講演
「自分にとっての価値をつくりだす創造活動 - 活動の主体者の内面に重点を置いた鑑賞の活動 -」
東良雅人
文部科学省初等中等教育局教育課程課 教科調査官
(併)国立教育政策研究所教育課程研究センター研究開発部 教育課程調査官
[略歴]
昭和62年に京都市立の公立中学校の美術科教諭として赴任。
その後、京都市の公立小学校図画工作の専科を担当。
平成14年から平成23年3月まで京都市の教育委員会で指導主事を務める。
平成23年4月より現職。
ごあいさつ
皆さん、あらためましてこんにちは。私はこの研修の第1回目の参加者で、その時は京都市の指導主事をしておりました。
当時は3日間でしたが、本当に楽しく充実した思い出があります。是非、皆さんも充実した2日間をお過ごしいただけたらと思います。
それと、もう一つは最後にも申し上げますが、是非、これを自分のことだけに終わらせず、ここでの学びを広げることが大事になってきますので、
そういったことを指導者の立場として頭に描きながら、2日間過ごしていただければと思います。
まず最初に私が、どこの研修に行ってもいつもお話しすることを、皆さんと共通理解をするためにお話ししたいと思います。 それは「全ての子どもたちは豊かな存在である」という前提に立って、図画工作や美術教育を考えていくことが大事だということです。 様々な学校段階の子どもたちを担当される先生方がおられると思いますが、その中で多感な時期にひょっとしたら表面的に「豊か」であることを感じにくい時期もあるかもしれません。 しかし、上から「豊かさ」を与えるという視点ではなく、子どもがもともともっている豊かなものを「形」や「色」を通して広げていく、深めていく。 そういった教育なのだということをまずこの場にいる一同が共通理解して参加していただければと思います。
この活動の映像をみてください。この生徒、ものすごく集中して作品を見ていますね。 そこで私が背後から見ていることに気づいて、ちょっと恥ずかしがっていました。この子どもたちは次にこういうグループの活動に入っていきます。 二人がそれぞれ自分の感じたこと、自分が考えたことをもとに、いろんな見方や感じ方が広がっていくことが分かります。 男の子は「ブランコが主人公」「バイオリンが主人公」と言っているのですが、向かい側の女の子は「主人公は人でないとダメ」という前提に立って話しをしているようです。
学校教育における鑑賞の学習
これは図画工作科と美術科の教科の目標を示したものです。 ここで大切なことは、小学校は、「表現及び鑑賞の活動を通して、造形的な創造活動の基礎的な能力を培う」と書いてあります。 中学校は、「表現及び鑑賞の幅広い活動を通して、美術の創造活動の喜びを味わい…」と書いてあります。 ここで皆さんにお伝えしたいのは、鑑賞の活動というのは、創造活動であるということです。 一般的に創造活動というと、どうしても表現の活動と考えがちですが、表現の活動は、形や色を通して描いてつくったりする創造活動ですが、 鑑賞の活動というのは、一人一人が自分の見方や感じ方を大切にして、知識なども活用しながら、自分の中に新しい価値をつくりだす。 この、新しい価値をつくりだすというところに創造活動という位置付けを置いているわけです。
ですから、単に表現の活動だけが創造活動ではなく、鑑賞の活動自体が自分の中にある新しい価値をつくりだす創造活動であるといった前提、 それと、今日最初にお話ししましたように「子どもは豊かな存在である」、この2つ、ここを子どもの学びを中心において、グループワークをしていただければと思います。 それから、それぞれの教科の目標の冒頭にある、「表現及び鑑賞の活動を通して」、この文言ですね、表現及び鑑賞の活動自身が目的ではないということです。 活動を「手段」として子どもたちにそれぞれの教科において、資質・能力を育成していくことが大事です。 ですからその活動を通して、子どもたちに何を感じ取らせて、何を考えさせて、何を身につけさせるのか。そういったことを考えていく必要があろうかと思います。
