ギャラリートーク分析
1.小学生
- 司会
- それでは最初のプログラムです。ギャラリートーク分析は、あらかじめ行ったギャラリートークをビデオに撮って、先生と子ども、あるいは子ども同士の言葉や仕草のやりとりをじっくり観察して分析しようとするものです。今年のギャラリートーク分析は、昨年度、国立西洋美術館の常設展示室で収録したものです。小学生と中学生は同じ指導者で同じ3つの作品をギャラリートークしている映像をもとに分析します。この分析は小学生と中学生、両方を全員に見ていただきたいと思います。小学生と中学生の違いが明らかになっていますので、子どもの発達段階に応じた鑑賞教育を考える上で興味深いと思います。
こちらのビデオの中で講師をしているのは、奥村高明さんです。奥村先生は宮崎県で小学生と中学校の先生をされ、宮崎県立美術館の学芸員を務められたあと、平成17年度から文部科学省の教科調査官を務められました。平成23年から聖徳大学教授として教員養成にあたっていらっしゃいます。ギャラリートーク分析は前半に小学生、後半に中学生の分析をいたします。最初に小学校4年生の分析をしたいと思います。本間先生は東京都港区立御成門小学校の全科の先生として、現在5年生を担任されています。同時に大学院でご研究されています。兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科の博士課程1年目で「対話を用いた鑑賞活動の学習過程」についてご研究中です。今回のギャラリートーク分析は、本間先生が担任の子どもたちを奥村先生がギャラリートークして、それを本間先生が分析するという形になります。 それでは本間先生、よろしくお願いいたします。
それでは本間先生、よろしくお願いいたします。
- 本間
- 皆さん、改めましておはようございます。いまご紹介にありましたように港区立御成門小学校で5年生の担任をしております。私は全科ではありませんので図工は教えていませんが、鑑賞教育についてずっと研究を進めてまいりました。今日見ていただくのは、今5年生ですけれども昨年度4年生の時の子どもたちを西洋美術館で鑑賞した様子を見ていきたいと思います。子どもたちが鑑賞をすることで学んでいく様子をじっくりと見る機会はないと思いますので、どんなふうに子どもたちが奥村先生を介して絵を見ていくのかを皆さんと見ていただきたいと思います。登場する子どもたちは私が3年生のときに担任をしていまして、4年生で一度離れて、いま5年生で担任をしております。では最初にどんな子どもたちなのかを見ていきます。
アリスティード・マイヨール 《夜》
アリスティード・マイヨール 《夜》
- 本間
- いちばん最初は彫刻の鑑賞をしたところですが、皆さんの目にどんなふうに映ったでしょうか。いまお手元に「ギャラリートーク分析資料」がございますか。次のモネの作品から子どもたちが発話したものを文字起こししてあります。本当はもっと専門的な書き方があり、普段はそれを使って研究をしておりますが、今回は皆さんが読みやすいよう普通の言葉で書き表しています。詳細が見たい方は昨年度のホームページに掲載されていますので、そちらをご覧ください。
いま子どもたちは、奥村先生に「触らないでね」といわれるほど近づいて見ていました。昨日のグループワークでも「作品が触れたらいいのに」という意見がありましたが、子どもたちもそのくらいの勢いで作品を見ていたと思います。少しウォーミングアップをして、その後、本題の「睡蓮」の鑑賞に移っていきます。
クロード・モネ《睡蓮》
クロード・モネ《睡蓮》
- 本間
- 皆さん、この絵を見て、アメンボやおたまじゃくしが見えますか?見えませんか?皆さん、残念ながら子どもの心を失ってしまったようです(笑)。子どもたちはアメンボがいるとか河童がいるとかいろんなことを言っていましたが、子どもたちは生き物が好きなので自分たちの経験を踏まえたり、この作品を見て「生き物が潜んでいそうだな」ということを感じながら鑑賞していたのかなと思います。
- ちょうど今、奥村先生と子供たちが同じとことに目線を向けて「ほら、ここにいるよ」と言っている場面です。とってもいい場面だと思い繰り返して見ていましたが、子どもたちが指を指したり、のぞきこんだりしながら、言葉を発してなくても、体で、あるいは目線を向けて絵と鑑賞している姿が見られますので、そういうところも追いながら子どもたちの鑑賞の様子を見ていただければと思います。
- 本間
