以下は千葉氏の発表を大幅に要約・再構成したものです(編集部)
美術鑑賞を授業で行なっていくにあたり、私は2つの目的を軸にしています。1つは美術鑑賞を通した子供の成長。美術鑑賞をもとにした創造性を促す学校での美術教育と美術館における本物の作品の鑑賞によって、創造力・直観力・自立心を養うことです。
もう1つは社会と連携した教育活動。美術館やアート・コミュニケータと協働し、対話的な鑑賞の実践により、さらなる鑑賞教育の発展とその輪が広がることを目指すことです。
美術の鑑賞は人間力の育成であり、社会への橋渡しであると考えます。普段行なっている美術鑑賞でも、その価値を高めるための仕掛けをしていますので、ご紹介します。
私が勤務しているのは東京都大田区田園調布にある、高等部単独の知的障害の特別支援学校で、生徒数122名、1学年約40名程度です。私が担当する美術の授業では、制作をアウトプット、鑑賞をインプットと位置付け、授業の開始時に毎回鑑賞を行なうことにしています。鑑賞のポイントは全部で4点です。
鑑賞ポイント①:オリジナルの鑑賞用のノートの制作
買ってきたノートではなく、思い思いの色にカラーリングして、持ち運びしやすいメモ帳程度の大きさのものをつくりました。校内にある材料で制作したので、0円で素敵なノートができました。メモをとることは卒業後の就労においても必要なスキルになります。将来仕事をする際に活用できる書き方などを自然に学べるようにしています。
鑑賞ポイント②:主観と客観の対話を大切にする鑑賞の流れ
鑑賞の準備として、まず鑑賞する作品の画像をはさみで切り抜き、鑑賞用のノートに各自見やすいように糊付けします。次にタイマーを置き3〜5分の間、作品の中で起きていること、感じたこと、気付いたことを各自鑑賞用のノートに記入し、時間になったら対話をします。特別支援学校ということもあり、生徒同士の相性にも配慮しながら座席の工夫をし、生理的にも気持ちのいい場づくりを目指しています。
鑑賞する作品は、出来事が多い絵画やインパクトの強い作品など、絵画から現代アートまで幅広いジャンルからセレクトします。心の中で思うだけでなく、文字にする、つまり言語化することで記憶に残り、次第にたくさんの発見ができるようになります。
鑑賞ポイント③:きっかけを与えつつ対話を促す
鑑賞は多くて14人程度で行なっています。教員が配慮すべき点は、解説をしない、特定の誰かを賞賛しすぎない、そして鑑賞のきっかけをつくることです。作者や作品の背景、画材といった解説は一切しません。正解がないからこそ、心理的に何でも話せる安全な雰囲気が生まれます。そしてしっかりと待ち、生徒が自分で考えさせるよう促し、発表した生徒だけを褒めすぎることなく、全体の対話が円滑に進むようにします。発表しない生徒がいても構いません。集中して聞いている様子があればOKです。教員は対話の際に身振りや手振り、指差しなども交えながら生徒の意見が他の生徒まで届くように場の環境を整えることに集中します。
鑑賞ポイント④:もやもや感という疑問の種を大事にし、伝えすぎない
作品を見ている表情などから、生徒たちがもやもやしていることが感じ取れた場合はそこで鑑賞はいったん終わりにします。なんだろうと疑問をもつことこそが、学びの原動力となるからです。そして、「この作品の解説をどうしてもして欲しい人は挙手してください」と言い、生徒の方から要望があれば、作品が作られた年数や国、作者などについて伝えます。
鑑賞を通して得られる力は4つあります。
第一は直感力です。周囲の状況を素早く認知し、感覚的に捉えられるようになりました。
第二は創造力です。○か×、というような答えを求めたくなる傾向がある生徒は、答えがないことに対しても積極的に考え、不安なく自分の意見を発言できるようになりました。
第三は観察力です。学年便りなどに書かれている内容で何か疑問点があれば自分で問い合わせするなど、見通しをもって生活できるようになりました。
第四は、聞く力と言葉にする力です。友達の気持ちや思いを感じ取りながら、自分の思いを言葉にして会話ができるようになってきました。これまでなかなか気持ちを言葉で表現することができなかった生徒も、鑑賞した作品の登場人物や作者に見立てることで言葉にできることもありました。また毎日の日課帳の感想の欄では、楽しかったことや大変だったことなど、自分の気持ちを言語化し伝えられるようになりました。
こうした鑑賞の授業を重ねた上で、昨年2月、2年生を対象に、東京都美術館で開催された「ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展」に出向き、本物の作品に触れられる体験学習を行ないました。学習を実施するには、ミュージアムが安心安全な場であることを理解してもらう必要があります。私は、美術館にはしっかりとした換気システムが導入されていること、救護施設があること、災害にも強く設計されていること、安全な動線と警備体制が施されていて生徒の遊出の危険が少ないということ、管理された光環境が気持ちを穏やかにさせるといったことを周囲に伝え、来館につながるように学校内で理解を図りました。