こういった教科の目標をそれぞれ考えてみますと、まず子どもたちが造形的な要素やイメージ、これは小学校や中学校では今の学習指導要領では〔共通事項〕という形で示していますから、 これらと豊かに関わらせることが大事です。そして,豊かに関わりながら、目標に示されている「創造活動の喜びを味わい」や、中学校の場合なら、 「美術を愛好する心情」を育てていく。これは育むべき造形や美術への関心、意欲、態度といえるでしょう。 もう一つは、「感性を豊かにする」ことです。これは、「様々な対象・事象からよさや美しさなどの価値や心情などを感じ取る力」と学習指導要領では定義しています。 そして、美術の基礎的な能力を伸ばしていく。これは表現の学習の場合、発想や構想の能力、創造的な技能、そして鑑賞の学習では、鑑賞の能力を身に付けさせること。 そして中学校では美術文化についての理解を深めること。こういうことが、それぞれ離れた状態でバラバラに子供に関わっていくのではなく、 子どもたちの中で相互的に作用しあうようにすることが大事です。それが教科目標において総括的な目標になる「情操」に結びつく。 なにより、こういった学習を通して義務教育の中で「人間形成の一層の深化」を目指していく。 こういったことが教科目標の中で、とくに中学校は義務教育の最後の段階になりますから、指導者が、こういった学びのイメージをもちながら、 その中で鑑賞の学習がどうあるべきなのかを考えていくことが大事だと思います。
鑑賞の学習活動を考える上で大切なことは、「活動のねらい」を明確にすることです。 この活動のねらいに基づきながら、子どもたち一人一人の自分の見方や感じ方、考え方を大切にすること。 それから、創造活動として自分の中に新しい価値や意味をつくりだすこと。こういったことを指導者がイメージしながら、 対象となる作品を選んだり、どういった活動にするかを考えることです。 こういったことを学校教育における図画工作・美術科のなかの鑑賞の活動では、しっかりと考えておく必要があります。 ただ、今回のように美術館で鑑賞の活動を行う場合や、それ以外の場合などで、必ずしもねらいに応じて美術作品などの「対象」を自由に選べないときもあります。
たとえば、美術館での鑑賞では、鑑賞の活動に使える作品などの対象が限られている場合もありますし、 先生方の中で美術館や地域との関連の中で、「この作品を扱って子どもたちに鑑賞の活動をさせたい」という、対象が先にあって鑑賞の活動を考えることもあると思います。 こういうときに大事なのは、対象から「活動のねらい」を導きだすことです。 そしてそのときに自分の見方や感じ方を大切にすることや、自分の中に新しい価値や意味をつくりだすことができるようにすることを考えながら活動を考えていく必要があります。 そして、「活動のねらい」を実現させる手段として、活動の内容をどのようにしていくのかを考えていきます。
「活動のねらい」「対象」「活動」、この3つがきちんと押さえられていることが大切だと思います。 ただ、一つ気を付けておかなければならないのは、こと鑑賞の活動においては、「対象」と「活動」に先生方の力が入りすぎて、 ついつい「活動のねらい」が弱くなってしまうケースがよく見られます。「活動」はあるけど「学び」がないような活動などがそういう例です。 また、こういうときに、言語活動が取り入れられたとき、「話すこと」自身が目的化しているケースが見られます。 言語活動は、子どもたち一人一人の鑑賞の能力を育成するための手段であるということを忘れないでください。
先生が鑑賞の授業を考える過程で「対象」について調べる中で、伝えたいことがいっぱい出てきてしまうことはよくあります。 そして授業の時に気がついたら、先生が自分の調べたことを50分しゃべって、子どもたちが何を感じたのかさっぱり分からない…。 そういったことにもなりかねない。ですから、「活動のねらい」の視点を今回のグループワークの中でも考えながら活動していくことが大事です。 もう一つは、今日と明日は美術館の中で研修をするという前提ですから、美術館のよさを生かしてグループワークを進めていくことが大事です。 教室での鑑賞の学習では、図版を見ながら授業をすることが多いと思いますが、せっかくの美術館なのですから、教室で図版を使ってやる授業と同じではちょっともったいないわけです。 美術館のよさ、美術館の特質を生かして、教員と学芸員が連携しながら十分、活用して、美術館ならではの鑑賞の活動を考えていく必要があると思います。
子どもたちの作品などとの出会い
子どもたちの作品との出会いや鑑賞の活動というのは、子どもたちの将来をも左右するくらい大事なものと考えていきたいと思います。 その上で、作品の選定や活動をどう考えていくのか。鑑賞の活動は基本的にはどんな作品でもできると考えられます。 ただそれは、何でやってもいいということではありません。それぞれの子どもの発達の段階を考えながら、作品とのいい「出会い」をさせることが大切です。 先生が「この作品でやりたい」と思うことも大事ですが、先生の気持ちばかりが先に立って、「子どもたちとあまりいい出会いをさせられなかった」。 「先生がいい出会いをつくったつもりだけで終わってしまった」とならないように、子ども自身が鑑賞の活動を通して、楽しさや喜びを味わうことでいい出会いと実感できることが大事です。
鑑賞の活動と関連する学習指導要領の指導事項の内容を
