趣旨説明

一條 彰子
(東京国立近代美術館 企画課 主任研究員)

みなさまこんにちは。本日はウェビナーでご参加いただき、ありがとうございます。オンデマンドによる事後視聴もすでに多くの方にお申込みいただいております。

私は東京国立近代美術館の一條彰子と申します。国立美術館の教育普及担当学芸員を代表いたしまして、本日の趣旨説明をさせていただきます。

さきほど理事が挨拶で述べました通り、本日は、「美術館を活用した鑑賞教育の充実のための指導者研修」の15年間を振り返りつつ、現在の国内外の鑑賞教育の動向を共有し、美術館と学校の、鑑賞教育の今と未来について、みなさまと思いを巡らせたいと思います。

まずは、私ども国立美術館について、また、本研修についてご紹介させていただくことから始めたいと思います。
スライドをご覧ください。

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本研修は、全国から約100名の教員と学芸員が集まる、美術館と学校が連携した鑑賞教育についての2日間の研修です。 国立美術館が合同で行ない、2006年より毎年開催しております。2006年からの記録については、こちらの QRコードよりご覧ください。

国立美術館は現在、6館7施設を擁する独立行政法人となっています。東京の東京国立近代美術館、上野の国立西洋美術館、 ここ六本木の国立新美術館に加え、京都国立近代美術館、大阪中之島にあります国立国際美術館、 2018年に東京国立近代美術館から独立した国立映画アーカイブ、 そして昨年、金沢に移転しました国立工芸館からなります。

なぜ国立美術館がこのような指導者研修を行なうようになったのか、その経緯をお話しします。

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2001年、国立美術館は統合されてひとつの独立行政法人になりました。そして、ナショナルセンターとしての役割をふまえ、成果が全国に普及されるような役割をもつ事業を行なうことになりました。

2005年、教育普及に関する専門委員会が設置され、国立館として今後何を行なうべきかを討議していただき、教員と学芸員を対象とした全国規模の鑑賞研修を実施することとなりました。
この少し前の1998年には学習指導要領が改訂され、小学校図画工作や中学校美術の中で鑑賞の充実や美術館の活用が謳われました。しかし、当時は現在に比べて学校と美術館の連携が充実しているとは言えない状況でした。たとえば、鑑賞教育の理論や技術が周知されていない、解説型の古い指導が主流、鑑賞教材が不足している、実践例が少ない、あっても紹介されていない、一部の熱心な教員や学芸員だけが行なっている、などの課題が山積していたのです。

このような中で、新しく作る研修の目標は次のようになりました。新しい鑑賞教育の理論と方法を学び、意義づけること。教員と学芸員が、ともに学び考え、連携の可能性を探ること。地域と地域を結ぶネットワークのハブになること。
ここには国立美術館がモデルや方向を示すというよりも、全国のノウハウを共有しあいそれを地域に持ち帰って発展させようとする姿勢がありました。 その後10年の間、試行錯誤を繰り返しつつも教員と学芸員が真夏の2日間美術館に缶詰になって鑑賞教育について熱く語り合い、知見を交換しあう場を提供し続けることができ、一定の成果を上げることができたと思います。
10年間の成果については、2015年に指導者研修10周年のシンポジウムを開き、皆様と共有しております。それでは最近の研修を例に、より具体的に内容を紹介していきたいと思います。

研修11年目となる2016年は、東京国立近代美術館と国立新美術館で行ないました。2017年は初めての東京以外での開催、京都国立近代美術館で行ないました。そして2018年は、国立西洋美術館と国立新美術館、 2019年は大阪の国立国際美術館で行ないました。このように12年目からは、東京と関西で交互の開催をするようになりました。これにより、国立美術館の幅広いコレクションをさらに活用いただけるようになっているのではないかと思います。

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ここからは、2019年に大阪で開催された研修の内容をもう少し詳しく見ていきたいと思います。2019年7月に開催された研修は、対象者が小・中・高等学校教員、美術館学芸員、指導主事です。これらの方々は3月から4月頃に各都道府県・政令指定都市の教育委員会等により推薦を受けまして、決定しています。

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プログラムは次のようなものです。

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11年目以降の4回の研修では、 最初と最後にこの2人の方にご講演いただきました。

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研修の冒頭では、文部科学省の視学官である東良雅人先生にご講演いただきました。学校教育での鑑賞教育の基本をお話しいただきました。 研修の最後には、千葉大学の教育学部教授である神野真吾氏です。おもに美術史や美術教育学、社会学の視点から、 鑑賞教育のあり方をお話しいただきました。

事例発表の時間では、全国から教員の方や学芸員の方を数名お呼びし、各地での実践例をお話しいただきました。 こちらは2016年の事例発表。そして2017年京都での発表です。そして2018年はこちらの皆さん。 そしてこちらが2019年の事例紹介の発表者の皆さんです。

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醍醐寺と京都市立醍醐中学校の事例は、この指導者研修で醍醐寺の学芸員さんと醍醐中学校の校長先生が出会われ、意気投合されたところから連携がスタートしたと聞きました。

次にグループワークです。グループワークは研修1日目の4時間ほどを使い、ギャラリー内で行ないます。まさにこの研修の要となるプログラムです。ひとつのグループは10人ほどで構成されます。教員と指導主事、そして学芸員のミックスしたグループです。そこに進行役であるファシリテーターがつきます。

