ミュージアムと合理的配慮― 重度・重複障害のある人が美術館へ行く
元徳島県立近代美術館 エデュケーター/
DEAIリサーチラボメンバー
亀井幸子
2023年8月、国立アートリサーチセンターのアクセシビリティ事業の一環として、研究会「DEAI(であい)リサーチラボ」*が発足しました。
「DEAI」とは、Diversity(多様性)/ Equity(公平性)/ Accessibility(アクセシビリティ)/ Inclusion(包摂性)の4つの文字の頭文字をつなげたアクロニム(略語)です。「DEAIリサーチラボ」では、この世界の潮流となっているDEAIの理念についてリサーチするとともにミュージアム**の「アクセシビリティ」の基準を底上げするための具体的な方法や要件を検討していきます。この研究会では外部から4名の専門的知見を持つ方々に参加いただき、初年度として「ミュージアムにおける合理的配慮」について、具体的事例とともに理解を深める活動をしています。「DEAI調査レポート」では、ラボメンバーが調査した事例を紹介していきます。
第2回調査レポートとなる本記事では、元徳島県立近代美術館エデュケーターの亀井幸子さんが、特別支援学校での経験をもとに重度・重複障害児のニーズに対するミュージアムでの困りごとや課題について書きました。
*「DEAIリサーチラボ」ならびに「合理的配慮」については、調査研究レポート「DEAIリサーチラボ発足と『合理的配慮』について」をお読みください。
**ここでいう「ミュージアム」には、美術館だけでなく、考古・歴史・民俗・文学などの人文科学系博物館、自然史・理工学などの自然科学系博物館や、水族館、動植物園のほか、資料館や記念館なども包括的に含まれています。
はじめに
私は、徳島県の高校の美術教員として、聾学校(現在:聴覚支援学校)やその他の特別支援学校に長く勤務していました。2011年に徳島県立近代美術館に異動になり、12年間、ミュージアム・エデュケーターとして学校教育との連携やユニバーサル美術館事業に取り組んできました。2023年退職後の現在は、フリーランスのエデュケーターとして就学前のこどもたちとアート活動をしたり障害の有無に関係なくいろいろなニーズを持つ人たちと一緒に活動できるワークショップを行ったりしています。
今回のレポートでは、私が特別支援学校の高等部で医療ケアを必要とする重度の知的障害と肢体不自由の重複障害児学級を担当していた時の経験をもとに、重度・重複障害がある人が美術館で安心して心地よく過ごせるためにはどうすればよいのかを、考えてみたいと思います。
重度・重複障害のある生徒と美術館へ
十数年前、まだ「合理的配慮」という概念がない頃のことですが、重度・重複の障害がある生徒と美術館に行きたいと考え、学校から見学可能な距離にある2つの美術館に問い合わせ、相談をして見学に行った事例を「合理的配慮」のプロセスに則って紹介します。
1. 障害のある方や支援者からの<困りごと・要望>の内容
2. 障害のある方・支援者側と美術館側との<対話>
3. <双方が合意したこと>で最終的に実施した内容
という3つの段階に分けています。
1. <困りごと・要望>
・重度・重複障害がある生徒が使用しているフルリクライニング車椅子(ストレッチャーとしても使用可能な車椅子)では、大きなエレベーターや緩やかなスロープがないと階を移動することが難しく、行動できる範囲が限られてしまいます。
・高等部の生徒なので大人用のオムツ交換ができるスペースが必要ですが、障害者用トイレがあっても、大人用のオムツ交換台があるところは非常に少なく外出する場所が限られてしまいます。
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2. <対話>
候補となったふたつの美術館のうち、ひとつは来館者用のエレベーターが小さく、フルリクライニング車椅子での移動は難しいと判断したため、その美術館には、具体的な要望も相談もしませんでした。
もうひとつの美術館は一般来館者も利用できる大きなエレベーターがあり、フルリクライニング車椅子でどの階にも移動することができます。館内移動に支障はないことが分かったので、大人用のオムツ交換ができるスペースと食事や休憩できるスペースが必要であることを伝えて、どれくらいの広さがあればよいか、他にどんな設備が必要かといった細かなことを相談することができました。
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3. <双方が合意したこと>
大人用オムツ交換ができる障害者用トイレや専用の休憩室はありませんでしたが、多目的室や講師控室のような小さめの部屋を使用してはどうかという代替案で合意することができました。その部屋が使える日を確認して見学日を決めました。
また、通常の入り口はエスカレーターと普通のエレベーターしかないため、地下駐車場入り口から大型のエレベーターを使ってスムーズに入館できるように手配してもらうことになりました。
見学当日は、発語がなく意思疎通を図ることが難しい生徒も、周りに興味を示している様子が見られました。また、展示室では天井や空間全体に絵が描かれている作品があり、何か気になるところをじっと見ているような姿もありました。顔の表情から快・不快を読み取ることができる生徒も、リラックスした状態で過ごすことができていたように思います。美術館では作品だけでなく、人との出会い、建物から感じる雰囲気、音や匂いなどから生徒たちは様々な刺激を受け、日常とは違う感覚を味わうことができていたに違いありません。
美術館への異動