一人一人の児童・生徒に実現する視点から効果的と考えられるもの
いくつか作品の選び方とか、活動の仕方の大枠だけ私の話の中でさせていただき、この後のグループワークの参考にしてください。 一つ目は、「鑑賞の活動と関連する学習指導要領の指導事項の内容を一人一人の児童・生徒に実現する視点から効果的と考えられるもの」。 子どもの実態と学習指導要領の指導事項の内容の実現に適した作品の選定を考えるということです。 こういった視点から作品を考えることも大事だろうと思います。
今日、お配りした資料の中にもグループワークの参考にしていただければと思いまして、入れておきましたが、これを見ていただければ、 それぞれ発達の段階に応じて作品との出会わせ方、子どもたちにいろんなことを気付かせたり、感じ取らせたりするかを示しているわけです。 ここに基づきながら考えていく必要があるということです。活動を考えるときに、小学校なら「どの学年の子どもたちを対象としたグループワークをするのか?」。 そういったことを考えていく必要があろうかと思います。同じ作品を使ったとしても、それぞれの学年に応じて、活動は変わってくるはずです。 そこを明確にしていくことが大事です。中学校は1年生と、2、3年生という形でねらいを説明していますから、きちんと押さえておいてください。 ただ、その中でもやはり中学2年生と3年生では少し違うわけです。そのあたりもきちんと把握して学習のねらいを考えることが必要だろうと思います。
それから今日はごあいさつの中でも説明がありましたように、今回の学習指導要領では,改善の基本方針において「よさや美しさを鑑賞する喜びを味わうようにするとともに、 感じ取る力や思考する力を一層豊かに育てるために、自分の思いを語り合ったり、自分の価値意識をもって批評しあったりするなど、鑑賞の指導を重視する」。 いわゆる言語活動を重視しています。
今、画面にしてしましたように主に言語活動との関連から見ますと、小学校1年生、2年生の場合、「感じたことを話したり、友人の話を聞いたりするなどして、 形や色、表し方の面白さ、材料の感じなどに気付くこと」と示しているわけです。 小学校1年生、2年の場合は、児童が思いついたことを自然に発する姿、子供たちは、対象との出会いの中で「きれいだね~」「すごい」など自然に言葉を発します。 それを大事にしてください。それから「友人などの話をそのまま自分の気付きのように捉え、直ちに自分の表現や作品の見方に取り入れる」姿を指導者がイメージしたり、大事にする。 その中で「形や色、表し方の面白さ、材料の感じなどに気付くこと」こういったところを考えながら、鑑賞の活動を考えていく必要があります。
小学校3年生、4年生では、「自分の作品のイメージや美術作品から気付いたことなどについて、ある程度、理由を付けて話したりする姿」、こういうことができるようになってくるわけです。 また「自分の作品のイメージや美術作品から、気持ちを振り返って書いたりする姿」、「同じ造形活動や鑑賞活動をしている友人と話し合う姿」。 こういった姿を指導者がイメージしながら、いろいろな表し方や材料による感じの違いなどが分かるようにします。 5年生、6年生では、表現の意図や特長を捉えるということで、「自分の作品や美術作品などの形や色と自分のイメージを関連付けながら話したり、まとめたりする姿」。 「同じ造形活動や鑑賞活動をしている友人と自由な会話をしたり、簡単な話し合いをする姿」。 そういった中から、表し方の変化、表現の意図や特徴などを捉えられるようにします。
中学校1年生になると、「造形的なよさや美しさ、作者の心情や意図と創造的な表現の工夫、美と機能性の調和、生活における美術の働きなどを感じ取り、 作品などに対する思いや考えを説明し合うなどして、対象の見方や感じ方を広げること」。ここに活動のねらいを明確にしていく必要があります。 生徒が自分で気付いたことや考えたことを互いに言葉で説明し合う活動を通して、自分にはない新たな見方や感じ方に気付き、見方や感じ方を広げることが求められます。 中学校2年生、3年生になると、「作品などに対する自分の価値意識を持って批評し合あうなどして美意識を高め幅広く味わう」。 生徒一人一人が感じ取った作品のよさや美しさなどの価値を、生徒同士で発表し批評し合うなどの活動を通して,「自分が気付かなかった作品のよさを発見するなどして、一層広く深く鑑賞させる」。 こういったことがそれぞれの学年の鑑賞の中で示しているわけです。これらを十分、把握しながら活動を考えていく必要があろうかと思います。
児童生徒の発達の段階や、これまでの学習経験に相応しい対象や活動
