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講演

2.学びを深めるツール

学びを深めるツール:言葉

少しお話を変えまして、鑑賞の活動を通して子どもの学びを深めるということをどのようにしていったらいいのかというようなことを少しお話したいと思います。
「子どもの学びを深めるツールとしての言葉」というように書きました。ちょっとツール、道具という言葉が適しているかどうかは微妙なところもあるのですけれども、私が今回ここに「道具として」というように書いたのは一つ意図がありまして、要するに「使い手による」ということです。もう少し言うと「使い方による」ということですね。使い方によって非常に効果的であったり、使い方によってはそれが目的化してしまったり、いろいろなことが起こりえるということですね。だから、そのようなものを含んでいるのだという意味で今回「学びを深めるツール」という言葉を使いましたが、言葉を今回もいろいろなグループワークの中でまとめ等を聞かせていただくと、やはり言葉というものが、ある意味、鑑賞を高めていく、深めていく一つのツールとして重要な位置付けであるというようなことを議論されているところがたくさんありました。
もちろん、一人で作品を見るということはすごく大切なことだと思います。その上で、それを更にグループの中で見て、それをそれぞれ子どもたちが言葉を通して相手に自分の想いや考えたことを伝えるというようなことから、自分の見方や感じ方を広げることや、人にお話をするということで自分の中で自分が思っていることをきちっと整理するような、そのような深まりを持つということにつながるのではないかなというように思います。

ただ、言葉ということで、今、説明をしていますけれども、必ずしも表に出るものだけではないということを我々はやはり知っておかなければならないなというように思います。例えば、鑑賞の活動をしたときに、やはり一言も言葉を発しない子どももいますよね。でも、そのような子どもたちの中にも必ず言葉というものは体の内にあって、感じ取ったことや考えたことがあるのだということですね。だから、言わないから何も考えていない、感じ取っていないのではないということですね。ここを見落としてはいけないなというように思います。やはり指導者は、その心の中にある言葉も何とか表出させないことには指導者のほうには分からないわけですから、それをやはり工夫する必要というのはあると思います。だから、必ずしも言葉というのは、文字の言葉もあれば音声の言葉もあると思いますけれども、体から必ずしも外に出るものだけではないということですね。それが外に出ない場合もあるし、出ない子たちもいます。そのような子たちとどのようにやりとりするか。それは、ひょっとしたら仕草から見取るのかもしれません。それは、ひょっとしたらつぶやきから見取るのかもしれません。そのようなことは、もっと他の方法、中学生ぐらいでしたらワークシートに書かせるというようなことで表出させるということもあるかもしれません。そこの部分は、学習活動を考えるときにしっかり押さえておかないといけないかなというように思います。

小学校も中学校も両方とも、小学校では、感じたことや思ったことを話したり友人と話し合ったりするなどして表し方の変化、表現の意図や特徴などを捉えることという、これは鑑賞のことだけではありませんが、そのようなことを重視しています。
中学校では、造形的なよさや美しさ、作者の心情や意図と創造的な表現の工夫、目的や機能の調和の取れた洗練された美しさなどを感じ取り、見方を深め、作品などに対する自分の価値意識を持って批評し合うなどして美意識を高め、幅広く味わうこと、このようなことを今回の新しい学習指導要領では、批評し合うことや話し合ったりすること、そのようないわゆる言語活動の充実というものの重視をしているわけです。
今回、このような言語活動充実に関する指導事例集というものを文部科学省で小学校も中学校も出しております。両方共に事例を含んだものを取り上げて例示をしていますので、ぜひ、もしまだ見ておられない方がおられましたら、インターネットからダウンロードできますので、またご覧いただければと思います。




中学校の事例「絵を言葉に、言葉を絵に」

その中で、中学校の一つの例をご紹介したいと思います。これは「感じ取ったことを言葉や絵にすることにより、感性を育む事例」ということで、中学校1年生「絵を言葉に、言葉を絵に」という題材です。これを少し紹介したいと思います。
これは、題材のねらいとしては、作者の心情・意図・表現の工夫などに関心を持つことと、それらを感じ取って、作品などの思いや考えを説明し合うなどして見方や感じ方を広げるということをねらいにしています。




