報告
- 日時:
- 8月2日(日)13:10~13:30
- 報告:
- 一條彰子(東京国立近代美術館 主任研究員)
10年間の研修をふりかえって
「美術館を活用した鑑賞教育の充実のための指導者研修」
発足の経緯
東京国立近代美術館の一條と申します。よろしくお願いいたします。まず、職員を代表しまして、私一條より、10年間の振り返り報告を行わせていただきます。
本日このシンポジウムにお申込みいただいた方のうち、過去の受講者が30名ほどいらっしゃいます。その方々には、「おかえりなさい」とお迎えしたいと思います。そのほかのはじめてご参加くださった方々のために、まずは「指導者研修とは何か?」という説明から始めさせていただきます。「美術館を活用した鑑賞教育の充実のための指導者研修」は、5つの国立美術館が合同で行っています。その5つの美術館とは、東京にある東京国立近代美術館、国立西洋美術館、国立新美術館と、京都国立近代美術館、大阪にある国立国際美術館のことです。毎夏、この時期に2日間にわたって研修を開催しておりまして、今年は明日あさってに開催されます。参加者は、全国から小学校の先生が約30名、中学校の先生が約30名、指導主事の先生が約10名、学芸員が約30名、あわせて100名ほどです。この方々は全国の都道府県教育委員会、あるいは政令指定都市の教育委員会から推薦されて参加されています。
なぜ、国立美術館がこのような研修を行うようになったのか。その経緯についてお話したいと思います。国立美術館は、2001年に統合されてひとつの独立行政法人となりました。そして、5年ごとの中期計画に沿って運営されることになりました。2006年からの第2次中期計画で、今後は、「ナショナルセンターとしての役割を踏まえた」「成果が全国に普及されるような」事業を行うよう、政府から要請されます。これを受けて、教育普及部門は、外部の有識者──研究者や先生方──に委員を委嘱し、専門委員会を発足させました。そして、国立館として今後5年間なにをすべきかについて討議し、「教員と学芸員を対象とした、全国規模の鑑賞研修」を実施することになりました。
じつはこの少し前の1998年には、学習指導要領が改訂され、小学校図画工作や中学校美術のなかで、鑑賞の充実や美術館の活用が謳われました。しかし当時は今に比べて、まだ学校と美術館の連携が普及しているとはいえない状況にありました。例えば、鑑賞教育の理論や方法が周知されていない、解説型の古い教授法がまだ主流である、鑑賞教材の不足、実践例が少ない・あっても広く紹介されていない、一部の熱心な教員や学芸員だけが行っている、などの課題が山積していたのです。
このようななかで、2006年に本研修がスタートしました。指導者研修の目標は次のようになりました。「新しい鑑賞教育の理論と方法を学び、意義づけること」「教員と学芸員が、ともに学び、考え、連携の可能性をさぐること」「地域と地域を結ぶ、ネットワークのハブとなること」。ここには、国立美術館がモデルや方向を示すというよりも、全国のノウハウを共有しあい、それを地域に持ち帰ってさらに発展させよう、という姿勢が表れています。
研修の内容
さて、それではここから、研修の内容について紹介していきたいと思います。研修は、中期計画に合わせて6年目で日程を見直しましたので、最初の5年間と、次の5年間では内容が少し変わります。最初の5年間の研修に組み込まれていた内容は、グループワーク、講演、ギャラリートーク見学、分科会、事例紹介でした。
グループワークは全体の約半分の時程を占め、研修の要となるプログラムです。100人の受講者は、1グループ10人ずつの10個のグループに分かれます。どのグループも、教員、指導主事、学芸員で編成され、受講者とは別に、スタッフ側から進行役であるファシリテータとサブファシリテータがつきます。ファシリテータには、実践をつんだ教諭や研究者、美術館エデュケータなど、鑑賞教育に知識と経験のある人に依頼します。会場は、当館か西洋美術館のコレクションギャラリーです。前もってファシリテータが選んだ課題作品の前で、メンバーは授業やプログラムづくりを行い、最後に発表します。
