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ギャラリートーク分析


(ここで子どもたちが予定していなかったグレーズの《収穫物の脱穀》を見始める)

一柳
補足ですが、この場面は、当初鑑賞をする予定に無い絵が隣にあって、先生が次に行こうとされたところで子どもたちのほうから「あれが機械に見える」とつぶやきが起こって、それを見ていくところです。
一柳
ここで、とても素敵だなと思ったのは、子どもが自分で気になった絵を見ていくことでトークが始まっていくのですけれども、そのためか子どもの体がすごく軟らかくて、非常に身振り手振りを交えて話したり、いろいろなタイミングでどんどんつぶやいたりしています。そして、予定にはないけれども、子どもたちの関心に先生が寄り添って聞き取っていかれたところも、とても素敵だなと感じました。
一柳
では、続けて、次に行われたグループ鑑賞でのトークに入りたいと思います。
私が、このトークを実際に見せていただいたときに、とても印象的な女の子が1人いましたので、その子の変化を映像を見ながら追っていきたいと思っています。


(子どもたちは2つのグループに分かれて自由鑑賞を始める)

一柳
私が注目していたのは、このチェックの上着を着た女の子の隣にいる、黒い上着を着た女の子です。このように、グループでの鑑賞開始から、ずっとチェックの上着を着た女の子と手をつないで寄り添って作品を見ていました。これまで一言も言葉を発していなかったのですが、興味がないというわけではなく、絵はしっかり見ていて、周りの子や先生の言葉に反応して聞いているような様子でした。


(子どもたちとギュスターヴ・ドレの《ラ・シエスタ、スペインの思い出》を見ている)

奥村
今、すごくトーカーが絶妙なことを言っています。大人もそうなのですが「どうして?」というのは答えにくいのです。「どこから?」と言うとよいのですが、ちゃんとトーカーは「どこからそう思った?」と言っている。これだと子どもはすごく答えやすい。でも「どうして?」と言われたら、間違いなく言葉が詰まるのです。非常に大事な、上手なポイントだと。


(絵を流すように見ながら、二人で連れ立って展示室を移動している)

一柳
こちらの黒い上着を着た女の子のほうがちょっと遅れて歩いて行くところから、チェックの上着を着た女の子が主導権を握っているのかなという感じに見えます。
一柳
このようにして隣の子が指差したほうを目で追ったり、次に、よく隣の子に応じています。


(子どもたちは、モネの《舟遊び》の絵を見始める)

一柳
ここで初めてチェックの上着の女の子は、トーカーの先生のほうに「何で影違うの?」というように問い掛けています。そして、徐々にこの女の子とトーカーの先生の会話というのが増えていきます。
ここまでのところでは、黒い上着の女の子は、チェックの上着の女の子に支えられて、彼女の目を通して作品を見ているというように思います。一方で、おそらく、チェックの上着の女の子にとっても、自分の発見とか疑問などをすぐに伝えられる、共有することができる聞き手としてあの女の子がいたのではないかなというような印象を受けました。
すなわち、1人はこのような見方がある、これがあるというように視点を与えることによって、もう1人は、それを聞いて受け止めるような聞き手になることによって、相互に支え合いながら2人で作品を見ていたのではないかなと感じました。グループになると、そのようなペアで見ている子ども同士の関わりがとてもよく見えるという印象を受けました。
ただし、この関係も先ほどトーカーの先生にチェックの上着の女の子が質問していたように徐々に変わってきて、トーカーの先生とチェックの上着の女の子の関わりがよく見られるようになっています。その中でチェックの上着の子と黒い上着の子の絵を見る姿というのも変わってきていました。
その大きな変化が見られるのが、このところですね。


(黒い上着の女の子は、ウィリアム=アドルフ・ブーグローの《少女》を見ている)

一柳
このときの黒い上着の女の子の表情がとても素敵だなと思いました。口をぽかーんと開けて、本当に吸い込まれるように見ているのですね。


(黒い上着の女の子は、ブグローの《少女》と隣にあるジョン・エヴァリット・ミレイの《あひるの子》を見比べている)

一柳
ここでは黒い上着の女の子が、自分1人でこのように動いて見比べたりしています。
その一方で、ここでトーカーの先生とチェックの上着の女の子の2人がよく話をしている姿も見られます。


(周囲の絵を流すように見ながら、展示室を移動している)

一柳
移動中なのですけれども、女の子とは離れて1人で自分のペースで立ち止まって見ています。


(オーギュスト・ロダンの《オルフェウス》のところへやってくる)

一柳
更に像の所に来たところで、黒い上着の女の子の変化が見られます。ここでも、もう手をつないで作品を見るという姿は見られず、1人で自分のペースで作品を見ています。


(黒い上着の女の子は、《オルフェウス》の肩の部分に「手」がついているのを発見する)

一柳
ここで彼女が「手」を発見して指差しています。それをすぐ隣にいた男の子が聞いて、そのやり取りを見ていたもう1人の女の子が更に聞いて、彼女の背中を押して見に行っています。


(《オルフェウス》の肩の部分に「手」があること数人で確認している)

一柳
そして、黒い上着の女の子から伝え聞いた彼女が、「手」があったという発見を全体に伝えてくれるのですね。
一柳
伝わったらそれで満足したのか、ちょっと顔は下げていましたけれども、彼女が「手」の発見を全体に伝えている時、黒い上着の女の子はとてもうれしそうな、自信に満ちたような表情をしています。


(子どもたちは正面から《オルフェウス》を見ている)

一柳
ここでも他の子の見方についていって、もう1度作品を見直したり、このように自分で作品と向き合うというような姿に変わっています。
一柳
以上が女の子の変化ですが、もう1度振り返らせていただくと、冒頭のところではチェックの上着の女の子に支えられて作品を見るというような姿でした。他者の言葉を聞いたり、他者に触れることで文字どおり支えられて作品と出会っていた女の子が、《少女》の所で自分で作品を見るというような姿に変わっていました。
なぜそのように変わったのかですが、一つには、やはり作品に吸い込まれるような彼女の表情から、好きな作品というか、自分の気に入る作品と出会っていたのではないかなと感じます。そのように作品を媒介にして、自分はこの作品が好きだというように、自分と出会っていたことが、変化の背景にあるのではないかと感じました。
もう一つは、彼女を支えていた、隣にいたチェックの上着の女の子との関係性の変化も、彼女の変化の背景にはあったのではないかと思います。すなわち、トーカーの先生を聞き手とするような関係性に編み直されることで、黒い上着を着ていた女の子は、自分のペースで作品を見ることができるようになっていました。その中で自分の気に入る作品に出会ったのではないかと思います。
そして最後には、≪オルフェウス≫の像の所では、自分の見方が他の子に伝わって、他の子は自分の見方を介して作品に出会い直すというような関係性に変わっていました。
このように他者・作品との関係性の変化の中で、女の子が鑑賞者として自立していくような姿の一端を見せていただいたように感じました。

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