発表2

「問い」が生まれる時 「問い」が生まれる場
〜多様性を育む美術教育〜

杉坂洋嗣
(東京学芸大学附属竹早中学校 教諭)

以下は杉坂氏の発表を大幅に要約・再構成したものです(編集部)

はじめに

コロナ禍の中で、新しい生活様式が求められ、同時に学校の在り方もその前提から問われ、教育の多様性とそれに伴う教育の保障についての問題が顕在化しました。多様な背景をもつ子供たちに等しく教育をする学校の在り方の必要性。その中で多様な学習内容を保障すること。さらに、多様な見方、考え方の保障、子供たちに多様であることを保障するといった問題です。

これらの問題は、表現することにおける「自己選択や自己決定」の問題や、表現の自由を含めた「表現の保障」の問題にもつながっているのではないでしょうか。多様な子供の、多様な自己表現と自己決定を保障することを大切にしてきた美術教育に携わる私たちにとって、切実な問題といえるでしょう。

そこで、私は多様性を育む教科としての美術科というものを改めて考えてみました。異なる人同士がともに生きていく多様性を基盤に据えた社会では、今を生きる私が、同じく今を生きるすべての人を、役割や所属、性別などによらない一人の人間として尊重する文化の創造が必要です。一人ひとりの多様な表現とそれに伴う見方、考え方、感じ方を尊重し、互いを認め合うことを大切にする授業は、多様性を育む授業であるはずです。

しかしながら、美術の授業では、時に画一的な技術指導によって子供たちを特定の表現に導くといったことがあります。特に思春期を迎えた中学生は、多様でナイーブです。他者の視線が気になり、周囲の目に敏感に反応します。だからこそ一人ひとりの試行錯誤に基づく自己選択と自己決定を尊重し、美術の授業の多様性を理解し、多様性を活かす、そのような観点を取り入れることが必要だと考えました。

授業実践「私との対話」

今回ご紹介するのは、中学3年生を対象に実施した「私との対話」という、12時間という長い時間をかけた授業実践です。

「私との対話」は、一般的には私らしさや個性を表す題材として、自画像など自己の姿をもとにした肖像画などが多く紹介されています。しかしながら思春期を迎えた中学生にとって、この題材はハードルの高いものになっています。自己が対象化され、心の中をさらけ出すことを強制されるようなことにもつながる恐れがあるからです。また自画像を描くことが指定されることにより、自己選択、自己決定の機会が奪われているともいえます。

一方で思春期を迎えた中学生の内面世界は豊かな広がりを見せています。こうした時期に自分と向き合い、周りと異なる私の豊かな多様性を理解することは自他の認識を深める貴重な機会となり、その教育的価値も大きいといえるでしょう。

私は、単に自分自身を見つめるのではなく、他者の存在から、あるいは社会との関わりから自己を見つめていくことに意味があるのでは、と考えました。そこで、本実践では子供たちが題材を自分ごととしてとらえ、主体的に表現活動に取り組むために、子供が「なぜだろう」「どうしてだろう」「どうなるだろうか」といった「問い」を生み出す過程を授業に位置付けました。

「問い」を生み出す

最初に鑑賞活動を行ない、作家がどんな問いを私たちに投げかけているのか、作家あるいは私たちは世界とどう関わり合っているのかを考えました。中学3年生という発達段階を考慮し、マルセル・デュシャンの《泉》、アンディ・ウォーホルの《キャンベル・スープⅡ》、レアンドロ・エルリッヒの《スイミング・プール》など、近・現代の作品を系統的に鑑賞しました。

なかでも生徒が非常に興味関心を持って鑑賞したのが、スプツニ子!さんの《ムーンウォーク☆マシン、セレナの一歩》でした。サイエンスに興味をもち研究を続けてきた作者が、なぜ理系分野の女性進出が少ないのか、という問いをもとに、月面にハイヒールで足跡を残す探査機を制作し、さらにその探査機にまつわる物語を映像にした作品です。多くの生徒が共感し、作者がどんな問いをもって社会や世界と関わり、表現活動に向かっているのかを理解しました。

次に、生徒自身が「今を生きる私」を見つめて、社会との関係の中から未来を展望するためにマインドマップを作ります。「今を生きる私」がどんな存在なのか、どんなものに関心をもちながら生きているのか、というところからブランチを立てます。そして視覚化された「私」の興味関心はどこから生まれてきたのか、というキーワードをつなぐブランチの方に着目して、世界や社会との関係から、「なぜ私は○○なのか」「私にとって○○とはどういうものなのか」というように、「私」との対話を通して「問い」を立てました。

「問い」をもとに構想を練る

そして、それぞれが立てた「問い」をもとに制作のための構想を練っていきます。その際に、自分の立てた問いに対し安易に答えを見つけてから表現するのではなく、問いについて考え続けることを大事にしました。何を制作するかは、生徒が自己選択、自己決定します。それに伴う試行錯誤は、多様な表現、多様な学びにつながったように思います。

