講演
「子供たちが自分の中に新しい意味や価値をつくりだす創造活動を通した学び」
東良雅人
文部科学省初等中等教育局教育課程課 教科調査官
(併)国立教育政策研究所教育課程研究センター研究開発部 教育課程調査官
[略歴]
昭和62年に京都市立の公立中学校の美術科教諭として赴任。
その後、京都市の公立小学校図画工作の専科を担当。
平成14年から平成23年3月まで京都市の教育委員会で指導主事を務める。
平成23年4月より現職。
ごあいさつ
それでは皆さん、改めましておはようございます。今ご紹介いただきました文部科学省初等中等教育局で教科調査官をしております東良と申します。今日一日、先生方と一緒に私自身も学んでいきたいとおもいますので、どうぞ最後までよろしくお願いします。
最初に映像を見ていだだきます。これは皆さんがここに入場するずっと前の時間に、今日のグループワークを担当する各班のファシリテーターが皆さんの今日の研修を充実したものにするために、使用する作品等を通してどういった研修をしてもらおうかとかなり早くから準備をしています。それぞれの場所にファシリテーターがかなり細かいところまで気を使って準備をされています。
実はこれ先生方も同じで授業をするときに、こういったことを教材研究という形でしていると思います。ですから今日は研修で鑑賞教育に関することを学んだり協議したりすると思いますが、その過程も十分に捉えていただきながら授業づくりに生かしていただければと思います。今日は、先ほど一條さんからお話がありましたように、指導者研修が、平成18年度からはじまって平成27年度の開催で10年目ということなんですが、10年目にあたる今年度は、100人の方々にお集りいただき、10年で100人というなにかきりが良くて縁起のいい、今回の2日間の研修の成功を予感させるようなスタートになったなと思います。昔は、画面のように指導者研修のカリキュラムを冊子で年度ごとにまとめていましたが、ここ数年はウェブサイト上ですべての人が見られるようになっています。これも事務局は準備が大変だと思いますが、そういう中で積み重ねてきた研修だと思います。
学習指導要領における鑑賞の活動の位置付け
私が専門とする学習指導要領で考えていきますと、現行の指導要領の前の平成10年のときに学習指導要領を作る際に審議会がいろいろな検討をした、「改善の基本方針」では、「豊かな表現活動や鑑賞活動をしていくための基礎となる資質・能力を一層育てられるようにする」という方向性を出しています。それまではどちらかというと表現のことが書かれることが多かった現状もあったわけですが、この年にかなり鑑賞を重視した答申になったといえると思います。そのときに「その際、地域の美術館等の活用を図るように配慮する」という美術館の活用を促す内容も出されました。
例えば中学校の美術科の改善に関して具体的にいいますと、「我が国及び諸外国の美術文化や表現の特質などについて関心や理解、作品の見方を深める鑑賞の指導が一層充実して行われるようにする」。こういった言葉が入るということは、その前にはこういったことに課題があったということだといえると思います。また、「その際、我が国の美術についても重視する」。これも以前はどちらかというと日本の美術作品よりも諸外国、とくに西洋の美術作品が中心となった鑑賞教育が行われていた実態を表しています。そして最後には「また、『鑑賞』に充てる授業時数を十分確保するようにする」ということが答申に書かれるということは、美術の授業においてどちらかというと「表現」に重点が置かれていて、「鑑賞」が十分に行われていなかった。あるいは鑑賞が行われていても表現の補助的な役割しかなかったことや、鑑賞に関する知識を暗記するようなものが中心だったのが前回の学習指導要領の前までは現状としてあったということを示しているといえます。
現行の学習指導要領における改訂では、「よさや美しさを鑑賞する喜びを味わうようにするとともに、感じ取る力や思考する力を一層豊かに育てるために、自分の思いを語り合ったり、自分の価値意識をもって批評し合ったりするなど、鑑賞の指導を重視する」と示され、単に鑑賞の量的なものだけではなく、鑑賞の質的なもの、特に鑑賞の活動を通してどのような力を育んでいくのかという資質・能力の視点から答申が出されて、今に至っているわけです。
平成18年にはじまったこの美術館指導者研修は、学習指導要領が改訂される過程と並行しながら鑑賞教育の充実に向けて積み重ねられてきたといってもいいと思います。ですから、そういった意味では、この美術館指導者研修は、美術館との連携だけに止まらず、学校教育において子どもたちが作品の鑑賞の活動を通して自分の見方や感じ方を大切にして向き合い、そして自分の中に新しい意味や価値をつくりだす。そういった鑑賞の学習の充実にも大きな役割を果たしてきたと思います。
