ギャラリートーク分析
1.小学生
- 司会
- それでは最初のプログラムです。ギャラリートーク分析は、あらかじめ行ったギャラリートークをビデオに撮って、先生と子ども、あるいは子ども同士の言葉のやりとりや仕草のやりとりをじっくり観察して分析しようとするものです。昨日、私たちはギャラリーの中で、いない子どもを想像しながら、「小学生ならこの作品でなんというだろう」、中学生なら「どういうところから見はじめるのだろう」と想像しました。今日は実際に小学生、中学生の鑑賞の姿を見ながらの進行になります。まず、最初に小学校 1年生のギャラリートークを見ていきます。分析していただくのは本間先生です。本間先生は東京都港区立御成門小学校の全科の先生として、現在3年生を担任されています。同時に大学院でご研究されています。兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科の博士課程1年目で「対話を用いた鑑賞活動の学習過程」についてご研究中です。
そして、これから本間先生と見ていく子どもたちですが、筑波大学教育学部附属小学校 1年生40名です。今年の3月に東京国立近代美術館を訪れたときの記録映像です。ビデオの中でトークされているのは、昨日もファシリテーターをしていただいた西村徳行先生で、この1年生の学級担任であり、図画工作の全科の先生です。それでは本間先生、よろしくお願いします
- 本間
- 皆さん、おはようございます。ご紹介いただきました港区立御成門小学校の本間美里と申します。本日はよろしくお願いします。
まずはお手元に資料(美術館を活用した鑑賞教育の充実のための指導者研修 ギャラリートーク分析資料)があると思いますが、こちらの見慣れない表記は、子どもたちと先生が発話したことと、そのときにどんな行為をしたかを表したものです。ただ書き出すだけではなく、言葉の抑揚や間、強調が特殊な記号で表されています。それをトランスクリプトといいますが、記号の説明が11ページの下に載っています。詳しいことを勉強されたい方は、一番下に参考文献を載せておりますので是非、ご覧ください。
今日はトランスクリプトを見ながら画像を見ますと大事な場面を見落としてしまいますので、きょうは画像を食い入るように、子どもの仕草や表情を追っていただけたらと思います。
最初の3ページが私の分析のトランスクリプトになっています。では早速、進めていきたいと思います。西村先生の学級1年生40名の授業を見させていただきました。きょうは鑑賞といってもいろんな方法があると思いますが、美術館でいろんな鑑賞の仕方があるということと、子どもたちがこんな風にして作品を見たりとか、友だちや先生と関わっているということが今日、一つでも何か感じて帰っていただければいいかなと思いますし、現場の先生も多いと思いますので、二学期から活用できるものを持って帰っていただければいいかなと思います。筑波の子どもたちを見ながらも、是非、自分の学校のお子さんや、美術館の方はギャラリートークをイメージしながら見てください。
アンリ・ルソー
『第22回アンデパンタン展に参加するよう芸術家たちを導く自由の女神』
- 本間
- では一つ一つの画像は短い時間ですのでしっかり見ていただきたいと思います。
画像を流しますので見てください。作品はアンリ・ルソーの《第22回アンデパンタン展に参加するよう芸術家たちを導く自由の女神》です。この作品を鑑賞していきますが、最初は少し遠いところから鑑賞して、次に前に進んで鑑賞して、いちばん前ぎりぎりのところで鑑賞して、自分が見えたものとか発見したものを発表していくという授業を西村先生はされています。
アンリ・ルソー《第22回アンデパンタン展に参加するよう芸術家たちを導く自由の女神》
- 本間
- はい、この画像で何か感じたこととか、見つけられたこととかありますか?いきなり言われても困りますよね。私たちもこの画像を何十回も見たり、確認しています。実際、いまこの絵画を見てどんな場面かを話しています。女の子が「オリンピックをしている?」と述べているところです。この画像の真ん中の子に注目して見てください。
- 本間
- はい、いかがでしたか?この子、非常に表情豊かに鑑賞していることがおわかりいただけると思います。
- 本間
- この子、「はい!」っていきなり元気よく手を挙げていましたね。それまでに彼は何回も手を挙げているのですが、なかなか指してもらえない。その中での「はい!」なんですけども、この世の終わりのようなガクッとしたうなだれ方をしています。これはたぶん、この子は自分の気持ちを外に出して鑑賞しており、こういう風に鑑賞している子は他にもいると思います。
画像の中で「あっー」という子がいますが、どうしてそういったか分かりますか?ちょっとがっかりしているんですね。なぜだか想像つく方はいらっしゃいますか?この画像の部分、後ろのほうで何か言っているのが分かりますか?実は後ろの子を振り返って「言われたぁ」と言っています。その子は「オリンピック」と言いたくてずっと手を挙げていたのに、指されないだけでなく、友達に「オリンピック」と言われてしまったんです。
この子は最初、後ろにいた友だちに自分の思いを伝えます。最後の「言われたぁ」は誰に言っているのでしょうか?おそらく西村先生に言っているのだと思います。自分も「オリンピック」と言いたかったんだよと伝えたかったのではないでしょうか。こんな風にして男の子が自分の気持ちを外に出したり、低学年ですからとくに思ったことを口に出したいと思いますけども、低学年を担当された先生はこういうシーンによく出会われたことと思います。この中央の男の子も表情豊かに鑑賞してくれますが、一つ、こういう姿で子どもが鑑賞していますということをお見せしました。
高村光太郎『手』
高村光太郎《手》
- 本間
- では、次の事例です。こんどは美術館の違う部屋に入っていきます。こんどは子どもたちが部屋に入っていく様子をよくご覧ください。
- 本間
- はい、この先には何の作品があるのでしょう。お分かりになる方?いまなんて言ったか分かりますか?もう子どもの中で鑑賞がはじまっていますね。先生が何も言わなくても、お部屋に入って「あ、手がある」と言って、すでに彫刻の手を真似しています。この子どもたちは学校ですでにアートカードをしている経験があって、自分が見た作品だというのもあります。
この作品を鑑賞されたことのある方はいらっしゃいますか?はい、何人かいらっしゃいますね。これから子どもの様子を見ていきますが、皆さん、ちょっとこの「手」を真似していただけますか?
