東良:みなさん、こんにちは。モデレーターを勤めさせていただきます、文部科学省の東良です。今日の講演や事例発表を踏まえ、今回の「美術館と学校」「鑑賞教育の今と未来」という2つのテーマにパネリストの方々と迫ってきたいと思います。
最初に自己紹介もかねて、パネリストの先生にお話をいただこうと思います。このコロナ禍の中、それぞれのお立場でさまざまなことをご経験されてきたと思いますので、近況報告を含め、自己紹介をしていただければと思います。それでは奥村先生から順にお願いします。
奥村:私は教員、美術館学芸員、行政官、学部長などいろいろやってきて、先ほど一條先生からお話のあった2005年の専門委員会では、主査として提言書をまとめました。その後2012年に『美術館活用術 鑑賞教育の手引き
ロンドン、テートギャラー編』を翻訳しまして、鑑賞では文脈にもっと着目しようといい、2015年に出版した『エグゼクティブは美術館に集う』では、ビジネスと鑑賞という指摘をしました。来月は、スポーツ系の学会で美術鑑賞とスポーツ鑑賞の共通性、あるいは問題点などについて議論することになっています。
美術検定の監修もやっていますが、今年の1級の問題に「あなたは、ある公立美術館のボランティア代表になって、評議委員会で意見を求められた。コロナ禍における美術館の今後の方針について意見を述べよ」というものがありました。それに対する数百名の回答を分析していくと、おもしろいことがわかりました。
1つには人の減少への対応で、収益の減少、クラウドファンディング、社会支援などが指摘されていました。2つめの指摘はデジタル化の対応で、展示のデジタル化と教育普及のデジタル化、つまり先ほどの発表に代表されるような内容でした。3つ目の指摘が、新しい社会と人が誕生しているというもので、「あつまれどうぶつの森」などの新たな美術空間がネット上に生まれたり、先程の事例発表に出てきたOriHimeなどのように、人間という存在がちょっと変わってきたりしているという指摘でした。
4つめは、昨年は表現にかつてない注目が集まった1年間だったといえることです。あれほどバンクシーが作品を出すたびにニュースになった年は今までになかったと思います。
結論として、これまで来館者、美術館という実体をともなった場所で行なわれてきたことが、コロナ禍でできなくなってしまった。そこでデジタルとなりましたが、美術館は、教育普及や研究などをそれぞれのミッションで行なってきたので、できることもあれば、困ったこともあるわけです。
一方、全体として見れば、時代の要請やさまざまな制度改革がある中で、美術館は市民に対していろいろな方法でアプローチしています。結果的に、これまで来館者という美術館に来ることができる人を対象にするという認識から、来ることができる人もできない人も含めた市民全般を対象にするという認識に変わってきたのだろうと思います。
もちろんその中心には、アーティストの活発な活動があるのですが、かつてないほどアートがニュースになったということは、自覚しているかどうかは別として、市民はアートが生きるために欠かせないということを実感、あるいは痛感している状態なのだろうと思います。
松永:東京都教育庁の松永と申します。私は教員だったときから、この委員会や指導者研修会のグループワークファシリテーターとして関わらせていただいておりました。今は教育行政におりますが、その立場から今年度の状況を報告させていただきたいと思います。全国の教育委員会も同じような動きをしていたのではないかと思われるので、参考になさっていただければと思います。
教育委員会の仕事を大きく2つに分けてご紹介すると、1つは現在私が担当している教育の政策に関わる仕事で、事業の進行管理や、予算や決算などを行ないます。もう1つは、学校に直接関わる教育課程の管理や教育内容の指導を行なう仕事です。