二つ目は、「児童生徒の発達の段階や、これまでの学習経験に相応しい対象や活動であること」です。 子どもたちは、自分の経験や体験、これまで学んだこと、自分の生活、その生活の中でも大きな割合を占めるのが学校です。 また子どもたちが住んでいる地域や社会、そこにある自然や環境、文化と、子どもたちが自分の生き方と関わるなかで、 作品と向かい合っていろいろな見方や感じ方を広げていくのだと思います。
このことは、小学校でも、中学校になっても、高等学校になっても変わらないのだと思います。 ただ、発達の段階によって様々な学びや経験が積み重なり、その関わり方の質は変わってきます。 発達とともにより深いものになっていくわけです。ですから、鑑賞の学習とは単に作品を見るだけではなく、自分の生きることの関わりの中で見つめたり、 描いたりつくったりすることを通した学びであると考えられます。 そして、作品を見て終わるだけではなく、鑑賞の活動を通して、「ひと」や「もの」や「ものごと」などと、子どもたちが、 形とか色彩、材料、光、イメージという造形的な要素を通して、つながっていくことによって、見方や感じ方がより広がっていくのだろうと思います。
鑑賞の活動を考えていくときに、こういった子どもの学びのイメージを先生方自身がもちながら、作品からどんな活動を導き出していけばいいかを考え、 そのことが児童生徒のそれぞれの発達の段階に応じた活動につながっていくのだろうと思います。 それと、もう一つは、発達の段階の中で、その時期にならないと感じ取れなかったり、 理解できないものがあるということを我々はもう一度頭に入れておく必要があろうかと思います。
ときどき、まだそういう時期ではないときに、難しいことを入れてしまい、子どもたちは何とかを頑張ってしようとしますが、 なかなか学習のねらいに届かないということが見受けられます。 その時期でないと出来ないこともありますし、その時期だからこそ、子どもたちに学ばせたいこともあります。 ですから、我が国では義務教育の9年間で子どもたちに図画工作・美術という学習があり、その中に鑑賞の学習があるということです。 先生がさせたいことが先に先にあるのではなく、子どもの学びを真ん中に据えながら、活動を考えていくことが大事です。
また、小学校の学習指導要領図画工作科では、「B鑑賞」において、小学校1~2年生は、身の回りの作品などを鑑賞する活動、3~4年生は、身近にある作品などを鑑賞する活動、 5~6年生は、親しみのある作品などを鑑賞する活動と意図的に対象の作品を表示しています。 こういったことも意識しながら、自分たちがやろうとしている活動や対象となる作品が発達の段階に応じているのかどうか、確認することが必要です。
これは平成17年の「音楽等質問紙調査」で中学1年生から3年生に同じ質問をしたアンケートです。 これは「美術を学習すれば、私は、日本や諸外国の文化のよさや違いを理解できるようになるか?」を子どもたちに聞いたものです。 これを見ると、1年生と2年生は肯定的な回答より否定的な回答が上回っています。3年生になると肯定的な意見が半数は達していませんが上回っているんですね。 これは、様々な理由が考えられますが、一つは、諸外国に文化の違いや理解というものが3年生くらいになって分かるようになると考えられるだろうということです。
中学校の学習指導要領の美術文化についての理解に関係する部分は、1年生では、「身近な地域や日本及び諸外国の美術の文化遺産などを鑑賞し、 そのよさや美しさなどを感じ取り、美術文化に対する関心を高めること」として、関心を高めることをねらいとしています。 2年生、3年生では、「日本の美術や伝統と文化に対する理解と愛情を深める」ことや、「美術を通した国際理解を深め、美術文化の継承と創造への関心を高めること」としています。 このように発達の段階に応じて示しているわけです。このように子どもの発達の段階をしっかりと捉えながら、鑑賞の活動を考えることは非常に大事なことだと思います。
児童生徒の興味や関心を高め、主体的な鑑賞の学習が期待できるもの
三つ目は、「児童生徒の興味や関心を高め、主体的な鑑賞の学習が期待できるもの」ということ。 これは実は今日、皆さんと一緒にグループワークをしていただくファシリテーターの皆さんの写真です。 ファシリテーターの皆さんはグループワークをより効果的に進めていくために、今日までどの作品を選んだらいいのか。 どういったグループワークをすればいいのかかなり綿密に考えておられます。