- 奥村先生が「これ、・・今かな?」と子どもたちに聞きます。昨日のグループワークで対話による鑑賞であるギャラリートークをするとき、子どもたちにどんな言葉を投げかけたらいいかという話を考えた場面があるのですが、そのときに場面や時間、季節、色、形に視点が向くような話がたくさん出てきました。この場面、奥村先生が子どもたちが見ている視点や話題を大事にしながら、「これ、・・今かな?」と言ってあげると、子どもたちが「これはいつなんだろう」ともう一回、絵に立ち返っています。それで子どもたちが「お花さいているから冬ではないよね」。これは絵から分かることを根拠にして、話をしていますね。自分の経験から語っているところです。奥村先生はたくさん喋っていませんが、子どもたちが喋る最中に一つポンと言ってあげると、鑑賞が深まると思います。
子どもが、「なになにが見え」、「こう思う」と言ったときに、つい先生は「どうして?」と聞いてしまうことがあります。これは私が奥村先生に教えていただいて大事にしていることですが、「どうして?と聞くと子どもは答えにくい」ということです。「どこからそう思ったの?」と聞いてあげることが大事だと教えられました。それ以来、私も「どうして?」とは聞かずに「どこから?」と聞くようにし、「茂みがあるから生き物がいそう」とか「色とりどりの花が咲いているから春だと思う」というように、絵に描かれていることを基にして子どもたちが語れます。
- 本間
- 子どもが「花の道が見える」と言っているのは、絵の奥のほうですね。これもなんとなくではなく、「だって水のところがあまり見えないから、お花とか葉っぱとかいっぱい」と絵に描かれていることを根拠に言っています。
美術館でギャラリートークをした経験のある方、いますか?どんなスタイルかは分かりませんけど、この映像を見ても奥村先生、非常にリラックスされています。皆さんの奥村先生へのイメージとかけ離れた部分もあるかと思いますが(笑)、子ども側に入ってリラックスして見ているのは、子どもたちが非常に絵を見やすい雰囲気を作っていますし、先生自身も楽しんで絵を見ているのかなと思いました。では次の作品に行きます。
- 本間
- ここは、子どもたちから朝かな昼かなという疑問が出てきて、そこからトークが展開していくというパターンです。
- ここで色の話が出てきます。奥村先生はそこを逃さず「あ、そうか色も・・」と言っています。その後、「あ、そうか色も・・ヒントだね」と、色や形も大事にして絵を見ていく必要があるので、先生は「この絵は何色が使ってあって…」という説明に走らずに「ヒントだね」とおっしゃいました。この後、結論は出ませんがいろんなやりとりが続きます。
- 奥村先生が「黄色や赤は見えないってことは、じゃ、逆に青とかそういう空の色とかが見えるってこと?どこに?」と聞きます。いま指を指している男の子は鑑賞の授業では絵と豊かな会話をする子どもで、いつも素直に絵に向かい合っています。ある意味、鑑賞というのは、算数や国語と違って答えがないので言いやすい部分もあるかもしれません。この子どもが「え、映っている」と言います。別の子どもが「地球が映っている」と話題を変えます。奥村先生は「地球が映ってる?でも、水の中から見たら外はみんな地球かもしれないね」と肯定する言葉で子どもたちを受け止めています。
- 本間
- 次は「地球の色してる」という発言が出てきます。最初は地球そのもの、その後は地球が映っている、それは水面の色からですね。こんどは「地球の色してる」と語りが変わります。そうすると今度は周りの子は笑いながらも「地球なんておかしいんじゃないの」とブーイングしていましたが、「たしかに地球の色はしてる」とまわりの子どもたちもすとんと落ちます。一人で見ていても分からないこと、見つからないことが、こういう風に何人かで見ていると最初の見方と絵の見方が変わってくるところがギャラリートークの面白いところであったり、絵の見方が深まっていくのかなと思います。
ヤーコプ・ヨルダーンズ《ソドムを去るロトとその家族》
ヤーコプ・ヨルダーンズ《ソドムを去るロトとその家族》
- 本間
- 次の絵に進みます。先ほどの「睡蓮」とは絵の印象が違いますから、子どもたちのトークの内容も違ってきましから、その辺りも較べながら見ていただければと思います。さきほどの鑑賞とは内容とか傾向が違うことが分かりますか。人物が出てきたことにより、子どもたちは物語を語っています。
- お引っ越しをする。これ、その通りですね。タイトルも「ソドムを去るロトとその家族」ですから。奥村先生が「引っ越しをするってどうしてそう思ったの?」と言ったあと、たぶん無意識に「どこからそう思ったの?」と言い換えて問いかけると、子どもが「大荷物だから」と答えます。それで「あー」と別のこどもが言って、「なるほどね」という感じですとんと落ちるわけです。天使に先導されながら引っ越しをしていく。それで天使が指を指していますね。これに気が付いて奥の女の子が真似をしています。
