講演

「見つめること、感じ取ること-子どもたちが自分の中に新しい価値をつくりだす創造活動-」

東良雅人
文部科学省初等中等教育局教育課程課 教科調査官
(併)国立教育政策研究所教育課程研究センター研究開発部教育課程調査官


[略歴]
昭和62年に京都市立の公立中学校の美術科教諭として赴任。
その後、京都市の公立小学校図画工作の専科を担当。
平成14年から平成23年3月まで京都市の教育委員会で指導主事を務める。
平成23年4月より現職。



ごあいさつ

それでは皆さん、あらためましておはようございます。いまご紹介いただきました文部科学省で教科調査官をしております東良といいます。どうぞよろしくお願いいたします。
私も第1回目のときに京都市の指導主事をしておりまして、この指導者研修に参加して本当にいろんなことを学んだと思いました。学んだのと同時に、その時、一緒に参加した先生方のつながりというのがずっと続いておりまして、是非、この研修で先生方自身の鑑賞教育の在り方や指導者としての考え方をつくりあげていただくとともに、この機会の人と人とのつながりを大事にしながら2日間過ごしていただければと思います。

私の話が1日目のいちばん最初ということで、この後、研修の中心となるグループワークがあります。
そのときに皆さんがファシリテーターとともに鑑賞の活動を考えたり、つくっていったりするヒントになるような話がいいのかなと思っておりまして、是非、そういった視点でこれから50分間、お話を聞いていただければと思います。


 

見るということ

最初に「見るということ」でタイトルを出しましたが、ちょっと子供の映像を見てください。これは貝殻を見て描いている生徒です。普段多くの人は、描いているときは「描く」という技能ばかりに考えがいくのですが、子供は「描く」と同時に「見て」いるのですね。実は「見る」ということがいかにそれを支えているのか。そういったことをしっかりと知っておく必要があります。

これは独立行政法人の科学技術振興機構が出している『Science Window』という季刊誌です。インターネットでPDFを使ってどなたでも自由に見ることができますので、もし興味のある方は見ていただきたいと思います。前回、春号が出まして、その特集が「見るから描ける、描くから見えてくる」でした。ここでは科学と芸術~美術というもの、図工もそうでうすが、その接点を探っていくという特集です。

この中で画家の安野光雅さんが文章を寄せておられまして、私もこの号が出たあと、そこの編集長の佐藤さんとお話をさせていただくなかで、いろいろと科学との接点というものを深めることができました。この中で今回、少し参考にしていただきたいことが書かれていました。

安野さんのお話しの中で、学校の教員をされていた頃、「麦畑」を描く授業をしたときのことを例に挙げ「つまり見るということは、そういうことでもあるんです。漠然と見るのではなく、集中的に大事なところを見る。「見る」というとは見ないところもあるいうことなんです。」と書かれておられました。一言で「見る」といっても、いろんな見方があるわけです。子供たち一人一人が、どのような見方をすることが、自分の見方や感じ方を大切にして、自分の中で新しい価値をつくりだすのかを考える必要があります。全体を見るという見方もあるし、大事なところをしっかりと見るという見方もあります。作品などを見るということも、そういうことがあるのではないかという風に思います。


 

子どものころからしっかりと考える

また、大事なことは、「子どものころから、しっかりと考えること」と書かれています。自分の見方や感じ方を大事にして、自分の見方で見る。もちろんそれは大事なことです。でも漠然と「見て終わる」だけではなく、見たところから感じたことを自分でどこが美しいと思ったのか、いいと思ったのか、そういったことをしっかりと考えるという機会を活動(授業)のねらいにしたり、子供自身の気づきにつながったりすることが大事だと思います。そこから自分の見方や感じ方をより深める。それは実は自分の中で自分の見方や感じ方をもう一度振り返ったり、整理したりすることなのだと思います。しかし、子供たちの心の中に何が起こっているのか。これは私たちが外から見ても分からないわけです。だから子供たちが心の中で思ったことや感じたこと、そして考えたこと、それを指導者がしっかりと受け取って、子供たちが自分の中に何をつくりだそうとしているのか。それを知るという方法が活動の中に必要なのだと思います。

先ほど最初のご挨拶の中で「言語活動」というお話がありましたが、言語活動自体が目的ではないということですね。あくまで子供たちが言語活動を通して自分の見方や感じ方をひろげたり、自分の中で自分の見たこと、感じたことを整理して、より見方を深めていったりするという、そういった子供の心の中の出来事を「子供の学び」という視点から活動を考えていくことが大事だと思います。気をつけないとついつい活動が目的化してしまうことがあります。活動というのはあくまで手段です。その活動を通して子供たちにどのような学びを実現しようとしているのか。そういった指導者のねらいというものを明確にしながら、今日のグループワーク等が進んでいくといいなと思います。