- 本間
- この子ども(中央グリーンのズボンの女の子)に注目して見てください。はい、彼女、なにしているでしょうか?手の真似をしていますよね。でも彼女、どうやって真似をしていますか?彼女は両手を使って真似をしています。なぜ両手を使って真似をしているか皆さん、分かりますか?こういう手にはできないんですよね。よく見ると彼女だけが右手を使って、この彫刻の小指の曲がり具合をなんとか表現しようとしている。子どもはそれだけ作品と一体化というか、作品の中に入って鑑賞しています。それを言葉にするだけじゃなくて、身体で表現をすることもあります。彼女はよく見ていますね。作品と自分の手を見比べてもいます。
ちょっと先に進みます。ずっと彼女を追ってください。いま、分かりますか?
別の子どもが「なにか数えている」と言ったとき、彼女が何をしたか分かりますか?
- 本間
- ここです。手で数えていますね。「パソコンやってる」という意見の後に、彼女、手を振っていますね。それは先生が「パソコンをやっているんだ。疲れているかもしれないね」と言っています。他の子どもから「バイバイしている」という意見が出ると、とっさに左手でバイバイしていますね。でも、こんな形でバイバイしますか?(場内笑)しないですよね。彼女は私だったらこの手でバイバイするかな?と思っているかどうかは分かりませんけど。
今、この子どもがなんと言ったか聞き取れましたか?「どうやって作ったかやってみた」と言っています。この女の子の視線を見てください。さっき赤い服を着た女の子が話しているときは彼女のほうを見て、「骨折して痛い」という意見が出たら、もう一回、自分の手を試しに折っています。
- 本間
- いまは顕著ですよね。「盆踊りしている」という意見が出たとき、手を動かしています。彼女は最後の最後まで一言もなにも言いません。発言はまったくしないんです。他の鑑賞のときもまったく言わないですけど、こんな風にお話をしなくても子どもは鑑賞しているというのが、これを見ると皆さん、お分かりいただけると思います。
昨日、東良先生のお話の中にもありましたが、こういうことが分かっている先生はきっと「なんか言いなさいよ」とか「思っていることをいってごらん」とはおっしゃらないだろうなと思います。たぶん彼女は言いたくなったら言うと思いますし、ちょこちょこ自分の中でつぶやいてはいるんです。
ちょっと進めます。こんどは数秒ですが彼女の視線に注目してください。
- 本間
- ここ視線、じっと見ていますが、視線が前のめりになっています。今、右に視線をやりました。いま、ちょっと下を見ました。ちょっと、ぼうっとしているように見えますが、おそらく何か考えています。その先、画像を進めると、隣の友だちにちょんちょんと触り、あれ見て!と言っています。
- 本間
- その後、二人で身を上にあげるのが分かりますか?その後、顔を見合わせてにこっとします。今の一連の流れの中で彼女たち二人だけに共有できることが生まれたと思われます。その前に彼女は作品を見つめて何かを考えて、それを隣の友だちに伝えて、その友だちがなんだろうと思って見て、「ああ、なるほどな」と思って、ここで二人だけの何か共感が生まれたのではないでしょうか。
この後、西村先生が「作品の外にあるものを考えよう」と生徒に言います。彫刻の手は白いボックス(土台)の上に立っていますが、この女の子は「この中に人間が入っていて、そこから手を出している」と想像して、手首を振ってなにかつぶやいているんです。「あの中に人が入っている…」というような感じで。子どもってすごいこと考えますよね。
こんなふうにして、友だちの言葉や先生の言葉をジェスチャーで表現する、あるいはジェスチャーで受け止める子どももいるということを見せていただきましたが、いま見るとなるほどと思いますが、普段、自分が授業をしたりするときは見過ごしていることもあると思います。私自身もそうです。ですからこうやってたまにビデオを見ると、自分を振り返ることにもなりいいかなと思います。
村井正誠『URBAIN』
課題作品:
村井正誠『URBAIN』
>> 作品情報はこちら(画像あり)
- 本間
- この絵画を鑑賞して、2人一組になってお話を作ろうという鑑賞です。最初に子どもが出てくる場面に注目してください。
- 先ほどの女の子はここでも発言はしませんが、先生に「前に行ってもいい?」と言って、この女の子が出発して先頭を切ったことで子どもたちがみんな前に来たところです。子どもの場所取りというか、作品を見たいという気持ちがこんな場面にも表れています。場所取りって子どもにとって大事で、さっきも女の子はいちばん前に座っていましたね。彼女はその前のルソーの時はいちばん後ろにいるんです。それで彼女だけ立ってみていたんです。おそらく、もっと前で見たいという気持ちが場所取りに出ているのではないかと思います。
では次にいきます。ここは学校なんですね。席を決めるときに、バッティングしたら、じゃんけんで決めましょうとか、学校の帰りに寄り道していいですよということは、おそらく子どもたちの生活空間、生活体験から出てきたお話だと思います。実際に西村先生にそういうふうに座席を決めていますか?とお聞きしたところ、「この撮影の時には席は決めていないけど、なにかバッティングしたときはじゃんけんで決めるというルールになっている」そうです。今は席を決めるときに自由に子どもたちで席を決めているそうです。その際も席がバッティングしたら、じゃんけんで決めているそうです。下校後の寄り道は当然、禁止ということです。
昨日、東良先生の講演で、子どもたちは自分の生活体験や経験のなかから作品を見たり、作品を語ったりするというお話がありましたが、これもそれが表れていることなのかなと思います。子どもたちは、この絵画を「学校」に見立てていますね。先生がいる場所はこの辺りで、きっと机の並びとかが教室に見えたのではないでしょうか。ここでは分からないのですが、右側の絵画だけで彼女たちはストーリーを考えたと言っていますが、おそらく左側の絵画もなにかしらストーリーに影響しているかもしれません。学校を出て子どもたちがばらばらに帰っていくようにも見えますよね。憶測ですが、おそらくこの2枚の絵をセットにして子どもたちはお話を作ってくれたのだと思います。
私たち大人はこの作品を見たときに、なにを表現しているのかな?とか抽象的だなとか、そういう感じで鑑賞する方が多いと思いますが、子どもたちは自分が絵画の中に入り込んで鑑賞しますよね。作品の中に入り込んで、自分の身をそこに置いて鑑賞したり語ったりすることがよく分かると思います。
題名が存在し脚本化されている話
- 本間
- この登場してくるところから見てください。この場面はあえて子どもたちが登場してくるところから入れました。この場面一つとっても面白いと思いませんか?発表するだけなのに、どうしてじゃんけんをしているんだと他の子どもたちは思っていますが、こういうことも見逃さないで見ると面白いと思います。この後もじゃんけんが影響している場面があるので、どこが影響しているか見てください。
子どもたちの話、シュールですよね。私たちも笑ってしまったというか、ギャラリーからも「短いけど面白い」という声があがったり、すごいなと思って画像を見ていました。ちょっと戻します。どうしてじゃんけんをしているのでしょうか。ここで子どもが頭をかかえています。体いっぱいに表現しています。
- 本間
- じゃんけんした後、左の子どもがなにをしているか見てください。ねえねえもう一回、と懇願しているんです。それでじゃんけんしますが、やっぱりダメ。もう一回じゃんけんしてあげる右側の子ども、優しいですよね。おそらく、じゃんけんをして、どちらがこの話について話をするのか決めているシーンだと思いますが、このお話づくりは2人1組でやっていますよね。これは1年生なので西村先生の配慮です。
これは私の憶測ですが、じゃんけんをして右側の子どもが勝ちます。左の子どもがどうしてこんなにショックを受けているのか。自分で発表できないからでしょうか。でも、この後、右側の子どもが、はい、ここでなにをしたか分かりますか?
