ギャラリートーク分析

1.小学生

司会
まず、本日最初のプログラム、ギャラリートーク分析です。ギャラリートーク分析というのは、あらかじめ行ったギャラリートークをビデオに撮りまして、先生と子供、あるいは子供同士の言葉や仕草のやりとりをじっくり観察して分析するものです。

分析していただくのは、お二人の先生です。まず、新潟大学教育学部教育科学講座准教授の一柳智紀先生です。一柳先生は京都大学大学院で秋田清美先生の元で教室でのコミュニケーションについて学ばれました。そして現在もご研究を続けていらっしゃいます。

もうお一人は、東京都大田区立矢口小学校教諭の本間美里先生です。本間先生は滋賀大学大学院で鑑賞の相互行為分析について学ばれました。現在は小学校の全科教員として教壇に立っておられます。それから、この時間、全体を進行していただくのが、昨日もファシリテーターを努めていただきました武蔵野美術大学教職課程研究室教授の三澤一実先生です。どうぞよろしくお願いいたします。
三澤
それではこれから90分ギャラリートーク分析に入っていきたいと思います。ギャラリートーク分析は、昨年からはじまりました。この研修は7年目ですが、最初の5年間はファシリテーターが会場で実際に作品を使って、子どもたちとギャラリートークを行いました。私もギャラリートークをやりましたが、非常に緊張感のある中で、そのライブ感覚の中でギャラリートークを楽しめたのですが、参加者の皆さんからは賛否両論の意見がありました。

良い意見としてはファシリテーターと子どもたちのやりとりを生で見られてうれしいという意見です。また、8グループの先生方がギャラリートークを並行して会場でやっていましたので、いろんなトークが見ることができてよかったという意見が出ました。その反面、もっと複数見たいという意見もありました。小学校と中学校の半々、同じ時間に並行してやっていましたので、両方じっくり見たかったという意見です。

昨年度から時間短縮になった関係で、何かそれに代わるものはないかと検討しました。そのときに「ビデオ分析をしましょう」ということになりました。今回のビデオ分析は、事前に子どもたちを美術館に連れてきていただいて、先生がギャラリートークをしている状況を映像に撮りました。また、中学校では奥村先生がギャラリートークを担当したのですが、その様子をビデオに撮ってあります。ではそれを基に分析をしていきたいと思います。5年前のギャラリートークと何が違うかといいますと、5年前までは見守る大人が大勢いるなかで子どもたちが緊張してギャラリートークを進めていましたが、やはりそれは日常的ではないですよね。今回の映像は普段接している先生が連れてきて、そのやりとりを記録してあります。中学校の場合、奥村先生が急遽入ったので日常とはいえませんけども、美術館に行って美術館の方がファシリテーションするという意味では日常的といえると思います。ですから、以前よりも日常的ななかでの子どもたちの立ち振る舞い、言葉のやりとりが観察できると思います。

さて、子どもたちの紹介をしたいと思います。まず小学校のほうは対象者が渋谷区立長谷戸小学校 4年生24名です。ギャラリートークをされた先生が菅谷千紘先生。同校図画工作専科の先生です。撮影場所は国立西洋美術館常設展示室。作品は以下に書いてあるとおりです。こちらのほうを一柳先生に分析していただきます。

次に、分析対象が中学校ですね。こちらは東村山市立東村山第五中学校2年生13名です。 ギャラリートークは、奥村高明先生です。作品は以下の通り。ちなみに東村山市立東村山第五中学校は都内にありますが、いままで美術館に来たことのある人と聞いたところ、誰も手を挙げなかったそうです。そういう点では中学校のほうが都内ですが美術館に遠い学校として見ていただければいいと思います。それではまず一柳先生からトーク分析よろしくお願いします。


ヤーコブ・ヨルダーンス『ソドムを去るロトとその家族』

一柳
はい、一柳です。どうぞよろしくお願いします。いまご紹介いただきましたように私のほうでは長谷戸小学校 4年生のギャラリートークのビデオを見ながら、私自身が学ばせていただいたことを適時お話ししたいと思います。順番ですが資料にある通り、『ソドムを去るロトとその家族』『美しかりしオーミエール』最後に『アルクマールの運河、オランダ』その順番で具体的な場面を見ていきながら分析を進めていきたいと思います。

ヤーコブ・ヨルダーンス『ソドムを去るロトとその家族』
展開① つぶやきによる意見交換


一柳
まず、最初に『ソドムを去るロトとその家族』の鑑賞場面ですが、子どもたちが絵と出会った場面にこの学級の子どもたちの特徴があらわれているので見ていただきたいと思います。お手元に文字に起こしたものがありますが、まずは映像を見ていたきその後、文字記録(トランスクリプト1)を追っていただければいいかなと思います。