見学を実施した翌年、生徒たちを連れて行くことを断念した美術館に異動することになりました。思いも寄らないことでした。担任として受け持っていた生徒が進行性の難病だったため亡くなって間もない頃に異動の知らせを受けたということもあり、今度は美術館側で、重い障害がある人が安心してゆったり過ごせるように迎えたいと思いました。
しかし、残念ながら美術館での在職中に重度・重複障害がある人を迎え入れる機会はありませんでした。その理由のひとつとして、美術館に問い合わせた当時から十数年たった今でも、施設や設備が変わらないという状況が挙げられます。ですが、施設側が現在のエレベーターでは対応しきれない車椅子利用者がいるという事実を知らなければ、現状が変わるはずもありません。「合理的配慮」の考え方が、障害がある人とその家族や教員にも広まり、エレベーターが使えないからと諦めるのではなく、「美術館に行きたいがこのエレベーターには乗れない」「もっと大きなエレベーターがないか」といった要望を伝えることが必要だと思います。すぐにエレベーターが設置されなくても、その要望から新しい来館者と出会い、対話が始まることになるのですから。
もう一つの障壁
ただし、施設が全てバリアフリーになるなどの環境が整備されれば、重度の障害者が美術館を訪れてくれるようになるでしょうか。
重度の障害や知的障害があるこどもにとって、「美術館での作品鑑賞は難しいのではないか」また、「大きな声を出したり走ったりして迷惑をかけるのではないか」といった心配から、美術館へ行くこと自体をあきらめる場面も多くあります。それは、保育所やこども園、小さなこどもを連れた家族なども同様で、教員や保護者が独断で、「美術館は難しい、こどもは楽しめない」と判断してしまうところに、もうひとつの障壁が存在していると感じます。
その障壁を取り除いていくためには、保護者や教員自身が美術館での楽しい経験を重ねていくこと、美術館でこどもたちが活動している様子を具体的にイメージできることが必要だと考えます。そして、重度の障害があろうとも、豊かな人生を送るためには芸術や豊かな文化に触れる機会が必要なのだということを実感してもらうことが大切なのです。
指導者研修で担当した「特別支援学校」のグループワークにて
2023年8月に、大阪の国立国際美術館を会場に、独立行政法人国立美術館主催の「美術館を活用した鑑賞教育の充実のための研修」(註)が開催されました。18年目となる昨年は、新たに特別支援学校を対象としたグループが設けられ、私もファシリテーターとして、盲学校や重度の障害のある児童・生徒を担当している特別支援学校の教員たちと、全国の美術館学芸員も一緒にグループワークに参加しました。展示室での活動プログラムを考えるために、まずはこどもたちの多様なニーズに対応するため美術館の施設や設備を確認しながら意見交換をしました。点字ブロックが途切れている場所はどう進めばいいのだろうという戸惑いを共有したり、生徒たちの障害の度合いや発達段階に応じて作品鑑賞に親しめそうなアイデアを出し合ったり、貴重な交流の機会となりました。
重度の障害がある生徒を担当している先生は、エレベーターがひとつしかなく車椅子1台しか乗れないことに注目。大勢の車椅子の生徒を連れてくるとなると、1台ずつ何度もエレベーターで行き来しないといけないという指摘がなされました。美術館1階の入り口から地下1階のロビーまで移動するのに時間がかかるのならば、計画段階で集合に必要な時間を考慮して余裕を持ったタイムスケジュールを組むことで、エレベーターがひとつしかないために時間がかかってしまうという問題はクリアできます。
さらに、教員と学芸員との間で「車椅子10台だと待っている時間はどれくらいになりますかね?長くかかりますよね…」「それでは、待ち時間に生徒たちが体験できるアートゲームやクイズを一緒に考えてみませんか?」というような対話が始まれば、きっと生徒たちにとっても充実した時間となることでしょう。
おわりに
十数年前は小さなエレベーターしかないため見学を断念しましたが、今、もしも教員として美術館に対して「合理的配慮」を求めるとしたらどんな展開が考えられるでしょう。
美術館にある大きなエレベーターといえば、搬入用のエレベーターです。例外的な運用にはなりますが、搬入用の大きなエレベーターで移動することで折り合いをつけられるように思います。しかし、生徒たちは荷物ではありません。あくまで臨時的措置だと言えます。
先ほどの例のように、教員と美術館の職員がもう一歩活動内容に踏み込んで相談できれば、よりポジティブな発想で楽しい活動が生まれる可能性があるのではないでしょうか。例えば、展覧会の見学を「学芸員と一緒にめぐるバックヤードツアー」という活動プログラムとして考えてみてはどうでしょう。美術館の仕事の内容や施設、設備の見学を兼ねて、搬入用エレベーターを使うという目的を以って移動できます。展覧会もじっくり鑑賞することができるでしょう。すでにある設備を活用し、アイデアを盛り込むことで活動はどんどん広がるのではないでしょうか。
こういったアイデアを立案する前に、「重度・重複障害があるこどもに学芸員の話を理解するのは無理だよ」と思い込んでしまっていませんか。そんなことはありません。社会とのつながりが少ないこどもたちにとって、美術館の職員から優しい声で名前を呼んでもらったり、話しかけてもらったりすることも貴重な経験です。また、エレベーターの振動を感じたり、長い廊下を歩く足音や話し声を聞いたりすること自体が、心地よい刺激となるかもしれません。
「美術館での魅力的な鑑賞活動をこどもたちと体験したい」という強い思いがあれば、様々な工夫やアイデアが見つかるはずです。多様なニーズを持つ障害がある人たちが安心して楽しく過ごせる美術館を目指すには、このような対話と実践を重ねていくことが必要なのではないでしょうか。
註
2023年度の報告書はこちらからご覧いただけます。
編集協力:米津いつか