講演
「鑑賞の活動を通して、造形的な見方・考え方を働かせ、
生活や社会の中の造形や美術、美術文化等と豊かに関わる資質・能力の育成」
- 講師:
- 東良雅人(ひがしら まさひと | 文部科学省初等中等教育局 視学官)
- 講師略歴:
- 1987年に京都市立の中学校の美術科教諭として赴任。その後、京都市の公立小学校図画工作の専科を担当。2002年から2011年3月まで京都市の教育委員会で指導主事を務める。2011年4月より文部科学省初等中等教育局教育課程課教科調査官を務め、2018年4月より視学官。
講演要旨:以下は東良氏の講演を大幅に要約、再構成したものです(編集部)
はじめに
これからグループワークに入るに際して、私の話が学校教育における鑑賞教育の在り方や美術館を活用することについて、みなさんが確認できる場になればよいなと思っています。そして、この2日間のグループワークやワールドカフェ、最後の講演が一本でつながることが大切だと思っています。
国立教育政策研究所において、平成25年度学習指導要領実施状況調査が公表されています。これは小中学校において平成20年に改訂された学習指導要領の実施状況を調査したものです。この調査の中で行なわれた生徒や教師へ行なった質問紙の回答をいくつかご紹介したいと思います。
生徒に対する質問紙の回答では「美術の授業が好きか」「美術を学習することによって創造的な考え方が身につくと思うか」などの質問には、7割以上の生徒が肯定的に回答しています。その反面、「美術を学習することは、普段の生活や社会で役立つと思いますか」という質問への「はい」という回答は39%でした。また、「ふだんの生活で美術作品を鑑賞することはありますか」という質問にも肯定的な回答は33%です。「美術館や博物館に見に行きたいと思いますか」という質問には、約半数の子供たちが「はい」と答えています。
教師に対する質問紙の回答では「作品鑑賞の授業で、生徒の理解が深まるように専門的な知識もふまえた指導をしていますか」という質問には、8割近くが肯定的に答えています。逆に「自分の価値意識をもって批評しあうか」という質問では37.7%です。「美術館や博物館を活用したり学芸員と連携したりした美術の授業を行っていますか」という質問には、「はい」と答えた回答は15.5%に止まっています。
生徒と教師の共通する質問では、例えば、「日本の伝統的な美術作品のよさや美しさを理解すること」を生徒が「できている」と答えたのは65.5%ですが、先生たちがそれを感じ取るための工夫を「しています」という回答は、72.1%です。このあたりの先生の意識と生徒の実態の差についても今後考えていく必要があるかと思います。
Society5.0
ここでひとつ昨今の情報としてSociety5.0 という言葉を紹介します。これは、第5期科学技術基本計画において我が国が目指すべき未来社会の姿として初めて提唱されました。サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会。Society5.0で実現する社会は、IoT(Internet of Things)ですべての人とモノがつながり、様々な知識や情報が共有され、今までにない新たな価値を生み出すことで、これらの課題や困難を克服するとしています。
文部科学省でも、この6月に「Society5.0にむけた人材育成 ~社会が変わる、学びが変わる~ Society5.0に向けた人材育成に係る大臣懇談会 新たな時代を豊かに生きる力の育成に関する省内タスクフォース」が公表されています。まもなく新しい学習指導要領の全面実施に入りますが、こういった今後の社会の動きにもアンテナを張ってほしいと思います。
Society5.0では、定型的な業務はAIに代替可能になり、産業や働き方に変化がおこるだろうと述べられています。そうなると、人間はどうあるべきなのかということが問われるでしょう。人間の強みとは、現実世界を理解し意味づけできる感性、倫理観板挟みや想定外と向き合い調整する力、責任をもって遂行する力などが考えられ、これらは、これまでの芸術教育のなかでも大切にされてきたものを多く含んでいると思います。
これから激しく変化する社会について漠然と捉えるだけではなく、様々な社会の変化や方向性も知ったうえで図工や美術、鑑賞教育、工芸はどうあるべきかを考えていくことも大切だろうと思います。このような来たるべき社会に向けては、つい私たちは社会に対応することばかりに目を奪われがちですが、それだけではなく、これらからの社会を創っていく子供たちの育成に目を向けるべきだと思います。そして、これからの社会を創り出していく視点に立って鑑賞教育についても考えていくことはとても重要なことだと思います。今日と明日の様々な鑑賞の活動を通して、皆さん一人ひとりに子供たち自身が新しい意味や価値を生み出していくことの重要性についても考えてほしいと思います。
新しい学習指導要領の改訂において
3つの柱に示された資質・能力
新しい学習指導要領において示された3つの柱ですが、図のように3角形の往還関係を意識した図になっていることを重視しておく必要があります。単に知識を教えて考えさせるといった一方向ばかりではなく、この3つの柱が関連し合い総合的に働くようなイメージをしっかりともつことが大事だと思います。