ヤーコプ・ヨルダーンス(に帰属) ≪ソドムを去るロトとその家族≫ 
展開① 【つぶやきによる意見の交流】

先生が「ちょっと離れてみるのもいいかもよ、近くだけじゃなくて」と声をかけ、自身もさがっていく。それに続くように、何人かの子が下がっていく。全員が一歩以上さがる。
101  A:なに持ってるの女の人
102 先生:女の人がいた?
103  B:えびじゃない?
104  A:えびなんか持ってねーだろ
105 先生:(笑って応じる) : (A、また前にでていき指差す)
106 先生:どう、じっくり見られた?(前に出過ぎたBに)ちょちょちょ、手は気をつけて。
107  B:油絵?すごい、てかてかだよ :
108  C:(Aの背中をつついて彼に)あの人妊娠中じゃない?(と指差す)
109  A:ほんとだ
110  D:どこ?
111  C:あれ
112  E:(指差す先を見て)あ~
113  A:あのお父さんなんで後ろ向いてるの?
114 先生:うん、なになに?
115  A:あの、おじさんさ(うん)なんで後ろ向いてるの?
116 先生:あなんで後ろ向いてるんだろうね~
117 **:わかった
118  A:わかった、あの人の家族を名残惜しそうに見てる
119 先生:家族?
120  A:じゃこの太ってる女の人は?
121  F:太ってる女の人はこれから新しいところ
122 先生:新しいところ
123 **:天使へ行こうとしてるの?
124 **:うしろ
125 **:天国?
一柳
この学級の子どもたちの特徴として、いま見ていただいたように非常に子どもたちからいろいろな「つぶやき」が起こっています。それを通して意見を交流している姿があると思います。たとえば、ちょっと影になっていて見えませんが、男の子が「なに持ってるの?女の人」とか、この女の子が「あの人妊娠中じゃない?」とつぶやいたり、また同じ男の子が「なんで後ろ向いてるの?」というような疑問をつぶやりしていたました。

こういう風に、この子たちは疑問の形でつぶやきながら作品を探るようにして作品の世界の中に入っていっているのだと思います。特に今写っていないですけど、「あのお父さん、なんで後ろ向いてるの?」と言った男の子に回りの子が解釈を加えながら応じていることで、最初の場面のトークが進んでいき、考えが深まっていったように思います。
たとえば、スクリプトで113番、「あのお父さん、なんで後ろ向いてるの?」とつぶやいたわけですけども、先生が聞き返した後に「わかった、あの人の家族を名残惜しそうに見てる」とつぶやきます。さらに、「じゃこの太っている女の人は?」とAくんがつぶやくと、こんどは121番、女の子が「太っている女の人はこれから新しいところ」と応じたり、また別の子が「天使へ行こうとしてるの?」とつぶやき、また別の子が「天国?」いう風につぶやきのなかで疑問を出していく。それによって作品の世界をどんどん探っている姿がありました。

このように見て感じたことを語るというだけではなくて、まさに鑑賞しながら語っていく、語りながら鑑賞しているという姿がここでの子どもたちの姿、つぶやきによる展開ではないかと思います。さらに続く場面でも子どもたち同士のつぶやきから見方がつながっていくという場面が見られます。ではちょっと見ていただきたいと思います。

展開② つぶやきによって子供同士がつながる


展開② 【つぶやきよって子ども同士がつながる】
201 先生:じゃあね、ちょっといろいろ、いろいろなんか、お話がきこえてきたからみんなで話そ。(うしろにさがって)このへんがいいかな、じゃこのへんに、座りましょう(といってしゃがむ)
202   F:天国
203 先生:じゃ先生、真ん中入れてくださ〜い。ここらへんでもいい?(といって移動し、真ん中に座る)
204 先生:はい、えーと今、この絵を見ながら、いろんな言葉が聴こえてきたんだけども。ね、あ、こんなものが描かれてあるなとか、この絵の中ではこんなことが起こってるんじゃないかなとか、こんなこと感じたよとか、きっとね、いろいろ心の中に思ったと思うの。それを、じゃあ、知りたいな(といって挙手を促すジェスチャー)。教えてください。じゃ(挙手した)Dさんどうぞ。
205 D:えっと、こっち(絵の右を指して)が前のソドムで、こっち(絵の左上を指して)がこれから行くところで(Cが指差しに応じて絵を見ている)、上のあの人はソドムを、登る人を見てる
206 **:え?なになに?
207 **:ソドム?
208 **:きこえない
209 先生:ちょもう一回お願いしていい?
210  D:うんと、あそこのなんか題名に「ソドムを去るロトとその家族」って描いてあるから、ソドムはたぶん地名だと思って、あっち(右)がソドムで、あっち、あ、あそこのほうが(左上)これから行くところで、あの、あの真ん中の人は、ソドムを名残惜しそうに見てる。
Dさんの指差しに応じるように、聞きながら子どもたちは絵を見ている。
211 先生:あ〜、わかった?(Cうなづいてる)なんか題名が、そこにあってね、「ソドムを去るロトとその家族」。
212  B:あ、じゃ
213 先生:でソドムっていうのは地名じゃないかなって思ったのね。
214  C:あ、家?
215 先生:地名ってわかる?土地の名前ね。ソドムっていう土地から…
216  B:引っ越しみたいなもん
217 先生:あ〜引っ越しするんじゃないか、なるほど〜
218 **:なるほど〜
219  C:なんか雷が鳴っているから
220  A:金をいっぱい持ってる
221 先生:じゃこれは引っ越しをしてるところの絵じゃないかなって思ったの?
222  A:でもなんで天使が出てきてるの?
223  D:天使は…
224 先生:天使
225  C:(Aに)天使は、あの案内してる
226  A:あ〜
227  D:新しいところへ
228  A:どうやって天使が出てくるの?
229 先生:天使、天使ってどれ?
230  F:(それまでAたちのやりとりと絵を交互にみてる)これ天国ってことじゃない?
231 A・D:(指差して)赤い服きた女の人
232 先生:あ、この人は、羽がはえてるから天使なんだ
233  B:じゃ天国に行っちゃったってこと?
234  F:(挙手してアピール)
235 先生:(Fに)ちょっと待って待って、(Cに)天使が案内してるんじゃないかなって思ったのね(Cうなづく)なるほど。
236  B:それで疑問に思う。
237 先生:疑問、どうぞ。なになに。
238  B:寿命で死んじゃう…
239 先生:もうちょっとみんなにきこえるように(と体の向きを変えようとする)
240  B:(体変わらず絵を向いて)寿命で、死んじゃって、死んじゃうからあのおじいさんは、天国に行くってことで、その隣にいる泣いてる人は、もうあの死んじゃったんだって思ってる人(周りの子も一緒に絵を見ている)。
241 先生:あ、じゃあBくんは、あのおじいさんは死んじゃって、隣にいる人っていうのはどっちの隣?
242  B:あ〜えっと羽はえてる天使?
243 **:おじいさん
244  B:は天国へ案内してようと…
245 先生:(絵を見ながら)あ〜。(全体に?)天国へ案内しようとしてるとこじゃないかな
246  A:それで泣いてんのかな?おじさんの隣の人。
247 先生:あおじさんの隣にも人がいるね。泣いてる、そうか〜。
248 **:****
249 先生:ん?どこ?
250  D:(指差してなにかをつぶやく)天国に行っちゃうから泣いてるのかな
一柳
はい、今の場面でも最初にこの女の子が(左から2番目)手を指差しながら絵について、こっちが前のソドムで、こっちがこれから行くところ、という風に自分なりのストーリーを絵の中に見取って語っていました。それで、回りの子や先生も指さす先を見比べながら追うように見ていました。単純にこの子たちは指差された対象、人物や場所を共有しているだけではなくて、そこでこの女の子が語っている絵の解釈やストーリーを共有しているということが、続く子どもたちの言葉から読み取ることができるかと思います。