じつは、教員と学芸員では、ものの見方や考え方に大きな違いがあります。とくに研修開始当初はその傾向が強く、用いる言葉ひとつをとっても、その意味するところが微妙に異なる場合がありました。これは、学校と美術館の役割が違うことを考えれば、ある意味当然のことだったのかもしれません。しかし、学校と美術館が、互いの違いを生かす、という意味での連携をめざす場合、この違いを踏まえたうえでの相互理解が、なによりも必要になるのです。教員と学芸員が、作品の前で討論し、笑い、共感していくプロセスを通じ、理解し合うのがこのグループワークといえます。
研修の最初と最後には、お二人の方にご講演いただいています。お一人は、文部科学省の教科調査官というお立場から、学校教育での鑑賞教育についての基本をお話しいただきます。もうお一人は、主に美術史や美術教育史、社会学の視点から、鑑賞教育のあり方をお話しいただきます。
最初の5年間は、小学生や中学生を実際に会場に招いて、複数のギャラリートークを同時進行で行い、それを見ていただく時間を設けていました。ギャラリートークを見たことがない、という受講者も当初は多くいらっしゃいました。
また、全国から学芸員や先生を2、3人ずつお呼びし、各地での実践例をご紹介いただきました。グループワークとは別に、教員や学芸員といった業種別でも話し合いたい、という要望に応えて、分科会を設けた年もありました。新しい学習指導要領が告示された年には、「指導要領パズル」が行われたこともあります。これは、図画工作科の目標と内容を表にしたものを、ハサミでばらばらに切り離した後、それを元通りに復元させるというものです。内容の一字一句を精読して取り組んだ先生からは、「こんなに指導要領を真剣に読んだのは初めて!」という声も聞かれました。
6年目からは、研修日程が3日間から2日間に短縮されました。これは、主催者、受講者双方の負担を減らすことが大きな目的でした。と同時に、初期の頃に比べて受講者の経験値が上がってきており、研修内容を見直す必要も出てきたのです。研修の核となる、グループワークと講演は、少しかたちを変えて残しました。ギャラリートークは、全国の美術館や学校で広く行われるようになったのに合わせ、見学から分析に替えて、さらに理解を深めようとしました。また、全員が参加できる、ワールドカフェ、活動紹介、ワークショップを導入しました。
2011年から始まったギャラリートーク分析は、あらかじめギャラリートークをビデオに撮影し、ファシリテータと子ども、あるいは子ども同士の「ことばやしぐさのやりとり」を、じっくり観察して分析しようとするものです。実際のトークでは不可能ですが、ビデオを使って時間を止めたり遡ったりすることで、鑑賞行為を通して子どもたちのなかに何が起き、どのようにして変化するのかを確認することができます。ギャラリートークの撮影は複数のビデオカメラで行い、その録画データを、相互行為分析の研究者を含めた複数のメンバーで繰り返し見ながら分析を進めます。その結果、子どもの鑑賞が、言葉にだけではなく行為にも表れている箇所がいくつも確認され、講演で紹介されました。
2010年から始まったワールドカフェです。ワールドカフェとは、メンバーを変えながら小グループで会話を続ける、話し合いの手法のことです。話し合いのテーマは全員で共有します。たとえば昨年のテーマはふたつありました。ひとつは「あなたの心に残っている鑑賞体験は何ですか?」、ふたつめは「子どもの鑑賞体験にとって、大切なものはなんでしょう」というものです。2009年以前のアンケートで多くみられた、矛盾するふたつの要望、つまり、「全国から関係者が集まる場で、もっと情報交換したい」という希望と、「同じ地域や立場の人と知り合い、将来の連携につなげたい」という要望を、同時に解決することのできる、まさに指導者研修向きのプログラムです。