現行の学習指導要領の中では小学校図画工作科では「地域の美術館などを利用したり、連携を図ったりすること」が内容の取扱いに示されています。また、中学校美術科でも同様に「美術館、博物館等の施設や文化財などを積極的に活用すること」と示されています。高等学校芸術科においても「地域や学校の実態に応じて、文化施設、社会教育施設、地域の文化財等の活用を図ったり地域の人材の協力を求めたりすること」というように、我が国の図画工作、美術、工芸教育においては、学習指導要領に小、中、高と美術館等の活用が示されているわけです。
ただ、現実を見るとなかなか近隣に美術館がない、交通手段が難しいなどいろいろ苦労されるケースがあるかと思います。しかし、そういったことを様々な工夫で乗り越えていくことが非常に求められています。また、美術館との連携についても単に美術館に行くことだけを連携としているのではなく、そこにあるこれまで蓄積されてきた美術館のもつノウハウや資産的なもの、もう一つは学芸員や教育普及担当の方と連携して授業づくりをしていくことなど、そういったことを含めての連携として捉え、是非、それぞれの地域で「なにができるんだろうか」をスタートラインとして考えていくことが、美術館との連携を前に進めていく大きな力になると思います。
是非、この10年間の節目の指導者研修の2日間、先生方に充実した2日間を過ごしていただくとともに、どうぞ皆さん、丸2日間、鑑賞に特化してどっぷりと浸かって過ごすいうのはなかなかないと思いますので研修をみなさんの手で充実させることと、この指導者研修での人との出会いを大事にしながら全国のネットワークをひろげることをすすめていただければと思います。
子どもたちがこれから生きる社会と学び
鑑賞教育というのは子どもの学びです。ですから私たちはこれから子どもたちが生きる社会、そこで教育においてどういったことが必要かを知り、そして子どもの学びをイメージしながら鑑賞教育を考えていくのが大事なことだろうと思います。今年2015年に生まれた子どもたちが例えば平均余命でいえば2100年まで生きる子どもたちが出てくるわけです。2100年がどんな時代になるかは私にも想像もつきませんが、そういったこれからの社会のことをイメージすることも大事だと思います。私たちが子どもだった頃に描いていた社会とはまったく違う社会がこれからの子どもたちには訪れてくるわけです。そういったなかで子どもたちの生き方と関わる創造活動を通した学び、これを考えていくことが私たちが関わっている教育の大きな役割の一つであると思います。
昨今、諸外国の有識者の方々がこういった近未来の予測をしています。たとえば「子供たちの65%は、大学卒業後、今は存在していない職業に就く」。また「今後10~20年程度で、約47%の仕事が自動化される可能性が高い」。そして「2030年までには、週15時間程度働けば済むようになる」。こういった予測をされている学者もおられるわけです。もちろん未来のことですから、本当にこうなるかはわかりませんが、しかしこういったことというのは、知識基盤社会といわれる今の世の中の状況においても十分、考えられるのではと思います。
そんななか、近未来への予測の通りに世の中が変わりいくら労働がロボットに置き換わったとしても、人間の「主体性」や、人間が生み出す「創造性」、人間だから生み出すことができる「豊かな感性」というものは、そういったものには置き換わることはないのではないでしょうか。また、これまで学校教育において「主体性」や「創造性」「豊かな感性」というものを大切にしてきたのは、まさに、図工や美術、工芸、芸術ではなかったでしょうか。ですからこれからの時代はますます芸術を通した学びは、今まで以上に子どもたち一人一人に確かに働いていき、単に役に立つというだけの狭いものではなく、子どもの生き方そのものに関わっていくような学びになっていく必要があるのだろうと思います。
ただ図画工作科、美術科などの授業の現状はどうでしょうか。普段の授業は本当にそういった子どもの学びになるような授業になっているでしょうか、そういったことを我々は今一度振り返って考えていく必要があると思います。そしてこの指導者研修会でも鑑賞教育においてもちょうど10年の折り返しのときに、これまでの振り返りが2日間を通した研修の中で考えていくことの一つの柱になってもいいのではないかと考えています。