この写真は、まずフロアの大枠の説明を聞いて、どういう風にしていこうか考えている様子です。 いまここではファシリテーターに作品の解説をしておられます。作品の知識を暗記させるようなことをするということではありませんが、 ファシリテーターや指導者は、ある程度は,活動に使う作品などの知識を持っている必要があると思います。 たとえば私は時々先生方に「鑑賞の授業を考える際に、どの程度作品について理解しておけばいいか」という質問を受けます。 そのとき私は「鑑賞の活動を考えるときには、作者や作品について知る必要があるでしょうし、子どもが作品に興味関心を持って、 その作品をもっと知りたいと思ったら先生に質問することには答えるだけの知識が必要ではないですか」と答えています。
活動のねらいによっては,作者や作品の情報を子どもたちに示さないことはあるわけです。 でも、子どもが関心を持ったとき「これ先生、作者は何という人なの?」「どこの国の人なの?」という自発的な質問が出たときに、 先生が「これ誰の作品なのでしょうね」では困りますよね。子どもたちが疑問に思ったり、不思議に思う、それから活動のねらいを明確にしていく。 そういった上で作品や作者のことを指導者が知っておくということは鑑賞の学習の質を高めていくことにつながります。 ただ、その知識に振り回されてしまわないように常に子どもの学びを起点にして考えることが大事です。
この日のファシリテーター会議は、かなり夜遅い時間でしたが、ファシリテーターの方はどの作品にするか熱心に考えておられました。 今日のグループワークは、こういう下準備の上に開催していることを知っていただきながら参加していただけたらと思います。 この写真は去年ものです。これは皆さんがくたびれて疲れてしゃがんでいるわけではありません。 子どもの目線になって作品を見たらどうなるかを探っているわけです。
それから、美術館ならではの特質に「空間」というものがあります。こういった「空間性」というものをどう捉えていくのか。 この写真はファシリテーターが椅子に座って作品を見ていますが、これも座ると小学校6年生くらいになるということで椅子に座っています。 次のスライドの写真は、岡山県の美術館と連携して備前焼の美術文化の理解を深める鑑賞の学習の写真です。 まず「和食器」のよさや特徴を知るという活動です。二つ目は備前焼の良さや特徴を知るという活動です。 岡山県立美術館では、「アートトラベリングトランク」というものを学校に貸し出しています。 備前焼と水墨画の2分野で、子どもが主体的に「みる」体験、素材や作品に「さわる」体験、実際に「描く、つくる」、こういったことができるように構成されています。
ドイツの現代アートギャラリーに行ったとき、ここでは「ピックボックス」というものを使っていました。 これは子どもたちが使うもので、丸い穴に手を入れてガラガラと引きずって使います。 中には指令書のようなクイズが入っていて、マップにヒントが記されていて、子どもが楽しみながら美術館を回れるようになっています。
日本の活動に戻りますと、備前焼に関するクイズが入っていて、備前焼について知識を深めていきます。こういった教室での学習を経て美術館に行くわけです。 こんどは美術館で直接、作品を見ます。こういった活動を考えることで、美術館で実物を見たときに、子どもたちの見方や感じ方が深まっていきます。 最後にこの作品を作った人間国宝の伊勢崎淳さんが登場されて、子どもたちに備前焼の自分の作品についてのお話をされていました。
次は、自分の地域にゆかりのあるもの、地域に深い関わりがあるもの、これは秋田県の子どもどもたちの鑑賞の活動です。 こういうものは子供どもたちの興味関心を高めることにつながっていくわけです。 全国にはこのよう活動があるということを子どもたちの興味関心を高めるための活動を考える上での参考にご紹介しておこうと思います。
表現の学習や「共通事項」との関連を図れるもの
四つ目です。「表現の学習や「共通事項」との関連を図れるもの」ということです。このこともやはり考えていくこと大事です。 これは中学校2年生が描いた「雨上がりの並木道」という作品です。子どもの文章があるので紹介します。「この絵は、散歩したときの風景を描いたものです。 夏の始めのある日、前日に降った雨で大きな水溜まりができていて、水鏡になっていました。その時、「この輝きを表現してみたい」と思いました。
この子どもの表したいものは、「この輝きを表現してみたい」ということです。実は手前の文章に非常に大事なことが書かれています。 前日に雨が降り、水溜まりが水鏡になっていましたと書いています。子どもの中で、水溜まりが水鏡に変わるのはどんなときでしょうか? 私はこの子どもが造形的な要素とかイメージと関わりながら、豊かに感じ取る力を持っていると思うのです。 だから、水溜まりが水鏡に変わっていった。そういった視点をもたない子どもは、水溜まりは水溜まりで終わるのではないでしょうか。