- 本間
- 「どうぞ」って、話していいよと。おそらく右側の子どもは、話す順番を決めていたのかなと思います。でも左側の子どもにしたら、どっちが話すかを決めていると思っていた。だから、左側の子どもはすごくショックを受けるし、右側の子どもは2回じゃんけんをしてあげたのかなと推測しています。この場面は鑑賞とは関係ありませんが、非常に面白い場面なのでお見せいたしました。
では、実際に子どもたちは、どういうふうにお話を作っていくのでしょうか。
(「丸から四角」の部分)なんだと思いますか?この間は。これはお話の題名です。その後、「丸君の兄弟がいました、どうぞ」と言いますが、左側の子どもはいいよと譲ります。
この右側の子どもの手元に注目してください。この子どもは最初に立ったときも、ズボンの右裾を引っ張るんです。次に手をぐっと広げるのは緊張しているのではないでしょうか。なぜ緊張しているのかというと、この子どもたちの発表の仕方が他の子どもたちとちょっと違うことが分かりますか?この子どもたちは題名を付けて、お話を作っているんです。彼らの中では脚本のように本としてできあがっていて、それをみんなに読み上げている。ですから、彼らは間違えてはいけないという気持ちが非常にあって、緊張しているような気がします。
それがもう一つ表れている場面が、言葉に出てきます。「これで丸と・・から」と題名の「丸と四角」と違うことを言ってしまったので、言い直したんですね。言い直したということは、自分たちの中に正しい文章ができあがっていて、言い間違えたから言い直した。おそらく、この子どもたちは話をする段階できちんと決まっていたんだろうと思います。
ちなみに、これは私たちが見ていて発見したのですが、丸から四角にいった経緯が絵の中に表れています。この丸が四角の家に遊びにいったら、四角にされてしまうわけです。この四角の白抜きのワクみたいな中に丸を取り込まれてカチッと外に出される。分かりますか?くりぬいたみたいに、丸をこの中にぽこっとはめて、こういう四角にされたというふうにも見えます。ちなみに子どもたちは、「丸から四角になりました」とは言っていないです。丸から四角にされちゃったんですね。そう考えると、私たちが感じたことが合っているのかなと思います。
最後に西村先生が、「こっちから、こっちにきたんだ」と子どもの発言を上手に具体化して子どもに返しています。これは最後のまとめとしてさすがだなと思いました。
解釈的な見方をしている話
- 本間
- 子どもたちが発表しようとして西村先生も来たんですが(トランスクリプト参照)、「お話つくってないじゃん」と子どもが言って、先生が「ええ」と驚き、もう一人の子どもが「お話みたいなものじゃない」と言い、先生が「これはこうだからってそうやって言ってくれても構わないよ」と話が続きます。これはどういうことなのか、ちょっと画面を見てください。
さきほどの二つとは質が違いますが、どう違うかお分かりになりますか。つまり、子どもたちは作品を見て、絵本にのっているようはお話ではなく、絵の解釈をしています。彼らも自分たちの違いを分かっているのはさすがだなと思いますが、西村先生もそれを感じて、 「これはこうだからってそうやって言ってくれても構わないよ」と子どもを促してお話がはじまります。
この子どもたちの話の仕方がさきほどの子どもたちとは違いますよね。絵本読み聞かせ的な言い方ではなく、本当におしゃべりになっています。
「四角が全部、工場で」これは絵の解釈です。「ピンクと黒の」子どもたちは色を的確に指示しています。これが泥棒です。ここが工場で泥棒をしてと言っています。警察に取り囲まれたというのは、この部分が全部、警察ということです。
「取り囲まれた」と上手な表現をしていますね。回りに他の丸があって、それに囲まれているということです。この子どもたち、話すときに連鎖しているのが分かりますか。身振りも言葉も交差しています。ここはトランスクリプトを見てもらうと分かりますが、一つの言葉が重なっていたり、作品を指したり、他の生徒が先に「四角」と言ってしまったり、 先に「工場」と言ってしまったり、それを追っかけるように左側の子どもが「工場」と言っています。面白いと思いませんかこういうシーン。私は大好きです。
- 本間
- いま「工場で」と言ったとき、この子どもの指先が動いたことが分かりましたか?こっちを指さしています。それで左の絵に戻ってくる。楽しそうですね。自分が作った話にとっても満足しているのだと思います。
きょうはいろいろな子どもも鑑賞の姿を皆さんに一部分ですけどご紹介できたかなと思います。子どもは話をしているだけではなく、今の画像みたいに、あるいは先ほどの女の子のように、自分の身体を使ったり、隣の友だちとこそこそと話したり、その「こそこそ」も素敵な鑑賞方法です。他の子どもには発信されなくても、その子どもにとっては大きな鑑賞だと思います。「こういうふうに鑑賞して子どもはすごいよね」とか、「楽しそうでいい」と分かってそれでおしまいではなく、今度はどういう鑑賞の授業を作っていこうというか、授業への「手立て」として活用してはじめてこういう分析に意味があるのだと思います。
きょうは素敵な姿を見せてくれた筑波大附属の西村学級のお子さんと西村先生に感謝したいと思います。どうもありがとうございました。