私が担当する仕事においても、今年はコロナの対応に追われた1年でした。まず昨年度末、学校の臨時休業のお知らせが国からきました。国が方針を決めたら、必ずその都道府県、区市町村の教育委員会が、「我が地域はどうするのか」と詳細を決めていきます。その間の学習保証はどうしていくのか、具体的に何月何日から何月何日までどのような動きをするのといった詳細を決めて、そこから学校に情報を提供していきます。
新型コロナウイルスの感染症対策と学校生活のガイドラインの策定も行ないました。6月から学校再開をしたときにどのように分散登校するのか、学校での感染症対策で必要なもの、たとえばマスク、石鹸、アルコール消毒液、サーモグラフィなどの予算を確保して、それぞれが必要な学校に必要な数だけ届くように、実物や支援金の配当、手配などをしてきました。
また臨時休業中あるいは分散登校時のオンライン授業の充実に向けての取り組みも必要でした。オンライン学習は環境が整備されているところから、ただちに実施できましたが、それでもやはり小学校1、2年生、低学年の子供たちはオンラインでの学習といってもなかなか難しい状況があります。その手立てとして、テレビ番組を制作して放映していました。
約2か月間にわたる休業がありましたが、今年はもともと学習指導要領の移行期間でした。小学校はもう実施されておりますが、学校は、本来、学習指導要領の理念の具現化に向けた授業改善に学校は取り組む、特に学習評価についても適正な実施に向けた準備に力をいれようという思いがあったと思います。
ICTの環境整備も、本来2025年度完了を目標にしていたものが、コロナの影響で、今年度中に小、中学校のほぼ全ての子供たちに端末配布が完了するという状況になっております。このように学校は学びの充実に並行してコロナの対応にも力を注がなければいけないという年でした。
そのような状況で、東京の場合は研究関係の授業がほとんどストップしてしまいました。研修の機会が減少し形態が変化している中で、先生はかなり情報を求めておられ、その中でICTの活用が必然化されていったように思います。公私を問わず、自主的に研修や研究をする姿が非常に印象的でした。SNSやオンライン会議で、自分たちで活発に情報交換をしているような状況でした。
学校現場もNew Normalの生活、そして時間や距離を超えた教育活動が、ICTによって実現してまいります。これから広がっていくと思われる、ハイブリッド型の学習活動がどのようなものなのか、今日の事例でさまざま見せていただきました。このような背景の中、これからの鑑賞教育はどうあるべきか、これからみなさんと考えていきたいと思います。
中根:東大和市立第十小学校の中根です。先程は発表の機会をいただきありがとうございました。令和2年度を振り返りますと、「あそびじゅつかん」では、新型コロナウイルスの関係で、さまざまな配慮を重ねた上での、校舎内での活動がメインとなりました。ICT機器を効果的に活用し、また鑑賞教育もより充実するために、今までになかったようなアプローチで教材研究をするという機会にもなったと考えております。
先程の発表ではお話しできませんでしたが、パソコン室で事前に東京富士美術館さんの所蔵作品をアプリで塗り絵に変換して、その塗り絵をパソコン室内で着色し、印刷して持ち帰るといった鑑賞活動も行ないました。
また昨年12月には、東京富士美術館で現地集合、現地解散で、美術館で静かに観るという活動を行ないました。対話を通した鑑賞活動はできませんでしたが、本物をじっくり観るということを、一度だけでしたが実現することができました。
今年度を振り返ると、たくさんの先生にご参加をいただきまして、運営スタッフや参加・お手伝いいただいた先生、また東京富士美術館の学芸員さんなど、さまざまな方々、そして参加者の児童・保護者のみなさんに支えられた活動だったと実感しております。以上です。
東良:では今回のシンポジウムのテーマについて議論していきたいと思います。「鑑賞教育の今と未来」について、たとえばコロナで変わるもの、変わらないもの、そして変わってはいけないものについて、それぞれのお立場の中でお考えになったことをお話しいただければと思います。どなたからでも結構です。