たとえば記録でいうと210番で女の子が「あの、あの真ん中の人は、ソドムを名残惜しそうに見てる」と言ったあとに、この男の子が「あ、じゃ」という風につぶやいていたり、また女の子が「あ、家?」という風につぶやいています。さらに、移動するということから「引っ越ししているのかな」という風にこの男の子がつぶやいていました。また、さらに222番でこの男の子が、「でもなんで天使が出てきてるの?」という風に疑問を投げかけています。それに対してまた別の女の子が225番で「天使は、あの案内している」と言います。さらにAくんが「どうやって天使が出てくるの?」というと、この後ろのほうに座っている男の子(画面左)が「これ、天国ってことじゃない?」とつぶやいて、手を挙げてどんどん前のほうに入っていこうとします。

さらに233番で「じゃ天国に行っちゃったってこと?」とこの男の子が発言していました。じゃという言葉から彼がその前の「これって天国ってことじゃない?」とか天使が出てきたということを踏まえて、これが天国ではないかと考えていることが読み取れると思います。そのあとも、「それで疑問に思う」とか「それで泣いているのかな、おじさんの隣の人」と言う風に、周りの子の解釈を踏まえながら子どもたちが半分、疑問のような形で自分なりの見方をこの場面では次々に先生に示されることなく、次々につぶやく形で話していき、見方がつながっています。

このように、最初に見ていただいた場面の続きですけど、他者の言葉、他者の見方を通してもう一度作品に出会い直して、子どもたちは鑑賞を進めていることが、ここでは見られたと思います。

続けて、2作品目に移りたいと思います。今度は子どもたち同士の「つぶやき」だけではなく、さらにそこでの先生の言葉がけによってトークが進んでいくのが見られる場面です。

オーギュスト・ロダン『美しかりしオーミエール』
展開③ 先生の問いかけにより作品へかえる



オーギュスト・ロダン『美しかりしオーミエール』

一柳
この場面ですね、最初に女の子二人が昔は美しかったけど今は歳を取ってよぼよぼだということを続けて言っていました。その後、この男の子が「なんで服着てないの?」「なんで裸になって死んでんの?」と二人続けてつぶやいていました。少し話がそれて展開しているように見えますが、見ていくと「死んでるの?」というのは、その前に女の子が「寿命を終えるところ」と言ったこととつながっていると思われます。だから像がすべて裸であることに疑問を抱いているのではなく、この像を見ているなかで鑑賞するなかで生まれてきている疑問ではないかと思います。

また、ここで面白いのは単純に彫刻のすべてが裸で彫られていることではなくて、この作品の解釈自身とからめて子どもたちがつぶやきながら考えていっているところで、たとえば「そうとう昔だから裸なんじゃない?」という風に作品が制作された時代と結びつけてつぶやいていたり、さらにこの女の子が「それかこれが破れた服か」と指を差して、像のおそらく腰のあたりにあるものを差して、「破れた服か」という風に言っていたり、319番で男の子が「ぼろぼろになっちゃったんじゃない?」とつぶやいています。

