ギャラリートーク分析
1.小学生
- 司会
- 皆様、おはようございます。研修2日目となりました。本日最初のプログラムは、ギャラリートーク分析です。
ギャラリートーク分析とは、あらかじめ行ったギャラリートークをビデオに撮って、先生と子ども、あるいは子ども同士の言葉のやりとりや仕草のやりとりをじっくり観察して分析しようとするものです。
昨日のグループワークは、小学校の先生と中学校の先生が分かれて過ごしました。本日のギャラリートーク分析は、小学生と中学生がそれぞれ登場します。
「小学生ならこの作品でなんというだろう」、中学生なら「どういうところから見はじめるのだろう」と、いろいろ想像を広げてご覧になれると思います。
今回、小学生と中学生はまったく同じ授業者で同じ3作品を鑑賞しています。ですから違いがはっきりと分かっていただけると思います。
ビデオの中で授業をしている方を紹介します。本日、残念ながら欠席されていますが、奥村高明さんという方です。 奥村さんは現在、聖徳大学教授として教壇に立たれており、「美術教育の相互行為分析」という論文で芸術学の博士号を取得されています。 それでは早速小学校4年生のギャラリートークを見ていきたいと思います。小学生は港区立御成門小学校の4年生です。本間先生は御成門小学校の全科の先生として、現在6年生を担任されています。 同時に兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科の博士課程で「対話を用いた鑑賞活動の学習過程」についてご研究中です。では、本間先生、よろしくお願いいたします。
- 本間
- 皆さん、おはようございます。港区立御成門小学校の本間美里と申します。
今日は可愛い子どもたちの授業風景を見ていただきながら、「鑑賞の授業をどんな風にやったらいいかな」とか、なにか一つお役に立てればいいかなと思います。よろしくお願いいたします。
まず、今日、皆さんにお見せするのは、昨年、私が担任をした4年生たちです。分析したのは4月24日。 4年生になったばかりの子どもたちを美術館に連れて行き、ギャラリートークを行いました。 学校がこの美術館のすぐ近くにありまして、歩いても30分くらいで来られるところです。 普段から美術館に足を運ぶ子どもたちがいたり、外国の本場の美術館に行くような子どもたちもいる学校です。 とはいえ、なかなか美術館に足を運んで絵を見る機会というのはないので、子どもたちは非常に楽しみにしていました。今日は3つの作品を見ていただきたいと思います。
- 本間
- お手元に資料がありますでしょうか。この『ギャラリートーク分析資料』は、皆さんにお示ししたい部分だけピックアップしてあります。 なお昨年、一昨年の「ギャラリートーク分析」では、トランスクリプトといいまして、音声を書くだけではなく、言葉と言葉のあいだの「間」や「抑揚」も記載しているものが載っております。 これはかなり手間のかかるものですが、ご興味のある方はホームページをご覧ください。まず、よく見ていただきたいと思いますので、短い映像ですがご覧ください。
アリスティード・マイヨール 《夜》
アリスティード・マイヨール 《夜》
- いちばん最初にマイヨールの作品を見ました。いまご覧になって、何か思った方いらっしゃいますか。 一人もいらっしゃらないので質問を変えます。いまの授業風景を見て、可愛いなとか、作品に興味があって夢中で鑑賞しているんだなとか、少しでも思った方はおられたら挙手をお願いします。 はい、ありがとうございます。いまこの数分の映像の中でも、子どもたちが作品を前にして、自分を自由に開放して、作品にすっと入っていけていることがおわかりいただけたと思います。 多分、皆さんもそういった経験があると思います。いまの子どもたちをこれから皆さんと一緒に見ていきたいと思います。
クロード・モネ《睡蓮》
クロード・モネ《睡蓮》
- 本間
- はい、一度、ここで切りたいと思います。いちばん最初に作品に向かっていくところ、寄り道をしながら行くんですけども、いろんな作品に出会いながら行けるというのは美術館のいいところです。さきほど奥村先生が「さっきみたいに…」と何か言いかけるシーンがあります。 「さっきみたいに鑑賞しましょう」と促しますが、ここで子どもたちは勝手に鑑賞をはじめています。「蛙がいそう」という声に、奥村先生は「蛙?」と聞き返します。
