講演

「私の中の自由な美術」

上野行一
帝京科学大学こども学科教授



[略歴]
大阪教育大学大学院修了。公立学校教諭、高知大学教育学部教授を経て、2010年より現職。
『私の中の自由な美術』(光村図書、2011年)『モナリザは怒っている!?』(奥村高明との共著、淡交社、2008年)
等、著書多数



ごあいさつ

みなさん、こんにちは。いまご紹介いただきました上野です。帝京科学大学で働いていまして3年目になります。その前は高知大学に長くおりまして、それ以前は大阪で教員をしていました。



見ることは、思い描くこと

この間、三遊亭圓窓(さんゆうてい えんそう)師匠と話をする機会がありました。圓窓さんって分かりますか。昔、「笑点」に出ていた落語家です。その圓窓師匠がすごく面白いことを話してくれました。「私、噺家だから言うわけじゃないけども、話す、聞くというのは、読む、書くと比べて軽視されていませんか」と。なかなか面白いこと言うなと思って聞いてみたら、「人間はものをしゃべるときに、まず聞くことからはじめる」と言うんです。「話す、聞く」というのは、本当は「聞く、話す」だと言うわけですね。聞いて言葉を覚える。それから話せるようになると言うわけです。さらに、「聞く」と「話す」の間にもう一つ、大事なことがある、それは「思い描くことだ」と。その通りなんです。ただ、聞いているだけでは分からない。その場に応じて、その文脈に応じて、相手が言っていることを思い描き解釈しないといけない。

いま、どの教科でも授業研究として授業の中での対話の研究、子どもと先生の対話の研究、子ども同士のやりとりの研究が盛んになっています。「プロトコル分析」ですね。その対話分析の中で、教育学では常識ですけど、たとえば、バフチンとかワーチという学者は、「聞くということは、頭の中でそれを再構成すること」だといっています。再構成して自分の考えと、それを言語化していく。

つまり、頭の中で再構成することを「内的対話」といい、それを発語して外に出す。これは「外的対話」ですね。でも圓窓さんはそんな難しいことを言わない。「思い描くこと」だと一言で…。素晴らしい方に出会いました。実は「見る」ということもそうです。ただ漠然と見ているのは、目に写っているだけで見ていません。見ながらいろいろ頭の中で思い描かないといけない。私の言葉でいうと「探索的に見る」「想像的に見る」。そういう見方が大事だと思います。

皆さん、『星の王子さま』を一緒に読んでください。「心でみなくちゃものごとはよく見えないってことさ。 肝心なことは、 目に見えないんだよ」。星の王子様が地球に降りたときキツネが言った言葉ですね。これ、どういうことなんだろう、肝心なことって何だろう。目に見えない、では、どうやったら見えるんだろうということを考えながら私の話を聞いていただけたらと思います。


「対話による美術鑑賞」の授業例

最初に「対話による美術鑑賞」のおさらいといいますか、まとめです。作品をよく見るということ、作品について考えるということ、自分の考えを話すということ、友だちの発言を聞くということ、この4つが大きな柱ですね。そんなに難しいことではありません。先生はそのために開かれた質問をする。根拠を問う、受容的態度で意見を受け止める、そして意見を交流します。

書けば簡単ですけど、やってみるとなかなか手強いですね。小学校の先生は他の教科の授業もされているので、さほど違和感はないかもしれませんが、中学校以上の美術の専門の先生は、普段、そういう授業をしていないので少し手強いですね。 北海道の先生が授業をしてくださいました。いまからビデオを流しますので、それをご覧になっていだきたいと思います。
これは先ほど先生が読まれた文章です。なにをしているかというと、ねらいを明確に伝えている。授業の場合、ねらいを明確に伝えることが大事ですね。

さあ、なにが見えたでしょう。みんなの感想を聞かせてください、正解はないかわりに気づいたことをどんどん発表してください、と、方向を明確にしています。こういう授業だという「授業のねらい」をちゃんと伝える。それがおろそかになって、いきなり授業をはじめることがありますが、実は大事なことです。うまくいくか、いかないかの一つの別れ道になっているかもしれませんね。 生徒にとって、ねらいであるとか、授業の主旨、方向を明確に伝えておくということは、どうでもいいようなことですが実は大事なことだと思います。

さて、授業(※風神と雷神)がはじまります。
一般的な中学生が普通の授業をしていますので、生徒の発言がぼそぼそっとしていますが、このようなクラスも多いかと思います。