- 本間
- この女の子は右手の人差指で真似をしていますが、向こうに行くよと真似をしています。
皆さん、低学年の場合、絵に描かれていることを真似させることもあると思いますが、その場合、子どもたちにしっかり真似をさせたいと私は考えています。絵をよく見るために真似をさせているわけですから。なんとなくいい加減に真似すると、絵が可哀想かなという気もするので、もしこういう取り組みをするのであれば「よく見てね、本当にそうなっているかな?」と言ってあげると、もう一度、絵に立ち返ることができるかなと思います。
- 本間
- レジメを見ていただくと分かりますが、奥村先生はこの場面に限らず、子どもが言った言葉を繰り返しています。たとえば「今日で最後の日とか」と子供がいうと、「え、何の最後の日?」、子どもが「ちょう遠いから」というと同じく「ちょう遠いから」、「靴もないから」「靴ないね」と繰り返します。奥村先生はみんなでもう一回、絵を見るという意味で繰り返しをされています。絵に立ち返るという意味で繰り返してあげると、見ていない子どももいますから、たまに繰り返しのテクニックを使うこともいいかなと思います。奥村先生はテンポがいいので、それも大事かなと思いました。
この絵の背景を子どもたちは非常によく言い当てていて、それが目的ではありませんが、せっかく本物を見ていますから、ギャラリートークが作品の良さや魅力、意味に迫っていくのはいいことだと思います。なぜ、子どもたちがこの絵を読み解いていったのかは私も不思議なことで、ある先生にお聞きしたら、「子どもたちが鑑賞の際、素直に絵に向き合っている。それと描かれているものに目を向けて発言をしていて、みんなで共有しながら見ると絵を読み解いていけるのではないか」と言っていました。この絵に限らず、鑑賞をしていく中で子どもたちは絵を読み解いていくケースが多いです。絵の世界に入っていくだけではなく、絵を自分の世界に引き寄せてもいます。今回、とくに顕著でした。
- 本間
- 後日談があります。今年、この子どもたちと東京近代美術館でギャラリートークをする機会を持つことができました。私も学校の中では鑑賞の授業をしていますが美術館は初めてでやっと念願がかなったという感じでさせていただきました。最後に5年生になった子どもたちがどういう風に鑑賞したかを見ていただきたいと思います。
外の人は雨ざらしで可哀想とか、中の人もなにもできなくて可哀想とかいろいろ言い合っています。子どもたちは3年生のときアートカードでこの作品を見ているので、見つけると「あったあった」と騒いでいます。子どもたちは「鑑賞する」ことが自然と身についていて、どんどん作品を見ていきます。
- いまいちばん奥の子どもが何を見ているか分かりますか。これを絵のキャプションを読んでいます。高学年になると多少、鑑賞ということを覚えるわけです。これは誰が描いたんだろうとか、どういう背景があるかとか低学年の頃はさほど気にならなかったことが気になってきて、読んでいるところです。それで子どもが「これ、足で描いたんだって」と重要な情報をみんなに伝えます。私はもう言ってしまったかと思ったのですが、この時はキャプションは隠せなかったため仕方ないかなと。
- 本間
- 奥の黄緑の服の子どもはキャプションを読み上げながら、絵の情報を伝えています。これはいいタイミングで言ってくれたかなと思います。筆で描いていると思っていたところ、実は足で描いたことが分かり、足跡を探したり、絵の見方がどんどん広がっていったところです。
- 最後は高松次郎さんの作品を鑑賞しました。これは写真なのか絵なのか、一人なのか二人なのか、さんざん揉めたあとに私が影であることを言います。そうすると「影でも色が変わるし、動くし、どうなっているんだろう」と言っているうちに、青い女の子が手をかざします。そうすると「あ、色の違う影ができたよ」と発見した場面です。私は「あ、影ができた」という瞬間に鳥肌が立ちました。子どもたちは経験したり、真似したり、いろんなことを語ったりしながら絵と向き合って鑑賞しているんだなと感動しました。
子どもたちが3年生から鑑賞の活動をすることで経験が豊かになり、ファシリテーターの役目もするし鑑賞者として絵を見ることができるように育ったという部分と、子どもたち自身が本来持っていた良さとの相乗効果があったと思います。トーカーがいいからとかではなく、まずは子どもたちとまっすぐに絵と向かい合う、初心に帰ることを心掛けています。
ご清聴ありがとうございました。