中根:私は小学校に勤めていますが、団体での鑑賞活動で、話し合ったり、アートカードを使い至近距離で話し合ったりするということが、今年度は難しくなったと実感しております。授業の中での制約がある中で、充実した鑑賞教育を目指そうと試行錯誤しております。変わってはならないこととしては、今、美術館に団体でなかなか行きにくい状況になっておりますが、それを目指していく姿勢が大切ではないかと思っています。
それを前提としたうえで、ICT機器を活用していくことが大事だと感じております。今「あそびじゅつかん」では、ARとかVRなどいろいろなアプローチがありますが、自治体によっては美術館がない、美術館が遠いというケースもあると思います。そこで、Google Arts & CultureやAR、VRといったさまざまなツールを通して、美術館に少しでも近づけるような工夫が今後必要ではないかと実感しております。
松永:今日は一條さんの趣旨説明や東良先生の基調講演から、この研修会が始まった当初のことを振り返ることができました。最初の頃の、美術館と連携を進めるにはどうしたらいいのかという話から、次第に鑑賞の質の話へと内容が発展し、議題が移ってきたように思います。そして鑑賞教育でなにをすべきなのか、なにを子供たちに学んでもらえるようにするべきか、なにを提供するべきかについては、今後も変わらないのではないかと思います。連携の手法が美術館に行くことだけではなくなり、ICTを活用することで今後何を重ねていくことができるのかについて、みんなで考えていく時期なのではないかと思っております。
奥村:「鑑賞の今と未来」ということに関して言えば、今日の事例紹介、講演でほぼ語り尽くされているような感じがします。それぞれのミッションや環境のもとで実践していくことの貴重さが今日の発表でわかったのではないか、というのが私の感想です。
事例紹介の中で「作品が多様な情報体」で理解が帰結点となる鑑賞と、創造の起点となる鑑賞の2つあるというご指摘が、大原美術館の先生からありました。子供や大人にかかわらず、美術や作品をもっと深く味わう「理解の帰結点」と、「美術作品をさまざまな創造性の育成に用いる」ことは、今後も重要であり、そのためにいっそうの鑑賞の技術の開発や向上を目指す必要があると思います。そして、その担い手が学芸員の方々や美術の先生たちだというのは、これからも変わらないと強く感じました。
一方で美術は、学校においは美術室から学校や地域へ、美術館においては、美術という単独の教科から教科全体、あるいは社会へと進んでいくでしょう。さらにICTの活用やOriHimeなどを活用することによって、学校に来ることが前提だった児童生徒の在り方が変わっていくことも考えられます。それに対してどう取り組むかということへの答が、北師美術館の実践例や今日の事例紹介に見出せるのではないかと思います。北師美術館のように、学校、地域、民間、行政、さまざまなことをつなぎあわせていくこともひとつの方向であろうと思います。
一條:近況報告もかねつつ、変わることと変わらないことについてもお話ししたいと思います。
東京国立近代美術館では、この20年ほど対話鑑賞という、作品の前で観る人の意見を聞き出していきながら一緒に観るスタイルを長く続けています。2002年から毎日、所蔵品ギャラリーで、40名の解説ボランティアが1時間のツアーをやってきました。しかし、コロナ禍では三密回避のため、ギャラリーの中でお話をするプログラムはできないわけです。
そこで、ボランティアのみなさんと一緒にZoomを使って、昨年の10月からオンライン対話鑑賞をはじめました。オンラインを取り入れたのはわずか数か月前ですが、それ以前に対話鑑賞のファシリテーションはすでに20年近くやっているわけで、今まで築いた土台の上に、新しいツールをオンすることで幅が広がったと実感しました。