豊かに感じ取ることによって水溜まりが水鏡に変わる、図画工作や美術において、豊かに感じ取るって非常に大事なことです。 特に鑑賞というのはしっかりと子どもたち自身のなかで、造形的な要素と豊かに関わらせて感じ取れるようにしていく。 ただ先ほど申しましたように「造形的な視点」がなければ感じ取ることはなかなか難しいわけです。 もちろん、「造形的な視点」を自分で見つけられる子どももいます。しかしもってない子どもたちもいます。 そういった子どもたちにどのように対象と関わらせて、豊かに感じ取るということができるかどうか。 そこを考えていく必要があろうかと思います。
こういった豊かな感じ取る力をもとに自分の表したいものを見つけた。そして、この子どもはこの後、こう書いています。 「この絵を描くのに苦労したのは、やはり水鏡のところで、水に写っている木を白で目立たせ、濡れたアスファルトを黒で表現しました」。 これは表現のことを書いています。そのあとには「うまく描けてよかったです。緑に囲まれたこの風景は私の心を癒してくれます」と続いています。 これは、この子どもの中に自然との関係が生まれたのではないでしょうか。
今回、図画工作科の学習指導要領の目標に、「感性を働かせながら」という言葉が入りました。 中学校は以前から「感性を豊かにし…」という言葉が入っており、「感性」というものを我が国の図工,美術教育は大変大事にしているわけです。 感性というものを図画工作科や美術科では「様々な対象・事象からよさや美しさなどの価値や心情などを感じ取る力」と定義しています。 もちろん感性にはいろんな考え方や定義があると考えられますが、図画工作科や美術科においてはこう定義しています。 そして中学校美術科の学習指導要領の解説では、「知性と一体化して人間性や創造性の根幹をなすものである」と解説しています。
「感性」というのは、「能動的な活動」になってはじめて子どもたちの心が働くものです。 ですから「受け身」ではなかなか働くものではありません。子どもが主体的に関われるようにしていくことが大事なわけです。 そうしないと、なかなか対象を見つめたり、感じ取ったりするところまでいかないということです。 ですから、まずは子どもたちが題材を自分のものととして捉え、能動的な活動になるような鑑賞の活動を考える必要があります。
もう一つ大事にしてほしいのは、視覚や触覚など「感覚」をしっかり働かすということです。 すぐに見つめたり、感じ取ることができる子どもというのは、実は、見たり感じたりすることができる子どもだと思います。 でもすべての子どもがそうではありません。まずは、しっかり対象を見たり、感じることができるようにすること。 それを考えていく必要があろうかと思います。
これは高校一年生が描いた3つのリンゴの絵です。これちょっと見てください。1枚目、2枚目、3枚目。これ実は同じ生徒が描いたリンゴです。 最初、この絵が訪問した学校のエントランスに飾ってあったとき、たくさん描いて段々、上手くなった絵なのかなと思いました。 でも違うのです。1枚目のこのリンゴは、子どもが何も見ないで記憶で描いた絵です。 2枚目のこのリンゴは、写真を見て描いたものです。3枚目のこのリンゴは実物を見て描いたものです。 担当の先生に「どうしてこういう授業を考えたのですか?」とうかがいました。 すると担当の先生が「制作している姿を見ていると、頭の中でいろいろ考えているんだけど、いざ作品を描く段になると、 ポケットからスマホが出てきて画像検索をするんです。その画像を見て描いているんです。 これではダメだと思いましたが、口で実物を見て描いたほうがいいと言ってもなかなか子どもたちは気付かないと思い、 こういう学習を考えた」のだそうです。
リンゴを描いた子どもの感想文があります。「実物で描くと実際に触ることができるのでより詳しくどんな形かを表すことができると思いました。 色も直接自分の目で見るので多くの色が見えました」。「本物を見ないと分からない色味や光の当たり具合や影のつき方など観察しないと得られない情報が多くあることが分かった」。 これは記憶で描いた絵ではなく、写真で描いたと実物を描いた絵を比較した言葉です。 この授業をする前、生徒たちは、記憶と写真、記憶と実物が違うのはよく分かっています。
