講演

「見つめること、感じ取ること、つながること」

東良雅人
文部科学省初等中等教育局教育課程課 教科調査官


[略歴]
昭和62年に京都市立の公立中学校の美術科教諭として赴任
その後、京都市の公立小学校図画工作の専科を担当
平成14年から平成23年3月まで京都市の教育委員会で指導主事を務める
平成23年4月より現職



ごあいさつ

皆さん、こんにちは。
実は私、この研修会の第1回目の指導者研修の参加者です。その時は京都市の指導主事として参加したのですが、本当に充実した楽しい思い出ばかりでした。皆さんも今回、丸一日の鑑賞教育の研修ということで、いろいろと学んでいくことあると思いますし、気がついていただかないといけないこともあります。今日の私のお話を聞いていただいて明日につなげていただければと思います。


子どもの表現から見えてくるもの

それでは、最初に子どもたちの絵を見ていただこうと思います。これはですね、私が京都市に勤務していた頃に、あるコンクールの審査で出会った絵です。非常に私にとっては思いの深い作品でして、皆さん、それぞれの立場で、それぞれの目線で見ていただければいいと思います。他にありましたが、今日はこの4枚をお見せします。

同じ場所を描いたことはなんとなく分かりますよね。ただ何故この絵が私と非常に深いつながりが深いのかと言いますと、ここの真ん中に描いてあるこの家、これ、私の家です。私の家の向かい側は小学校なのですが,この小学校の子どもたちが校舎の窓から我が家を含めた風景を描いた絵なのですね。ちょっと写真に撮ってきました。たぶん子どもたちは、ここにいたんじゃないかな。校長先生にお願いして、学校の子どもたちが描いた場所に入らせてもらいました。登ったら、いろんなことが分かりました。「この窓から描いている子がいたんだ」とか、東側の窓にいってみると「この子はここから描いたんだな。」とか「この子は私が家に車を置いていたときに描いたんだな…」などなど,この家の住人である私だからわかることが沢山あるのですね。

この4枚の絵と私がどこで出会ったかと言いますと「瓦のある風景絵画展」というコンクールがありまして、その審査で出会った作品です。私の家は瓦ではないのですが、必ずしも瓦屋根でなくてはいけないということではなくて、屋根に着目してそこの面白さやよさみたいなものを表現するのでもよかったのですね。私は自分の家が描かれていることはまったく知らずに審査に行きまして見ていました、審査で作品を順番に見ていたら「どこかで見た家だなぁ」と思う作品が次々と出てくるんですね。あれ?と思ったら、作品票に(私の家の)向かいにある小学校の名前が書いてあったので、そこで全てが理解できたわけです。


最初にこの絵を見たときに,ここにいる皆さんはたぶん自分の経験などをからそれぞれの部分を見ていたのではないかと思います。今はきっと皆さんの視点は、「瓦のある…」ということを聞きましたから、屋根に視点がいっているかと思います。この子なんかは最初の絵の次に出てきますから、ひょっとすると技能面だけに着目して少しちょっと描く力が…と思ったかもしれませんね。でも屋根を見てもらったら分かるように、本当に瓦の形を家ごとに変えて工夫しているのが分かると思います。ここで絵を見るということは自分の経験や体験など自分の中でもっている情報と、外から与えられた情報で感じ方や考え方が分かっていくことがわかります。この子どもの絵を見てもらっただけでも、いろんな見方があるわけです。私の見え方と皆さんの見え方はまったく違う、私はあの家に住んでいますから、あの家のことをよく知っていますから、皆さんとは持っている情報も違うわけですよね。いろいろ細かいこと気づくこと、面白いなぁって思うことがいっぱいあります。