ご存知の方も多いと思いますが、昨年11月20日に文部科学大臣より中教審に「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について」という、次の学習指導要領の改訂に関する諮問が行われました。現在これを受けた、これからのさまざまな教育課程の基準等の在り方、教育目標・内容と学習・指導方法、学習過程の在り方を一体として捉えた、新しい時代にふさわしい学習指導要領等の基本的な考え方などの検討が続いています。
次期学習指導要領の改訂の内容については現在検討中であり、まだ何かが決まったわけではないですが、その中でこれからの社会についてこのように触れています。「子供たちが成人して社会で活躍する頃には、生産年齢人口の減少、グローバル化の進展や絶え間ない技術革新等により、社会や職業の在り方そのものの大きく変化する可能性」があり、そして「そうした厳しい挑戦の時代を乗り越え、伝統や文化に立脚し、高い志や意欲を持つ自立した人間として、他社と協働しながら価値の創造に挑み、未来を切り開いていく力が必要」というように示されています。
この中では、一つは学ぶことと社会のつながりを意識させるということ。現状、学ぶということと社会とのつながりや、一人一人の生き方とのつながりが弱いのではないか。どちらかというと受験のための学問という側面になっている面はまだまだあるわけです。ですから、学ぶこととは何かということを子どもたちがしっかりと考えて意識化するということ、そして指導としては、「何を教えるか」という知識の質・量の改善はもちろんですが、「どのように学ぶか」ということを重視し、「課題の発見と解決に向けた主体的・協働的な学び(いわゆるアクティブ・ラーニング)」、これを充実させていこうということです。
大事なことは、学びを通して、課題の発見と解決、そして主体的・協働的な学びが、この学力の重要な要素といわれる、知識・技能や思考力・判断力・表現力等、そして主体的に学ぶという3つの学力の重要な要素をつなげる役割を果たしていくということです。~何を知っているか、何ができるか、知っていること・できることをどう使うか、そして何より「どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか」という一人一人の子どもたちの自己実現に向けて、どのように学ぶかという課題の発見や解決に向けた主体的・協働的な学習を通してつなげていこうというのが今、議論されているところです。
そういった意味でいうと鑑賞の学習の活動においても、単に定まった価値を学んだり知識を暗記したりするようなだけの鑑賞の学習ではなく、子どもたち自身が自分たちの見方や感じ方を大切にして作品と向き合いながら、子どもたち自身のなかに新しい意味や価値をつくりだしていくことができるような鑑賞の活動が求められていると思います。そして、もう一つは「どのような力が身に付いたか」という学習評価を子どもの学びや指導の改善に生かすことも重要であるということです。今後、教育行政の進捗状況に注視していただきながらも、まずは先生方が今の目の前の子どもたちに鑑賞の活動を通して子供の学びを起点とした授業づくりを行っていくことが大切だと思います。
学校教育における鑑賞の学習
鑑賞の学習や鑑賞教育という言葉は、広い意味をもっています。たとえば社会教育的な意味合いをもつこともありますし、好きな子どもたちだけが集まって学習することもあります。今日私がお話することは、全ての子どもたちを対象とした学校教育における鑑賞の学習として鑑賞教育を位置付けてお話をしたいと思います。ですから全ての子どもたちが対象になっているということは、学校の授業で行われることを原則としながら、学習指導要領にも基づいているということ、ここを今日の鑑賞教育の定義としてお話をさせていただきます。また、もう少し幅の広い視点の鑑賞教育については、明日のワールドカフェや講演などで触れられるかもしれません。
学校教育における鑑賞教育を考えるときに、まずやはり「全ての子どもたちは豊かな存在である」ことを前提に考えていくことが大事だと思います。大人の中の世界の価値観を子どもに与える教育ではなく、子ども自身が創造性豊かな存在であり、鑑賞という作品と向かい合ったり、感じ方を深めたり味わったりすることを通じて、子ども一人一人がもっている豊かさをより一層豊かにしていく、そういった視点で子どもたちと向き合っていくことが大事だと思います。