破れた服とか、ぼろぼろになった服というのは、時間が経っているという点で歳をとってしまったという、その前の女の子の二人の解釈と繋がるところだという風に感じます。こういう風に何気ない疑問でも子どもたち自身が作品そのものを手がかりにして解釈しながらこの場面では鑑賞が進んでいたと思います。

さらに、作品自体の様子に着目するように促していたのが先生の問いかけだったといます。たとえば324番で「よぼよぼで昔は美しかったかもしれないんだけど、ってそれはどういうところからそう思った?」と先生が問いかけられていました。それで子供たちが「題名から」と言うと、さらに先生は「それ見てどう?ほんとにそうだと思う?」という風にもう一度、作品そのものに戻って鑑賞するように問いかけられていました。それによって子どもたちは「昔はきれいだった」という見方に基づいて、その面影を探すように作品に出会い直して鑑賞を進めていたと思います。そこで、顔とか首筋、あるいは「小顔だし」とか、「髪の毛もいい髪型している」という風に、今まで見ていた顔とか首筋、髪というものを昔はきれいという見方から、もう一度、意味づけ直してこの場面ではトークが進んでいたと感じます。一方で、ここでは一部の子どもたちのつぶやきで進んでいったので、もう少しゆっくりと、「昔は美しかったけど今はよぼよぼ」という見方に基づいて、ゆっくり見る時間があってもいいのかなという風に感じました。

聞いて感じたことをすっとつぶやきで言える子がトークを主導しているのですが、なかにはそうではなくて、じっくりと見てイメージを熟成させる子もいたのではないかなと思いました。とくに発言しない子や発言が苦手な子にもイメージを共有するためにはトークの中でいかに見る時間を設けていくことが大切だと感じる場面でした。

さらにこの次の場面でも、先生の問いかけによって子どもたちが他の子の見方に基づいて作品に出会い直すということが見られています。ここでは、トークの内容と併せて、子どもの動き、とくにこのお子さん(中央黒い服)にも着目して見ていただきたいと思います。

オーギュスト・ロダン ≪美しかりしオーミエール≫
展開③ 【先生の問いかけにより作品へかえる】


301先生:ちょっと待って、じゃ聞いてみるね。今こうAくんとかいろいろ言ってくれてるんだけど、どんな人かな?
302  C:前は、美しかったけど…
303  B:有名な人?
304 先生:いいよ、ちょっと(と挙手を求めるジェスチャー)どうぞCさん。
305  C:前は、あの若くて美しかったけど、この今はもう、おばあさんになって、なんか、ちょっと年をとってきてみたいな。
306 **:やばいくらい年取ってる
307 先生:あ~もう年をとってしまった。昔は美しかったんじゃないかな(と広げるように全体に)。なるほど~。ほかには?どう?(挙手しているDさんに)いいよDさん。
308  D:えっと、Cさんとおんなじで、昔はも、ほんとに美しかったけど、今はもうよぼよぼになっちゃって、もうこれから寿命を終えるところ。
309  A:でもなんでそんな裸になって死んでんの?
310  B:なんで裸なの?
311 先生:なんで裸なの、なんででしょう。
312  C:みんなだって洋服きてないじゃん。
313 **:服着ろよって思う。
314 先生:あははは
315  D:でもまともに服着てるやついないよ
316  B:でもそうとう昔だから、服なんてなかったんじゃない?
317  C:(指差して)だからこれが破れた服か。
318 先生:あ~
319  A:(指差して)ぼろぼろになっちゃったんじゃない?
320  D:あばらぼね見えてるし(と指差す)
321 先生:あ~あばら骨見えてるし。
322  A:後ろからもなんか見えてるよ。
323  D:(指差して)ねなんかここんとこさ…
324 先生:なんか、よぼよぼで昔は美しかったかもしれないんだけど、ってそれはどういうところからそう思った?
325 複数:題名
326 **:この題名に
327  C:題名が美しかりし、この人の名前がオーミエールで
328 先生:あ、この題名見て、名前はオーミエール、美しかりしって言う言葉は、昔は美しかった
329 **:この人ダイエット得意だったのかな?
330  D:美しかりしって、美しく、(像を指すようにジェスチャーして)美しくないから、昔は美しかったんじゃないかって。
331 先生:あ~なるほど、じゃあさ、どう、それ見てどう?ほんとにそうだと思う?
332  C:うん
333 先生:あ~見てその、どこらへんからそう思った?
334  C:う~ん
335 先生:昔は美しかったけど今は
336  A:顔とかじゃない?
337 先生:顔?じゃちょっと顔見てみようか(といってしゃがんで見る。Bもしゃがんで見る)
338  D:この首のらへんとか(といって自分の首元を指し)すごい、おばあさんっぽいし。
339 先生:あ~顔とかこの首のへん…
340  C:小顔だし、なんか…
341 **:けっこう美人かも
342  C:ここを隠したらなんかきれい。
343 先生:あ、顔を隠したらきれい?
344  C:ううん、そうじゃなくてこの、こっちをかくして
345  D:体を隠すんじゃない(といって隠すジェスチャー)
346  C:顔、顔が、きれい。
347 先生:あ、顔は、きれいな人。
348  D:なんかあの髪の毛も結構…
349  A:いい髪型してる
350 **:ふさふさしてるし
351 先生:だけどもじゃあこの辺、この辺?(と首をさして)言ってくれたのはDさんかな、Dさんは、この、ここらへんを見て、あ~ちょっと今はよぼよぼだな~と思った。