《ある班の記述》

活動ですけれども、まず班ごとにそれぞれの作品を鑑賞して、描かれている内容を言葉で記述をさせます。ちょっと著作権の関係で画像は見せられませんが、このときの事例で使用している例示としての美術作品はゴッホの「星月夜」とキリコの「街の神秘と憂鬱」という黒い影のような女の子がいる作品ですね。その作品二つをそれぞれの班に分かれて、お互いに作品は、よその班の作品は見せないようにしながら鑑賞といいますか作品を見て、それを言葉で記述する。そして、その記述文を前後の班で交換をして、書かれている内容を基に、それぞれがその作品自身を見ていないわけですけれども、その記述などを基に絵画の情景を想像して絵を、これは個人の活動としてさせてみるというものですね。だから、まずは、よく見て、言葉に表してみて、しっかり見る。そして、今度は絵からイメージを捉えて、そのイメージから描いてみるということを行います。
それから、基になった絵を今度はそれぞれの班に公表して、班の言葉でまとめたもの、各自が描いた絵などをそれぞれの班で見比べながら自分たちのイメージや言葉から来たもの、そのようなものを基に今度はそれぞれの絵を鑑賞していく。その中でいろいろなイメージの相違や共通点、形や色彩の感じたことなどの違い、自分が思ったことなどが、いわゆる言葉というもの、それを絵に表すことで深まっていくだろうということを期待している題材です。

これが、その最初のときに、ある班が記述した内容です。[挿図:《ある班の記述》]
このような内容を、絵を見て記述をして、前後の班で交換をしていくというようなことなのですね。
この授業の中で、特に言語の扱い、言葉の使い方について幾つか注意をしながらこの題材設定がされています。一つは、言葉の記述の際に事実と造形的な特徴を基に感じ取ったことを書き分けるということで、事実と感じ取ったこと、これは先ほど見ていただいたある班の記述なのですが、質の違うものが混ざっているというのが分かりますか。どこかを境に事実と感じ取ったことかがこの中には書かれています。ここのところ[挿図内点線]を境に、この上というのは事実が書かれているのですね。それから、この下の所は感じ取ったこと、それが書かれているわけですね。
このときに、この事実という部分は形や色彩とか、そのようなイメージのようなものが子どもたちの中に視点として無くても、これは言えることだし書けることだと思います。これは、描いてある事実だけを言っているだけですから、形や色彩のこととか、そこから感じ取るイメージのようなものを特に子どもたちが意識しなくても、これは、そこに描いてあることをそのまま言っているだけのことですね。
逆に、下の感じ取ったことというのは、色や描き方がすごく怖い感じとか、全体が眠っているような感じ、これは、やはりそこに描かれている物から形や色彩、イメージというようなものから子どもたちがやはりどのように感じたのかというような、その形や色彩からのイメージというものをやはり十分そのような視点で見ながら感じ取ったことということで、時々、例えば言葉をやりとりしながら鑑賞を進めていくときに、事実だけを発言させて終わっているケースというのは結構見受けられます。また、事実と感じ取ったことが混ざっていて、どちら側が事実で、どれが感じ取ったことか、子どもなどはほとんど分からないままにどんどん授業が進んでいくということというのは結構あると思うのですね。
ですから、授業のねらいにもよりますけれども、やはりここのところをきちっと整理を指導者のほうもしておかないと、何か単に表面的に描いてあることだけをみんなが言って「ああ、今日はたくさん意見が言えたから良かったね」と、それで終わってしまったら、多分それは鑑賞の能力というものを育むということにはつながっていかないことが考えられるのではないかと思います。
ただ、事実ということも非常に大事で、何が描かれているかというのは、先ほど感覚でまず捉えてと言ったときに、例えば、まずしっかり見るということがやはり大事だと思います。それは、やはり能動的な活動に支えられているというお話をしましたけれども、まずしっかり見るということが大事ですから、そのような意味で事実を見つめる活動は必要ないのだということではないですね。
ですから、やはりしっかり見て、対象から子どもたちが形や色、イメージなどから視点をもち、感じ取るということを行っていかないと、なかなかその鑑賞というものは深まっていかない。単に表面的に描かれているものだけを述べた、それだけで終わってしまうということになるのではないかというように思います。