そして少し、3つの柱の中で知識のことについてお話しておこうと思います。これまで鑑賞の活動のなかで知識をどのように扱うかについてはこれまでも議論のテーマにあがることもよくありました。今回の改訂において育成を目指す知識とは、ただ単に新たな事柄として知ることや言葉を暗記することに終始するのではないとしており、生きて働く知識となることが大切だと思います。また、学んだ知識が他の学習や生活の場面でも活用できることも大切なことのひとつです。
そして鑑賞の活動においては、身につけた知識が鑑賞のよろこびにつながることが大切です。それはタワーのように知識を積み上げていくことではなく、知識を活用しながら見方や感じ方を深めていくことが求められます。また、新たな学習過程を経験することを通して学んだ知識が再構築されていくことも重要です。このようなことから鑑賞の活動では、まずは自分の見方や感じ方を大切にしながら対象と向き合い、知識なども活用しながら、自分の中に新しい意味や価値がつくりだしていくこと積み重ねることが、鑑賞のよろこびにつながっていくと考えられます。そのような創造活動としての鑑賞の活動にするためにはどうしたらよいのかを、グループワークの議論のきっかけのひとつにしていただければと思います。
教科や科目の目標が示す「柱書」
今回の改訂では、教科や科目の目標を(1)「知識及び技能」、(2)「思考力、判断力、表現力等」、(3)「学びに向かう力や人間性等」の3つの柱に整理しています。
また(1)、(2)、(3)の上には「柱書」が示され、目標において目指すべき方向性を示しています。
ともすれば、図画工作や美術、工芸は、単に上手に絵を描く、ものをつくることが目的だという思いをもつ人も少なくないのではないでしょうか。今回の改訂では、教科や科目の目標の柱書に例えば中学校では、「生活や社会の中の美術や美術文化と豊かに関わる資質・能力を次の通り育成することを目指す」と明記し、単に美術は必ずしも上手に描いたりつくったりすることばかりではなく、自分の好きなものを飾って生活を豊かにしたり、ものを選ぶ際に形や色にこだわること、美術文化などの先人の知恵に触れ、継承、発展、創造することなども豊かな関わりのひとつとして全ての子供たちが生涯にわたって美術を愛好することを重視し「美術は何を育成する教科なのか」ということを明確にしています。こういった方向性の中で、美術館での鑑賞は子供たちの育成に向けてどういう役割を担っていくのかをぜひ考えてみてください。
「造形的な見方・考え方」教科等の本質に迫れているか
今回の改訂でもうひとつ大切なことは、表現及び鑑賞の学習活動の中で教科の特質に応じた物事の捉え方や考え方である「見方・考え方」がしっかり働くようにしていくことです。
例えば、中学校の美術では、この「見方・考え方」を「造形的な見方・考え方」として、感性や想像力を働かせること、対象や事象を造形的な視点で捉えること、自分なりの意味や価値をつくりだすことなどが考えられるとしています。表現及び鑑賞のそれぞれの授業では、これらが働くような学習活動を展開していくことが大切です。そして、そうした学習活動を積み重ねていくことで育成を目指す資質・能力が育まれるとともに、「造形的な見方・考え方」も鍛えられていくと考えられます。
主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善において、「深い学び」というのは、ややイメージするのが難しいかもしれません。それは具体的な場面や内容をひとつに絞るのは難しく、多岐にわたっていることもあるでしょう。その中でひとつ言えるのが、学びの深まりの鍵となるのが、今お話しした「造形的な見方・考え方」がしっかりと働くような授業であるかどうかということです。ただここでは「造形的な見方・考え方」をどう働かすかということに主眼を置いて考えるのではなく、まずは学習活動が教科の本質に迫れているかどうかが重要です。また「造形的な見方・考え方」のひとつにある「造形的な視点」は、子供たちが造形を豊かに捉える多様な視点のことです。いくら自分たちの周りに美しいものやよりよいものがあってもそれらに気付かないことには感じ取ることはできません。「造形的な視点」を豊かにすることは、いままで気付けなかった形や色などの働きやイメージを捉えられるようにして、様々なよさや美しさなどを感じ取れるようにしていくことです。そして子供たち自身が視点を見つけられるよう、子供たちの見方をこれまで以上に大切にすることが求められます。
最後に
学習指導要領では鑑賞も創造活動として位置付けています。子供自身が新しい意味や価値をつくりだすということ、そこが創造活動の根幹です。特に今回の改訂では、鑑賞に関する資質・能力が「思考力、判断力、表現力等」に位置付けていることをより明確にするため、対象や事象などから、よさや美しさを“感じ取る”とともに、それらについて“考え”、“見方や感じ方を深める”ことを重視しています。そしてその学びが創造活動の過程にあるとすれば、教師にはそれを見取る力が必要ということです。どのようにしたら見取ることができるのか、これもグループワークのテーマのひとつになるかと思います。
最後になりましたが、全ての子供たちは豊かな存在であり、常に学ぶ存在です。子供たち一人ひとりが生活や社会の中の造形や美術、美術文化と豊かに関わることができるようにするためには、美術館でなにができるのか、この2日間そのことを追求していただければと思います。