たとえば、何枚目かの絵で2階の窓に黄色いカーテンが描いてある。残念ながら私の家には黄色いカーテンはありません。でも子どもの表現としてこの作品を見た人にはそんなことは大した問題ではないわけです。でも、私にとっては「どうしてこの子どもは黄色にしたのかな」と思うわけですね。ですから、見つめるってことは、それだけ多様であり、それぞれの体験とか経験からいろんな中からものを見ている。それは子どもたちも同じだと思います。子どもたちと一言でいうのは簡単ですが、子どもたちというのは、単にそのまま成長しているだけでなく、子どもたちを取り巻くこういったさまざまなこと、そういった中で子どもたちはものを見つめたり、感じ取ったりしているのだということを知っておく必要があると思います。その中で自分との関係性や、他者や社会との関係性、そういったものを通して自分の生き方との関わりの中で対象を見つめているということですね。そういった子どもたちの見方、感じ方を、鑑賞の活動を通した学習の中でその子その子の世界からのまなざしをどういう風に受け取りながら学びにつなげていくのか、そのことを学校教育のおける鑑賞の学習では考えていく必要があると思います。


子供たちの表現に現れる世界へのまなざし

子どもたちがどういったものを見つめているのか、この場は鑑賞教育に関する研修会ですから一つは鑑賞の学習の中でワークシートを書かせたり、言葉のやりとりの中で、子どもたちが導き出したり口にしたりすることがあると思います。また,それは様々な機会や場所で行われています。でも実際に「全ての子どもたち」を対象とした鑑賞の学習は,主として学校教育の中で行われているという認識をもたなければならないと思います。小学校では図画工作科、中学校で美術科、そして高等学校では芸術科の美術、工芸の授業の中で鑑賞の活動を通して学習している。また、そこでは鑑賞の学習だけをしているのではなくて授業では子どもたちは表現の活動を通した学習もしているわけです。つまり、見つめること、感じ取ることは鑑賞の活動だけではなく表現の活動の中でもあることが子ども側から見たときには自然なことであると思います。そして表現の活動を通して子どもたちが何を見つめているのかを知ることも鑑賞の活動を考えていく上で大切なことだと思います。いくつか子どもたちの表現を聞いてみましょう。


「わ!すごいしんかんせん」

「ぼくは,日がしずむときにしんかんせんにのりました。たいようがしずんで,ほしが出ました。しんかんせんのスピードがはやいので、いろいろな色でにじみたいなもようをかきました。たのしかったです」

子どもが新幹線に乗る時はまだ夕方で太陽が出ていたけども、だんだん乗っているうちに暗くなって星が出てきた。そういうことが強く心に残ったわけですね。そして子どもがスピード感のある新幹線というものを表すために虹を描いたという…。子どもがこういうことを日常で感じているわけですね。


「ふしぎな町時計」

「これは、カラフルな色がたくさんあっておもしろいお店がたくさんある町のまん中にたっている、とてもめだつ時計です。木に色をぬったりつみかさねたりするのがすごく楽しかったです。時計にはりつけたのも、小さな木にもようをかいてくっつけたのも楽しかったです。ちょっとでかすぎかなと思ったけど、なかなかいいかんじにできました」

この子は単に塔をつくっているのではなくて、要するにカラフルないろんなお店のある町がこの子の頭の中にイメージとして広がっているように思います。その中でいちばん大きく立っているのがこの塔だということでしょうか。子どもの中には単に点でしか対象を見つめないのではなく、こういったイメージが広がって、対象を見たり感じたりしています。


「図工室前ろう下」

「ぼくが、この絵のろう下を選んだのは3年生ぐらいのころから「ここだ」と決めていたからです。このろう下を見ていると、奥の方に窓があって、晴れた日にその窓から光が差し込むところが、なぜか「希望」を思わせるからです。ぼく自身,絵の具は苦手だったのですが、実際の色に近い仕上がりになったと思います」

子どもが描きたかったのはこのいちばん奥の廊下の窓。そこから中心にいちばん描きたかったことがあって、そこから手前にぐんと廊下が長くなっています。子どもがこういう風に自分が表したいと思うところに視点をおいていることがわかります。鑑賞においても自分が見たいところから見るというようなことがあります。こういった子どもの対象の見方みたいなものが表現の中で子どもの言葉から分かることがあります。


「鏡の中の私」

中学生の作品です。

「鏡の中に写った自分は,たまに自分ではないような感覚を受けます。もしかしたら、こうやって描いている自分が鏡の中の人間かもしれない、と感じることがあります。ここでは鏡に写った現実の世界と幻想的な闇の中にいる自分とを描きました。背景のもやもやした紫色はいろんな悩みでいっぱいの心の色を表現しています」