生徒が「服装が似ていると思いました」と言うと
先生は「服装が似ている」繰り返しますね。
それから、先生は「どんなところが似ているのかな」と根拠を問うたり
あるいは「たしかに」と共感しました。

先生は根拠を問うたり、繰り返したり、共感をしています。作品について生徒は服装とか、足の輪っかとかの「部分」に注目します。まず部分的なことから発言が出てきますので、一つひとつ丁寧に対応していくことが大事です。特に、「繰り返す」とか、「うなづく」とか、「あいづちを打つ」とか、これらはコーチングの原則ですが、この先生は、自然にされていますよね。できない先生は、意識的にされたらいいと思います。

関連づけを促し、出てきた意見を誉めて、身体化して、明確にしている。ほんとに上手に授業をされていると思います。みなさんもこのようなことを自覚して授業をされればいいと思います。この後、いろんな意見が出てきますけど、美術館でも許されればこういう動作化によるパフォーマンスもいいと思いますけど、なかなか他の観衆の中で行うのは難しい場合もあるかと思います。でも学校の教室の中ではこの先生みたいにパフォーマンスをしてください。



生徒の意識の流れに気づき、作品を読み解く手助けをする

授業が変わっていくターニングポイントです。お気づきになったでしょうか?いままでは二人の服装がああだとか、動きがこうだとか、言ってみれば部分的なことに関する話題だったのですが、初めて作品全体についての意見が出ました。「(風神と雷神が)楽しんでいるみたい」と両者の関係性を捉えた。これが授業の変わっていくポイントの発言だったのですね。

すごく細かく見るようになってきたでしょ?口角とか…最初からそんなところ見ませんよね。目に入っていたけど気づかなかったものが次第に見えてきている様子が分かりますか。その後、二人の関係について、「兄弟とか深い関係なのかもしれない」などと、いろいろと意見が出てきてですね、先生が「仲が悪くみえる人はいますか?」とゆさぶりをかけたんですね。そうするとこんな意見が出てきます。「二人は近い関係だから、毎日、競い合っているんじゃないか」。毎日、競い合っている、なにを競い合っているのかというと、「下にいる人たちを何回、困らせるか」と…。別の生徒から「今日はオレが雨を降らせる」「いやオレが風を吹かせる」というような意見が出てくる。そしてその後ですね、授業が30分くらい経った時点で作品の主題に迫るような話が出てきます。

「風神と雷神が競い合っているとしたら、下の天候はすごく悪くなる」。
これは風神、雷神ということの当時の人たちの思いと重なってしまうわけですね。当時の人は強い雨風とか雷とかの自然現象に対する畏怖の念から、風神雷神を想像上の神様といるわけです。まさに下にいる人たちが大変なことになっているから、上にいる人たちは何をやっているんだろうと思って、風神雷神を作りあげたわけですよね。まさに、この風神雷神の絵が作られた時代背景に迫るような発言だったのです。このような過程で中学1年の子供たちは作品を読み解いていったのです。

ちょっと心がけてほしいことですが、さきほど関連づけとか誉めるとか身体化とか、授業をする上でのポイントについて述べましたけれども、先生のスキルだけに注目しないでほしいと思います。最近、いろんな場所で対話による鑑賞のセミナーがあり、スキルアップの講演を期待される方もいらっしゃるのですが、そうじゃないだろうと…。学校で行う場合、絵を読み解いていくためのさまざまな仕掛けをすることは大事ですけれども、それだと生徒が見えてこない。生徒一人ひとりが自分はどのように変わったのかとか、自分と友だちの関係をどのように見ていたのかとか、そのあたりを見ていかないと、学校教育としてはちょっと違うのではないかと思うんですね。

生徒の意識の流れに気づくことが大切。生徒は動きの感じ、動きの根拠を述べているわけですよね。彼らはこうやって今、動きというものに、注目しているんだ。そういうことを先生のほうで見取っていかなければなりません。単に読み進める、読み解くためのテクニックを駆使して授業をするだけでは、それは違うのではないかという気がします。


