みなさまこんにちは。文部科学省初等中等教育局視学官、文化庁参事官付の教科調査官をしております東良です。 シンポジウムにたくさんのみなさんが参加していただき、ありがとうございます。 本日は、教育関係者、美術館関係者だけでなく幅広いみなさまに参加いただいております。 そのことも踏まえて、私からは、学校教育を軸に、昨今の鑑賞教育の現状や今後の方向性などについてお話をさせていただこうと思います。
平成18年度から始まりました、この「美術館を活用した鑑賞教育の充実のための指導者研修」には、 私も1回目の時に指導主事という立場で参加させていただきました。今でも、美術館に1日いて、 先生方と楽しくやりとりをしたことを昨日のように覚えております。
そして担当官になり指導者研修会にも関わらせていただく中で、2015年8月2日、
東京国立近代美術館で指導者研修の10周年記念シンポジウム・討議をさせていだきました。
この時のテーマが「鑑賞教育のこれまでとこれから」という、思えば5年前から、コロナ禍の中で今後の先行きを考えていくことを意識した内容だったと思います。
討議では「私と鑑賞教育」そして「鑑賞教育のこれまで」、それから「鑑賞教育のこれから」、
そして「鑑賞教育に関わる全ての人たちへ」というテーマで、登壇者がそれぞれの立場でさまざまな意見を交わし、
私自身にとっても意義のある、感慨深い内容でした。
それから5年が経ち、この間に国の新しい学習指導要領が改訂され、幼稚園、小学校は実施になっています。 中学校はいよいよ来年度、今年の4月から全面実施となります。今回の改訂では,新しい時代に必要となる資質・能力の育成、 学習評価を充実させていく、そして何より、学校の中だけで教育を閉じずに、社会に開かれた教育課程を実現していく。 こうした内容を大きな柱とする中で、私が担当している美術や工芸なども改訂が行なわれたわけです。 表現や鑑賞の活動を手段として、そして表現や鑑賞の活動を通して、 子供たちにいったい何を学ばせるのかということが非常に大きな議論の中心になった改訂になりました。
今回、小学校、中学校、高等学校の図画工作や美術、工芸においては、その教科等の目標の中に、 小学校では「生活や社会の中の形や色などと豊かに関わる」力をつけていこう。 中学校や高等学校では「生活や社会の中の美術や美術文化と豊かに、幅広く関わる」力をつけていこうということを目標に掲げて、 表現したり鑑賞したりすることを通して、子供たちが豊かに自分の人生の中で生活や社会と関われる力をつける方向性で小学校では, 今年度より新しい学習指導要領がスタートしています。
また,中学校美術科を例にあげると、「表現及び鑑賞の幅広い活動を通して、造形的な見方・考え方を働かせ、
生活や社会の中の美術や美術文化と豊かに関わる資質・能力を次のとおり育成することを目指す」。
こういったすべての子供たち、美術が得意とか得意でないとかということではなく、すべての子供たちが生きる上で、
美術という営みを、これから自分が豊かな人生を切り開いていく中で、
豊かに美術や美術文化と関われる力をつけることを教科として目指しています。
育成を目指す資質・能力というのは、学校教育法に示された重要な学力の要素、それをもとに三つの柱、学びに向かう力・人間性、知識・技能、
思考力・判断力・表現力等を、バランスよく育てていく。そしてこれまで通り、国の方では生きる力の育成を目指していくということです。
鑑賞教育においても、鑑賞の活動を通して、子供たちに何を身につけさせ、何を考えさせるのか、そして,それは単に学校教育の中だけにとどまるものではなく、
子供たちがこれから生きる人生の中で学びが働いていくことを目指していくのが、今後の方向性の一つだろうと思います。
私たちの生活や社会には、美術で構成されている側面が非常に大きいのです。形や色に出会わない日はありません。 「生活や社会の中の美術や美術文化と豊かに関わる」とは、単に絵が上手に描けるとか、ものが上手につくれるということだけではなく、 様々な場面で子供たちが美術に関われるような力をつけていこうということなんですね。
ただ、改訂のあとに考えていかなければいけないことが出てきました。それはここ数年間の間に、私たちの生活や社会が大きく、 劇的に変わってきたからです。「生活や社会の中の美術や美術文化と豊かに関わる」 のは単にこれまで私たちが経験してきたような生活や社会だけでなく、これから経験したことのないような、 予測困難な社会の中で生きていくための力をどうやってつけていくのかということを考えることが より一層求められるようになってきたことだと思います。
たとえば生活や社会の中の美術や美術文化と関わるというのは、必ずしも絵を描いたり、ものをつくったりすることだけではなくて、 今回のこのシンポジウムの中核になっている美術館で作品を鑑賞する、ということも豊かな関わりの一つなのですね。 そしてお気に入りの絵を室内に飾って、生活を豊かにするという関わりもあるでしょう。 また,さまざまな国の美術文化や工芸の伝統・文化に触れて、先人の知恵や先人の学びを体いっぱいに受けて、 それらを単に受け取るだけでなく、自分たちが守っていこう、自分たちがそういった文化を創造していこう、 そういったことにつながるような関わりもあるわけです。