オンラインプログラムをスタートしたら、おもしろいことに、一般の美術愛好者だけではなく、当館が2年くらい前からやっているビジネスパーソン向けのワークショップの企業研修をしたいというお問い合わせがあるなど、横に広がってきたのです。今まで広げにくかった参加者の層を、オンラインを使うことで拡大できることも感じました。
英語による対話鑑賞も3年前からスタートしています。現在は活動がストップしていますが、将来は訪日外国人に向けた鑑賞にも活用できるのではないかと考えています。
こうした美術館の多方面の活動の一つひとつについても、私たち学芸員がオンラインの利用法を学ぶことによって、次の段階に進みつつあるという状況です。
東良:ありがとうございます。このコロナ禍の中において教育に関しては,変わってはいけないこともまた明確になったのではないかと思います。登壇者のそれぞれのお立場で、この1年間でこれは変わってはいけないと気づいたことがありましたら、視聴者の方々にお伝えいただきたいと思います。
松永:東良先生のご講演の中でも、新しい中教審の答申がご紹介されましたが、これからの教育のあり方について、どこの行政も考えなければいけない時期にきていて、それを学校や先生、子供たちにお伝えしていかなければなりません。「これからの激しい変化の中で生き抜いていくべき力」のことを考えたときに、やはり「主体的に課題を発見し、解決していく力」というのは、鑑賞教育に極めて深く関わっているものだと改めて感じたところです。特に「自分なりの見方や感じ方を大切にしながら、他の人の意見を聞き、新しい価値を生み出していく」というのは、まさにこれからの時代に求められていくものだと感じました。
奥村:先程、美術鑑賞とスポーツ鑑賞の共通性や問題点を語る場があるという話をしましたが、社会はそこまできているわけです。だからこそ鑑賞の技術を進化させたり、多様化したり、他分野と共有したりという取り組みをすることが重要です。そのときに、本物と偽物の二元論に陥らずに、仮想も実体験も豊かにして、どんどんシームレスにつないでいくことも同じく重要です。これらは変わらないことだと思います。
そこでポイントになるのは、つながりあったそれぞれが、すでに前とは違う形に変わってしまっているという点です。美術館と学校と社会がつながったときに、つながったことよりも、つながりあった美術館と学校と社会自体が変わってしまうのです。その上で、そこで育った子供や若者や大人が、どんな社会を創造するのかに思いを馳せると楽しいのではないでしょうか。これも教育の不易なのだと思いますし、そこが鑑賞の未来だと感じています。
東良:いくつか質問・感想をいただいていますので、ご紹介します。「今日の話を聞いて、意欲と熱意が溢れ出るばかりにあるが、それに見合うだけの力が自分にはありません。どうしていったらいいでしょうか」と書いてくださった方がいらっしゃいます。
「美術館を介してさまざまな取り組みをされている今日の発表を聞くと、学校の美術も、単に知識を与えるだけではなく、対話を使いながらやっていったほうがいいのでは」というコメントもいただいています。この研修会が始まった時に比べたら、格段に進化をしていると思いますが、そういったご意見もありました。
「北師美術館の講演を聞いて、とてもいいと思いましいたが、日本で行なわれるようになるのでしょうか」という素朴な疑問は、なってくれたらいいという前提で書かれていると思いますが、どのようにお考えになりますか?
奥村:なると思います。散発的に起こっていますし、大分県立美術館が地域や民間を巻き込んでやっていますし、徐々に変わっていくと思います。
一條:林曼麗先生のすごいところは、台北市や台北市の中にある区などの行政の方々にも協力者を増やされているところだと思います。そうしたネットワークが鍵になっていくのかもしれません。学校と美術館だけではダメなのかもしれないと、あの事例を見て感じました。次のシンポジウムのテーマは「学校と美術館と地域」のようになるのかなと思いますね。
東良:北師美術館の講演を聞かれて、中根先生はどう思われました?