作品が出来あがってからの鑑賞は、コロナ禍でグループ活動が制限されていたため、生徒が作品のプレゼンテーションを自分で作成し、それをもとに鑑賞するようにしました。

表現方法を生徒自らが自己選択、自己決定できるようにしたことから、立体制作、映像デジタルなど、多様な表現が生み出されました。それにより、作品の優劣ではなく、何を考え、何を表現しようとしたのかに着目し、子供たちは、自分と異なる他者の豊かな多様性を理解することになりました。一方、それぞれ違う存在なのに、共感する部分、あるいは共通する部分が生まれることで、非常に作品が身近に感じられる、という話も出ました。

2人の生徒の制作のプロセスを紹介します。

制作のエピソード(生徒A)

生徒Aはマインドマップで私と世界とのつながりにおいて興味や関心のある出来事として「建築」や「音楽」をあげていました。そこからブランチを伸ばしていく中で「住宅」「落ち着く」「生活」というキーワードが生まれ、最終的に「商店街」と「人との関わり」というテーマを導き出しました。そして「私はなぜ商店街や日常の生活にひかれるのか」「私にとって商店街とはどういう存在なのか」という自分なりの「問い」を生み出しました。生徒Aは、構想段階で商店街がもつ人との関わりに再び着目し、「にぎやかさ、時間がゆったり流れている」「それぞれが違う魅力があって密接に結びついている」ということから制作のコンセプトを生み出しました。

この生徒は実際に表現方法の自己選択、自己決定において、立体で表現するのか平面で表現するのか迷っていました。そこでまず素材集めとして、商店街の風景を写真に撮ることから活動を始めることを選択し、実際に撮影した写真を制作ノートに整理しながら、自分と商店街の関係性を今一度見つめていきました。

そのなかで、「時間がゆったりと流れている」「人と人とがつながり密接に結びついている」ということから、最終的にモビール作品で表現することを決定しました。商店街を歩いて写真を撮影し続けることで、生徒Aと商店街との関係性が移り変わっていき、商店街の新たな魅力を発見する中で、結びつきや関わりを表現した作品になったのです。

制作のエピソード(生徒B)

生徒Bはマインドマップで「水族館」のキーワードから「水」「つかめない」「アクリル板」とブランチを広げ、「隔てているけど広げる」「幼少期の思い出、積み重ね」というテーマを導き出しました。そして最終的に「私の思い出の中の積み重ねとはなんぞや」という問いを生み出しました。

生徒Bは当初、問いを探究する方法として「絵を描くこと」を選択し、制作ノートにスケッチを重ねながら制作を進めていました。しかしながら、自分の中でしっくりこない感覚があり、再びマインドマップを見直す中で「瞬間ではなく、時間、連続」「私とものの距離感」という手がかりを生み出しました。そこから思考錯誤をした結果、探究方法を「コラージュ制作」に選択し直したのです。

生徒Bにとって「コラージュ制作」は自分の中にある今まさに造られる思い出を積み重ね、連続する時間を探究し続ける一番納得いく方法だったのです。訪れた場所のチケットやチラシ、買い物をした時のレシートやバーコードなど、普段の何気ない日常生活で生み出されていく記憶としての思い出と、記録としてのものとの距離感をコラージュし続けました。同時にそれは生徒Bにとって「私と世界の関係性」を問い続け、「私」と対話する行為にもつながっていきました。

おわりに

これまで自分らしさや自分探しにばかり焦点化されていた表現のプロセスを、生徒の日常や生活という環境の中から生み出すプロセスに置き換えました。そうすることで、思春期を迎える中学生に、より深く美術と関わること、美術をすることの意義、美術という世界との関わり方を学んでいくプロセスになったのではないかと思います。

生徒自ら生み出した「問い」を探究する制作方法を、自己選択、自己決定できるような授業を展開することによって、生徒一人ひとりの多様性が生み出されたことは、一つの成果といえるでしょう。それに伴い、制作過程において試行錯誤や実験が生み出され、多様な学びを創出することにもつながったように思います。また、生徒の制作プロセスに伴走する中で、私自身が生徒に教えられることも多くありました。

ただし課題として残ったのは、時間と労力の捻出です。生徒一人ひとりの制作行程に寄り添うわけですから、それだけ教員の手間がかかります。今後は、授業時間数の調整をしながら多様性を担保した授業づくりに取り組んでいきたいと考えています。


質疑応答

──3年間通して鑑賞活動を続けているからできた実践だと思います。3年間の中で鑑賞する作品の難易度は上げていったのでしょうか?

杉坂:鑑賞活動は3年間で継続して行ない、そこで知ったことをもとに制作に生かすようにしてきました。1年生では主に対話による鑑賞をし、2年生では専門的な知識、歴史的背景などにも触れながら鑑賞を行ない、3年生では現代の作品を鑑賞し、なぜこうした表現になったのか、その作品をとおして社会とどう関わっていくのかをポイントにしました。作品を設定する時には、なるべく大きな美術の流れを知らず知らずのうちに感じ取れるようにしています。

──子供に自己選択、自己決定させるとのことで、表現する作品はまちまちになると思いますが、どのように評価したのでしょう?

杉坂:生徒が何をしたいのか、どういうイメージを表現しようとしているのか、というその意図やプロセスを大切にみとり、それに対する創造的な表現の創意工夫を評価しました。