全ての子どもたちは豊かな存在である

「全ての子供たちは豊かな存在である」、是非、このことを皆さんと共通理解しながら、この2日間、研修が深まっていけばいいなと思います。 「豊かさ」を大人が与えるのではなく、子供が本来持っている豊かさをよりひろげたり引き出したりしていくことが大事だと思います。「豊かさ」を与えるという視点でいけば、ついつい定まった価値とか知識を与えることがどうしても中心になってきます。そうではなくて、全ての子供たちが本来もっている豊かさを活動を通してひろげていくのだということですね。

それからもう一つは、当たり前のことですが子供たち一人一人がそれぞれ違うわけですね。集団のグループの中で、どう活動を進めていくのか。そのときの視点として全ての子供たちは豊かな存在なんということを前提に活動を考えていく必要があろうかと思います。

いくつか鑑賞の活動を紹介したいと思います。


これは小学校2年生の児童が自分の学校の近くの地域の中から、色とか形とか面白いものを探して、「こんなの見つけたよ」ということをお互い、紹介しながら、最後には自分の見たことをもとに、いろんな形のおもしろさを使って、こういうマークをつくるという活動です。

これは仁王像を見て、それぞれのおもしろさを感じていくという授業です。端のほうで子供が仁王像の真似していますよね。こんなこと(写真の子供のポーズを真似る)してね。ああいう風に体全体を使って鑑賞すること、体の感覚をしっかりと使うことも大切なことです。

これは自分たちのつくった作品をみんなで学校の階段に並べて、みんなで鑑賞し合うというものです。それぞれの子供たちが自分の作品のことを「こんなことを工夫した」「こんなものを表したい」と紹介しあいながらお互いに鑑賞を深めていくという活動です。

子供自身も作品を見ただけの時と、作品をつくった子供が「こんな風に自分は思っている」という言葉を聞いてみるときと、ずいぶん作品の見方が変わります。美術作品でも鑑賞するときにそういったことがあると思うのです。ただ、最初から子供の思いみたいなものを聞いてみるのか、それとも最初はそうじゃなくて、自分自身の見方で見るのか。どういった見方から入っていったらよいのかというのは、その活動のねらいというのが指針になると思います。活動のねらいがなければ、どんな活動にすればいいか分からなくなるということですね。そこのところを大事にしていく必要があろうかと思います。

もう一つは、ぞれぞれの発達の段階で、その年齢になってはじめてできることや、その年齢じゃないと分からないこともあるわけですね。そういったことを十分、配慮しながら作品選びなどについても考えて、子供たちと作品との出会いを大切にしてほしいと思います。

これは小学校6年生の活動です。この学校には複製画がたくさん飾ってありました。それを使って美術館の学芸員の方と一緒に鑑賞の活動をしています。子供たちは、こういう複製画でも図版などの印刷物で作品を見るのとは違う印象を受け、新たな見方や感じ方をするだろうと思います。美術館との連携では、多くは実物の作品を使って鑑賞の活動をしますが、実物を使う意味、理由、それから美術館の空間の中で作品を見るころの意味などを今日のグループワークから導き出していただきたいと思います。

これは学校の先生が協力してつくった手づくりの伊藤若冲の「鳥獣花木図屏風」を使った鑑賞です。先生方の手づくりの教材のよさが子供たちに伝わって、能動的な活動につながっています。


これはよくあると思いますが、アートーカードよりも大きめになっていて作品の細かいディテールが子供に伝わるようにA4サイズに伸ばしてグループで鑑賞している様子です。

これは、中学生の日用品の鑑賞です。普段何気なく子供が使っているものを形や色に視点をおいて鑑賞しあって、客観的な視点から、目的や機能と形や色の働きを鑑賞する活動です。鑑賞の活動と言えば必ずしも自分との関係性の中で鑑賞するだけではなく、こういった他者の視点に立った鑑賞の活動もあるわけです。

これは美術館が所蔵している複製画を学校に運んで行っている鑑賞活動です。

美術館との連携や活用というのは、小学校図画工作科、中学校美術科、それから高等学校芸術科もそれぞれ学習指導要領に示していますが、近隣に美術館がなくて行くのが難しい場合もあります。ただ、美術館との連携・活用というのは、単にそこに連れて行くということだけを言っているのではありません。学校と美術館が連携をして一緒に授業づくりをするのも連携といえます。大切なことは、子供たちに可能な限り多様な鑑賞体験の場をつくっていくことだということです。

だから狭い意味で美術館との連携を考えるのではなく、まずは自分のところの学校や地域でできることは何かという、そういったことから是非、スタートしていただきたいと思いますし、この2日間でたくさんの授業づくりのヒントがあると思いますので、研修後、自分たちの地域でできること、やれること、子供たちにとっていいこと、そういったことを考えてひろげていっていただければいいと思います。

これは、高校生の授業で陶芸を学校に運んできて、それを見て、機能とか伝統的な側面とかを分類しながら鑑賞するという活動です。こういったものについては、写真の図版だけではなく、実際に「触れてみる」ということが大きく生徒の感性や「見る力」を高めていくことになります。あるいは実物のもつ力というものがもちろんあるわけです。そこを生かした美術館での鑑賞も考えていく必要があろうかと思います。