- この子どもたちは3年生のとき、アートカードでゲームや鑑賞をよくやっています。それを覚えていてくれて「アートカードにあったよ」と言ってくれています。 皆さんはこの作品を見て、蛙とか、おたまじゃくしとか、水の下にある蓮根とか河童とか見えますか。 見える方がいらっしゃったら手を挙げてください。はい、ありがとうございます。 なかなか大人はこの絵を見て「蛙がいそう」とか、そういう見方は大人になってできなくなっていくのでしょうか。
- 本間
- この睡蓮の作品を見て「生き物がいる」という話を聞いたことがあると思いますが、子どもは自分の経験や体験したことを絵を見るときに活かしています。 知らず知らずのうちに体験を活かしながら、絵を見ます。みんな生き物に興味がありますし、クラスでもいろんな生き物を飼っていましたので、そういうことが重なったのかなと思いました。
- レジメにも書きましたが、子どもたちは作品を見るとき、指を指しています。会話25のところで、奥村先生と子どもたちが一緒に同時に指を指しています。 こんな風にいろんなことを共有しながら、子どもたちが見えたことを、言葉にするだけではなく、身振りとかふるまいとかでも表しているわけです。 自分がファシリテーターをしていると気づきにくいかと思いますが、 子どもたちは自然とこういう姿を見せながら鑑賞をしています。
- 奥村先生が「これ、今かな?」と質問します。 先生の側から「これ季節はいつかな?」と投げかける方法もあると思いますが、奥村先生は子どもたちの見ている視点から上手に語りかけています。 昨日のグループワークでも「見る視点」という話が出まして、どうしても教師は「ここを見てほしい」とか、作品を知ってほしいという思いがありますし、 作品の良さを感じてほしいという思いもあるのですが、できれば子どもたちから出てきた言葉とか、 みんなが興味を持っている視点からそういう方向に持っていけたらいいなという話が出ました。
- 本間
- 「これ、今かな?」と言ってあげるだけで、子どもたちが見る視点や世界が広がっていくのではないかと思います。
「これ、今かな?」と奥村先生が聞くと、「春か秋か」、「夏と冬はない」と話をしていますが、ここで季節はいつかという決定は出していません。
決定は出していませんが、子どもたちはきちんと絵から分かることを根拠にして話していることが大事なことだと思います。
子どもの「お花咲いているから冬ではないよね」は短い一言ですが、すごく大事なことだと思います。 花が咲いているのは当たり前と捉えるのか、きちんと描かれている花を根拠に自分の見方を作っていくか、大きな違いだと思います。よく絵を見ているなと思います。 中学年は、かなり根拠を持って理由を述べられる発達段階かなと思います。私は自分で授業をするには、根拠や理由を大事にして絵を見てほしいと思っています。 奥村先生も「なぜ?と聞くより、どこから?と聞いてあげると、児童が根拠を探しやすいし、言葉にしやすい」とおっしゃっています。 でも私たちはつい「どうして?」と聞いてしまいます。でも、「どこから、そう思ったの?」と聞いてあげると、 「ここにお花が咲いているから」とか「この緑色のところが河童の色と同じだ」とか出てきます。私も「どこから、そう思ったの?」と聞くように心がけています。 低学年の場合は、自分が思ったことをぽんぽん言ってしまいますが、低学年の子どもでも、絵をよく見て理由をもって話せますので、是非、聞いてほしいなと思います。
また、続きを見てください。はい「お花の道」が見えましたでしょうか。奥村先生のこのリラックスした姿はなかなか見られないと思います(笑)。 子どもたちと一緒になって鑑賞しているのは素敵だなと思います。子どもたちに自由に発言させるのが奥村先生のスタイルかなと思います。
- 本間
- いま指さしていますね。子どもが何か見つけます。この子が「奥のとこに…」と何かを見つけます。手を見てください。
彼女は奥の「花の道」を手で表現しています。奥村先生の「もっと広がっている」という発言は、絵の世界と子どもたちが見ている自由な世界がひろがっていく、
自分の世界になっているということではないでしょうか。すごく素敵な絵の鑑賞をしていると思います。ここでも非常に絵をよく見て語っていると思います。
ある子どもが「花の道」が見えたと言ったことに対して、「花の道だ」と共感したり、見えなかったものが見えたりする。これはみんなで鑑賞することの良さだと思います。