多くの生徒は、写真を見て描いても、実物を見て描いでも変わらないと思っていたのでしょう。 「実物を描くと画像や想像だけでは感じることができない匂いや手触りまでも分かる。 へたの深さや細かい模様もじっくり観察することで分かる。実物は画像とは違い、よく観察すればするほど見た目や匂いなどたくさんの情報が得られると思った」。 「自分の目の前に実物があれば、見るだけではなく触ったり、匂いをかいだりすることができるため、その匂いや感触まで絵に出すことができると思った。 また写真を見たりするよりも、実物が“ここにある”という存在感を感じることができた」。 つまり、写真だけでは存在感を感じられないということに気付いたわけです。 「実物を見て描くときは、細かいところまで見えるし、(写真では)画面に写っていない裏面や側面、上下から見たところから描けたのでしっかりと描き込めた。 実物を見ないで描くと、想像でしか描けない部分ができてしまうので、しっかりと実物を見て描くのは大事だと思った」と書いています。 やはり、美術館で実物を見るということは、図版や写真を見ることとは違うと思います。 美術館でこそできることを考えていく。もちろん学校教育とつなげながら考えていく。そういうことが大事だろうと思います。
これは美術館が貸し出している複製画を使った授業です。 一人の生徒が近づいてのぞきこんでいますね。なぜなら、作品の表面が非常にリアルにつくってあり、筆の跡も見えからです。 でも考えてみれば、筆跡には筆が当たっていて、その筆の先には作者の手があり、もちろんこれは複製画ですが、実物はそういうようなことだと思います。 ですから、やはりこういう実感を伴い感覚が働く実物や、実物に近いもの、こういったものは図版ではできない感じ方や学び方ができるわけです。
これは教員の研修時に見せてもらったものです。 シャガールの作品を使っていますが、このときは先生が生徒役になり,美術の先生だけではなく、音楽や書道の先生も参加しました。 高校の研修です。感想で何人かから出てきたのは「プリントしたものではないから、すごくいろんなイメージが湧く」ということでした。 こういった機会は子どもたちの多様な鑑賞の体験の場を広げていく大きな役割を担っているわけです。 ですから、美術館や博物館等のよさを生かした活動を考える。ここを是非、考えていただければと思います。
こういった「見る」「感じる」という感覚がしっかりと働く活動を位置付ける中で、能動的な活動を積み重ねることで感性が豊かになっていくわけです。 もう一つはそのときに、〔共通事項〕に示されている形、色彩、光、材料、イメージなどの造形的な要素を大事にしながら鑑賞の活動を進めていくことが必要だと思います。 こういった視点をもつことで、先ほどの水鏡の絵を書いた子どものように、いままで気付かなかったよさや美しさに気付くことにつながります。 今日はお配りした資料に〔共通事項〕の内容を入れておきましたので、是非、グループワークに生かしてください。 「豊かに感じ取ること」をしっかりと位置付けながら活動を考えていく。〔共通事項〕を中心に据えて作品に豊かに関わっていくことが大事だと思います。
生徒一人一人が、自分の見方や感じ方を
深めることができる学習活動につながるもの
最後は、「生徒一人一人が、自分の見方や感じ方を深めることができる学習活動につながるもの」ということです。 まず大事なことは、私は、一人一人が自分の見方や感じ方で作品と向き合うことだと思います。それを出来るようにしてあげることが大事です。 そしてもう一つは、自分の中に新しい意味や価値をつくりだすこと。自分の見方や感じ方、考え方を大切にするのは、なかなか難しいことです。 意外と作品を前にしたときハードルが高くなって、「難しい」と思ってしまう子どもはたくさんおります。 活動のねらいを軸にこの二つが積み上がっていくいようなイメージをもっていただくことが大事だと思います。 そのためには,いつもグループばかりでは無くて、一人でじっくりと見ることも大切にして欲しい事だと思います。 ついついグループで見るとか、話し合いをすることが前提になってしまっていませんか。 でも私は一人でじっくりと作品と向き合って、作品の見方や感じ方をも持つ時間を作ってあげる必要もあると思います。 初めての作品との出会いからわずかな時間ですぐグループ、すぐみんなでという授業形態も見受けられますが、生徒の実態や活動のねらいに基づいてそこを考えていく必要があります。
今日、冒頭で申しましたように、子どもたち一人一人が自分の中で新しい意味や価値をつくりだしていく上で、自分の価値意識を持って批評し合ったりするなど、 言語活動を充実させた鑑賞の指導を重視することは大切です。ただ、言語活動は手立てです。その手立ての効果を理解した上で考えていく必要があります。 鑑賞の学習における言語活動の効果には大きく二つのことが考えられます。 一つは、言葉にすることにより、それまで漠然と見ていたことが整理されることが子どもの中に起こる。 そして、見方が深まるということがあります。子どもたちがそれぞれ作品などと出会った瞬間に直感的に感じたことは非常に大切なことです。 ただ、そこだけで終わってしまうのではなく、それを人に発表する、説明することで、美しいと思ったけど「どこが美しいと思ったのだろう」と思って自分の中で漠然と見ていたものを整理し、 作品をもう一回、見直したときに、その美しさの要素が明確になって、より見方が深まる。こういったことがあろうかと思います。
