱しています。みなさんは、ビジネスの世界と美術の世界はぜんぜん違うじゃないかと思われるかもしれませんが、彼女が掲げる9つのポイントは、美術の世界にもあてはまることです。
ひとつめの「Observation」は、よく注意を払うということですが、美術的に考えると、読解力を鍛えるということになります。また、観察力を養うということでもあります。ふたつめの「Challenge Assumptions」は、自分の前提を疑うということですけれども、先入観を取り払う、違う人の意見に耳を傾けるということことにつながります。そして3つめ、「Metaphor」。関連のないものを結びつけることによって新しいものが生まれます。これは多様性を見いだすということです。4つめの「Reframe the Problem」は、問題に遭遇した時に、同じ方向から解決を求めるのではなく、視点を変えることによって突破口を見いだすということです。複数の視点を知る、複数の視点があるということは、美術鑑賞において、いつもみなさんが感じることだと思います。5つめの「Space Matters」とは、空間が重要ということです。創造性を刺激するための空間づくりは美術館では常に意識すべきことです。6つめの「Team Matters」。ひとりではできないことでも、チームワークで活動することによって、能力の違いを認め合うことができます。つまりコミュニケーションを図ることができるということです。7つめは「Time Matter」です。限られた時間を有効に使うということですが、これは計画的に物事を行っていくことにつながると思います。8つめに「Try lots of things & know what works」。失敗を畏れずに実践する。いちど失敗したからといって自分はだめだと思わない。負あれば正あり、苦あれば楽ありではないですけれども、七転び八起きで様々な負を受け入れながら、乗り越えていく柔軟性が必要であるということです。そして最後に「Attitude」。自分がそれをやりとげたいと思うかどうか、関心があるかどうか、そういった自発的態度のことです。それは自分たちが作品から何を感じるかということ、自分にとってどうかということが大切だということです。
鑑賞教育の可能性
さて、駆け足でいろいろつめこむようにお話ししましたが、最後にお伝えしたいことをお話しします。最初の加茂川館長のお話が期せずして一致していたので、不思議だなと思って伺っておりましたが、私は、美術館とは、美術が私たちの人生にとって必要であることを伝える機関だと思っています。そのためには、美術、美術活動、美術館を支えてくださる方、鑑賞者が不可欠です。さきほど申し上げましたように、質の高い鑑賞者というのは、自分の目で観ることができる人、偏見にとらわれない人、知識にしばられない人、自由な発想ができる人、他者の考えを受け入れることができる人、世の中にはちがう価値観があることを知っている人、そういった人たちです。そういった人たちが増えれば増えるほど、美術館を支えてくださるでしょう。極論かもしれませんが、人間社会で常にある対立や戦争というものも、こういう視点をもつ人が増えれば、回避できるはずだというのが私の理想です。
私自身は、美術の鑑賞教育は、最終的に以下の5つの可能性があると思っています。
「価値の異なる人々との共生をうながす/思考力、想像力、言語表現力を鍛える/数値で表現できない価値の大切さを知る/わからないことがあるということを受け入れる/複雑な現代社会を生き抜く力を与える」。
こういったことが学校教育をとおして、そして社会をとおして子どもたちにある程度伝わっていくと、複雑な社会を生き抜く力になっていくのではないかと思います。わからないことを受け入れることも、とても大切です。よく、館長ならどんな作品もよく理解し説明できるのでしょうと言われるのですが、まったくそんなことはありません。私自身も理解できない作品がたくさんあります。ですけれども、理解ができないからこそ、これにはどういう意味があるのだろうかとか、どうしてこういうものをつくったのだろうかという疑問が湧き、そこからスタートできるのです。
私にとっても美術の世界というのは、広大でつかみどころのない魅力と不思議に満ちた世界です。その世界とどのようにつきあうかによって、私たちがまた一歩、世界を広く知ることができるようになるのではないかと思います。美術に親しむということは、社会を生き抜く力につながっていくのだということを、最後に強調して終わりにしたいと思います。
プロフィール
逢坂恵理子(おおさか えりこ)
横浜美術館館長。東京生まれ。国際交流基金、ICA名古屋、水戸芸術館現代美術センター、森美術館を経て、2009年より現職。
第49回ヴェニスビエンナーレ日本館コミッショナー、ヨコハマトリエンナーレ2011総合ディレクター、横浜トリエンナーレ組織委員会委員長を務めるなど、多くの現代美術国際展をてがける。