展開④ 他者の考えを介して作品に子どもを戻す問いかけ


展開④ 【他者の考えを介して作品に子どもを戻す問いかけ】

401  D:足と岩が一体化している
402 先生:あ、足と岩が一体化している。じゃDさんはこれは岩だと思うのね。どう?足と岩が一体化している。
403  A:そのまま長い年月が経ったんじゃないの?
404 先生:お?
405  B:けつとさ、岩くっついてる
406 先生:(Bくんのところへ近寄りながら)なになに?
407  A:(ゆびさして)これも全体的にくっついてるから長い年月が
408 **:ずーっとここに座ってたとか?
409  C:それか…
410  B:岩に吸い込まれるような感じ
411  C:それか海に、海にこういうふうにずーっとやってたら海になんか、海のなんか、わかめみたいなのがくっついて
412  A:どんどんどんどん長い年月がたって
413 先生:あ、ちょっと待って。じゃあこの今場所と、おばあさんのことね。えーと、ずーっと座ってたんじゃないかなと思ったの?(とAにたずねると)
414  A:うん
415  C:で、海とか波がきて
416 先生:じゃちょっとこっち見てみる?後ろの人もいいよ。ずーっとずーっと座っていたってことはじゃあ、この
417  C:なんか考えていて、で座ってて、
418 先生:ずーっとずーっと…
419  C:そしたら
420 先生:うん
421  C:そしたらそのまま一体化して、ここ
422  D:岩と一緒になっていって
423 先生:岩と一緒になるくらいずーっと座って、なにか考えていたのかもしれないし…
424  D:周りは海だと思う
425  A:石の上にも三年だ
426  F:ロダン、考える像の、女バージョン
427 先生:ん?
428  F:考える人の、女バージョン
429 先生:…あ、考える人女バージョン。考える人って、きいてわかる?
先生の問いかけに考える子、うなづく子、Dさんは考える人になっている。
430  F:考える人ってオーギュスト・ロダンっていう人が作ったんですよ(と指差しながら)
431 先生:うん
432  F:でこれもオーギュスト・ロダンだから
433 先生:あ~Fくんよく、知ってるね。

一柳
はい、この場面、女の子が「足と岩が一体化している」と発言するんですね。それを先生が「どう?足と岩が一体化している」と取り上げることでトークが展開していますが、すぐにAさんが「そのまま長い年月が経ったんじゃないの?」と長い年月が経ったからそうなったんだと言葉をつなげています。さらにCさんが「ずーっとここに座っていたとか?」とか「それか海にこういうふうにずーっとやってたから海になんか、わかめみたいのがくっついて」とおそらく像についている布状のものを指して、そこから海というイメージが生まれているのかと思います。

さらに417から421のところで、「なんか考えていて、で座ってて」、「そしたら、そのまま一体化して」と発言しています。このようにここでは先生が「どう?足と岩が一体化している」と子どもの言葉を取り上げることで「一体化している」という見方に基づいて、作品を鑑賞するという場が展開されていました。

このような流れのなかで最後にこの男の子が「考える人の、女バージョンじゃないの?」と言っていますが、もちろん彼自身がロダンに関する知識があったからこそここで話しているのだと思いますが、一方でこの発言は直前に女の子の「ずーっと座って、なにか考えていたのかもしれないし…」の「考える」と結びついて出てきたのではないかなと感じました。

というのも今、動きを見ていただいたと思いますが、彼がこの発言をする直前というのは、ちょうど「なにか考えて…」と言った女の子の真後ろでした。真後ろにいて彼女と同じ角度から作品を見て、彼女の言葉を聴いていました。それでいったんはそこからはずれますが、先生が「岩と一緒になるくらいずーっと座って、なにか考えていたのかもしれないし…」という風に女の子の「考えてる」ということをもう一度繰り返して言うと、また戻ってきて「ロダン考える人の、女バージョン」と言っていました。ここから、他者の見方に基づいて見るということは単純に内容だけではなくて、どこから見るかということにつながっているのではないかと感じました。

それに関わってこの場面では先生が416番で「じゃちょっとこっち見てみる?後ろの人もいいよ」という風に子供たちを集まって同じ場所から見るように促していました。こういう「ポジションの共有」といいますか、他者の見方を共有して、それに基づいて作品をもう一度見直していく際には、ポジションを共有することも大切だということを学ばせていただいた場面でした。

展開⑤ つぶやきによる意見の交流
アンドレ・ボーシャン《アルクマールの運河》



アンドレ・ボーシャン『アルクマールの運河』

一柳
それでは続けて3作品目のトークの場面に移りたいと思います。最初に見ていただくのは、作品に最初に出会ったシーンで、ここでも子どもたち同士が自然につぶやいていく姿が見られます。1作品目とは少し内容が違うことが読み取れると思います。ちょっと見ていただきたいと思います。