鑑賞の授業づくりにおいて、先生側に対象や活動の必然性があるのは学習ですからあるわけですが、子どもの実態を無視して先生側の必然性だけで進められる鑑賞の学習というのは、非常に形式的な進み方になることで、子どもたちの学びや存在が薄まる、そういう学習活動も見受けられます。つねに子どもの学びを中心に置いて、それを起点として考えていくということが大事だと思います。たとえば小学校学習指導要領図画工作科では解説に「児童は、視覚や触覚などの様々な感覚、自分の行為などを通して身の回りの世界を把握している、そこに、経験や発達の状況、伝統や文化などが加わって、よさや美しさなどをとらえている。さらに、感じたことを、自分で確かめたり友人と話し合ったりするなどして、その見方や考え方を深めている。表現や鑑賞の活動においても、児童は対象から感じた形や色、イメージなどを基に、主体的によさや美しさを感じ取ったり、自分なりの意味をつくりだしたりする活動を行っている」との記述があります。これが小学校の図画工作における鑑賞の学習での大切な視点の一つだと思います。
中学校学習指導要領美術科では解説に「鑑賞は単に知識や定まった価値を学ぶだけの学習でなく、知識なども活用しながら、様々な視点で思いを巡らせ、自分の中に新しい価値をつくりだす学習である」としています。高等学校芸術科(美術、工芸)では解説に「生徒が対象に対し能動的に接し、感性を豊かに働かせて、作品などに対する自分としての意味や価値をつくりだすことが求められる」との記述があります。これは、図画工作科の「自分なりの意味をつくりだしたりする活動を行っている」と同様に鑑賞の活動が創造活動であると述べています。創造活動というと「表現」であると思いがちですが「鑑賞」も創造活動であり、「自分の中に新しい意味や価値をつくりだすこと」がそれにつながることですから、美術館と連携した鑑賞の学習においてもここを目指していく必要があろうかと思います。このように新しい意味や価値をつくりだす創造活動の側面をもつ学習活動は、これからも必要とされる「主体性」「創造性」「豊かな感性」を育てる上で大切なことです。これらのことは鑑賞の活動なかで育てられる部分も大きいわけです。そして鑑賞の活動を通してこれまで述べてきたものを育てていこうとすることが大事だと思います。
美術館と中学校の連携の実践から
これから実践を見ていただきますが、美術館ではなく、美術館が学校に出前にきてくださって授業をする実践です。これは埼玉県立近代美術館に協力していただきながら行ったものです。
これは「グッドデザインの椅子に座ってみよう!」ということで、座りごこちを確かめよう、スケッチしながら椅子の美しさを鑑賞しよう、目的や機能を発表しようという3つの学習のねらいで行われました。美術館が協力をして学校に10脚の椅子を持ち込んで鑑賞の活動をしていきます。
最初に美術館側から生徒の学習のねらいを明確にしたりリラックスさせて鑑賞の世界に入りやすくしたりする意味も込めてオリエンテーションを行っています。
いろいろな座り方をしているは遊んでいるのではなく、美術館側から「何種類の座り方が考えられるだろうか」という視点が示されています。それで子どもたちがいろいろ試していくわけです。これはトーネット社のロッキングチェアーです。いま家にロッキングチェアーのある方っていらっしゃいますか。意外なんですが子どもたちは座ったことがない子どもも多いので座ると怖がります。実際に私も座ってみましたが、後ろにひっくり返るような感じを受けるのですね。これは「ブルム」という作品です。生徒が座っている生徒の上に乗っていますが、これは遊んでいるのではなく、こういう風に座ってごらんと書いてあります。このブルムの作者は、人の上に座ったときの心地よさを表現しようと思ったそうです。それを実感するために生徒は、まず椅子に座っている人の上に座って、次に椅子だけに座ります。こういった座り心地を直接体験して実感を伴う理解を深まる活動は、美術館を活用したり、連携したりすることの大きなメリットです。こんどはスケッチをして、椅子の構造や用途などの理解を深めます。こういった直接美術館を活用するのではなく、学校に作品を持ち込むという美術館との連携もあるわけです。学芸員の方や教育普及担当と連携を取りながら授業づくりをする、これも美術館との連携の大きな役割です。
子どもたちが自分で価値や答えを見つけ出す活動を
学校教育においての図工や美術、工芸等の教科、科目における鑑賞の学習では、「活動のねらい」を指導者が明確にしておくことが重要です。そのときに学習指導要領と照らし合わせながら、活動のねらいを明らかにしていくわけです。先生がこの活動のねらいを明確にもっていないと、その後の授業も先生が的確な指導や子どもの評価ができなくなってしまいます。学習指導要領では、小学校、中学校、高等学校と鑑賞の指導事項においてこのように「活動のねらい」がしっかり決まっています。また、例えば中学校は2年生と3年生が内容がひとくくりで示されていますが、中学校の2年生と3年生では子どもの発達の度合いに多くの違いが見られます。ですからそれらを考慮することも重要です。また、小学校図画工作科や中学校美術科では〔共通事項〕がありますから、それらの位置付けも子どもの実態に応じて考えながら「活動のねらい」を明確にすることが大事だと思います。