また、昼休みの時間帯を利用して、ふたつのコーナーを新設しました。ひとつは、参加美術館の資料を置いた活動紹介コーナーです。ここでは美術館スタッフの説明も聞くことができます。もうひとつは、アートカードのワークショップです。美術館の若いインターンたちが、国立美術館オリジナルのアートカードを使って、ゲームを紹介しました。
受講者からのアンケート
さて、このように私たちは、研修プログラムを改良してきたわけですが、そのためにいつも参考にしたのが、受講者からのアンケートです。毎年アンケートを書いていただいていますし、5年の節目を迎える際も、過去の受講者からアンケートをとりました。今回も、過去9年間の受講者にアンケートのご協力をいただきました。今年の6~7月に実施し、過去の受講者約1000人のうち、241名の方々がご回答くださいました。
設問のひとつは「最も有益だった研修プログラムを3つ選んでください」というものでした。プログラムによっては、実施回数が少ないものもありますので、単純に比較はできないのですが、ダントツ1位なのがグループワークです。研修の核となるものに評価をいただくのは、嬉しいものです。次が講演でした。このふたつは、9年間毎年行ったものです。三つめに、5回しか行っていないワールドカフェやギャラリートーク見学が入りました。これらを見ると、レクチャー型の講演、事例紹介、トークの分析も非常に重要なのですが、参加型のグループワークやワールドカフェの人気が高いことがわかります。やはりみなさん、自分の思いを話し合いたい気持ちが強いのですね。
こちらは「研修に参加したことによって、鑑賞教育の知識やスキルが向上しましたか?」という質問です。ほとんどの方が「はい」と答えてくださっています。「研修後、研修内容は職場で活用できましたか?」という問いに対し、紫の部分は「授業(教育プログラム)で活用できた」、つまり活用できたということです。緑の部分は、「研究・研修会等で活用できた」、つまり実践はできなかったけれども、紹介をすることができた、ということです。
「研修後、他の受講生との連絡や交流はありますか?」。これは残念ながら、「はい」と答えた方は3割ぐらいにとどまっています。「現在、地域において、学校と美術館の連携はありますか?」という問いについては、半分の方が「はい」、4割くらいの方が「あるが活発ではない」と答えていらっしゃいます。どうでしょう、みなさんの実感と近いところでしょうか。
こちらの問いは「現在、鑑賞教育に関して、実際に取り組んでいることは何ですか?(紫)」「今後、鑑賞教育に関して、取り組んでみたいと思っていることは何ですか?(緑)」というものです。
これをみますと、現在もっとも取り組まれているのが、アートカードなどの教材の活動です。そして今後もっとも取り組みたいと思われているのが、美術館(学校)と連携した授業の実践です。すでにやっていることとこれからやりたいことの差がいちばんあるのは、表現活動との連動です。今後、研修で取り上げる必要があるのは、このあたりなのかもしれません。一方、「すでにやっている」が、「これからやりたい」を上回っているのが、アートカードなどの教材です。これはかなり普及が進んだと理解してよさそうですね。
アンケートのご紹介の最後に、本日のテーマ、「鑑賞教育のこれまでとこれから」に、もっとも関連する問いへの回答を紹介します。
「過去10年間で、鑑賞教育を取り巻く状況は変化したと思いますか?」という問いです。8割近くの方が「良くなった」と答えてくださっています。2割くらいの方が「変わらない」、「悪くなった」と答えられた方が3%くらいです。その理由についての記述式の回答から抜粋をご紹介します。
「悪くなった」理由から発表します。
「教員が減っている」(中学校教員・山形)
「授業時間減少で、以前は市内全校で行われていた学校単位での美術館鑑賞がなくなった」(学芸員・岐阜)
「悪くなった」と回答した方の主な理由は、予算や授業数の削減によるもののようです。次に、2割弱の方による「変わらない」の理由です。
「計画を立て実践しても、その後の管理職などの意識の違いにより、学力向上の波に押されてしまう」(指導主事・栃木)