アンドレ・ボーシャン≪アルクマールの運河≫
展開⑤ 【つぶやきによる意見の交流】

先生が「ちょっと離れてみるのもいいかもよ、近くだけじゃなくて」と声をかけ、自身もさがっていく。それに続くように、何人かの子が下がっていく。全員が一歩以上さがる。

501 先生:次に皆で見る、これ最後の作品です。これ。
502 **:すごいこれ~
503 先生:じゃあ、じっくりと見てくださ~い
504  C:(顔を近づけて)へ~
505  B:へ~リアル!
506  F:人映ってない
507  A:でも鳥がいるよ鳥が(と言って指差す)
508  D:鳥が(指差す)
509  A:よく水のとことかも逆にしてるよ
510 **:景色が、影とかもさ逆に
511 **:写真みたい
512  A:ほらほら、水とかだったら普通水面に映るからそういうのもちゃんと細かく書いてあるよ
513  G:(指差して)すごいよねこれ
514  A:ほらこの形だって
515  B:白いの、気になるな
516 先生:なになに?白いってなに?あの?
517  B:胸像みたいなの
518 先生:後ろのほうの?うん。
519  A:あとあれ、校門みたいなの
520  B:リアルすぎでちょうこれ、リアル
521  C:影もよく見える
522 先生:影もよく見える?
523  A:影とかほんとこんな形だけど、ほんとにこういうふうに…(と指差して)
524  D:題名がオランダだけど、フランスのなんじゃない?
525 先生:あはは
526  D:フランスの国旗があるから(と指差す)
527 先生:ほんと、よく見つけたね
528  A:(指差して)ほんとだフランスじゃん
529  F:ということはアメリカの国旗とかイギリスの国旗とかあるかも
530 先生:うん、どう?
531  A:小さな村なんじゃないの?
532 **:いや
533  A:(指差して)あそこにちょっと家みたいなのがあるから…
534  F:でもさ、あれ(と指差して)オランダの国旗じゃない?
535  G:(指差して)でもこっちにもなにかある。
536 先生:ねえ、なんかもういいねえ、先生いなくてもどんどん進むね、素敵。なんかみんなでどんどん思ったことが伝え合えていいよね~。
一柳
ここでも最後に先生がおっしゃっているように、先生がいなくても子どもたちからどんどんつぶやきが起こって、トークが進んでいます。その中で前の2作品ではほとんど発言していなかったこの子(中央グレーの服)が目を輝かせている。前に出てきて指差して「すごいよね、これ」とつぶやく姿も見られていました。一方でこの場面のつぶやきについて内容で見てみると、ほとんど何々が書かれている、何々があるよとか、描き方の細かさ、描写の仕方といった表面的な絵画の特徴についてのつぶやきがほとんどで、絵に描かれていることについての自分なりの考えが語られているつぶやきはほとんど見られませんでした。唯一、この男の子が531番のところで、「小さな村なんじゃないの?」、「あそこに家みたいなのがあるから」という風に絵について自分なりの考えを言っているところがありますが、それ以外は何々が描かれているとか、すごく細かい、リアルと言ったような絵自体の特徴についてのつぶやきだったと思います。このようなつぶやきの違いというのは、なにを表しているのかというと、一つには作風の違いを子ども自身が感じ取っていることを示しているのではないかと感じました。1作品目の『ソドムを去るロトとその家族』は、宗教的なメッセージのある絵画だと思いますが、それに対してこちらは風景画で前者に比べるとあまりメッセージ性の強いものではないと感じました。その違いを作品を見て語る子どもたちの言葉が表していたのではないかと感じました。言い換えれば、子どもたちは無意識にも作品の違いというものを感じ取って、それを絵と出会った直後に言葉として語っていたのではないかなと思います。

展開⑥ 言葉から視点を共有
アンドレ・ボーシャン『アルクマールの運河』


一柳
次の事例でも作品の描写について語るところが見られる場面で、いままであまり発言したいないこの子(後ろの赤い服)が発言する場面です。それでは見ていただきたいと思います。


展開⑥ 【言葉から視点を共有】

601先生:あ、ほんとにあった風景だと思う。どうぞ(と挙手したDさんを指名しかけて)あちょっと待ってね。先Hさんいいよ。
602  H:いろいろな種類の船が浮かべてある
彼女の言葉をきいて、数人が絵を見直す。
603 **:たしかに 
604 先生:あ、いろいろな種類の船が浮かべてある。どう?そうだね~おんなじ船ってありますか?
605 複数:ない
606 先生:ない、ぜんぶ違う船なんだね
607  C:あとこれはちっちゃい、けど…
608 先生:よく気付いたねHさん、素敵。あ、いいよDさん。どうぞ。
609  D:あの、全部水面に、
610  C:かげがある?
611  D:映ってるのがあるのに、なぜかこの鳥だけ映ってない。
612 **:おお~
613 先生:ほんとだ、すごいとこ気付いたね
一柳
最初にこの女の子がこのトークを通して初めて発言する場面ですが、「いろいろな種類の船が浮かべてある」と発言をしています。それに対して先生が「どう?そうだね~おんなじ船ってありますか?」「全部、違う船なんだね」と応じて、「よく気づいたね、素敵」と声をかけていらっしゃいます。こういうさりげないフォローというか、心遣いが素敵だなと思ったのですが、「どう?おんなじ船ってありますか?」という風に全体に声をかけることで彼女の言葉を全体に広げるとともに、彼女の視点である船に着目する視点が子どもたちに共有されていたかと思います。