活動のねらいの明確化とともに大事にしてほしいのは、子どもたちが「自分の見方や感じ方、考え方を大切にしながら鑑賞活動をする」ということです。ここはすごく大事なことです。もう一つは、さきほど学習指導要領における小・中・高の鑑賞を説明しましたが、「自分の中に新しい価値や意味をつくりだす」鑑賞を目指しているということです。この二つを重視して活動のねらいを実現していくことが大事だと思います。
たとえば今、プレゼンテーションで見ていただいているような自転車の練習で親子が一緒に乗って親がハンドルを持って「自転車に乗るとはどういう感覚なのか」ということを感じ取らせながら練習させることがあると思います。こういうことは時には必要ですが、いつまででもこれでは子どもは自転車に乗ることはできませんね。鑑賞の授業でも同じように子どもに一生懸命にペダルを漕がせてはいるけれど、先生がずっとハンドルを持っているケースが見受けられます。この場合、ゴールは先生が行きたい場所にしか行けません。子どもたちに「自由に見ていいよ」と言いつつ、最後は先生の価値へ運ぼうとするわけです。こういった鑑賞の学習がときどき見受けられます。
では、子どもたちが好き勝手に自由に自転車を運転するように鑑賞の授業をしていいかといえばそれは違うと思います。よくあるパターンが自転車を与えて「好きにしていい」というパターン。こうなってしまうと学習でもなんでもありません。なんのねらいもなく自由にさせても、自分の力で学べる子もいるでしょうが、自分の力で学べない子どもは見方や感じ方を深めることができないのではないでしょうか。このようなことを考えても必ず、活動のねらいが必要なわけです。ただし、活動のねらいを示せばいいかというと、自転車でたとえるなら両脇を固められた状態の場合、決められた道を進むしかない、結局は先生が示したゴールにしかたどり着けない、こういった鑑賞の活動も考えられるので留意する必要があります。
創造活動である鑑賞の活動においては「活動のねらい」に基づきながらも、子どもたちが思考・判断して、様々な見方や感じ方、考え方をし、思いを巡らしながら自分で答えを見つけ出していくような、そういった鑑賞の活動を目指していく必要があります。活動のねらいに基づいた子どもたちの答えはいろいろあります。だからこそ言語活動等でお互いに批評しあう活動をすると、同じ絵を見ていてもいろんな見方や感じ方があることに気付く。子どもたちが自分の見方や感じ方、考えを他者と比較するなかで、新しい見方や感じ方に気付くということがそこに生まれるわけです。
「発達の段階」を考慮する
もう一つは、子どもたちが見付けた答えがどこまでも続く可能性もあるということです。活動のねらいで一つの答えを見付けたらそれで終わりではなく、子どもはそこからどんどん見方や感じ方をひろげていくことにもつながっていく。こういった可能性を大切にしていく必要があります。子どもにハンドルを持たせても幅の狭い、最初から設定されたゴールにしか行けないようにならないよう活動を考えていく必要があります。そのためには子どもたちが、生活や経験・体験、学校、地域社会、自然・環境、文化など子どもたちの生き方とのかかわりのなかで鑑賞と向き合えることが求められると思います。小、中、高と発達の段階により当然、見方や感じ方は変わってくるわけですから、作者の心情や主題を読み取る力はどんどんその中で高まっていくと思います。そういったことを考えていきながら、子どもたちが対象を自分の生きることとのかかわりの中で見つめ、豊かに感じ取り、味わうためには、どうやって作品の中に飛び込ませたらいいのかを考えながら鑑賞の活動をしていくことが重要です。
そして単に作品を見て終わるのではなく、そのことから形や色のコミュニケーションを通して「ひと」や「もの」「ものごと」と繋がる。学びと社会がつながっている、生き方と鑑賞教育がつながっているようなイメージを持ちながら活動を考えていくことが大事だと思います。そのためには、「自分の見方や感じ方、考え方を大切にする」、そして「自分の中に新しい価値や意味をつくりだしていく」そこを目指していく。ただこれは、1回の鑑賞の授業でできることではありません。日々の図画工作、美術の表現及び鑑賞の学習を通して育んでいくものです。やはり普段の授業が大事ということです。