今、そこにある誤解

これは講演のオーダーなのですが、「対話による鑑賞」というのは何故、いま注目されているのか?なにを目指しているのか?を押さえてほしいということなので、簡単にご説明していきたいと思います。 対話による鑑賞は、アメリア・アナレスによって日本にもたらされたとか、アビゲイル・ハウゼンのVTSが元になっているという人がいます。あるいは対話型鑑賞はVTS(ヴィジュアル・シンキング・ストラテジー)が元になっているという方がいますが、これは違います。 よくイメージされるのは1995年8月に水戸芸術館で「ミュージアム・エデュケーションの理念と実際」でフィリップ・ヤノワイン(元ニューヨーク近代美術館教育部長)の講演がありました。98年から99年にかけて、「なぜ、これがアートなの」という3館(水戸芸術館・川村記念美術館・ 豊田市美術館)の展覧会がありましたね。その中で地域の学校に呼びかけて対話による鑑賞が行われたことが、一つのエポックでありました。その後、「まなざしの共有」という本が出て、2003年に鑑賞教育セミナーが始まって、『MITE!ティーチャーズキット』が2005年から。なにかこういう流れで対話による鑑賞を捉えている方が多いと思います。これは美術館教育からの視点であって、学校教育の視点とは少し違います。実は対話による鑑賞はいまにはじまったことではありません。それを「鑑賞の視点」「教育の視点」そしてそれをすりあわせた「美術鑑賞教育の視点」からまとめていきたいと思います。


文学から出てきた鑑賞の視点

鑑賞の視点というのは、鑑賞という行為のとらえ方です。この動向は、美術よりも芸術の中で文学において先に起こりました。20世紀初頭、1910年代に「ニュー・クリティシズム」がアメリカを中心に出てきました。読書という行為は作者の意図を読み解く行為なのか否か、読者が自由に読んではいけないのかという議論が起こってくるわけです。「読者は自立した主体なので、読者が主体的に読めばいいじゃないか」という考え方が起こってくるわけで、1933年にそれを理論的にまとめたインガルデンの『文学的芸術作品』が刊行され、H.R.ヤウスの『挑発としての文学史』が出てきて、W.イーザーの『行為としての読書』が出て、その後、これはかなり売れていると思いますが、ホルブの『「空白」を読む』、これが出てきたことによって、かなり広く知られるようになったということです。

では、日本ではどうなのか。1936年の『国文学の解釈と鑑賞』という雑誌があります。そこに「鑑賞は学でなく芸術である」ということをいう人が出てきます。石津純道さん。彼が引用しているのは「鑑賞はそれ自体芸術活動であって、学的作業ではない」という岡崎義恵さんの言葉であり、それをベースにして彼は論陣を張るわけです。

鑑賞はそれ自体芸術活動であって、学的作業ではない。学的作業ということについて、たとえば、韓国の新しい学習指導要領は、高校2~3年生の選択美術の構成が3つに分かれている。最初は「観察と反応」で「直感的感覚」として、感じや考えを話す、討論するということを重視、次の段階で「分析と解釈」があり、材料と技法などを分析するとか、様式を調べるとか、美術館に対する情報を収集するとか、歴史とか政治とか文化的な解釈をするというのがあって、3段階目に「判断と活用」で美術批評が出てきて、2段階目までに集めた資料を元にして討論する、あるいは批評文を作成する、こういう構成になっている。これが学的作業ですね。

そのあと、バルトやエーコなどの影響を受けて、宮川淳さんが1980年にこんな事を書いています。「芸術は見ることのなかに成立する」。これは美術批評の中でいっている話で文学の話ではありません。作品というのはバルトの言葉ですけども「作品は作者が創り上げた一義的な意味しかもたないものなのだ」。それに対してバルトは「読者、美術でいえば観衆によって磨かれるもの」なのだと…。それからさきほどの宮川淳さんの言葉は、正しくはこう書いてあります。「芸術とは作品の中に、あるいはその背後に自己完結的に存在するのではなく、見ることの厚みのなかに共同の幻想として成立する」。作家のほうもそういうことを意識していきます。ピカソなども「作品というのは制作のなかで思いによって変わるが、できあがった後、見る人の状況によってまた変わる」と書いています。このような水路に沿って対話による鑑賞の場が日本の美術館で受容されることになります。ただし、それは非常に近年になっての話です。


構成主義的な学習理論

次に教育の視点です。対話によって観衆がアートの意味を創り上げるということは、観衆が中心の鑑賞教育という言い方が出来ますが、構成主義的な学習理論の考え方がなければ成り立ちません。構成主義的な学習理論というのは、教育学の中で出てくるので先生方はどこかで学ばれたかもしれませんが、ピアジェやヴィゴツキーによる考え方です。ピアジェの個人的構成主義を受けた形でヴィゴツキーが発展させます。ヴィゴツキーはピアジェとは違って個人ではなく、周囲との相互関係を重視しその考えを発展させていくわけです。ですから社会的構成主義というピアジェとは違う構成主義だという分け方をします。学習を社会的な相互行為として捉え、社会的に探求し、構成するものだと捉えるということですね。ですから、構成主義的な学習理論があって、対話による美術鑑賞は成り立っているわけです。