もう一つは,他者と意見を交流することにより、自分一人では気付かなかった価値などに気付くようになることです。 こういった言語活動の目的を明確にして行うことが大事です。 どこで、どんな風に、どういうタイミングでやるかに十分、気を付けながらやる必要があろうかと思います。 冒頭のスライドに出た子どものように、一人一人がしっかりと作品と向かい合って見ること、それをこの授業ではかなりの時間をかけて確保しています。 だからこそ、その後の見方や感じ方を話し合いの中で「そういう見方もあるのか」という気付きが生まれるわけです。
先生が子どもにいろいろと問いかけながら行う授業もありますが、このとき、先生と生徒の関係性ばかりが深まるような活動ではなく、子ども同士をつないでいく活動が大事だと思います。
ついつい先生と子どもという関係性だけで終わってしまうことが多いのが現状です。
先生は「他の生徒も聞いている」といいますが本当にそうでしょうか。本当にそうなら確認しておく必要があると思います。
とくに鑑賞に対してまだまだ意識の高まっていない子どもは、他の子どもの意見を聞いているとは限りません。
ですから、指導者が意図的に子どもたちをつないでいくということが大事だと思います。
さきほど説明した一人で見る、集団で言語活動をする、情報を与えるというのは、あくまで一つの手段です。 子どもの見方や感じ方が様々であるように、鑑賞の活動も様々であっていい。 大事なことは、一人一人の子どもの学びと成長を指導者がしっかりと捉えることで、自分の見方や感じ方を大切にするということを子どもたち自身が実感すること、 そして活動を通して自分の中に新しい意味や価値をつくりだす、そういったことの喜びが子どもの中で実感として生まれるような鑑賞の活動を考えていくことが重要です。
さいごに
私は1971年に生まれてはじめて美術館に行きました。小学校3年生のとき、京都市美術館で開催された『ミケランジェロ展』です。 父親に連れていってもらいました。そこで初めてダビデ像に出会って、「大きいなあ、すごいなあ」と感じました。 美術館はダビデ像より上に天井があるので、美術館に大きさにもすごいという気持ちを抱きました。 この仕事に就いてからあちこちでこの話をしていますが、ふと思ったのです。私は本当に行ったのだろうかと…。 そして、そもそも『ミケランジェロ展』を開催していたのかと気になり調べてみました。 インターネットで調べたら確かに開催しており、そのときの目録を手に入れました。 東京と京都開催でした。目録の後ろに当時のチケットが挟んであり、「永遠不滅のルネッサンス大彫刻のすべて」と銘打ってあります。 もちろん実物が来るわけではなく模刻です。
私は昨年とうとうイタリアに行き、ミケランジェロに会ってまいりました。実際に見ると、思ったより大きくなかったとは思います。 でも大人になってから見ても、今だから感じることはたくさんあります。 父親が私をどんな理由で連れていったのかは分かりませんが、はじめての作品との出会いは強い印象として私の中に残っています。
明日のギャラリートーク分析では小学校、中学校とも同じ作品を使って分析します。 是非、同じ作品を小中学校でやって発達の段階の違いはどうなるのかを今日の話とつなげて見ていただきたいと思います。 それからその後には「ワールドカフェ」があります。ここも校種、職種を超えて話を深めていってほしいと思います。
今日は「全ての子どもたちは豊かな存在である」ということでお話をしました。 もう一つ付け加えると「全ての子どもたちは常に学ぶ存在」なのだと思います。 授業だけではなく、遊びや登下校、部活動、家でなど常にいろいろなことを学んでいます。 そして、その子どもたちの学びと学びをつなげていくのが「教育」だと思います。 ですから、是非子どもたちの学びを大切にして下さい。図画工作,美術の素晴らしいところは、「自分のこと、自分の持つ世界のことを創造できる面白さや楽しさ」。 これがあると思います。図画工作科、美術科の教科目標にある「豊かな情操を養う」という総括目標は、美しいものや優れたものに接して感動する情感豊かな心を育てるということであります。 こういった心が育つような鑑賞の学習、そして何より子どもたちが鑑賞を通して、あたらしい自分に出会えたり、他者や社会とつながる場になる。 そういったことの実現をこれからのグループワークの活動にお願いをしまして私のお話を終わらせていただきます。 これからのグループワークを楽しみにしていますのでよろしくお願いします。
どうもありがとうございました。