もうひとつ大事なことは、「発達の段階」を考慮することです。学習指導要領には各学校段階における目標及び内容などを示していますが、実際の子どもたちの発達の段階はそれぞれの違いがあります。それを先生が捉らえて考慮するということが大切です。もう一つは、子どもたちの実態、とくに今までどの程度鑑賞の活動を行ったのかなども十分考配慮しながら活動のねらいを基に作品となる対象を決めたり、活動や手だてを考えたりする。これが望ましいのだろうと思います。そのためには活動のねらいを子どもたちが実感を持って実現できるよう、たとえば「テーマ」や「視点」を示すことも必要になるかもしれません。ただ、この「テーマ」や「視点」の与え方やタイミングをどうするかは、活動のねらいによるわけです。形式的なものではありません。例えばさきほど見ていただいたグッドデザインの椅子に座ってみようという鑑賞の授業では、「目的や機能との調和のとれた洗練された美しさなどを感じ取り見方を深め」というのが活動のねらいです。授業の導入の段階で美術館の教育普及担当の方が「この椅子の座り心地を想像して」と言っています。これは本当に大事なことです。これが子どもたちの見つめる視点になるわけです。
「感性」をしっかり働かす活動を
そして、「見つめる」「感じ取る」という「感性」を子どもたちに働かせることが重要です。「感性」は、様々な対象や事象を心に感じ取る働きであるとともに、知性と一体化して創造性をはぐくむ重要なものであると小学校の学習指導要領に示していますが、こういった感性というものを働かせながら作品と向かい合うことができるようにすることも大切だと思います。
今回の中教審への諮問においても、新しい時代に必要になる資質・能力の育成という中で「これからの時代を、自立した人間として多様な他者と協働しながら創造的に生きていくために必要な資質・能力」において、「豊かな感性」も含まれています。そして、これからも感性の育成は一層重視されていくと思います。よさや美しさなどを感じ取る感性は、子どもたちが能動的な活動になってはじめて働くものだと思います。ですから鑑賞の学習が受け身であればあるほど、子どもたちの感性は働きにくい。子どもたちが鑑賞の活動を自分のこととして捉えて能動的に対象と向き合うことができるような学習活動を考えていくことが大事です。そのときに〔共通事項〕のなかに示した造形的な要素に視点をもたせることなども、子どもたちが「形」や「色」に豊かにかかわり、心を働かせることにつながるわけです。そういったことを考えながら「対象」と「活動」を「子どもの学び」を起点として結びつけながら、鑑賞の学習を作り上げていくことが考えられるかと思います。
これは先週、東京都の中学校の美術研究会が東京近代美術館で研修をしている風景です。活動を考えるとき、せっかく美術館で行うのですから、学校の授業でできることを美術館で行うのはあまりにももったいないことです。ですから美術館の特徴を生かした活動を考えていくことも大事なことです。いま生徒が彫刻作品を後ろから見ていますが、これは学校の図版を見る授業では難しいことです。
これはファシリテーターが去年、会議でこの研修について厳密な打ち合わせをしながら、作品の選定をしている様子です。このときの作品の選定が先生方の研修でグループワークをするときに、どんな作品がいいのだろう、そのあたりにかなり時間をかけて作品を検討しています。
ファシリテーターも先生方の活動のねらいを考えながら、じっくりと作品を選んでいるわけです。これは子どもの目線から作品を見たらどう見えるのか確認しているところです。大人の必然性だけではなく、子ども側からの視点で見ることも大事です。それから美術館で実物に出会うことも大切なことですが、美術館はテーマに沿ってコレクションがあります。それを使っていくことも考えられると思います。一つのテーマのなかで複数の作品と出合うことが可能です。これは美術館でないとなかなかできませんから、そういう美術館を活用した鑑賞の活動の視点をもつことも大事ではないでしょうか。
「対象における知識をどうしたらいいのか」。これは私自身もよく質問されることです。この映像は美術館で中学生が作品を見ているところですが、今、女子生徒が解説を見にいきました。いま作品の映像の動きが面白いので生徒が大笑いしていますが、ひとしきり笑い終わると生徒は「この作品は何を訴えているのだろう」と思うわけです。中学生ですから興味が湧き、最初は笑っていても、作品に対する興味や関心が高まれば解説を読んで「もっと知りたい」と思うことがあるわけです。そういう意味でいうと知識も子どもたちの見方や感じ方を深める役割をはたしているといえます。