今回は、この題材では、そのようなことを生徒たちに意識させていくためにこのような事実と感じ取ったことということを分けて、そこからイメージをさせて絵で表していくという活動を入れているわけです。
言葉にすることにより、例えば一つは、この子どもたちが漠然と見ていたかもしれないものが、やはり言葉にすることにより相手に説明をしたり紹介したりするということで、自分の中で、一旦、頭の中で言葉に置き換えてやる中で、自分が今まで様々のことを感じてはいるものの、もやもやとしていたものが、言葉で整理すること、相手に伝えるということによって自分の中で整理されるということ、そして自分の見ている視点というのが明らかになっていくということはあると思います。
もう一つは、他者との意見を交流することによって、自分一人では気づかなかった価値などに気づくことができる。これは、グループワークの中でもよく出ていたことだというように思います。
ともすれば、やはり見方というのは本当に子どもによってそれぞれですから、それぞれで見ていいというような活動のねらいもあるわけですけれども、例えば本当に指導者が活動のねらいとして思っているような視点で鑑賞が進められるのかどうかということですね。ですから、その辺はやはりすごく慎重に扱っていく必要があるかと思います。子どもがどこを見ているかというのは、表面的にはなかなか分からないものです。
例えばその際に、やはり指導者のほうが形や色やそのイメージなど、そのような共通の見る視点のようなものを与えることによって、その後の例えば話し合ったりする活動が、同じ視点で見る中で見方・感じ方の違いに気づくということはあるかと思います。
ただ、先ほども言いましたように、大事なことは、その鑑賞の学習のねらいが一体何なのかということですね。そこのところをやはり明らかにして活動というものを組み立てていくということが大事だと思います。
そのようにねらいを明確にした活動では、共通の視点や共通の見るところ、部分を子どもたちに与える中で自分が感じたことや考えたことを説明し合ったり、すぐ批評し合ったりする。そのことによって人から自分の見方や感じ方の中で新たな見方を獲得するということは、言葉の力として生まれてくると思います。
この事例でもう一つは、描くときには事実と感じ取ったことを整理して解釈させるということですね。さっきのところをきちっと整理して解釈させる。中学生ぐらいですと、やはりこのようなところをしっかりと整理して解釈させるということはできると思いますので、ここのところを押さえておくということです。この部分ですね。
これが「星月夜」のほうの事実と感じ取ったことなどを整理して解釈した基になった描いた絵です。これを交流して、その後で実際の「星月夜」と比べながら鑑賞をより深めていくものです。もちろん全然違う絵ではありますけれども、イメージ的にとか、そのようなものをあの言葉の中から描いている中で共通の部分がやはり見受けられるのではないかなというように思います。


最後は、他の人の感じ方や考え方を聞いただけで終わらずに、やはり自分の考えとして、自分はそうしたらどうだったのだろうということ、そこにもう1回立ち返らせるということですね。最後に自分の考え、自分の感じ方というところに立ち返らせるということが必要ではないかということで、この題材ではそのようなことに留意しております。
これは、その振り返りをさせたときの際のワークシートの記述なのですが「夜空に明るい月とたくさんの星があり、希望の光のように見えます。手前の大きな暗い木や、夜空のぐねぐねとした筆あとが印象的で、不安な感じがします。作者は、暗い気持ちの中に、明るい希望を見いだしたかったのではないかと思います」というような、最初の段階と後のときにこのような見方や感じ方の違いなど、それからその子がこの時間にどのようなものを感じ取ったのかということをやはりしっかりと読み取って次につなげていくということになるかと思います。

学びを深めるツール:〔共通事項〕

二つ目の道具は、これは、先生方も小学校では、もう指導要領は全面実施になっていますし、中学校は来年度からですが、ここ2、3年の間に十分それぞれの地域で聞いている話だと思いますが、〔共通事項〕です。形や色、イメージというようなものを表現や鑑賞の両方の活動を通して、しっかり押さえてやっていきましょうということですね。
だから、やはり鑑賞の授業などでも、この形や色、イメージというようなものをしっかり押さえて鑑賞の活動というものを行っていかないと、先ほども言いましたように表面的な事実だけで終わってしまうが多いということですね。だから、その働きを、どのように通して見ていくのかということが必要だと思いますし、そのためにこのような〔共通事項〕の部分を鑑賞の活動の中で十分働かせながら学習活動を組み立てていくということは大切なことだと思います。

先ほど見た上の事実のところは、別に〔共通事項〕の視点が無くても出てくることです、これは。逆に、下の感じ取ったことというのは、やはり〔共通事項〕で、中学校で言うと、例えば形や色彩、材料や光の性質や感情というのがありますが、そのようなものを押さえながらやっていくことで、より深く出てくるものだと思います。
これは、もう皆さんに言うまでもなく、図工と美術でそれぞれこのように、小学校のほうは低学年、中学年、高学年とあります。中学校のほうは3年間、このような内容でということ、これは、もう十分ご存じだというように思います。小学校の場合は、自分の感覚や活動を通して形や色などを捉えたり、形や色などを基に自分のイメージを持ったりするということですね。中学校は、形や色彩、材料、光などの性質やそれらがもたらす感情を理解したり、形や色彩の特徴などを基に対象のイメージを捉えたりするということですね。
表現でも鑑賞でも、このそれぞれのことを指導を通して身に付けさせていくということですね。鑑賞の授業でも、このようなことを意識しながら授業を考えて、子どもたちに身に付けさせていくということです。そのことが、それぞれの表現、鑑賞で育む力というのをより一層高めていく、深めていくということにつながるということです。
この二つの視点は、単に子どもに与える視点だけではなくて、やはり先生自身も学習活動を考える上で持っていただきたい視点だということですね。ここの視点についてどうだったかということですね。例えば、この2日間、特に1日目は、いろいろなグループワークをしましたが、このような視点の部分というのは、一体それぞれのグループの中でどのように押さえられてきたかということを少し思い出してもらったら、少し弱かったところがあるのかもしれませんし、十分それを押さえたということなのかもしれませんが、やはりこの視点というのは指導者もしっかり持ってやるという必要はあると思います。

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