みなさまこんにちは。国家文化芸術基金会理事長の林曼麗と申します。
本日は時代・文化・分野を横断する美術館のコレクションと教育推進プログラムをサブタイトルにOne Piece Museumについてお話ししたいと思います。
このプロジェクトは、アメリカ、ニューヨークにあるメトロポリタン美術館から寄贈された「百年を超える石膏像」を中心に始動しました。
現在、それら石膏像の修復と収蔵に関するさまざまな教育推進関連事業は、私が立ち上げから運営まで長年携わってきた、北師美術館が担っています。
2011年に発足した北師美術館は、百年以上の歴史を有する国立台北教育大学の構内にある美術館であり、 一貫して「未完の美術館」を運営理念として掲げてきました。 「未完」とは美術館の価値が「持続可能な市民参加」にあることを意味し、 美術館のサスティナブルな運営にとっても重要なスタンスであります。 北師美術館はこれまでも先駆的な取り組みを通して、美術館の役割と意義を有機的に創出し、 市民と分かち合うための「新しいミュージアム」の姿をかたちづくってきました。
石膏は、古くより造形全般において欠かすことのできない重要な素材として親しまれてきました。 紀元前7000年頃より地中海一帯の人々は編んだ葦を型にして石膏像をつくっていたそうです。 1880年代、黎明期のメトロポリタン美術館は石膏工房に頼み、ヨーロッパ各地の名建築の装飾や著名な作家の彫刻作品の複製をつくらせました。 2600点にわたる石膏像は展示品として、ヨーロッパからアメリカへ運ばれました。
交通が不便だった時代、本物から型取られた石膏コレクションの数々は、学者、建築家、作家が古典ヨーロッパ建築を知る重要な手がかりとなりました。
こちらはアメリカで撮られた当時の写真です。子どもたちが台によじのぼってヨーロッパの聖堂の模型をこぞって観察している様子が映されています。
しかし、20世紀以降、収蔵品の数が激増した美術館は、それまで展示していた石膏像を撤去していきます。
石膏像は次第に出番待ちのコレクションとなってしまいました。
2004年、メトロポリタン美術館が初期の石膏コレクション全点を、教育実践系の非営利団体に寄贈することを決定しました。
2006年、国立故宮博物院院長に就任した私は、放出の話を聞きつけ、チームを組織し交渉に挑みました。
同年、120点を超えるメトロポリタン美術館の石膏コレクションが、私が長年教鞭をとっている国立台北教育大学に譲り渡されました。
大学側も石膏コレクションを最大限に活かそうと、新校舎の増設計画の中に美術館建設を組み込みました。
2012年、ロマン主義彫刻を代表する作家、バリーの《ライオンと蛇》を含む、計11点の修復を終えた石膏像が竣工したばかりの北師美術館の館内に恒久展示作品として設置され、新たな幕開けを迎えました。
また修復師を美術館に長期駐在させ、長年にわたって欠損状態にあった石膏像の修復を行ないました。教育実習の一環として大学生にもスキル研修を受けてもらい、修復アシスタントとして実作業に関わる機会を設けました。私が考える良い収集とは、作品をただ集めることではなく、収蔵してからも研究を重ね、展示や教育プログラムに利活用することで、歴史から新たな価値を創造していくことです。
2013年、フィレンツェにあるメディチ家礼拝堂の一部であり、ミケランジェロの設計とされている《Day》の石膏像を中心に、北師美術館で古典と現代美術を組み合わせた企画展を開催しました。時空を超えたアートの対話を繰り広げるべく、台湾の現代作家たちのほか、ドイツやアメリカといった国々のアート作品も一堂に並びました。
また幸いにも古典芸術ではルーブル美術館より貴重なミケランジェロ派のドローイングを拝借することができました。こうして倉庫で眠っていたコレクションは長い時を経て、石膏像の新しい見せ方・捉え方を提示する「A Contemporary Dialogue with Michelangelo」展で、日の目をみることが叶ったのです。
現在《Day》は、公共施設のあり方の見直しに合わせて、台北教育大学の図書館に恒久的に展示されています。今や《Day》は大学のニューシンボルとなっています。
石膏像の研究成果を幅広く分かち合うべく、One Piece Museumを2015年に起動させました。その名の通り、このプロジェクトでは美術館が所蔵する百年ものの石膏像をワンピースずつ各学校に貸し出し、学校を小さなミュージアムに見立て、美術館のあり方やノウハウを学びながら、展覧会や創作活動を共につくっていきます。