これは学校の授業で浮世絵の鑑賞ですが、「事実」と「感じたこと」を分けながら、作品から読み取るとともに、感じたことをカルタの読み札にしています。「力強い木と可愛い梅、まるで姫を守るサムライみたい」と作品を見ながら書き留めています。そのときにこの学校の先生は生徒に作品について調べさせて、作品からは読み取れない情報を読み取らせています。調べることによって、自分で見ただけではなく、背景を知ることによって作品の見方が深まることにつながっているわけです。
活動のねらいを大切に
美術館の1回の鑑賞だけで活動を全て、完結するという考えを持つ必要はないと思います。その前後の学校での表現や鑑賞の活動と関連させながら学習活動を考えていくという考えもあるわけです。ですからすべてを一つの授業のなかでに押し込めて完結しようとしてすると無理が出るような活動よりも、美術館での鑑賞の活動と学校の授業に連続性を持たせながら、事前、事後のような活動をする考え方もあっていいと思います。
知識を与えることは、単に知識を暗記させることではなく、活動のねらいや自分の見方や感じ方を深めること、自分の中に新しい価値や意味をつくりだすこと、この中核となるところ、ここが深まらないと意味がありません。ですから、どこで知識を与えるのか、与えないか、また与えるとすればどの段階で与えるかを含めて「活動のねらい」や子どもたちが「自分の見方や感じ方を深めること」、「自分の中に新しい価値や意味をつくりだすこと」から考えることが大切です。
ただ、今回の美術館の鑑賞のように必ずしも活動のねらいから対象や活動を導きだせるものばかりではありません。美術館でやるときは活動のねらいに応じた作品があればいいですが、必ずしもそうではない場合もあります。また、時には作品が限定されている場合もあります。しかし美術館に足を運ぶ、美術館の中に入るということはものすごく大事なことですし、美術館を活用できるのであればできる限りその機会を有効に活用して欲しいと思います。そのときは対象から活動のねらいを導きだすということが考えられます。活動のねらいから対象や活動を考えていくのがいちばん望ましいとは思いますが、実際には様々な状況が考えられますから、臨機応変に子どもたちの実態をみながら鑑賞の活動を考えることが大事だと思います。
よくあるのは「対象」と「活動」に対する指導者の思いばかりがあまりにも強くなりすぎて、活動自身が目的化し、そのねらいが曖昧になり、活動あって学びがない授業になってしまうことなどがあります。例えば、鑑賞の授業を考えるとき、先生方はいろいろ作品について調べものをされることも多いかと思います。その時に面白いエピソードがいろいろ出てきてその時に指導者が作品の価値として捉えたことを全部話したくなってしまい、気が付いたら指導者の作品に対する価値観や単に知識を学ぶだけに終わってしまったなどということなどがそれに当てはまるかと思います。そういう場合は作品などの定まった価値や先生のもつ価値を中心とした授業に終わってしまい、子どもたちの見方や感じ方が大切にされなかったり、一人一人の子どもが自分の中に新しい価値をつくりだすことができなかったりする授業になってしまいがちになることが考えられるので十分、気を付ける必要があると思います。
全ての子どもたちは常に学ぶ存在である
今日は「全ての子どもたちは豊かな存在である」ことを前提にお話をしましたが、もう一つ加えるなら「全ての子どもたちは常に学ぶ存在である」ということです。そういった学びと学びを繋げていくのが教育の役割だと思います。鑑賞の学習もこういった「子どもたちは豊かな存在である」という視点と「常に学ぶ存在である」という視点を大事にしながら活動を考えていきたいと思います。とくに小学校図画工作科、中学校美術科、高等学校芸術科(美術、工芸)などの学習指導要領では「美しいものや優れたものに接して感動するなどの情感豊かな心」である「情操」を養うことを総括目標にしていますから、鑑賞の授業の大きな役割は、そういったところにもありますし、なにより美術館が「あたらしい自分に出会える場」であったり、美術館が作品を通じて「他者や社会とつながる場」になったりすることも必要だと思います。
今日のグループワークではそういったことを大事にしながら、ファシリテーターと一緒に参加者の皆さんの力で素晴らしい活動を考えていただければと思います。これからの2日間、全国の子どもたちのこれからの鑑賞教育の一層の充実につながる時間になることを心から願っています。どうもご清聴ありがとうございました。