学習指導要領における鑑賞の活動の位置付け

中学校美術科の目標をいま、示していますが、「表現及び鑑賞の活動を通して、美術の創造活動の喜びを味わい」としています。ここで何がいいたいかというと、表現の活動だけが創造活動なのではなく、鑑賞の活動も創造活動であるということです。鑑賞の活動は、単に知識や定まった価値を学ぶだけの学習ではなく、知識なども活用しながら、さまざまな視点で思いをめぐらして、自分の中に新しい価値をつくりだす学習。これが学習指導要領における鑑賞の活動の位置付けです。

大事なことは、子供たち一人一人が自分の見方や感じ方を大切にして、自分の中に新しい価値をつくりだす学習なのだということですね。これからグループワークでいろいろな活動を考えていくわけですが、是非、どうすれば子供の中に作品の鑑賞を通して新しい価値をつくりだすような活動にすることができるのか、そこを柱として考えていただきたいと思います。

もちろん「楽しい」「面白い」も子供たちの主体的な活動を支えることとして大事ですが、それだけで終わってしまうのではなく、発達の段階も十分に考えて活動をつくり、鑑賞の活動をする意味を明確にすることが大切です。是非、子供たち一人一人の中に新しい価値をつくりだすことにつながる活動を目指していただければと思います。

そしてもう一つは、総括的な目標として、小学校の図画工作科、中学校美術科、高等学校芸術科それぞれにおいて豊かな情操を養うことを教科の目標に示しています。今日の最初のご挨拶の中でも「情操というものを大事にしよう」というお話がありましたが、ここをしっかりと捉えていくことも大事なことです。中学校美術科の学習指導要領の解説書では情操とは、「美しいものやよりよいものにあこがれ、それを求め続けようとする豊かな心の働き」としていて、これに重点を置いているわけです。鑑賞の活動も子供たち一人一人が生き生きと対象と関わり、美しいものや、よりよいものにあこがれて、それを求め続けようとする豊かな心の働きを育むことを目指してほしいと思います。



鑑賞で学んだことを作品に生かす

これは岩手県の中学校3年生の作品で、「みつめる」という作品です。
生徒の言葉があります。「心をみつめるというテーマで自画像を描きました。制作しながら自分の心の中を見つめることができました。さらに自分のまわりにある大切な人や大切なもの、そして未来を見つめる自分を表現しました」という風に表現を通して自分というもの、そして他者との関係性というものを生徒が自分の中に育てていったのだなということが子供の言葉からわかります。

子供の言葉が続きます。「萬(よろず)鉄五郎さんの『赤い目の自画像』を参考にして目の縁を黒く、目玉を赤くして、目の表情に力強さを持たせました。初めて描いた自画像作品に満足しています」と生徒は書いています。

これが『赤い目の自画像』ですが、生徒は美術の授業でこの作品を含む自画像の作品を鑑賞して、そこから作者の心情や意図と表現の工夫などからを感じ取ったことを、こんどは自分の表現に生かしています。この学習では、鑑賞で学んだことが次に自分の表現に生きて働いていると思います。そして、その中で自分の生き方と萬鉄五郎さんの自画像を通した生き方とを重ね合わせて、自分というものをもう一度見つめ直した、そのような学びがこの生徒にあったのだと思います。


こうやって考えていきますと、鑑賞の活動というのは単に作品と接するだけで終わるのではなくて、子供が自分のいままでの経験や体験、学んだこと、生活、学校、地域社会、自然環境、文化というような自分の生き方との関わりの中で作品を見つめて、その中で自分の価値を見いだしていく。そういった活動だと思います。だから、子供の生き方と関わりをもちながら鑑賞の活動を考えていく必要があります。

そして小学校、中学校、高等学校で生き方との関わりがそれぞれの発達において、その深さ、ひろがりは変わっていきます。ですから発達の段階をしっかりと考えて、それぞれの段階で鑑賞活動を通して何が必要なのかということを十分、考慮したうえで活動を組み立てていく必要があると思います。



自分との生き方との関わりの中で見つめたり、表現として描いたり、つくったりする学び、それが学校教育における図画工作科、美術科の学びであるわけです。

図画工作科、美術科における鑑賞の活動とは、ただ「見る」ことだけで終わるのではなく、子供たちが形や色、材料、光、イメージといったものを通してつながっていく。こうした営みであるということを十分理解したうえで活動を考えていく必要があります。


 

感性の育成

さきほど示しました中学校美術科の目標の中に、「感性」という言葉があります。小学校の図画工作科では今回の学習指導要領の改訂で目標に「感性を働かせながら」という言葉が入りました。中学校では従前から「感性を豊かにし」という言葉が入っておりまして、感性というものを我が国では非常に大切にしています。