「命の彩り」

「限られた短い時間の中でしか咲くことのできない儚い花たちと、勇気、守護の象徴であるライオンを対照的に組み合わせました。ライオンのたてがみを花にみたてることによって絵に一体感を出しました。ライオンも花も、それに寄り添う蝶も、ともに生きているという命の煌めきを表現しようとしました」

中学生くらいになりますと、対象が形として存在するものでなくても、夢や感情などの心の中のこととか、想像したことのように目の前に広がる世界だけでなく、知的に構築された世界などにも考えが深められるようになります。


「NOAH」

これは高校生の作品です。

「僕は、細かく複雑なものに心を惹かれています。この作品は、昨年の夏に東京の新宿で沸いたイメージをもとに制作しました。派手で、至る所に掲げられた看板、たくさんの高層ビル、遠くに見える神宮の森、古びたアパートや家々、道行く人々、とても活気があり独特な雰囲気を醸し出している複雑な町は僕を魅了しました。この作品からあの町の雰囲気を感じてほしいです」

高校生になるとより自分や他者、社会をより深く見つめたりすることができるようになってきます。

このように、これは自己の表現の中での子どもたちの言葉ですけども、子どもたちが何を見つめ,感じ取ろうとしているのかが見えてきます。子どもたちの作品などの世界へのまなざしというのは、子どもたちが今まで生きてきた中での生活や学校,地域、社会でのいろいろな経験やら体験などの子どもたちの中にあることから生まれてきているということですね、そして、その中でも学校というのは大きな存在ですね。学校というのはある意味、子どもたちにとって大きな自分の生活の一部のようなものだと思います。それから文化や自然、環境などの様々なものとの関わりから子どもたちは対象というものを見つめている。このような子どもの実体から、鑑賞の活動を通した学びを考えて、作品に表現された世界を感じ取ったり、広げたりできるように意図的に子どもたちの鑑賞の活動を深めさせることが必要です。

それから今日の先生方の発表を全部ではありませんですが、見せていただきましたけども、やはり、活動自身が目的ではなく,活動を通したねらいを明確にすることが大切だと思います。そしてねらいを基に鑑賞の活動をどうやってつくっていくのかということ。その中での一つ一つの先生方の問いかける言葉であるとか、活動の流れなどにどういう意味があるのかということを子どもたちの学びの側から鑑賞の学習を考えていく必要があるということですね。また,そのために学校では日常どのようなことをしていけばいいのかということを考えることも大切なことだと思います。ただ単に美術館に連れて行けば、すべての子どもたちの鑑賞の能力が高まるというものではないのです。学校というのは先ほども言いましたように子どもたちにとって非常に大きな位置を占めているわけですから、園や学校において日常での子どもたちの見つめること感じ取ること、そして活動を通してつながることを今一度見直す必要があるかと思います。



指導計画の作成上の配慮事項

鑑賞の活動は創造活動である

中学校の美術科で説明しますとまず、教科の目標と各学年の目標があって、大まかに説明すると①内容がこういう風に構成されている。そしてこの指導計画の作成と内容の取扱いというのが下②にありますね。そして美術館との活用や連携に関することはこの中の内容の取扱いと指導上の配慮事項にあります。また、指導計画の作成上の配慮事項には、表現と鑑賞の関連を図るようにする。そういう約束事があります。こういった約束事の中で子どもたち一人一人が個性を生かして主体的・創造的に学習ができるように効果的に地域の美術館などを利用したり連携を図ったりすることが大切です。美術館、博物館等の施設や文化財などを積極的に活用する。こういった内容の取り扱いを鑑賞の題材の中に位置付けて意図的にやっていくことが大事です。

その際、美術館の連携というのは、単に美術館が所蔵する作品を活用することにとどまるものではありません。その施設そのもの、空間、作品、そこで働いておられる学芸員の方、 そういったものを含めて連携をしていこうということです。地域によってはなかなか美術館で授業を行うというのは難しい条件のところもあるかもしれませんが、美術館の「館」との連携だけではなく、美術館の学芸員と連携して共に鑑賞の学習活動を考えていくことも大事なことです。その時には授業のねらいを学校の先生方がしっかり押さえて、連携をしていく必要があります。授業でやるからには指導の目標というものがあるわけですから、その目標に基づいて鑑賞の学習が考えられていることが大事だと思います。