「限られた人だけが行っている」(学芸員・福岡)
「学校の忙しさと、美術館の予算削減」(学芸員・栃木)
「美術館側のスタッフ不足」(学芸員・東京)
では、全体の8割を占める方の「よくなった」の理由です。少し項目別に分けています。
まず、「鑑賞教育の授業が増えました」とたくさんの方がおっしゃってくださっています。
「対話型鑑賞など新しい試みがなされ、活発になった」(中学校教諭・徳島)
「どの教員も授業で取り組むべきだと思うようになった」(中学校教諭・神奈川)
「鑑賞の時間を意識している教員が増えた」(小学校教諭・新潟)
美術館での鑑賞プログラムや研修も増えているようです。
「市内の小学4年生の全員来館が始まった。課題はあるが一歩前進」(学芸員・広島)
「指導者研修で明らかに広まった」(小学校教諭・愛知)
この愛知の方のコメントは嬉しいものですが、実際、毎年愛知県からは、政令指定都市枠も含めての参加ですので、10年間の研修受講者のトータルは、かなりの人数になると思います。10人20人と、同じ経験をもった方が増えてくると、たしかに何かを実践しようとする際に、共通のバックグラウンドがあることになりますので、やりやすいと思われます。
また、当然かと思いますが、
「学習指導要領上の位置づけが大きい」(指導主事・神奈川)
との指摘もありました。ほかにおふたりの先生が「教材の充実」を上げてくださいました。例えばアートカード、そしてデジタル教材が出てきて電子黒板なども使えるようになってきたとおっしゃっています。中学校の先生が指摘してくださったのは、「教科書の変化」です。
「教科書が大判の図版を掲載するようになった」(中学校教諭・神奈川)
「教科書で鑑賞ページが増え、学習のポイントも多く記載されるようになった」(中学校教諭・秋田)
学習指導要領が変わりますと、当然教科書にも変化が出てきます。そしてなにより意識の変化が生まれたと多くの方がおっしゃっています。
「周囲の理解者が増えた。興味を持つ同僚も」(中学校教諭・大分)
「「鑑賞教育」という言葉が通用するようになってきた」(学芸員・長野)
「これまで「おまけ」のようなポジションだったが、必要と思う同僚学芸員が増えた」(学芸員・京都)
「マスコミ報道で鑑賞教育事業が時々取り上げられ、一般への理解が進んだ」(学芸員・岐阜)
おわりに
アンケート結果の紹介は、時間の都合上、本日はここまでとさせていただきます。本日ご紹介できませんでしたが、例えば、鑑賞作品の選定基準についての設問、鑑賞と表現をつないだ授業についての設問、鑑賞が子どもの日常生活に与えた影響のエピソードなどについての設問もあります。これらを含めたアンケートの結果と分析は、「国立美術館」のウェブサイトに、掲載する予定です。「国立美術館 研修」で検索できるかと思います。さらに、本日このあとに行われる、講演、報告、討議などのすべての記録を、「シンポジウム記録」として掲載する予定です。少し時間をいただきまして、10月にアップの予定ですので、ぜひご覧ください。また、同じウェブサイトには、2007年以降の研修の詳細な記録も掲載されています。私たちは記録し公表することを大切にしています。それはこの研修が「指導者研修」であって、研修受講者にはその体験を、それぞれの地域で広めていってもらいたいと思っているからです。ぜひご活用いただきたいと思います。
さて、現在私たちは、来年度11年目からの指導者研修をどのような内容にすべきか検討中です。本日のシンポジウムとそのアンケート結果も参考にして、よりよい研修にしていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。
プロフィール
一條彰子(いちじょう あきこ)
東京国立近代美術館企画課主任研究員。セゾン美術館勤務を経て1998年より東京国立近代美術館に教育普及担当学芸員として赴任。現在、解説ボランティアを養成・運営しつつ、一般や学校向けの教育プログラムを行っている。2006年より独立行政法人国立美術館本部の主任研究員を兼任し、指導者研修やアートカード制作に携わる。