「感性」というのは中学校美術科の学習指導要領の解説では、「様々な対象・事象からよさや美しさなどの価値や心情などを感じ取る力」と解説しています。自分の中でよさや美しさなどを豊かに感じ取る力といえます。このことが作品などを鑑賞するときに極めて大きな意味をもっています。

これは、小学校図画工作科、中学校美術科、高等学校芸術科の目標に入れている言葉を並べましたが、小・中・高とそれぞれの目標に「感性」という言葉が目標に入っています。いかに大事にしているか理解していただけると思います。

対象や事象からよさや美しさなどの価値や心情を感じ取る力である感性というのは、まず大事なのは能動的な活動の中で働くものだということです。鑑賞の活動が非常に受け身な時に「感性」はなかなか働かないということです。いくら先生方が一生懸命「感性を働かすんだよ」って言っても、子供が受け身で鑑賞の活動をしている限りは、感性というのはなかなか働かない。つまり、子供が豊かに感じ取ったりはしないということです。

まず、子供が鑑賞の活動を自分のものとしてしっかりと捉えて、子供自身が能動的な活動になるということ、ここを最初の段階では押さえていく必要があろうかと思います。

美術館に初めて足を踏み入れる子供たちは、非常に緊張もするし、ひょっとして難しいものかな?と思うかもしれませんね。でもそういった思いではなかなか子供が能動的になれなくて、自分を全面的に出せない。だから何らかの工夫が要るわけです。そのときに子供というものをしっかりと捉えて活動を考えていかなければ、なかなか能動的な活動にはなりえないわけです。


感覚をしっかりと働かす活動を

それからもう一つ、感性の育成において大切にしていただきたいのは、子供たちがしっかりと感覚というものを働かす活動を位置付けることだと思います。「みつめる、感じとる」前に、子供たち一人一人が対象を、しっかりと見たり、体全体を使って感じたりという感覚を十分に働かす活動も大切にしていただきたいなと思います。

また、鑑賞の活動というのは子供の経験によっても大きく変わってくるのだろうと思います。十分な関わりをしてきた人たちは、すぐに作品の前で自分なりの見方ができるようになることもあるでしょうし、経験の少ない子供は自分の見方、感じ方というのはなかなか難しいこともあるでしょう。だからそのときにたくさんの感覚を働かすような活動を位置付けることが子供たち一人一人の自分の見方や感じ方が自然な形で実現できるようにするために必要な場合もあります。

これは美術館が貸し出している複製画を使った授業です。作品はモネの「積みわら」です。
この鑑賞の活動の写真では、子供たちが作品に指を指していますね。美術館での鑑賞の活動ではよく作品に指を指して作品を見つめたり、自分の感じ方ことや考えたことを話したりする光景をよく見ます。

このときの授業では、岸田劉生の作品と二つを使って授業をされていました。これが複製画ですけども、近くで見ると筆の跡などが実物のように作られていて、子供たちはかなりそれに引きつけられていました。こういった作品の材質感がかんじられるということは、子供の感覚を働かすことにつながっていると思います。特に絵のこの部分にこういう風に筆が当たっていて、その筆の先に作家がいるという風な、作品の向こう側にいる人というものを感じることができます。そこがやはり、小さい図版のようなものですと、そこまではなかなかいかないことが多いかもしれません。

だから美術館で実物の作品を使って鑑賞するということは、子供たちがそういった感覚を働かせる一つのきっかけになる。図版ではなかなかそこまで働かないものが、実物のいろんな素材の様子であるとか、表面の様子、また、立体作品などはいろんな角度で見られますから、能動的な活動になるということが考えられるわけです。

美術館で鑑賞の活動を行うときに、学校の教室での授業と変わらないやり方はちょっともったいないですよね。せっかく美術館に来たのだから、美術館の空間や作品に近づいて見るということも含めてもちろん制限はありますが、教室内の授業と同じことをするのではない方法、美術館だからこそできる鑑賞の活動を考えていく必要があります。

これは京都市でいくつかの大学の学生が中学校に自分の作品を持ち寄って、大学生の作品を使って中学生に鑑賞の活動をしたものです。ここでも実物があることが子供にとって能動的な活動につながりますし、感覚を働かすことにつながっていると思います。

中にはエスキース(下絵)を持ってきている学生もいます。制作の過程についてあまり知らない子供たちというのは作者っていきなり描くのだろうと思っている子供もたくさんいます。実はこういった緻密な過程があったなかで作品ができる。そのことを知るということも子供が作品の見方を深める一つの大きなきっかけになっていきます。

こういう材料や絵の具等を子供たちに見せている学生もいました。触ってもいいということですね。子供たちは触りたくてうずうずしています。触って感じることもたくさんあろうかと思います。