それではここからOne Piece MuseumをOPMプロジェクトと略しまして、理念と特色についてご紹介いたします。まずOPMプロジェクトの4つの柱となる理念についてお話しします。
その1、集結したものをあえてバラバラにする。美術館が収蔵する百年ものの石膏像の「ワンピース」、または「一組」を、各学校に分散させるかのように、貸し出しを行ない、展覧会を開催します。
その2、主客転倒を試みる。各学校が自ら展示したいと思う、美術館所蔵の石膏像を選びます。あくまでも学校の教員と生徒が主体であり、美術館スタッフは補助役として各学校の特色に合わせ、カリキュラム作りのサポートを行ないます。
その3、足るを知る。ワンピースの意義を伝え、一つの作品を起点に、学習範囲を広げていきます。
その4、ひとつの物事を深く掘り下げていく。各学校が長期的にプロジェクトに取り組めるよう、原則、提携期限は設けていません。ひとつの課題研究に専念し深い理解を得ることの大切さを伝えていきます。
以上の理念をもとにOPMプロジェクトは「美術史」、「文化財の保存と修復」、「展覧会の作り方と普及推進」、「新しい授業づくり」といった4つのカリキュラムから構成されています。
美術館は各学校が実施する美術史の調査研究を支援し、文化財の保存と修復に必要な基礎知識を教えます。美術館に来館してもらう課外授業ではなく、学校そのものを小さな美術館につくりかえるわけです。また、各分野の専門家を教師に迎え、教員向けの研修プログラムも定期的に開催しています。先生たちが教育現場で実践できる、新しい授業づくりのアシストをしているのです。OPMプロジェクトが始動してから5年経ちますが、10校を超える小・中校、高校と共に、提携授業を推進してきました。OPMプロジェクトを通して、台湾の教師たちの教育に対する熱意と、子どもたちの無限の可能性を感じています。
それでは次に、各学校との連携事例が、「美術史」、「文化財の保存と修復」、「展覧会のつくり方と普及推進」「新しい授業づくり」といった4つの項目において、どのような構成比になっているかを円グラフにまとめましたので、どうぞご覧ください。各学校がそれぞれの強みを発揮し、多様なスタイルで実践してきたことが見て取れるでしょう。
ノートルダム大聖堂、シャルトル大聖堂の彫刻から複製されたゴシック期の石膏像は、基隆高校と中角小学校でお披露目されました。基隆高校の高校生たちは展示のつくり方と西洋美術史について学び、また他校の参観者に作品解説をするアクティビティを実践しました。
中角小学校の小学生たちは分野横断的なカリキュラムを通して、「教会」をテーマに信仰とコミュニティとの関係性について探求を深めました。
金華中学校には、ギリシャ・パルテノン神殿のフリーズの石膏像を貸し出しました。この企画のためギリシャまで旅行に出かけた先生たちは、現地で得た知見を盛り込み、授業内容を大幅に改善しました。学生たちも良い刺激を受けたことで、挑戦の幅が広がったようです。
新北市の中和中学校は、フランスのアミアン大聖堂の星座とその月の農事を表したレリーフを選びました。また、それらと東洋の二十四節気を融合させたワークショップ型の授業を、英語の先生と一緒に考案しました。
三民高校は15世紀イタリアの彫刻をテーマに、「文物の修復に関する知識と技術」の選択科目を美術館と学校が連携して開講しました。
また、その担当教員は他校の招待を受け、カリキュラムの設計について出張授業まで行ったそうです。
中山小学校、康橋インターナショナルスクール、幸安小学校の3校は同じ13世紀のイタリア、シエナ大聖堂の講壇の彫刻をテーマに選びながらも、
まったく異なる豊かな活動を展開しました。例えば、中山小学校はダンス教室を活用し、パフォーマンス授業と親子で愉しめるアクティビティを実践しました。
康橋インターナショナルスクールは、各科目の担当教師と共に、異分野融合のアプローチ方法について学生たちと議論を深めました。
幸安小学校では文化財や文化遺産を守り残していくことの大切さを紹介しました。
陶磁器の街として知られる鶯歌に位置し、陶磁器産業の人材育成に力をいれてきた鶯歌職業高校との提携では、
2年かけて修復した石膏像を学校の図書館で展示しました。また、デザイン専攻の高校生たちに、まずヨーロッパ建築にみる植物の装飾模様について研究してもらい、
その後地元の工房の協力を得て、唯一無二の新しい磁器タイルをつくりました。
鷺江小学校は、教室の配置を改めて見直し、美術教室をまるごと展示会場に隣接する空間に移し、学習動線の最適化をはかりました。
また、それぞれの学年に合わせた造形あそびに必要な技術の難易度を設けました。