さっきの手をくねくねっとさせたり、指さすのもそうですが、普段、あまり発言しない子どももいます。 先生の中には、あの子どもは何か思っているに違いない、なにか一言でも話をさせたいとか、ワークシートを使うなど手立てをされていると思いますが、 お話しない子どもでも、ちょっと視線を動かしたり、ちょっと指を指したりという行為をしていることがあります。 その子どもはしっかり鑑賞していますから、機会があればこのように録画して見ていただくと、普段、聞いているのか聞いていないのか、 鑑賞している振る舞いが見えるかもしれませんので、是非、やっていただきたいと思います。
- 本間
- では先に行きます。「池の中に地球が入っている」は、スケールの大きな見方だと思います。
いま見ていただいた中でも、皆さん、自然と目がいっていると思いますが、こんな風に子どもたちが振る舞いながら鑑賞している姿をおわかりになっていただけると思います。
ある子どもが「森が見える」というと、みんなが森に見える箇所を指し示したりとか、ぼそぼそ独り言をいったり、発言している場面ですが、
自分が見えなかったものというのは誰かが話すことによって見えてきたりします。
あるいは自分が感じていなかったことを誰かが感じて、それを言葉にすることによって、自分もまるでその子になったように感じることができる。
グループで見ながら、いろんな見方が出来ていく。ここが鑑賞の授業のいいところだなと思いますが、
逆に「そんなことは気づかなかった」ということも発見できると思います。
子どもは自分が見つけられなかったことや感じていないことを、友だちが発見したり、見つけたりするわけです。
絵を見るって面白いですね。
昨日のグループワークの際、ある先生が「他人と見え方が違うと思ったその差が、自分の絵の見方である」とおっしゃっていました。みんなが同じ見え方というのはないですし、自分はこんな風に見えたからおかしいということはありません。 それが鑑賞のいいところです。算数なら行き着くまでのプロセスはありますが、答えが一つ。でも鑑賞はいろんな見方があっていい。他の人と見え方が違うから面白い。 他者との「差異」を楽しみながら鑑賞の世界を広げていくことも大事だと思いました。
- 最初、この男の子が「朝か昼か…」といいます。そこで奥村先生が「ん?」と聞き返して、もう一回「朝か昼か…」というと、女の子が「昼だよ昼」といいます。 この絵はいつ描かれたものかという話になっていきます。これも子どもから出たことですごいなと思ったのですが、こういうことはよく視点になります。 この場面、奥村先生は子どもにファシリテートされている感じです。子どもたち自身がファシリテーターであり、鑑賞者という形になります。 奥村先生は上手に「あ、そうか色も・・・ヒントだね。」といっていますが、これは子どもたちが色に着目して朝なのか昼なのか、 夕方なのかと言っていて、「あ、そうか色も・・・ヒントだね。」と意図的におっしゃられたのではないかと思います。 こういう一言が鑑賞の活動のなかで活きてくるスパイスになるわけです。 この場面で教師が「ここは、こういう色を使っているから、こう見えたんだね」と話してしまうと、子どもたちの世界から少し離れてしまいます。
- 本間
- この女の子は「地球が映っている」と最後まで地球にこだわりました。いわれてみると地球に見えますね。 たしかに地球の色はしています。ここで彼女の見方が変わった瞬間です。 「どこに映っているの?」と聞かれて、この男の子が「水に映っている」といってくれて、地球の色をしているということにたどり着いていきます。 こんな風に友だちの絵の見方を変えたり、自分の絵の見方を変えたりしながら鑑賞していっています。
ヤーコプ・ヨルダーンズ《ソドムを去るロトとその家族》
ヤーコプ・ヨルダーンズ《ソドムを去るロトとその家族》
- 本間
- 次の作品にいきたいと思います。映像をご覧ください。この作品は子どもたちが「物語」を作りながら鑑賞していきました。
作品が変わると、子どもたちの鑑賞のスタイルも変わってくるのかなと思います。もう絵の中にスッと入っていっています。ちょっと先に進みます。
この絵は天使に促されて、町から去る場面を描いたものです。 そのことを子どもたちは当然、知りません。いま映像をご覧いただきましたが、子どもたちはこの絵のことを知らないのに、この町から去っていくことを読み取っています。 なぜある程度、正確に読み解いているのは、断定できる理由は分かりませんが、絵を忠実によく見ることで、その絵からいろんなことを素直に感じ取れるからではないかと思います。 この子どもたちは3年生のとき、かなり鑑賞の授業をやってきましたので、それが少しは培われたのかなと思っていますが、絵から分かることを素直に言葉にすると、 その絵がよく見えてくるのではないかと私は思いました。