これは国立新美術館で国画会の実施されておられる国展トークインです。今年、作家の方がギャラリートークをされるというので参加させていただきました。参加者には一般の方もたくさんおられます。作家の方と鑑賞者の方のやりとりを聞いていますと、「どうやってつくったのか?」とか「何でこれができているのか?」とかが、ものすごい興味の対象なのですね。それを実際に作者から教えてもらう。この写真は、作者が作品の制作方法などを説明されているのですが、そういった制作の過程や作品の材料や用具などのことを知ることで見方が深まるわけです。

これは先ほどの複製画でご説明しましたが、美術館と連携して中学校で円山応挙の「雪松図屏風」の複製画を使った鑑賞です。鑑賞の活動では、手づくりのライティングで当時の明かりに近い状態で鑑賞します。これも感覚をしっかりと働かせる大きなきっかけになります。また、この活動では最初は作品に近づいて見るのですね。その後にちょっと離れて見る。そうすると作品から空間に視点が移り、ずいぶん、見方が変わってくるのですね。そして、こんどは自分の好きな場所を見つけて鑑賞します。こういうことは作品の図版だけでは難しいですが、こういった「空間」を意識させることも美術館の中では可能になります。

これはクエンティン・マサイスの『両替商とその妻』ですが、これは中学生が段ボールなどを使って自分たち自身が絵の中の主人公になってみる活動です。作品を感じる前に、まず自分でなってみる。なってみることでそれが作品の理解を深めることにつながるかもしれません。

このような感覚を十分に働かすということを活動の中に取り入れながら、その中で子供が能動的な活動に徐々になっていく。そこから見つめたり、感じ取ったり、より心を働かすということにつながるのだと思います。このときに大事なのは、今回、小学校図画工作科、中学校美術科の学習指導要領で示した〔共通事項〕の形や色、材料や光の視点や、それらの特徴などをもとにイメージする視点です。活動のねらいに応じて〔共通事項〕の視点に気付かせたり、示したりすることで、子供たちがより自分の見方や感じ方を大切にして、作品の理解を深めながら作品の見方を深めることにつながるわけです。


 

子どもたち一人一人のペースを大切にすること

いくつかお願いしたいのは、学校でもそうですが、まず子供たち一人一人の鑑賞するペースを大切にするということを忘れないでやってほしいということです。子供たちはみんな同じスピードで作品などを見られるわけではありません。ゆっくり見る子供には、ゆっくり見られるように。早く見る子供もいますし、いろんな子供がいますが、それぞれの子供たちのペースを大事にすることが大切です。「さぁ、集まって見てごらん」「さぁ、言ってごらん」と言われても、そうそう自分の思いとか感じたことを言えるものではありません。それはわれわれ大人だって一緒です。

私たち大人だって展覧会に行ったとき、自分のペースで見ることはすごく大事だと思います。ときどき友人と行ったとき、その人のペースに会わせなければならないとき、ちょっとゆっくり鑑賞ができないなっていう時がありますね。やはり、それぞれ一人一人のペースというものがあると思います。だから子供たちにもそれを大切にしてやって欲しいと思います。

自分のペースで鑑賞の活動をすることは感覚を働かすという点においても大切なことだと思います。自分の好きな作品を好きな順番で、そして好きな早さで見るということ、こういった活動を限られた時間の中でどうやって確保していくのかということも鑑賞の活動を考える上で大事にしていただきたい事です。イメージとして、作品の前に子供たちを全員集めて「さあ始めて!」となってしまいがちですが、「自分の好きな作品を」「好きな順番で」「好きな早さで」というのが、鑑賞を子供たちの楽しみや喜びに変えることにつながっていくと私は思っています。


 

子どもたちの作品との出会いを大切に

もう一つは、子供たちの「作品との出会い」を大切にしてほしいということです。さきほど子供たちは、自分の生き方との関わりのなかで作品と対話を重ねていくというお話をしました。また、それぞれの発達の段階の子供の実態において必要な学びというものと、ぞれぞれの発達の段階の子供の実態だからこそできる学びがあります。どのような作品でも鑑賞の活動をすることは可能だと思います。しかし子供がその発達の段階においてその作品の本質を理解できない年齢なのに、そういう作品を選んでしまったら、いくら活動をしてもたぶん、子供は理解できないばかりでなく、自分の中で新しい価値をつくりだす鑑賞の活動にはならないのではないでしょうか。

どのような作品でも鑑賞の活動はできるのだとは思いますが、なにでやってもかまわないということではないということです。指導者が自分の好みだけで作品を選ぶのではなく、子供の学びを起点とした作品との出会いというのを大切にしていただきたいと思います。

ただ、美術館の作品には限りがありますし、この作品でないと活動はできないということもあるでしょう。その時にはその作品と子供の発達の段階や学びというのを考えて「活動をこんな風にしていこう」と考えていったらいいのではないでしょうか。つねに発達の段階と学びについては十分、考慮したうえで、作品との出会いをつくってあげてほしいと思います。