中根: 10校もの学校と連携をし、多様な活動をされている館長のバイタリティに圧倒されました。私は美術館と一対一の関係ですが、それでも打ち合わせや年間の活動の見通しなどに多くの労力を費やしているので、多様な活動を実践されている館長さんのパワーに感動しました。
奥村:京都芸術教育コンソーシアムでは、さまざまな学校、大学、行政が一緒になって新しい教育を開発しています。ですから日本でも、そうした連携がいろいろなところで立ち上がっていると私は思います。
東良:奥村先生が市民的な鑑賞レベルというお話をされていましたが、そういった大きな視点に立って考えることが求められているように思います。
たとえば私が担当する中学校であれば、美術の授業の中だけで鑑賞を考えるのではなく、学校全体の教育課程の枠組みの中で、美術はどうあるべきなのかを考えることが必要だと思います。学習評価をどうするべきかという質問もありましたが、指導と評価の一体的な観点からも、まずはその美術館を活用した鑑賞の活動が、教育課程の中でどのように位置付けられているのかが大切かと思います。
僕には、美術館での鑑賞を子供たちのとっておきの時間にしてほしいという思いがあります。学校と同じことを美術館でやるのではなく、美術館ではなければできないこと、美術館だからこそできることをやるべきだと思います。今日の講演や事例紹介では、社会的な視点に立って鑑賞教育を考えていくことが、ある意味共通していたと感じました。
一方では、「学校現場のハード面が十分揃っていないので苦しい思いをしている」という声もあります。今後、そういった状況も何らかの形で少しずつでも解消していければいいと思います。ただ敢えて言うなら、まずは、現状の中でなにができるかを考えることも大事だと思います。
松永:ちょっとよろしいですか。先程の感想でご自分のスキルがまだこれからだ、ということが述べられていましたが、同じような思いをお持ちの方は多いのではないかと思います。特に今年、前倒しでICT全校配備ということになりましたが、みんながICTを使いこなせるかというと、もちろんそういうわけではありません。だからこそ、これまでやってきたことの価値を見直し、そこに新しく何を重ねていくのかということをみんなで研修をしていく。そうした機会をたくさん設け、事例をお互いに見せ合う機会をもつことが必要ではないかと思います。
東良:それぞれの地域に、図工や美術や工芸、それぞれの教育研究会がありますから、それらの活性化も必要という気がします。美術教員が1名という学校が多い中で、熱意に溢れてやろうと思っても、どこからなにをはじめたらいいのかわからないという意見があるのもうなずけますので、教育研究会のあり方を考えていくことも、子供たちに豊かな学びを実現するためには必要ではないかと思います。
東良:次に、この研修会の今後について考えてみたいと思います。今年度は、もともとがオリンピック・パラリンピックの開催の関連から、シンポジウムというかたちとなり、さらにコロナ禍で10月開催が厳しくなり、リモートを使って行なうことになったわけです。登壇された先生に、今後この研修がどうあるべきかについて伺いたいと思います。関係者の一條さんからお願いします。
一條:来年度も夏にオリパラを控えておりますので、開催時期は秋ぐらいになるとは考えております。そして、私たちはすでにオンラインという日常を味わってしまったので、以前と同じスタイルでは無理なのではないかと思います。以前のように、2日間全員が北海道や沖縄から集まる必要があるのかということも考えながら、さてどうしようかと考えているところです。
ひとつの案として、オンラインの日と美術館に集まる日を組み合わせたハイブリッドな研修にしては、という意見が私たちの中でも多く出ています。
また、これまでのように一箇所に集まるのではなく、国立美術館は東京と大阪と京都、そして金沢にも拠点ができましたので、複数を拠点にするというのも可能性の一つとして考えております。
東良:研修の枠組みについてのお話ですね。現に私も今年度、数少ないながらリモートおよび自分が実際に出向く出張がありましたが、リモートに対して必ずしも否定的でない、特に長時間かけて移動してやっていた研修が職場でできることに対するメリットを強く感じているという先生にも出会いました。何のために集まるのかを明確にすることが一つ大事なのだと思います。他にいかがでしょうか? 奥村先生お願いします。
奥村:本日の発表では、美術を知ることや作品を味わうことが大事であることと、同時に、そのことを地域や社会の視点も含めてさらに深めていく必要があることがわかりました。しかし、それをゴールとするのではなく、美術館というコンテンツの活用にとどまらない、鑑賞教育の有用性や成果、あるいは文化創造の貢献を社会に認識させていくことを目指す。そうした方向性を研修の中に潜ませていくべきではないかと思います。
松永:私も同感です。絶対に欠かせないのは、なぜ鑑賞教育をやっていくのかということだと思います。鑑賞教育が生み出す価値があるわけで、その価値は何かということは、普遍的に掲げていくテーマなのかなと思います。
その次にどのような枠組みで行なうのかがテーマになりますが、アナログなのか、デジタルなのか、それともハイブリッドなのかというのは、状況に応じて適切な方法が変わってくるので、皆さんで考える機会をもっていきたいと思います。
中根:私は2年前にこの研修に参加させていただきました。さまざまな先生から本当にたくさんのことを教えていただき、視野を大きく広げることができ、それらが今の実践につながっていると思います。
可能でしたら、熱意あふれる先生が集まり、美術館での鑑賞活動や、美術作品により深く親しめるようなアプローチや、ニーズに合わせてブレイクアウトセッションをする機会を作っていただけたらと思います。そこから新たなつながりが生まれ、そのつながりを通して新しい知恵が生まれていくのではないかと感じております。
東良:この研修会の立ち上げから15年が経ちましたが、奥村先生は、これからの研修会の方向性について、どのようにお考えですか?