物語を子どもが作るとき、低学年の頃はどんどん仮定の話を作っていきます。 お話を作るときにどんどん横道にそれてしまうお話作りになったり、いつでも絵に立ち返ってお話を作ったり、絵に忠実にお話をつくったり。 こういう授業をされた先生は分かると思いますが、やはり絵からそれていかないような物語を作っていくほうがいいような気がします。
- 本間
- 私の場合、絵からそれた話になったら、絵に立ち返る話になるよう一言、言ったりしますが、あまり教師が軌道修正するのもよくないので、そういうとき鑑賞の授業は難しいなと感じます。
さきほど奥村先生が「お引っ越しをする」と女の子がいったときに、「引っ越しするってどうしてそう思ったの?」と言ったあと、慌てて「どこからそう思ったの?」と言い換えていますが、
その後、「大荷物だから」といっています。この一言も絵に立ち返らせる有効な一言になっています。こういうやりとりがあると、絵にすっと立ち返れます。
そのときに別の女の子が「ああ」といいます。彼女は絵を見て引っ越しということに共感したわけです。
では、先に行きます。
- これ、彼女は何をしているか分かりますか?この天使(の左手の指)が「あっちですよ」と指さしているところを真似しています。 ちょっと皆さん、やってもらえますか。ありがとうございます。この絵の天使の手は面白い形をしていますが、彼女は「手がねじれている」と言っています。 これはよく表現していると思います。いちばん手前の女の子は普通に指さしていますね。彼女は手がねじれているといって向きを変えますが、子どもってよく見ていると思います。 よく皆さんも「登場人物の真似をしてみよう」という活動をすることがあると思いますが、やるときはしっかりやったほうがいいと思います。 ただ単純に指を指すのと、手をねじって真似するのはちょっと見方が違うのかなと思います。
- では、先に行きます。奥村先生が今日の鑑賞についてまとめをしますが、いままでの子どもたちの鑑賞しているときと、奥村先生がまとめをしているときの子どもの表情をご覧ください。 どうですか、子どもの表情。この子どもは首をかしげて燃え尽きた表情です。 まとめを聞くよりも自分たちで話をしたいというか、子どもたちはここに来るまで楽しく鑑賞してきて、最後は絵を見切ったようなこういう表情になるのは面白いと思い、皆さんにお見せしました。
- 本間
- これは鑑賞の授業と関係なかったのですが、子どもたちはこの絵が気になっていたので見ています。
時間がないから奥村先生が「先に行こう」と引率するのですが、子どもたちは気になってしょうがない。
それで《ソドムを去るロトとその家族》の絵の前で奥村先生が子どもたちが気にしていた絵との関連性を指摘すると、子どもたちはみんな走って気になる絵を見にいくんです。
たぶん美術館の鑑賞ってこういうことが起きるのがいいなと思います。子どもたちは気になって自分の目で確かめたい。
ダッシュをして戻っていくところをお見せしました。
子どもたちは1年間、鑑賞の授業をしてきて、よく育ってくれたなというのが担任としての思いです。 奥村先生だからとか、鑑賞の授業をたくさんしている私だからではなく、子どもたちと一緒に絵を見る時間を作ることが、素敵な鑑賞者を作ったりとか、 子どもたちが鑑賞者として育つために大事なことだと思います。いいファシリテーターを連れてきて鑑賞をすることがいい鑑賞ではないですし、 経験のない先生がやってもいい鑑賞が生まれることもありますし、子どもたちは育っていくと思います。それが私も自分でやっていた実感です。 私は全科の教師なので今、図工は教えていません。 それでいろいろ時間を作って鑑賞の授業をやっていますが、1年間育った子どもたちの姿を見ていただけたかなと思います。
自分の発想や経験から絵を見るのが好きな子どもに育ってくれた。 それが絵をつかみとっていくことであったり、ファシリテーターを驚かすような絵の見方だったり、ファシリテーターをおいていくような絵の見方ができるようになっていくのだと思います。 絵の世界に自分たちが入っていくだけではなく、自分たちの世界に絵を引き寄せて見る。それが今回の鑑賞で見られたと感じています。
こんな風に自分が担任されている子どもと美術館に来ることができたらいいかなと思います。 子どもたちの言葉や表情、振る舞いに目を向けて、こういった取り組みは違う教科にも活かしていけると思いますので、 是非、これからいろんな場で子どもたちの素敵な姿を見ていてほしいなと思いました。私からは以上です。
どうもありがとうございました。