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ファシリテーターには鑑賞教育の経験が豊かな美術館エデュケーターや指導主事、教員があたります。ファシリテーターがあらかじめ選んだ作品の前で、まず受講者は自分たちが深く作品を鑑賞します。そしてその後に授業やプログラムづくりを行なうことになります。
実は、教員と学芸員ではものの見方や考え方に大きな違いがあります。これは学校と美術館の役割が違うことを思えば、ある意味で当然のことなのかもしれません。しかし学校と美術館が互いの違いをいかす連携を目指す場合、この違いを踏まえた上での相互理解が何よりも必要になります。教員と学芸員が作品の前で討論し、笑い、共感していくプロセスを通じ、理解し合うのがこのグループワークと言えます。
グループは小学生対象・中学生対象・高校生対象に分けられます。ファシリテーターは研修日以前に美術館を訪れ、入念に準備を行ないます。グループによってそれぞれ進行や内容が変わってきます。つまり、ファシリテーターによるオリジナルの研修が同時に進行しているという状態であります。
こちらは小学校対象のグループの一つです。こちらは中学生対象のグループ。そして高校生対象のグループです。最後にそれぞれのグループ間で成果発表をして、グループワークは終わりになります。

昼休みには楽しいアートカードのワークショップもあります。アートカードは国立美術館5館の所蔵作品65枚からできており、誰でも・いつでも・どこでもできる、気軽な鑑賞教材として親しまれています。

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研修の最後には、ワールドカフェを行ないます。関係者すべてが集う全体会議です。ワールドカフェとはメンバーを変えながらグループで話し合いを続ける手法です。

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この年のテーマは「鑑賞によって育まれる力はこれからの社会を生きる上でどんな意味を持つのでしょうか」というものでした。このテーマに沿って4、5人の小テーブルで20分間話し合い、気づきやアイデアを紙に書いていきます。そして次の20分は別のテーブルに移動し、違うメンバーでまた同じテーマを話し合います。

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この方法で全国から集まった人たちの中で情報交換ができるとともに、同じ地域の人と知り合って将来の連携が始まるという事例も出てきました。まさに指導者研修向けのプログラムです。

2019年研修参加者のアンケートです。研修の総合評価について「非常に満足」と答えた方が8割。残りの方も「満足」と答えられていました。

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「あなたの地域で本研修のような授業や鑑賞教育が行なわれていますか」という質問に対しては「行なわれている」と答えた方と「あまり行なわれていない」と答えられた方が半々でした。「能力が向上した」「研修内容は職場で活用できる」と答えられた方が多く、また「研修内容を地域の学校や美術館に還元できる」と答えた方も多く、ぜひこの研修で得られた知見を還元し、地域の状況を変えていっていただければと思っております。

こちらは過去の修了者数です。

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こちらに2019年の参加者を合わせますと全部で1499名。約1500名の方々が、鑑賞教育に関する研修を受けられたことになりました。

最後に、11年目からの5年間を振り返ってみたいと思います。

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1年前、過去の受講者に行なったアンケートで「この5年間に鑑賞教育を取りまく環境は変わりましたか」という設問に対し、7割の方が良くなったと回答されました。理由としては「鑑賞と表現を結びつけようという意識が美術教師の中に広がった」「探究型学習との関わりの中で 鑑賞が取り上げられることが増えた」、また「デジタルで鑑賞しやすい環境が整ってきた」「 マークシートやアートカードを用意してくれる美術館が増えた」などが挙げられます。
しかしこのアンケートを取った後、新型コロナウイルス感染症の拡大という大きな出来事が起こり、美術館も学校も状況が大きく変わりました。指導者研修の今後を考える上で、そして鑑賞教育の未来を考える上で、改めて今、重要な時期に来ていると思います。

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スライドのご視聴ありがとうございました。実は、研修は15周年ではありますが、今年度はオリンピック・パラリンピックが開催されるはずでしたので、15回目の研修は行わず、10月にシンポジウムを開催する予定でした。
ところが、思いもかけない新型コロナウィルス感染症の流行のため、シンポジウムはオンラインになり本日の開催となった次第です。

この1年、美術館も学校も、新型コロナウィルスにより大変な思いをしてきました。
そして、休館休校で実際に会うことができない中で、「オンラインという新しい日常」に踏み出しました。
今、各地の美術館は、それまでの経験を糧に、さまざまなオンラインプログラムを打ち出しつつあります。小中学校も、GIGAスクール構想の前倒しを受け、ひとり1台タブレット端末の配布が進み、ICTを使った個別最適な学びを進めようとしています。劇的な変化です。本日このように、大勢の方が全国から、気軽にオンライン会議システムを使って集まるなど、1年前に想像できたでしょうか。

もうひとつ、鑑賞教育をめぐっては、ある大きな変化が起こりつつあります。
それは、鑑賞教育は美術教育の枠を越え始めているということです。
作品を鑑賞するという行為を通し、「美術という枠」を越えて、他の教科や文化全般、さらにはSDGs(持続可能な社会的課題の開発目標)を含め、社会全体のことがらを考え、学ぶことができると理解され始めているのです。
本日の台湾からのご講演や、事例紹介からも、きっとそれを感じていただけることと思います。

それでは、4時間半の長丁場とはなりますが、最後までどうぞご参加くださいますよう、よろしくお願いいたします。