先ほど「表現と鑑賞の関連を図るようにする」ということを話しましたが、学習指導要領では表現だけが創造活動ではなく、「鑑賞の活動は自分なりの意味や価値をつくりだす創造活動である」という位置付けですね。そういったことを前提に活動を考えていく必要があります。これまでお話ししてきた枠組みの中で子どもたちの学びを中心に学校と美術館が連携をする。どうしたら連携していけるのだろうかということを美術館の学芸員と子どものことをいちばんよく知っている学校の先生が連携する。そのことが子どもの学びにマイナスになるわけがないですね。ですから、そういう風に手と手を結んでですね、子どもたちの創造活動による学びを支えていこうというのが美術館との連携です。




子どもたちの鑑賞の扉を開く

連携では片方だけのアプローチではなくて、双方向に働く必要があります。ですから、美術館に連れていって、あとは美術館にお願いしますというものじゃないですね。双方向に活動をつくりあげる連携をしていかなければいけません。そんな中で、子どもたちの鑑賞の扉を開いていくことが非常に大事だと思います。それでは、学校では日常の図画工作や美術の授業でどういうことをやっておかなければならないのかと併せて考えることが大切です。ただ美術館に子ども達を連れていけば、鑑賞の能力が飛躍的に高まるというようなことがあればいいですが、美術館での鑑賞は魔法の言葉ではないので、そんな甘いものではないです。連れてきたら鑑賞の能力がびっくりするほど高まる、そういう子もいるかもしれません、でも、連れていったからといって全ての子どもたちがそういう風になるものじゃありません。

子どもたちは先ほども言ったように、学校というものが大きな位置を占めています。ですから学校の中で「見つめることや感じ取ること」の日常化ができているかどうかですよね。子どもたちは視覚や触覚などの感覚で見たり、感じたり、さらにそれらが能動的な活動になっていけば、感性を働かせて、「見る、感じる」ことが「見つめる、感じ取る」というところに高まっていくと思います。そのためにはやはり、子どもたちを取り巻いている、子どもたちの成長とともに関わっている様々な事との関連を考えながら、鑑賞の学習を考えていく必要があります。その中で子どもたちが他者との関係性、物事との関係性を広げていくことが大切です。そのために子どもたちが感性を働かせて見つめたり、感じ取ったりするような仕組みや、子どもたちの鑑賞の対する興味や関心が高まるようなことが先生方の手で意図的に学校の中でつくられているかどうかを振り返る必要があると思います。


見つめる,感じ取る環境を整える

一つ目は環境です。図工室や美術室,そして学校の様々な場所に鑑賞の対象があるということは子どもたちの見つめることや感じ取ることが日常的に行われることにつながる大切なことです。環境を整える際には児童生徒の作品をはじめ、美術作品や生活の中の美術の働きにつながる様々なものを展示するなどして、普段から子どもたちが自由に関われる環境をつくっておくことが求められます。これは子どもたちが作った缶のデザインの作品を学校の先生が段ボールで自販機にして展示されています。こういうことで子どもたちはより対象を見つめるようになります。このお釣りが出てくるとこ、なにも入っていませんが…。よく出来ていますね。こういった発想が学校の中にあると、子どもたちはどんどんいろんなものを楽しく見つめるようになるのではないでしょうか。

また,自分の家に自分の描いた絵やつくったものを飾ること、これも大切なことです。自分の表現を大切にされる子どもは、他者の表現を大切にすることにつながると思うからです。こういう働きかけをするのも学校の先生だからこそできる仕事ですね。