自分が生まれてはじめて行った美術館、ミケランジェロ展での衝撃と感動

これは、ここの場でも従前、お話しましたが、私がはじめて美術館に行ったのは「ミケランジェロ展」だったのですが、先日、こんなものをインターネットで見つけました。これは1971年に私が生まれてはじめて美術館へ行ったときの「ミケランジェロ展」の目録です。5メートル20㎝のダビデ像が日本に来ることはないので、大理石の模刻品の展示だったのですね。

この展覧会では「ピエタ像」、「ダビデ像」、「モーゼ像」の展示がありました。東京と京都と両方で開催されたようなのですが、小学校3年生の私は、この彫刻の大きさと、それ以上に大きな美術館の空間というものに大きく衝撃を受けたというか、実物って、美術館ってすごいなあと思いました。実はこの展覧会の後にも何回か美術館には連れて行ってもらっているのですが、どんな美術館に行ったのかを覚えていません。それほど私にとってこの最初の美術館との出会いにインパクトがあったのだということなのだと思います。

中学校になって、美術の副読本にダビデ像が掲載されていました。「あ、これ小学生の時、美術館で見たやつだ」と思ったのですが、ずいぶん違う感じだと思ったのは、模刻品とはいえ、実物に近いものを見ているこということと、このダビデ像は真横から写真を撮っているのですが、美術館では小学校3年生ですからかなり低い位置から見上げていますから、ずいぶん違う感じだったのでしょうね。 これは20代のとき、パリのポンビドーセンターでマティスの切り絵の前で撮った写真ですが、こういう大きい作品に惹かれるのは、私の中に小学校の時の体験のせいなのかなと思います。いろんな写真を見ても大きな作品の前で立っているのがほとんどで、そんなこともあるのかなと…。それほど最初の作品との出会いというのは子供にとって大きいものです。ついこの間も青森県立美術館に展示してある「あおもり犬」の大きな作品の前でこういう写真を撮っています。

これは十和田現代美術館の作品を中学生が鑑賞している写真です。きっと私と同じ思いがあるではないでしょうか。鑑賞をしている女子生徒が驚いた表情で見上げているのが印象的です。もちろん作品というのは大きさだけではありませんが、やはり実物や美術館の空間の中での作品と出会いは子供たちに大きな力として働いて、次の鑑賞への学びにつながることも考えられるかなと思います。

作品との最初の出会いを是非、大切にしていただきたいなと思います。・とくに美術館でいろんな手順を踏みながら美術館にやっと子供たちを連れていける機会をつくれたということもあるでしょう。せっかくそういう多様な鑑賞体験の場を提供することができるきっかけがつくれたときには、是非、子供たちの美術館での作品との最初の出会いというものを大事にしながら、学芸員の方、美術館の方と学校の先生が連携しながら、子供たちの最初の出会いをつくっていただければと思います。



この写真は今回の研修会でお世話になるファシリテーターの方が今日のグループワークの準備のために、作品を選定している様子を写真に撮らせていただきました。作品を下から見上げていますが、疲れてしゃがんでいるわけではありません。子供の目線に立ったとき、作品の見え方が変わりますし、いろんな角度から試している様子です。先生方も今日、作品をいろいろ見られると思いますが、いろいろな角度から見てください。「ここだったら、子供たちはこんな風に感じるかもしれない」と思えるようなそんな場面があろうかと思います。それから美術館ならではの空間というものがあります。この空間を子供たちに感じさせる。その中で作品を感じさせることも大事です。

あまり普段気にしないことが多いですけど、多くの子供たちが普段見る図版などの作品には額が付いていないですよね。額の中だけが載っているものがほとんどです。でも実際は額が付いていて、額そのものにも意味がありますし、額が付いていて展示されているということも、子供たちは意外と知っているようで知らないです。こういう空間とか展示されているという額縁を意識しながら、子供と作品の出会いをつくっていくことも子供たちが興味や関心を高めることにつながるのではないでしょうか。

この写真のファシリテーターの方々も休憩して座っているわけではないのです。この高さで座ると小学校6年生くらいの高さになるのではないかということです。大人の目線ではなく、子供の目線で作品を見てみる。そういうことも大事です。

今日のファシリテーターの皆さんは、一生懸命、研修が深まるように長時間、一つの作品の前で相談されています。今日の作品も専門性だけでファシリテーターの方が選ばれているのではなく、こういった事前準備や先生方の研修をイメージして今日の作品は選ばれていますし、プログラムがつくられています。ですから、先生方や学芸員の方は、子供をイメージしながら研修に参加していただき、子供たちの学びを深める鑑賞の活動が何かということをこの機会に考えていただければと思います。



鑑賞の活動

これは去年も使っている絵ですが、これで説明するのが分かりやすいので使わせていただきます。

いまから4枚の絵をお見せします。最初は自由にそれぞれの立場でこの絵を見てください。こういう場ですから難しいことを言わないといけないとかそういった考えは捨てていただき、自由に見てください。これは小学校6年生の子供の絵です。これが1枚目です、2枚目、3枚目、4枚目。本当はこの場で隣の人とどんな風に感じたかとやってもらったらいいのですが、今回は時間がないのでしませんが、どうですか。どのように感じましたか。

