グループワーク
- 日程:
- 8月4日(月)
グループワーク:
午前(10:50~12:30)、午後(13:30~15:45)
グループワークの成果発表:
午後(16:00~17:15) - 会場:
- 東京国立近代美術館 所蔵品ギャラリー
- グループ発表:
- 亀井、西村、小野、弘中、南・朴グループ
=小学校教員+美術館学芸員+指導主事
進行:寺島洋子(国立西洋美術館 主任研究員)
講評:長田謙一(名古屋芸術大学美術学部・同大学院 教授)
田中、松永、三澤、濱脇、山田グループ
=中学校教員+美術館学芸員+指導主事
進行:一條彰子(東京国立近代美術館 企画課 主任研究員)
講評:東良雅人(文部科学省初等中等教育局教育課程課 教科調査官(併)国立教育政策研究所教育課程研究センター研究開発部教育課程調査官)
概要
皆さんは、普段、美術館に何時間程度滞在しますか? 1枚の絵をどの位の時間をかけて鑑賞しますか? 研修第1日目に実施したグループワークでは、受講者が10のグループに分かれ、東京国立近代美術館の作品のうち、1点から数点を約4時間かけて鑑賞活動を行いました。この活動の目的は児童・生徒のための鑑賞教育の検証にありますが、いきなり雛型を作ってしまうのではなく、指導者である受講者自身が美術館という場で実作品を前に鑑賞を体験したことは、子どもたちの内面に起こり得るさまざまな変化を想定しやすくしたのではないでしょうか。また、グループメンバーの考えに触れることで、鑑賞の多様性を認識し、それを共有することで広がる鑑賞教育の可能性を実感されたことと思います。
ワークのまとめとして、小学校教員を中心とするグループと中学校教員を中心とするグループに別れ、各作品の前で活動報告を行いました。ファシリテーターによるオリジナリティあふれる進行をベースに、参加者の個性が反映された発表からは、充実した活動の様子が濃密に窺われました。
*グループワークの「活動内容」、「発表」は、ファシリテーターが執筆した。
*「受講者感想」は、研修最終日に回収したアンケートより抜粋した。
総評
長田 謙一
(名古屋芸術大学美術学部・同大学院 教授)
9年の研修を振り返ってみると、「集団で哲学をしてきた」という感じが強くしました。
従来の美術鑑賞とは、作者の考えを知る学芸員や美術史家の導きによって見るものであるとされていて、学校における鑑賞授業も基本的にはこうした形式を踏襲していました。ところが、1970年代以降、全世界的にそのような作品理解の仕方に対して、根本的な疑問が提起されるようになりました。鑑賞者がクリエイティブに作品に関わっていくことができる、あるいは作品研究自体が作者の思惑を超えて、作品を新しい価値次元に置くことになるのだ、ということが盛んに議論されるようになったのです。
学校における鑑賞教育も、その影響をも受けて大きく変わってきました。その第一段階は、まず子ども自身が作品にふれて、先生や友人との対話のなかで自由で幅広い解釈をすることの大切さを了解することでした。しかし、そうなると作者の意図や時代の文脈などからまるでかけ離れた理解が出てもよいのか、あるいは作品の意味を探求する学芸員あるいは美術史家の研究が意味のないものになるのではないか、という指摘も出てきました。そこから、子どもが自分の眼で見て心で感じることと、作品をより深く理解することの関係性が問題になってきたのです。今年はグループワークのなかで、そのことが問題として自覚され、よく議論がなされていたと思います。
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小野グループ(小学生対象)
プラットホームとしての美術館を意識する
北脇昇 《美わしき繭》
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亀井グループ(小学生対象)
日本美術はむずかしい?小学生にとっての鑑賞を模索する
鏑木清方 《墨田河舟遊》
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田中グループ(中学生対象)
遠隔地の課題を含んだ中学生の鑑賞の指導
丸木位里 《臥龍梅》
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西村グループ(小学生対象)
キーワードを基にした鑑賞の授業づくり
和田三造 《南風》
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濱脇グループ(中学生対象)
シンプルに、作品から、子どもの姿から考える。ともに、考える。
三木富雄 《EAR》
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弘中グループ(小学生対象)
子どもたちと一緒にみる、はなす、美術館の時間
松本俊介 《Y市の橋》
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三澤グループ(中学生対象)
時間をかけて、みてみる。
村越としや 《「大きな石とオオカミ」より》
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松永グループ(中学生対象)
ポスターを題材とした中学生の鑑賞
亀倉雄策 《東京オリンピック》
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南・朴グループ(小学生対象)
鑑賞を通して生み出されること
山下菊二 《あけぼの村物語》
岡本信治郎 《制服のスフィンクス・スタインベルクの肖像》
中村宏 《円環列車・B- 飛行する蒸気機関車》
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山田グループ(中学生対象)
出来事・主題・表現者たちの眼
古賀春江 《海》