言葉を通して子どもたちが主体的に作品との対話を重ねる

二つめは言葉です。鑑賞の扉を開く言葉。もちろん一人で作品を見つめたり、感じとったりすることはありますし、それも大切なことです。でも、例えばクラスの中の班でお互い話し合うことで考えていたことが整理されたり、他の人との交流によって自分で気がつかなかった価値などに気づいたり、そういったことにつながると考えられます。鑑賞には言葉が必要なのかどうか、ときどき聞かれることがありますが、学校教育における鑑賞というのは鑑賞という活動を通した学習です。ですから、指導のねらいがあって、学習効果を高めるために言葉を使うわけです。ねらいを曖昧にしたままで言語活動が形式的に行われると、鑑賞の扉を開くことができないだけでなく、閉じてしまうことすらあるのだということを知っておいて下さい。どういった活動をするのか。また、先生や学芸員の方がどういった言葉をかけていくのかということは非常に慎重に考える必要があると思います。

言語活動を活用した鑑賞の活動では子どもたちが主体的に作品と対話を重ねたり、さまざまな角度から作品を見つめて洞察的な思考を重ねながら追求したりすることにつながります。ただなんとなく漠然と見るだけでは分からなかったり気付かなかったりしたことが、先生方の言葉や班の中での友だちの言葉などから,何度も作品を見つめ直す機会を生み,その中でいろいろなものを発見したり、見方や感じ方が深まったりして,自分なりの意味や価値をつくり出すことにつながるのだと思います。

これは尾形光琳の燕子花図を使った中学校の鑑賞の活動の事例ですけども、この授業ではまずは一人で作品を鑑賞させました。一人で鑑賞した後,最初の先生の子どもたちへの問いかけはこうでした。「この場面から、どのようなことを感じたり考えたりしましたか?」

この授業の場合、先生の言葉の冒頭にある「この場面」というのが、この学習にとって非常に大きな意味をもっていました。この先生は子どもたちのことをよく理解していまして「この作品から」と問うと、子どもが「なにか難しそう…」「なにかいいことを言わないといけない…」と固まってしまうと考えました。ですからこの先生は「この場面」からという言葉を使って、なんとか子どもたちをこの絵の中に飛び込ませようとしたわけです。そんなことぐらいと思うかもしれませんが、中学生などでは私たちが思っている以上に鑑賞の活動を難しいものと考えている生徒はいます。このような子ども側に立った鑑賞の活動をつくることが,子どもたちの鑑賞の扉を開くことにつながります。この後、「どのように感じましたか」との問いに、「きれい」、「日本らしい」なかには「踊っているよう」という言葉もありました。これは右隻の燕子花が上がったり下がったりして描いてあるので、それが踊っているように感じたのだと思います。最初の問いでは全体的にはどちらかというと感覚的な発言が多かったですね。

次の問いかけは「この絵のどこを見てそう感じたのか形の描き方や色彩、全体のイメージなどに注目して班の人と説明し合いましょう」でした。ここでは三つのキーワードがあります。一つ目は「どこを見てそう感じたか」、二つ目は「形の描き方や色彩、全体のイメージなどに注目して」、そして三つ目は「説明し合いましょう」というキーワードです。短い言葉の中にこれだけの要素が入っているわけです。この絵のどこを見てそう感じたのかというのは、もう一度、子どもたちに絵を見つめ直してもらいたいというねらいと、自分自身がどこを見てそう感じたのか確認させようとするねらいがありました。最初はこの場面でどのように感じたか、そして次の問いかけの中で「この絵のどこを見てそう感じたのか」という問いをして、じゃあ自分はどこを見てそう感じたんだろうと、もう一回、絵の世界に飛び込もうと、もう一回別の見方で絵を見ようということにつながるわけです。そして、形の描き方や色彩全体のイメージなどの〔共通事項〕に注目してという視点で見つめ直すことをこの問いでは子どもたちにさせようとしています。