奥村:昨年の4月あたりから、アートは、食べるのに不要だとさんざん言われましたが、逆に今になって考えると、これほど美術と芸術がニュースになった年はないだろうと思います。少し不謹慎な言い方になりますが、今回の災禍を通して、人々は生きるために芸術が必要だということに、おそらく気づいたのではないでしょうか。
子供には、自分の周りにあるものに興味を持ち、探求するという純粋さがあります。そうした物事に対する興味や探究心こそが、人々が生きるために必要な力、生き残るために必要な力を表しているように思います。「種」の生き残りに寄与する性質を「生存価」と呼びますが、その生存価を高めつつ、鑑賞方法や鑑賞の技術の向上を目指すことが重要だと思います。15年前に期待した鑑賞方法や技術の向上は十分達成されたと思います。そして、これからもそれらをより向上させることで、文化、社会や子供がどう変わって、いったいどんな世の中になるのかに希望を持つことが非常に大事だと思います。
東良:「美術館とつながることについての話が中心なのかと思っていましたが、地域とつながることの大切さも知ることができ、子供たちのさまざまな資質能力を伸ばす可能性を感じることができました」という、この研修に関わる者にとって非常にうれしいコメントもいただいています。
その反面「やりたいことが学校の中で思うように実現できず、苦慮している。そういった現状も知ってほしい」という声もあります。確かに「がんばるしかない」というのは答えになっていないのかもしれませんが、美術や鑑賞が「大好き」と子供たちが言えるような授業実践を日々やっていくことが、なによりも重要だと思います。
学校や地域によっても実態が違うと思います。たとえば、美術館が近くにある学校もあれば、そうではない学校もあります。だからこそ、ICTを活用することは、ひとつの大きな手立てになっていくのではないでしょうか。
また、鑑賞の本質はなんだろうということを考える場を、これからも続けて作っていかなければいけないと感じました。先程奥村先生がおっしゃったように、方法論はこれまでやってきたと思うので、その次に続けていくべきことは、鑑賞教育の本質はどこにあるのか、という議論だと思います。この研修が、鑑賞教育の本質についてみんなで考える場となっていくことも、非常に大事ではないかと、登壇者のお話を伺う中で思いました。
東良:最後に、日々子供たちと向き合っている先生に向け、元気がでるようなメッセージをいただいて、この討議を締めたいと思います。では、一條さんからお願いします。
一條:私からは、美術館の方に向けてのメッセージでよろしいでしょうか。日々状況が変わっていく中で、今一度、美術館教育の対象者とその内容について捉え直す時期なのではないかと思っております。
対象者については、小学生、中学生、高校生はもちろんのこと、奥村先生が先程おっしゃったように、来ることのできる来館者から、来ることのできない人へと広げていくべきではないかというお話がありましたが、来ることのできない子供たちに向けての工夫も、捉え直したいと思っております。たとえば、これまでも地域の県立美術館などが出張授業をしたり、地方の学校に作品を持って行ったりなど、あらゆる努力をされています。そこに、新たに出てきたICTというツールを使って活動をしやすくする。あるいは今日の事例紹介にあったように、院内学級や通信高校などともつながり、対象者を広げていく。そうしたことを考える時期に来ているのだと思います。
また、いくつかの美術館が協働して何かを作っていくことがオンラインでやりやすくなっていくのではないかということが一つ。もう一つは、協働とは逆方向に聞こえるかもしれませんが、美術館ごとに違う何か、ユニークさや個性をいかしたものをそれぞれにとらえていくことによって、総合的な目で見た時に「多様性に満ちた強い美術館群」ができるのではないかと思います。少し抽象的ですが、全国の美術館の同僚たちに向けての、私からのメッセージです。