たとえば美術館の中に1つの風景画が展示されている。こういったものを観る中で、 自分の中で感じ取ったことや考えたこと、見方や考え方を広げることもあるでしょう。
実はこの風景画は、作家が描いた絵ではありません。これは、私が住んでいる家の近所の公園の写真を使って、 コンピュータによってさまざまな画像分析を行なう仕組みで作成した絵です。 今後もこのような、ディープラーニング(深層学習)やGAN(敵対的生成ネットワーク)を使って、 作品が生まれてくることは決して少なくないと思います。
これを絵といえるのかどうか。私自身はこれを絵の一つと認識していますが、制作した私にとってこの絵には主題もなければ文脈も何もない。 私にとっては、一つの記号に近いようなものです。こういったことが可能な背景の中で、これから美術館で絵を見ること、 さらには、学校教育において絵を描く、ものをつくるということがどういう意味をなしていくのか、なさなければならないのか。 人工知能等が進んでいく中でそれを考えていく必要がある。そういう時にきていると思います。
学校では創造活動として、表現という活動と鑑賞という活動をしている。いったいこの表現や鑑賞をさせる意味はどこにあるのか、 学校教育の中ですべての子にさせる意味はどこにあるのだろう。それは上手に絵を描くとか、作品をただ単に漠然と見るだけではないだろうと思います。 そういった創造活動を通した学びは、どうあるべきなのかということを改めて考えていく必要があると思います。
今日この後の講演や事例の発表の中で、そこで行なわれている活動にはどういう意味があるのかを改めて考えていただきたいと思いますし、 最後の討議は限られた時間ですが、鑑賞とはいったいどういうことだろうといったことが明らかになっていくとよいなと思います。
そしてますます真剣に考えなければならないと思った出来事が、コロナによる感染症の拡大で、 さまざまなもの、特に教育においてはリモート、ネットワークが一気にスタンダードになったことです。 現在も指定された都府県で緊急事態宣言が出ている状態ですが、 学校がどうあるべきなのかということを改めて考えていく必要があるのかなと思います。
文部科学省でも、学校における新型コロナウイルス感染症に関する衛生管理マニュアルを常にバージョンアップしながら、
学校で子供たちが安心安全に学んでいけるようにしています。また子供の学び応援サイトとして、さまざまな教科等で、
インターネット等を活用したサイトを紹介しながら、リモートや家庭での学習が充実するようにやってまいりました。
このシンポジウムの中核になっている国立の美術館においては、ホームページ等を拝見すると、さまざまなアップロード動画を作成し、
展覧会をおうちで鑑賞できるようなことなど、非常に工夫されています。
こうした活用が特別なことではなく、当たり前のことになってきている中で、美術館に足を運んで作品に向き合う、
作品と対話を重ねるということはどういうことかを改めて考えていく必要があろうかと思います。
先程の説明の中に、学校教育の中だけにとどまるのではなく、美術館での鑑賞というプロセスが、美術という枠組みを超えて社会の中に広がり、
たとえばビジネスの中に広がり、そして一人ひとりの生き方の中に広がる。こうした広がりの中で、美術館でのさまざまな取り組み、
またその取り組みと並行して学校教育が美術館とどのように関わりながら美術教育を考えていくのか、そういったことを改めて、実感を伴うようなところで考える。
そういった時期に来ているのだろうと思います。
しかしながら,このことは決してマイナスばかりでなくて、これから先に進んでいく、創造的にさまざまな取り組みを考えていく、
一つの起点にもなるんだろうと思います。ピンチをチャンスに変える。そういった取り組みが、今後どんどん増えていくことを、私自身は非常に期待しております。
昨年度の美術館を活用した鑑賞教育の指導者研修会の講演では、「美術館で行なう鑑賞教育は、美術館でなければできないこと、
美術館だからこそできることを目指していきましょう」という話をさせていただきました。実物と出会うということ、
美術館という空間を活用すること、そしてテーマ性というもので鑑賞の活動を考えていく、また,美術館は,知の宝庫であり、
専門性を生かした活動をしていこうということですね。このことについては私は今後も「変わりはないと思います。
ですからリモートでできることと集まってできること。この両面でしっかり考えていくことが、今後大事だろうと思います。
これからの鑑賞教育については、国の流れの中からも考えていく必要があると思います。 平成31年の4月に出された「新しい時代の初等中等教育のあり方について」では 「Society 5.0時代の教育・学校・教師のあり方」について議論をしてくださいということがありました。
そして先日、それを受けて1月26日に『「令和の日本型学校教育」の構築を目指して』の答申が出されました。インターネットでも公表していますので、 ご興味のある方は是非お読みいただければと思います。