子どもたちは特に視点を与えないで「これを見て!」と言うと、いろいろなところを見ます。見たいところから見るという子どももいますから、いろんな視点で見ているわけです。このことはこのことで大切なことですが、お互いの見つめたことや感じ取ったことを説明し合う活動では「私はここを見てこう感じた」「私はこうだ」というときに、「ああ、あの人はあそこを見たんだな」ということには気付くのですが、自分が見ていないところなので,それ以上の気付きには広がらないことも考えられるわけです。そのときに、たとえば共通の視点を与えて子どもたちにもう一回、絵の世界に飛び込ませる。絵をもう一回、見つめ直させる。そのことで説明しあう活動をしたときに、同じところを見ていていろんな感じ方があることにそこで初めて出会うわけです。そのときに一人一人の多様な見方があることを先生が口で説明するのではなく、子どもたちがそういう活動を通して実感的に理解する。一人一人、感じ取ったことや考えたことは意味や価値は違っていいということに気づかせることにもつながります。 また,「説明し合いましょう」は、他者の説明から自分の見方や考え方を広げるということもありますが,人に説明するということは,自分自身の見方や考え方を整理しなければなりませんから、ここでも作品を見つめ直すということが行われるわけです。 この二つ目の問いかけでは「たくさん貼られている小さな金箔と深い緑が響き合っている」といったことや「一列じゃなくて上下に燕子花が描かれていて動きを感じる」,「花の藍色と深い緑から和の感じがする」などの最初の問いから新しい気付きや、より深まりを感じさせる子どもたちの言葉がありました。

このような言語活動を活用した鑑賞の活動の際に気をつけていただきたいのは、先生と生徒の関係の中だけでずっと鑑賞が続いていくことがよくあるんですね。先生とのつながりばかりが強くなっていく。是非ですね、当たり前のことだと思いますが、子どもたち同士を鑑賞の活動を通してつなぐような活動の在り方、子どもたちの中で見方、感じ方が深まっていく活動の在り方を考えていって欲しいと思います。


これは別の授業ですが中学校の鑑賞のワークシートです。ここでは、事実と感じたことを分けて書かせていますね。鑑賞の活動に合わせてワークシートが作品と対話を重ねたり、さまざまな角度から作品を見つめて洞察的な思考を重ねながら追求したりできるような仕組みになっている。作品を事実という点で作品を見つめ、その後、感じたことを新たな自分の視点で書いていくという仕組みになっています。


作品からはわからないこと,鑑賞を通して知りたいこと

鑑賞の活動を通して作品に関心が高まっていけば、子ども自身にもっと知りたいこと、見たいことが出てくるのは自然なことだと思います。尾形光琳の燕子花図を使った中学校の鑑賞の活動での三つ目の問いは「この世界を作り上げた人やこの作品について知りたくなったことがあるか」でした。この授業では燕子花図の右隻で授業をしていますが、左隻があることや、伊勢物語第九段の東下り燕子花の名所、八つ橋で詠じられた和歌が基になっているといわれていることなど、こういった絵からは読み取れないこともあるわけですね。鑑賞では作品などから見方や感じ方を深められるものもありますし、知識なども活用して見方や感じ方を深められるものもあります。この授業では知識などを活用して見方や感じ方を深めることを一つのねらいとしているため活動に取り入れていますが,ねらいに応じてもちろん示さない授業もありますから、指導のねらいを明確にすることが大切だと思います。

これはこの授業ではありませんが、今画面に出ているのは上賀茂神社境外摂社「大田神社」というところです。ここは燕子花で有名な場所で一説によると尾形光琳がここの燕子花を描いた、モチーフにしたという説があります。それが正しいかどうかというより子ども自身が、尾形光琳が見つめた燕子花がどんな花なのか知っているのかどうか。こういった絵から読み取れない情報を子どもたちに学習のねらいに応じて与えたり,自分で調べるようにする。中学校では鑑賞の指導事項の中に「作者の心情や意図の理解」がありますから、そういったものに結びつくわけです。実際、先ほどの浮世絵の鑑賞に使われたワークシートでも「調べたこと」という欄があって、子どもたちにまとめさせています。それは単に知識を暗記するものではなく,子どもたち自身が絵から読み取れなかったことを自分自身で調べて、知ることによって見方や感じ方を深めるということにつながっています。子どもたちの見方や感じ方が一人一人様々なように、鑑賞の活動もいろいろな活動の在り方があっていいと思います。「こうやったら、こうなって、こうなるんです」というものはないと思います。ですから、今も鑑賞の活動の説明としては、いろいろしていますけど、それがそのまま順番にその通りになるものでもない。つねに自校の子ども側に立って子どもたちにとって一番いい活動を考えていく必要があると思います。