集団で探求する学習のなかで、対話による知の相互作用がなされ、集団で知識を構成していく。ですから、このような学習は別に美術じゃなくても他の教科でも出来るわけです。ベースにある学習理論は一緒なわけですから。教科はメディアですから。美術の場合、たまたま私たちが言っている「対話による美術鑑賞」がこれに相当するということです。学習というのは、これはイェーガーの言葉ですけれども「学習は学習者が知識を構成して過程である。そして共同性のなかでの相互作用を通じて行われるもの」。ですから、知識というものは状況に依存している。固定したものではない。一人ひとりが自ら構成していくもの。容器にモノを入れるように移動しないということですね。



新しい学習指導要領の構造

学力観という面で見ると、1989年に新しい学習指導要領が出て、新しい学力観というものを出してきました。これは、自ら学ぶ力、判断力や表現力を学力の基本とする考え方です。新しい学習観は現在に非常につながっています。この学習指導要領に影響を与えている考え方として佐伯胖の「学力というのは連鎖して働くべき学んだことのようではなく、未知なる条件に置かれたとき学んでいく力になるはずだ」という一文があります。

平成18年12月の改正教育基本法を受けた形で学習指導要領が改善されました。その課題を踏まえ、図画工作、美術科、芸術科、小中高それぞれの美術、その課題を踏まえ、思考、判断、生活、文化、将来、そのキーワードを重視しなさいと。これが基本方針ですね。これは小中高、すべてに通じる課題です。感性を育み、思考、判断をしなさい。将来にわたって生活や社会に生かしなさい、その4つめ、自分の思いや考えを大切にしながら、自分なりの意味を発見するなどの鑑賞の学習の充実をはたす。これは大きいですね。小中高、全部につながる課題です。これを受けて具体的な学習指導要領、現在の新しい学習指導要領ができたわけです。

改善基本方針もここで謳われています。小中高全部です。「自分の思いを語りあったり、自分の価値意識をもって批評し合ったりするなど鑑賞の指導を重視する」。これが改善基本方針です。これは小学校ですね。小学校の先生はご存じかと思います。中学校もそうですね。


美術鑑賞教育の視点

1952年、『経験としての芸術』というJ.デューイが書いた本が翻訳されます。その中に「読者の再創造の活用なくして物が芸術品として認識されることはない」と書いています。これがやはり日本の美術教育における読者論、テキスト論の素地が作られたいちばん大きなきっかけだと思っています。

昭和25年に岩波書店から『少年美術館』という本がでました。この本は全国ほとんどの小中学校に配架されたようです。その中にこんなことが書いてあります。「解説を読む前に、作品そのものを繰り返し、繰り返しよく見てください。皆さんが博物館で絵そのものを少しも見ないで一生懸命、下に付いている解説を写しているのをよく見ますが、あれでは美術を味わうことはできません。こうした見方では何百回見ても同じことです。また有名な作者が描いていれば偉いと思い込み、どんなものでも立派な絵だと思うことが私たちにとっていちばんつまらないことです」

この言葉の背後にあるのは、昭和22年の日本最初の学習指導要領の試案ではないかと思います。この中には鑑賞学習の指導という項目があり「鑑賞の結果の感想を述べる、その感想について討論する」と昭和22年の学習指導要領にすでに載っています。また、ここには「立ち入った説明をしてもよく分からないであろうから、授業の興味をひく程度の簡単な説明から入ればよい」とか、3年生は「作品の美しさを話し合う」、6年生は「どこまでも自分の目で見て、自分の心で判断する」と書いてあります。

この当時、こういう授業が行われていれば本当に良かったなと思いますが、たぶんあまり行われていなかったんでしょうね。だいたい図工・美術といったら絵を描いたり工作したりするのが常だったと思います。また、その当時、大都市に美術館はあってもほとんどの地方に美術館はありませんでしたから。



1970年代から行われていた鑑賞教育

授業を実際に残しているのは1970年代ですね。1973年11月1日、静岡県浜松市の中学3年生の授業、野島光洋先生が授業記録を残しています。録音テープを取って書き起こしをしています。出版もしています。