体験学習では、台東区上野にあるミュージアムが連携しているラーニング・デザイン・プロジェクト「 Museum Start あいうえの 」の学校プログラム「スペシャル・マンデー」を活用しました。東京都美術館の休館日である月曜日に行なわれるもので、美術館を訪れやすくするためのサポートが用意されているので、特別支援学校の生徒たちも安心して鑑賞することができました。
鑑賞の授業を行なってきたこともあり、生徒たちは想像以上にアート・コミュニケータさんと対話ができていました。アート・コミュニケータとは、アートを介して作品と人、人と人、そして人と場をつなぐ人のことで、会社員や学生、主婦や退職後の方々など様々な方で構成されています。
美術館に行くにあたり、事前学習としてアート・コミュニケータさんへのプレゼントとしてキーチャームの制作をしました。プラ板の制作過程で絵画などの図版をじっくり見ることができ、実際に本物を前にしたときにプラ板を透かして見比べながら鑑賞している生徒もいました。
また美術館でのマナーとして、ゆっくり歩く、小さな声で話す、作品を触らないという3つの約束を繰り返し生徒たちに伝えました。約束事のようになるとつまらなくなるので、「 Museum Start あいうえの 」からの提案で『美術館にいってみた』というタイトルのLLブックの絵本の読み聞かせを行ないました。LLブックとは障害のある人に配慮した読みやすい本です。美術館はソーシャルな場であり、そうした場での過ごし方をしっかり指導できたこともよかったと思います。
美術鑑賞における効果は美術教育だけにとどまらず、日常や社会生活においても生きてきます。
第一の効果は、美術との対話が人としての対話に繋がることです。日常生活においても生徒が自分から不安や悩み事を話してくれるようになったため、大きな問題を未然に解決できたこともありました。
第二は、社会生活での対話です。人生には正解がありません。答えがない問いに向き合うことで考える力が培われ、社会生活でも自信をもって向き合うことができるようになったと思います。
第三は、自己の対話と心の豊かさです。美術と向き合うことは自分と向き合うことでもあります。美術館は都会にありながらも喧騒から離れた静かな環境にあります。たとえ作品を鑑賞しなくても、カフェでお茶を飲むだけでも気持ちを整えることができます。
第四は、鑑賞から創作意欲へと発展することです。私が見ている生徒たちは卒業後プロのデザイナーやアーティストになるというケースはほとんどありません。しかし創作することは誰にでもでき、それがコミュニケーションのひとつの手段にもなります。豊富なインプットは良質なアウトプットにつながるのです。
対話的な鑑賞は、社会でのコミュニケーション力を育てることにつながります。社会に出ていく生徒たちが、今後人間関係を形成していく上で必要なコミュニケーション力や集団性、折り合いをつけながら仕事をし、作り上げていく力をもつことができる非常に実践的な方法のひとつといえるでしょう。卒業後により豊かな生活を送っていくために、美術館での鑑賞体験は、人生の多くの時間を社会で生きていくことになる生徒にとって、良質な社会経験になります。さらに、感じたこと、思ったことを言葉にする習慣は、自分の言葉に対する責任と自信になり、力強く生きていくことにつながります。そして学びと対話の場である美術館が教育と関わることで、わたしたちの社会はより発展していくのではないかと思います。
──支援学校での実践では、活動が難しい生徒もいると思います。たとえば生徒が黙ってしまったり、分からないと諦めてしまったりしたときなど、どんな問いかけをしていますか?
千葉:寡黙な生徒に対する言葉かけは、やはり難しいです。しかし、目線で作品を追っているのはわかりますよね。ですから、日常生活で話したことをリンクさせるなどして、言葉がけを工夫しています。まったく発語のない生徒もいますが、写真や絵等、指さしを通して伝えたいことを受け止めるようにしています。
──支援学校の生徒は知らない人に対して接するのが難しい面があると思いますが、アート・コミュニケータの方とは事前に接するなどの工夫をしたのでしょうか?
千葉:初対面の人に緊張する生徒もいますが、高等部になるといろいろなところに行き様々な大人と接する機会ができます。学習指導要領にも地域の美術館と連携を図り、積極的に活用することが示されています。アート・コミュニケータは、私たちよりも多くの生徒と接しており、対応の仕方も良く心得ています。美術館で初めて会ったので、どうなるか不安もありましたが、鑑賞の授業を繰り返し行なってきたからなのか、アート・コミュニケータの方ともすんなり対話することができ、逆に私の方が驚かされました。