美術館での鑑賞は,子どもたちの鑑賞の扉を開く鍵でもある

鑑賞の活動においてどのような作品と出会わすのかというのは先生方にとっては難しい問題の一つだと思います。ただ,学校教育の限られた時間の中で、一体どのような作品などを子どもたちと出会わせればいいかを是非、考えていただきたいですね。「鑑賞の学習はどんな作品でもできる。」という人もいます。もちろんそうだろうとは思いますが、学校教育の限られた時間の中で、どのような作品と出会わすのか、いちばんよいのは何だろうと考えることはすごく大切なことです。なんでもいいわけではないと思うわけです。また特に作品との最初の出会いとは、人生の中での何か大切な出会いと同じように思います。だから,作品との出会いを慎重に考えていく必要がある。美術館との連携の中では子どもたちは本物の作品などとの出会いがあるわけですから、学芸員の方とも活動のねらいを共有して作品の選定にあたることも大切だと思います。そのような連携の中で生み出された美術館における鑑賞の活動はきっと子どもたちの鑑賞の扉を開く一つの本当に大きな鍵になるのではないかと思います。

私が小学校3年生の時、去年もお話ししましたが、ミケランジェロを初めて父に連れていかれて見て「大きいなあ」と思いました。そのときはそれだけでしたが、中学に入って教科書にミケランジェロがあったときに、写真が小さかったものですから「こんなんじゃなかった…」って思いました。そのときに美術館って本当に面白いなあと。そんなきっかけでしたね。私の鑑賞の扉を開けたと言えるのではないでしょうか。だから、美術館に子どもたちが行くきっかけをつくるっていうことも、すごく大事なことです。


美術館の作成したものを活用する

これは今日、会場の入り口でお配りした東京都府中市の美術鑑賞の教育カリキュラムです。各学年における鑑賞活動の特性が示されており、活動例が書かれています。

全国の美術館で教育普及の取組が活発になり、学校の先生方と美術館が連携して資料やワークシートなどを作成することも珍しくなくなりました。是非、今回参加された先生方も、ここで学んだ事を生かして、ご自身の地域の美術館とこのような連携の進めていただければと思います。今回,お話の中で取り上げました東京都府中市の美術鑑賞の教育カリキュラムの中で、それぞれの地域の特に学校の先生方にこれがあれば作品と照らし合わせて、すごく授業に役立つヒントになると思ったのは、後半の32頁以降に「府中市の美術作品30選」がありますが、そこに「鑑賞メモ」が書かれていて、この作品からはこんなことができるのではないかということが書かれている。ですから、鑑賞メモと実際の児童生徒の感想とを学習のねらいと照らし合わせながら鑑賞の活動に使う作品を選んでいくことができるようになっています。こういうものがあると,先生方が鑑賞の活動を考える際にどういった作品と出会わすかの大きなヒントになります。こういった取り組みというのは非常に学校現場の先生方の鑑賞を考えていく上でいいと思いました。

それからこういったスクールプログラム、これは東京近代美術館のものですが、ここだけでなく全国のいろいろな美術館がスクールプログラムを作成しています。国立美術館のアートカードセットも子どもたちの鑑賞の扉を開く一つのきっかけになるでしょうし、これ自身で鑑賞の学習もできると思います。



自分達の美術館写真

これは去年も紹介しましたが、こういった作品のカードを使って、学校の中で自分たちの美術館をつくろうという授業ですね。各班に配られた作品のカードを使って,各自が学芸員になって班で話合いながら自分たちで展覧会をつくっていきます。各地域にはそれぞれの実態があって必ずしも美術館に行けるという状況ばかりではないので、周辺の美術館の学芸員と連携しながらなにか学校の授業のプログラムを考えるということもあっていいと思います。実はこの先生は学芸員の資格を持っておられる方なのですね。そのようなところから生まれた鑑賞の活動です。