共通して皆さんが心の中で思ったことといえば、どの絵にも真ん中に白い三階建ての家があるから、この家を4人とも描いたのかなということではないでしょうか。もちろんそれ以外のことについてこの中に同じような見方をした人が何人もおられると思います。もちろん違う見方をされた方もおられると思います。

私と皆さんとで見方や感じ方を比較すると、この絵について私は皆さんと必ず違う見方をします。私の見方や感じ方と同じ見方をする人はこの中にはおそらくおられないと思います。皆さんの中にはこの4枚の絵を同じような見方をする人がいるかもしれませんが、私と皆さんでは絶対に同じ見方をする人はいないと断言できます。なぜ断言できるかといいますと、この絵に描かれている3階建ての白い家というのが私の家だからです。(客席笑)

私の家の写真を撮ってきました。これが私の家です。家の向かい側のこれが小学校です。たぶん小学校の窓からこういう感じで描いたのかなって思います。校長先生にお願いして校舎に入らせていただいたら、いろんなことが分かりました。「あ、この子はこの窓から描いたんだな」。校舎の3階に上がってはじめて分かりました。それからこの子の作品もそうです。また、この子供のように隣の東側の窓から描いた子供もいます。

たとえば、皆さんと私で違うのは、例えば私がこの我が家を描いた絵を見てなにを思ったかというと、この4枚の絵のうち、この3枚の絵には家の駐車場に車が描かれていませんよね。つまり、この3枚の絵の子供たちは私が車で仕事に行ったときに描いたのだなということです。私は車が停まっているかどうかにものすごく興味があるわけです。この絵は車が停まっているときに描いています。この子供は車をよく見て描いていることが私にはわかります。

それと、この車が停まっている家を描いた作品には2階の窓に黄色いカーテンが描かれていますが、実は私の家のカーテンは青いカーテンです。どうして黄色に描いたのかな?もしかしたら最初は外を見て描いていたけど、教室で色塗りして、その時に色が分からなくて黄色で描いたのかなとか…。この4枚の子供たちの作品は、色々なことが家主である私にはとても面白く、気付きや発見のある作品なのですね。たぶん皆さんのなかでそういう見方をされた方ももちろんおられないと思います。

この私の家が描かれている風景画は「風景画絵画展」の審査のときに出会った作品です。もちろん自分の家が描かれているなどとはまったく知らないでこの作品展に行ったときに作品の予備審査で6年生の作品を審査していたら、どっかで見た家が描いてあるなあと(客席笑)次々と私の家が出てくるんです。裏を見たら、私の家の向かいの小学校の名前が書かれてあったので、これは向かいの小学校の子供たちがうちの家を見て描いたんだと分かりました。

これは、どういう風景絵画展かといいますと、『瓦のある風景絵画展』です。これは京都に京都府瓦工事協同組合というのがありまして、そこが自然素材である日本瓦のよさを伝えることや、瓦の普及のために行っている絵画展です。子供たちは屋根に着目して描いています。

では、その視点からもう一度皆さんと一緒に4枚の絵を見てみましょう。これらの絵を見てみますと、この子供はしっかりと屋根を描きわけて描いています。この子供はどうでしょうか。さっきの絵の後に見ると、ちょっと描く力という面で見てしまったのではありませんか。屋根を見てください。ちゃんと子供は屋根を描きわけようとしています。この絵もしっかり、屋根に着目して瓦を1枚1枚、丁寧に描いていますね。

今、皆さんと一緒に絵を見ましたが、最初に皆さんに「自由に見てください」「好きに見てください」とお願いして見てもらいました。きっとご自身の生き方や経験をもとに自由な見方や感じ方をされたことと思います。この絵を描いたのと同じ小学校6年生を教えたことのある先生は子供の学びという視点で見たかもしれません。中学校の先生方や学芸員の方は、また違う視点で見たかもしれません。ここにおられる皆さんのそれぞれがいろいろな見方をしたのだと思います。

次に私は皆さんに「これ、実は私の家です」という情報を与えました。これは、絵から読み取ることが難しい情報を皆さんに教えたということです。皆さんは、その情報をもとに改めてもう一度絵を見直したのではないでしょうか。そのときにこの中の何人かの方は、興味が絵から私のほうに移った方がおられたのではないですか?「これ、東良先生の家なんだ」、「白い3階建てだって、生意気な」なんて思ったかもしれません(客席笑)そんな風に子供の絵そのものから、絵の中の世界にある私のほうに興味が移ることで新しい発見や気付きがあった人もいるのではないかと思います。