一方で「おんなじ船ってありますか?」という質問は、「ある」か「ない」かでしか答えられないいわゆる閉じた質問になっています。その質問後、別のこの女の子(いちばん右)が、「水面に写っているのになぜかこの鳥だけ映っていない」とつぶやき、もう別の話題に変わってしまっていました。これはさっきの「美しかりしオーミエール」のときに「足と岩が一体化している」と採り上げたときとは違う展開になっています。そのとき先生は「足と岩が一体化しているけどどう?」と問うただけなので、それについて子どもたちが自由に語ることができて、回りの子どもから自由な解釈が出てきたのですが、この場面では「おんなじ船ってありますか?」という閉じた質問であるがために、彼女の視点や見方によってトークが展開していないのではないかと感じました。このような先生の採り上げ方一つでもその後のトークの展開が変わってくるのだと思いました。一方、ここでも発言の内容は「船が違っている」など、何が描写されているかということですが、そのような表面的な絵画の特徴からさらに作品の世界に入っていくことを促すきっかけになったのが、次の場面での先生の問いかけになります。ちょっと見ていただきたいと思います。

展開⑦ 問いかけから作品と出会い直す


展開⑦ 【問いかけから作品と出会い直す】

701 先生:じゃあさ、ちょっと先生から、1つきいてみたいんだけど。いい?この絵、何時ぐらいだと思う?
702 **:えっと、昼?
703  A:はい
704  F:はい
705 **:昼じゃないでしょう
706  A:昼の、
707 先生:はい、ちょっと、Hさん何時ぐらいだと思う?
708  H:6時くらい。
709 先生:6時くらい、それは朝の?(うなづく)朝の6時くらい、どういうところからそう思った?
710  H:だって人もいないし、空は晴れてるし
711 先生:聴いた今の?人もいなし空も晴れてるし、朝の6時くらいじゃないかな~なるほど~
712  B:僕4時だと思う
713 先生:はいBくん何時くらいだと思う?
714  B:4時だと思う
715 先生:4時、それは朝の?
716  B:え、あ、まあ夕方。
717 先生:夕方の4時くらいだと思う。どういうところからそう思った?
718  B:(指差すと、周りの子も絵を見ている)だって、向こうになんかオレンジっぽいのがあるから日が沈んでる
719  C:なんか夕焼けが
720 先生:あこっちはもう日が沈む夕焼けじゃないかな~なるほど~
721  A:はい
722 先生:はい、どうぞ(とAくんを指名)
723  A:7時くらいだと思いました
724 **:朝の?
725 先生:え~と朝の?
726  A:朝です
727 先生:どういうとこからそう感じた?
728  A:あの、日が出てくるところだとこんな感じの、なんか夕焼けが沈むときみたいな感じになって、人気がないから。
729 先生:あ~人気もないし
730 **:あ~
731 先生:Aくんは、朝7時くらいじゃないかな~って
732  B:でも先生太陽ないのによく影できるよね
733 先生:ははは、すごいこと気付いたね、太陽どこにあるんだろうね。はい、Dさんどうぞ。
734  D:夕えっと、えっと、方の、あちがうちがう、秋の夕方の、3時くらいだと思う。
735 先生:秋の夕方の3時
736 **:秋?
737  D:秋って結構日が沈むのも早いし、だけど3時くらいだと、あの、秋だと夕方に近いから、もうその沈んじゃってるけど、まだちょっと明るい
738 先生:あ、じゃあこの光の感じから、Dさんは、秋の、3時くらいじゃないかなって感じたんだね~なるほど~、なるほど。

一柳
この場面ですが先生が最初に「この絵、何時くらいだと思う?」と問いかけられていました。ここから作品がどのような世界かというのを「時間」という見方に基づいて考えながら、子どもたちが作品に出会い直していくことが発言からみてとれると思います。即ち、それまで見ていた人気のなさや、船や空の色といったものを時間という見方からもう一度、意味づけ直して子どもたちは発言していたと思います。

ここから、作品の世界に入っていく上で、先生がいかにそのきっかけとなるような問いかけを持っているかということが大事なのかなと感じました。それは先生自身がいかに作品と出会っているか、それに基づき「どのように作品と子どもたちを出会わせたいか」という、授業でいえば教材解釈、教材研究にあたるようなところだと思いますが、そういうものを先生が持っていることで、このような問いかけが可能になって子どもたちにもう一度、絵と出会い直す事を促していたのではないかと思います。