例えば、5・6年生には、戦争を描いた16世紀イタリアのハイレリーフの課題を出し、
図画工作の授業の中で「戦争と平和」についてグループディスカッションをしてもらい、
最終的にはローレリーフの作品をつくるといったカリキュラムを組みました。
さて、バラエティに富む実例をざっと紹介してきましたが、ここでもう一度円グラフを見てみましょう。
学校ごとにそれぞれの個性と特徴があることが見て取れるでしょう。
またこれら提携事業の中で、教師たちは「新しい授業づくり」に最も力を入れていることがわかります。
OPMプロジェクトは、美術館と学校だけで提携事業を推進しているのではありません。
県や市政府が管轄する教育局、文化局との連携と文化資源の共有も必要不可欠です。
教育理念を端緒に、各分野の専門家、民間企業の寄付など、施策を活かすためのネットワークづくりも重要となってきます。
OPMプロジェクトを学園内に留まらせることなく、文化資産の保存と継承における台湾社会全体の意識喚起に繋げていくことも、
私たちが掲げる目標のひとつなのです。
ここで特別に新北市文化局が主宰する「New Taipei Gallery」と北師美術館が共同で立ち上げた「石膏像の修復オープンスタジオ」、
そして、修復をテーマとした企画展の例をご紹介します。
2016年より、メトロポリタン美術館より譲り受けた石膏像をNew Taipei Galleryのスタジオに移し、公開修復を行なってきました。
また現在でも、これら文物の安全性を確保した上で、それぞれの来場者や団体に適した見学ツアーと体験イベントも企画しています。
オープンスタジオにすることで、市民に博物館の仕事の裏側を知ってもらい、
遠いヨーロッパからやって来た古い建築芸術のアートピースと触れ合う機会を提供しているのです。
またスタジオに隣接するギャラリーでは、暮らしにまつわる「文物の保存と修復展」を定期的に開催しています。
これまで木彫、紙、写真、映画、油画などの修復技術の展示が行なわれました。
このNew Taipei Galleryは「セントラル・キッチン」とも呼ばれています。なぜならば、先ほど紹介した学校との提携事業がまだ軌道に乗っていなかった頃、
まずここに文物を運んできて修復をしていたからです。先生や生徒たちにも事前研修に来てもらっていました。
その他にも、修復体験を希望する各年齢層の団体を台湾各地より受け入れ、それと並行して、台湾全土の教師を対象とした研修も行なってきました。
OPMプロジェクトの現場を訪れれば、これまで交わることのなかった各分野の人たちが、石膏像を囲みながら、熱くディスカッションしている光景を目にすることでしょう。
毎年各大学や研究機関から派遣される実習生十数名を迎え入れ、修復技術の指導も行なっています。
このようにOPMプロジェクトは、学生、教師、美術館関係者、保存修復士、市政府の担当者、展示技術者など、さまざまな人たちの協働によって運営されています。
またSNSを活用し、世代や職業のカテゴリーを超えたオンライン交流も積極的に行なっており、私たちも時代に即した最適な方法を絶えず模索しております。
冒頭でも申し上げたように、美術館における価値の創造は「持続可能な市民参加」に軸足を置くべきです。
ただ単に見学や聴講することが「参加型」ではありません。
美術館が果たすべき社会的役割は、アートを媒介に、人々が互いの個性を活かしながら繋がり合う、
いわばコ・クリエーションの場を提供することにあります。
まさか2020年がコロナ一色の年になろうとは、誰も予測できませんでした。コロナが全世界で猛威を振るっている今、各国各地域のミュージアムも次々と休業、
そして閉館へと追い込まれています。感染拡大に伴い、大学に及ぼした影響も計り知れず、教育現場も研究のあり方も、変革を余儀なくされました。
私たちを取り巻く環境がますます複雑さを増すなかで、今回はこのような貴重な機会を頂戴し、「鑑賞教育の充実のための指導者研修15周年記念シンポジウム」を通じて、
日本の皆様に北師美術館のOPMプロジェクトについて紹介できることを、この場を借りて深く感謝申し上げます。
これからもOPMファミリーとネットワークはよりいっそう緊密なものとなり、譲り受けた石膏像の研究やあり方もきっと多様性豊かなものとなっていくでしょう。
今後とも歴史的文化資源の利活用を通じて、「知的創造」や「イノベーションの創出」に尽力していきたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。