美術館企画案

鑑賞の学習は、子どもたちの世界観を広げる活動になる

この中学校第1学年の鑑賞の活動では、まず一つ一つの作品と子どもたちが出会い、複数の作品を比べたりしながら作品の見方や感じ方を深めることをねらいとしていました。この活動には子どもたちがしっかりと作品との出会いができるように、いくつかの仕掛けがあります。一つは各班に配られた作品の10枚のカードのうち2枚は使えないとうルールがあります。全部のカードを貼れないようにしているのは、10枚全てを貼っていいことにすると、子どもたちはあまりしっかりとは絵を見ないで、感覚だけでぱっぱっと貼ってしまいます。でもそのうち2枚を省かないといけないという約束があると、全部の絵をいったん見て、そして、その中からどれを2枚省こうかという話しになる。このようにして活動の中で自然と作品を見つめさせようとしているわけです。また、班で話合いながら作品の選定を行いますから、ビデオで見ていただいたとおり、他の子どもの見方や感じ方から自分の見方や感じ方を深めることも考えられるわけですね。



自分達の美術館 入り口

それから配られた模造紙には入り口と出口があって、お客さんの動線の流れみたいなものを考えさせる。もう一つは、入り口のいちばん最初にお客さんが見る作品は、この美術館のポスターになる作品というルールにします。ですから、「いちばん最初に目玉になる作品をもってくるんだよ、いろいろ考えてごらん」とすることで、自然な形で作品同士を比べたりすることができるようにしているんですね。この授業では先生が「しっかり見なさいよ」という言葉を発せられることはなかったですね。最後に子どもたちはみんなでつくった美術館をもう一回見て、それぞれの美術館の企画やねらいを理解しながら他の班のつくった美術館を鑑賞していきます。こういった授業は、美術館に直接行くわけではないですけども、美術館との連携の中でより質が高まっていくのではないかと思います。是非、近隣の美術館と声をかけあって連携をする、そういったことが起こってほしいなと思います。活動を通して子どもたち一人一人が作品との対話を重ねて、多くのことを感じたり理解したりして学びとれるような主体的で創造的な学習をめざした鑑賞の活動をつくっていって欲しいと思います。その際にも常に子ども側に立って、子どもがどういう風な活動であれば,自然と子どもたちが作品と出会い,対象を見つめたり感じたりできるのかを考えていく必要があると思います。


鑑賞の活動の内容だけでなく過程を共有すること

最後に近づいてきましたが、今回の研修や、美術館,他校種との連携では、鑑賞の活動の内容だけでなく、その過程を共有するということをお願いしたいと思います。「活動の内容の共有ができました」というだけでなく、一体こういう鑑賞の活動はどういう考えから生まれてきたのかという過程を共有することが、どの学校の子どもたちにでも対応していける鑑賞の活動に結びついていくのです。鑑賞の活動をつくりだしていく上で、活動のねらいはこうで,こういった子どもたちの実態、そして今ある現状、そういったものからこういった活動、こういった鑑賞の対象となる作品を導きだしたという過程の共有が行われることが大事だと思います。

最後に

最後になりました。今日お話したように子どもたちは感覚や感性など体全体を使って鑑賞の活動を行います。そういう行為は、単に作品を見るだけで終わるのではなくて、形や色を通じてものやものごとをよく見たり、ものやものごとをよく知ったりということや美術を通して人と人をつなげていきます。そのような活動を通して,子どもの中で自分とものごととの関係性や他者との関係性が生まれ、子どもたちの周囲を広げたり確かめたりすることにつながっていくのだと思います。そういったことを考えると、子どもたちにとって鑑賞の学習は自分なりの意味や価値を生み出すだけで止まらず、子どもたち自身が子どもたちの世界観をつくり,広げるような活動になるのだといえるのではないでしょうか。子どもたちは鑑賞の活動を通して自分の世界観をもつことで、自分の世界から外の世界を見ようとする。その中で新しい発見があるのだと思います。鑑賞の学習はその時期だからこそ必要な学習がありますし、その時期でないと感じ取れないこともあります。だからこそねらいを明確にし、発達段階に応じながら、作品との出会い、そしてどんな活動にするのかを考えながら是非、園や学校と美術館との連携を深めていただきたいと思います。

今日は美術館との連携の具体例を示してお話ししたわけではないですが、子どもの学びの側に立って学習活動である鑑賞の活動を考えていくことは非常に大事なことです。明日もう一日ありますので、本質的なところから子どもたちを見つめながら、鑑賞の活動を通した学びを考えていただければと思います。それではこれでお話しを終わらせていただきます、どうもご清聴ありがとうございました。