中根:私は今、小学校の図工専科を担当しています。学校現場では毎日さまざまなことが起き、また非常に多忙ではありますが、美術鑑賞や鑑賞教育をがんばりたいと思っていらっしゃる先生は、お近くにいる同じような思いを持っている先生と、とにかくつながることが大事ではないかと思います。
つながり方としては、こういった研修はもちろん、SNSなど今はいろいろなつながり方ができる時代です。私自身も、この研修に参加させていただき、「あそびじゅつかん」の誕生につなげることができました。またその「あそびじゅつかん」もさまざまな先生に、ご参加、ご指導いただき、充実した鑑賞教育を進めることができております。
いろいろな先生と行なうことで生まれる知恵もありますので、まずつながるということが一番大事なのではないかと思っております。もし私とつながりたいと思った先生がもしいらっしゃいましたら、東大和市立第十小学校にご連絡をいただけたら幸いです。
東良:連絡が殺到しても私は知りませんよ(笑)。ありがとうございました。松永先生お願いします。
松永:私は改めて行政の立場でお話ししたいと思います。東良先生からもご紹介がありましたように、1月26日付で、新しい中央教育審議会の答申が出されました。これを受け、おそらく全国の教育委員会が、なんらかの形で、新しい教育方針についてそれぞれお考えになっている時期だと思います。「これからの社会を生き抜く子供たちに不可欠なもの」として、「感性や創造性を養っていく必要がある」といったことが、何かしら示されることになると思います。
その「感性や創造性を養う素地となる学び」というのは、鑑賞教育に大きく関わっているところだと思いますので、先生はそうした背景があることを認識し、自身が担当されている図画・工作、美術、工芸の授業を、これからも胸を張ってご指導いただければと思います。
奥村:私は考えたり話したりする仕事をしていますが、その前提になっているのは実践です。それがないと、考えることも、話すこともできません。その実践を誰がやっているかというと、今日の発表者や、今これを視聴している参加者のみなさんだと思います。結局一番かけがえのないのは、目の前の現実や社会と日々格闘しているみなさん一人ひとりです。それこそが大事であり、一人ひとりによって将来の道が切り拓かれていくと思います。ますますのご活躍を祈念しております。
東良:最後のメッセージをお話しいただいているときに、いくつか質問をいただいていますが、時間の関係で十分な紹介やお答えできずに申し訳ございませんでした。後で登壇者とみんなでもう一度見たいと思っております。
今日はお昼からシンポジウムを行なってきましたが、我々は「美術館と学校」「鑑賞教育の今と未来」、こういったテーマに迫れたでしょうか。でもこのことは、私たち登壇者が迫るだけでなく、これを試聴されている、ウェビナーの向こうにおられる先生も迫っていくべきことだと思います。
一人ひとりは大変小さな存在ですが、子供たちにとって、先生は学校の中で一番自分をよく知ってくれている存在であり、非常に大きな存在だと思います。鑑賞という活動を通して、子供たちに豊かに学ばせるためにはどうすればいいのか、1番の方法はなんだろうかということは、途切れることなく追求していくべきだと思います。
このシンポジウムに参加していただいたなかには教員の方も美術館の方も、一般の方もおられると思いますので、それぞれが自分だったらどうするのかということを、先程の登壇者のメッセージから考えていただければ、1歩でも2歩でも前に進んでいくのではないかと思います。時間がまいりました。以上をもちましてシンポジウムの中の討議の時間を終わらせていただきたいと思います。登壇者の皆さま、ありがとうございました。