子供は自分の生き方との関わりの中で作品を見たり感じたりしています。それは自分の見方や感じ方をしていくうえで本当に大切なものです。ただ、それ以上の見方や感じ方を広げるために何か外から情報を与えるということも一つの方法です。皆さんもそうです。私がこの家は私の家ですと教えない限りは、そういう見方はできないわけです。いくら考えてもそれはできない。だから、今回、この情報を与えられたことで、もう一回、絵を見直して発見とか気付きとか、新たな見方が生まれたのではないでしょうか。

最後に私は、なにを皆さんに伝えたかというと、「瓦のある風景画絵画展」で私が出会った作品だということをお伝えしました。屋根に着目して子供が描いたんですよ。じゃあ、もう一点見てみましょうということで、今度はいままではそれぞれに絵の自由なところを見ていた人たちが、屋根に着目して見ることになりました。その中で「本当だ、2枚目の子、屋根をしっかり描いているな。最初は気づかなかったけど、屋根に着目することで気づいた。」そういった新たな発見や気づきがあったということですね。

今回、私は今の絵を皆さんに「3回、見てください」と言ったわけではありません。与えた視点によって、自然と3回見ることを積み重ねて、3回見ることで新しい発見や気づきがどんどん増えていく。こういったことが鑑賞の中で面白さや楽しさを実感し、それぞれの見方や感じ方を深めることにつながるのではないでしょうか。

たとえば、最初に「これは私の家です。4枚の絵を3回見てください」と言ってしまったら、まったくそういう見方はできないではないでしょうか。東良の家だということを頭に入れて見るということは、自分の見方をある程度、蓋をして見ることになることも考えられますね。

だから活動のねらいによって、子供たちに何を感じさせ、何をするのかしっかりと捉えたうえで、活動の順番や活動の視点の与え方を考えていかないと、子供の自由な見方や感じ方に蓋をしてしまうことになってしまいます。決して、最初に情報を与えてはいけませんと言っているわけではないです。「活動のねらい」が何かということから活動を考えていくことが大事ということが言いたいのです。


子どもたちの見方や感じ方を大切にする

今、皆さんと4枚の子供の絵を見た活動で大切にしなければならないことがいくつかあります。まず一つは子供たち一人一人の見方や感じ方を大切にすることです。それからもう一つは、それぞれの子供たちが鑑賞の活動を通して、自分の中に新しい価値をつくりだすこと。この2つのことをしっかりと考えたうえで、発達の段階に応じた鑑賞の活動を考えていくことが大切だと思うのです。具体的な活動である「話し合う」とか「一人で見る」「情報を与える」とかこれは手段なわけです。ですから、この手段が目的化してしまわないように、今やろうとしている活動が一人一人の子供たちの自分の見方や感じ方を大切にする活動になっているかどうか。それから最初の活動が進んでいく中で、一人一人の子供たちそれぞれ自分の中に新しい価値をつくりだせるような活動になっているかどうかをしっかりと考えていくことが大事です。

そういった子供の学びを起点とした鑑賞の活動を考える中で、作家のタイトルを隠しておこうとか、一人でじっくり見る時間を確保してからやろうとか、最初は自由に見させて、ある絵に集まってやろうとか、その手段は、見方や感じ方を大切にすることと、子供たちが自分の中に新しい価値をつくりだすということをしっかりと中心に据えて鑑賞の活動を考えていくことが大事です。

さきほど4枚の小学校6年生の絵を見ていただいて実感されたことが、子供のなかで起こるわけですから、そこを十分考えたうえで今日のグループワークが深まっていくとよいと思います。



全ての子どもたちは常に学ぶ存在である

今日は「全ての子供たちは豊かな存在である」というところからお話をスタートしました。もう一つ、皆さんにお伝えしておきたいのは「全ての子供たちは常に学ぶ存在である」ということです。勉強していても遊んでいても子供たちは学んでいます。鑑賞の活動もそうです。先生方や学芸員の方が想定しないような「学び」が子供たちの中にあります。

そして、この学びをしっかりキャッチして、その「学び」と「学び」をつなげていくのが教育だと思います。活動の中で子供たちの学びをしっかりと受け止めることできる仕組みも必要だと思います。自分のこと、自分のもつ世界のこと、そういったことが創造できることが鑑賞の活動であり、図画工作、美術の創造的な活動だと思います。

そういったおもしろさや楽しさを是非、子供たち一人一人に味わさせていただきたいと思います。そして表現も鑑賞もそうですが、そこで新しい自分に出会えるわけです。自分ってこんなことを考えたりする人だったんだなというふうに鑑賞の活動を通して自分自身を見つめ直す。そういった場になっていくことが、子供たちが美術を生涯にわたって愛好する心情や情操を養うことにつながると思います。



今日と明日の研修が充実したものになって、子供たち一人一人の多様な鑑賞体験の場が広がることを願っています。どうぞグループワークに積極的に関わってください。子供たちの鑑賞が能動的な活動になるようにするためには、先生方自身がこの研修に能動的に関わることが大事だと思います。

是非、この2日間、実り多い時間を過ごして子供たちに返してください。
どうもご静聴ありがとうございました。