「女の人の顔が気に食わん」と書いてあります。爆笑とあり、先生が「どういう点で?」というと生徒が「目つきが悪いで」。また爆笑と書いてあります。先生が「みんな笑いましたが、実にいい見どころですよ」。そうすると発言した生徒が喜んで自分で拍手する。他の子が「一見おだやかに見えるけど、心の奥では悲しい感じ。戦争の後の寂しい静けさのようだ」。先生「はい、そういう気がする」。別の子が「色っぽい」。また爆笑。「どこから、そういう感じがしますかね」。先生がまた聞きます。そうするとその生徒が「目つきと顔から下の感じ」。別の生徒が「目が追ってくる感じ」先生「なるほど、そういう見方もあるんだ」この授業が1973年ですよ。いま2012年ですよね。40年ほど前のこんな昔から対話による鑑賞教育をやっているのです。

2007年の高知市での授業です。この人は女の人か男の人か、疲れているのかいないのか、という話し合いが続きます。『木蘭』の詩の本質に迫っていっているわけです。その後、先生は「戦争で疲れたの?どうしてそう思うの?」と質問したりして授業を進めていくわけですが、二つの授業を比べてみるとものすごく似ているんです。

最初の1973年の野島先生の授業は、感じたことをそのまま発言させている。木蘭の絵の授業は「なにが見えましたか?」と開かれた質問をしています。どちらも先生もしつこいくらい「どういう点で?」とか「どこから」とか「どうして」とか根拠を問うています。そして「実に見どころがある」とか「なるほど面白い見方だ」とか「すごくいいことみつけたね」とか誉めています。

いちばん最初にお見せした対話による美術鑑賞のポイントそのままじゃないですか。 ですから授業実践的には70年代からあったということです。ただ絵を描く授業とか工作をする授業に埋もれてしまっていて気づかれなかっただけの話です。いきなり最近アメリカからやってきた理論でも何でもありません。そこは間違わないでほしいと思います。

しかも、会話という発想自体は1900年前後までさかのぼります。先生「この絵に何が描かれていますか」。生徒は「小さい女がおります」。先生「このほかに何が見えますか」。生徒「鹿児がおります」。これは明治30年の『教育報知』に載っていた『図画読方』という記事です。図画読方とは、図画が読むものであるという発想です。読み取るものであるという発想です。

いま都美でやっているフェルメールの美術展、(ポスターを見せ)『真珠の耳飾りの少女』と書いてありました。でも2000年に大阪市立美術館で『フェルメールとその時代』を開催したときには、(ポスターを見せ)『青いターバンの少女』という題名でした。ある年代以上の方は、『青いターバンの少女』ではないですか?違いますか?たぶん2003年に『真珠の耳飾りの少女』という映画が出来て以来、こういう題名になったと思うのですが…。ですからターバン世代の人と耳飾り世代がいるわけです。

なにが違うかというと、『真珠の耳飾りの少女』というとここ(耳)に目がいくじゃないですか。「青いターバンの少女」といえば当然、ここ(頭)じゃないですか。タイトルで誘導されてしまいますね。非常にわかりやすい例です。

(フェルメール『青衣の女』を見せる)ちょっと前に『フェルメールからのラブレター展』があり、この絵がそうだというわけではないですが、この女性が読んでいるものはラブレターなのか。そうじゃないと思いますね。というのは、この作品でよくギャラリートークをしますが、たしかにラブレターというのもありますが、いちばん面白いのには請求書というのもありました。「今月やけに電気代高いわね」とか(客席笑)そういうふうに見る人もいるし、なぜだか戦争というか9.11以降、「夫や子供が亡くなりましたという悲しい知らせ」ではないかと。この女性は横に椅子があるのに座らず立ちすくんでいるからそういうシチュエーションではないかと解釈する人がすごく増えたのです。

これは損保ジャパンにあるゴッホの「ひまわり」です。いろんな視点を与えていきます。そうするとだんだん作品が見えてきます。(質問を次々と見せる)これは某ワークショップが使ったものですが、このように、色がどんな色がある?形はどう?といろいろチェックしていったらこの絵が分かったことになりますか?私はそうは思わないです。いったんこういうのを除けて(質問を全て外す)「素」で見ていって話し合っていると、ある子供がこんなことを言いました。「この絵を描いた人は友だちとケンカしちゃったんじゃないか」。えーと思いますよね。ちょうどゴーギャンとの事件のあたりの絵ですね。そんなこと何も知らない子供が「この絵を描いた人は友だちとケンカしちゃったんじゃないか」と言うのです。どうしてそう思うの?と聞いたら「この花が描いた人で(枯れて下向きの花を指す)、しょんぼりしているから」というんです。

(星の王子さまのように)心でみなくちゃ ものごとはよく見えないってことですね。
肝心なことは目に見えないということではないでしょうか。

終わりです。
ありがとうございました。