今回見せていただいたトーク全体を通してですが、今の場面でも見られたのですが、先生が子どもの言葉に驚いたりして、表情豊かに応じていらっしゃいました。そのような姿からやはり先生自身も作品を鑑賞することがとても好きなんだなと感じました。また鑑賞することを子どもたちと一緒に楽しんでいらっしゃる姿がいくつも見られました。ここからギャラリートークをしていくうえで、先生自身が作品を鑑賞することを楽しむことが大切だと感じました。もう一つ、先生が子どもの問いかけに対し、「どうしてそう思った?」「どういうところからそう感じた?」など絶えず問いかえされていました。このような問いかけによって、子どもがもう一度作品を見直して、自分のイメージと作品を結びつけていましたし、さらに聴いている周りの子もその子の語りを聴きながら作品を見ているという姿がありました。一方で見ていただいた場面ではここではいろんな子どもたちが「時間」という見方に基づいて「4時じゃないか」「夕方じゃないか」といろいろな解釈を言っていますが、その見方自体はどれもつながってはいません。それぞれが感じたことをいろいろと語っています。

それは、これまで見てきたトークとはちょっと違う特徴だと思います。その背景の一つには先生の「なるほど」という応じ方があるのではないかと感じました。先生は一人ひとりの言葉を丁寧に聞き取って「なるほど」と応じていらっしゃるのですが、それによって子どもたちのつながりが切られていったのではないかなと感じました。これに関連してトーク全体を通して今回ちょっと感じたことですが、ギャラリートークというものがそもそもどういうものを目指すものか?どういう場として組織することを狙うのか?というところを今回のトークでは見せていただいたなと感じました。つまり、今、最後のこのシーンで見ていただいたように、見たことをいろいろと出しあうということも一つのトークのスタイルとしてあると思います。そこで先生は「ほかにもどう?」「なるほど」と応じて、一つひとつを大事に受け止めていらっしゃいました。

一方、この学級の子どもたちの特徴でもある、つぶやきながらトークしていく姿は、まさに鑑賞することイコール、トークをすることであったように思います。言い換えれば、トークすること自体が鑑賞するというプロセスそのものになっていたのではないかと感じました。ここから、ギャラリートークという場を鑑賞した結果を交流する場として組織するのか、あるいは、トークすること自体が鑑賞するものだとして組織していくのか、どちらも大切かと思いますが、どういう狙いを立ててトークを組織していくかによって、子どもたちの経験も異なってくるのかなと感じました。それに伴って、先生やトーカーの方が何を問うのか?取り上げるのか、それを誰にどのように返していくのか?という教師の言葉も精選していく必要があるのかなと感じました。以上が今回のトークを見せていただき学ばせていただいたことです。どうもありがとうございました。
三澤
はい、ありがとうございました。いま一柳先生の解説で私も見ていて子どもたちが対話を通して言葉をつないでいきながら自分たちで鑑賞を深めていく能力、非常に皆さんも感じたと思います。それに対して教師の役割ですね、菅谷先生は非常に上手いなと思いました。子どもたちの役割をつないでいく仕事。つないでいって子供たちも言葉からイメージを開いていく言葉がけ。また、元にもどったり、まとめたりしながら、先生が子どもたちが発すべき主要な発言を奪っていないですよね。ほんとにさりげない発言のなかで、子どもたちちがの言葉をつないでいきながら、子どもたち自身が鑑賞を深めていく姿、なかなか見事だと思いました。また、一柳先生の分析でそれが見事に明らかになったと思います。どうもありがとうございました。

次は、本間先生による中学校のギャラリートークを見ていただきたいと思います。最初に9分間、何も解説なしで映像を流しますので皆さんは一柳先生の解説をもとに、感じたことを参考にしながら、このビデオを分析してみてください。先生方の目でまず分析してみてください。それではよろしくお願いします。

ギャラリートーク実践者

渋谷区立長谷戸小学校  管谷 千紘

ギャラリートークをするにあたっては、事前に何度か美術館に行き、「この作品を見て、子どもは何て言うかなぁ…」とあれこれ想像したり、「子どもがわくわくと、この作品の奥深くまで想像したくなるような問いかけってどんなものだろう…」と悩んだりしながら、子どもの姿に照らしてトークの展開の可能性を探ることを繰り返しました。どのような展開になっても、子どもが作品と出会ったときの素直な印象や感想を大切にしたいと思っていたので、子どもが自然に発する言葉やつぶやきを拾いながら、気楽に会話をするような感じでトークを進めていこうと考えていました。トークの過程で、子どもが作品のより深いところまで入っていけるようなさり気ないサポートができたらいいな、という自分自身への願いもありました。

実際のギャラリートークでは、それぞれの子どもが思ったことや気付いたことを気兼ねなく語り、友達のつぶやきに耳を傾け、自分なりの作品解釈と友達の言葉と目の前の作品とを行ったり来たりしながら、より深く作品の世界に入り込んでいったように思います。私は、個々の言葉やつぶやきを取り上げて全体の話題にしたり、「こういう見方で作品を見てみるのはどうかな?」と問いかけてみたりすることで、子どもたちがより作品の世界に近づいていけるように努めました。それがうまくいったな…という場面もあれば、この子のつぶやきをもっと活かせるような問いかけをすればよかった…と反省する場面もありました。その時その瞬間の子どもの発言やつぶやきをどう捉え、取り上げ、問いかけ、個々の子どもとグループ全体に還元していくのか。子どもと作品とに真摯に向き合いつつ、柔軟にトークの流れを組み立てていく瞬発力が必要だと、改めて感じています。作品への理解を深め、子どもの姿を想像し、でも最終的には子どもたちに自由なトークを委ねながら適宜舵取りができるように、これからも努力を重ねたいと思います。