この『「令和の日本型学校教育」の構築を目指して』の中では、社会の在り方が劇的に変わるSociety 5.0時代の到来、 そして新型コロナウイルスの感染拡大などの先行き不透明な予測困難な時代、これを新学習指導要領の着実な実施、 ICTの活用等で、自分のよさや可能性を認識し、あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、多様な人と協働しながらさまざまな社会的変化を乗り越え、 豊かな人生を切り拓き、持続可能な社会の創り手となることが必要だとしています。
これはもちろん美術のことを書いているわけではないですが、目指すべき方向性は、鑑賞の中で身につけ、鑑賞の中でこそ学べることもたくさんあると思います。
鑑賞を通してあらゆる他者を価値のある存在として尊重することは日常の鑑賞教育の中でもあると思います。
また、「人工知能(AI)、ビッグデータ、それからIoT、ロボティクス等の先端技術が、これからどんどん進んでいく中で、
新型コロナウイルスの感染症の世界的な拡大によって、その指摘が非常に現実的なものになっている。
そして社会全体が答のない問いにどう立ち向かうのかが問われている」としています。
鑑賞の活動はまさに、作品に価値があるというよりも、観た人の中に価値が生まれる。 つまり答というのは作品に向き合った時に自身の中に生み出されるということが重要であると考えると、その中から主体的に考え、 多様な立場のものが協働的に議論することを、鑑賞を通して行なえるのではないかと思います。
また高等学校を中心に提言されているSTEAM教育についても、 芸術的な感性も活かし心豊かな生活や社会的な価値を創り出す創造性などの現代的な諸課題に対応して求められる資質・能力の育成が求められています。 この「芸術的な感性を活かした心豊かな生活や社会的な価値を創り出す創造性」、これもまさに図画工作や美術、工芸、そして鑑賞教育の中で、 中心となるものではないかと思います。
芸術教育における議論としては、遡って令和元年6月に、
「これからの社会を生きる全ての子供たちに求められる資質・能力の育成における芸術教育の意義」という議論が中教審で行なわれました。
その中で、2人の大学の先生にご発表いただきました。
一人は兵庫教育大学名誉教授をしておられる福本謹一先生です。この先生は美術教育の社会的役割の期待の拡大の必要性についてご意見をいただきました。
図画工作や美術が単に絵を描いたり、ものをつくったりするだけではなくて、さまざまな社会的役割を美術教育は担っている。
そういった役割を認識しながら進めていくことが大事だというお話がありました。
こういった昨今の動向と、改めて本研修会の15年の月日の中で、 このシンポジウムが担ってきた役割を振り返るターニングポイントにちょうどきているのではないかと思います。 今日を起点にまた新たな時代に向けた、さまざまな鑑賞教育の議論が、全国的な視点に立って繰り広げられることを期待しております。
これからの学校教育は、ICTはもはや必要不可欠なものであることを前提としていくのだということ、GIGAスクール構想の実現で、 一人1台の端末という学びのスタンダードもおこってきます。 音楽、図画工作、美術、工芸における授業の中でも一人1台の端末の活用も紹介してきました。
しかし芸術教育においてはICTを活用する学習活動と、実物を見たり、 実際に対象に触れたりするなどして感覚で直接感じ取らせる学習活動の両方を大事にしながら、 行なっていく必要があるかと思います。
鑑賞の場合は、実物と直接向かい合って、作品のもつよさや美しさについて実感を伴いながら鑑賞することを大事にしながら、 コンピュータなどの画像や映像などを使ったり、ネットワークを活用したりして進めることが大事だと思います。
鑑賞というのは、単に知識や定まった価値を学ぶだけの学習ではありません。知識なども活用しながら、さまざまな視点で思いを巡らせ、
自分の中に新しい価値を創り出していく学習です。このことは、時代が変わっても、そしてコロナ禍が終息して、
コロナ禍の中で生まれたリモート学習がさまざまな展開をみる中でも変わらないと思います。
まさに新しい時代の美術館の特質を生かした活動を考えていくことが大事だろうと思います。
そして社会の中に学校があり、学校の中に教育課程があり、教育課程の中で教科科目が編成され表現や鑑賞をしていく。
ですから表現や鑑賞の幅の狭いところだけで美術鑑賞を考えるのではなく、
社会の大きな視点に立って、鑑賞教育がどうあるべきかということをしっかりと考えていくことが大事だと思います。
学習指導要領は、これまでもさまざまな変遷を行ないながら進んでまいりました。 平成29~30年の改訂では、生きる力の育成を目指し、資質・能力を3つの柱で整理し、 社会に開かれた教育課程の実現を目指す10年になろうかと思います。 その10年の中で、鑑賞教育はどうあるべきなのか、みなさんの知恵を集結しながらよりよい学校教育、 なによりも子供たちが豊かに学べる、そして子供たちの文化が形成されていく、そういった鑑賞教育を願っております。 以上で私のお話を終わらせていただきます。ご清聴どうもありがとうございました。