グループワークのまとめとして、国立西洋美術館講堂において各グループから1名の代表者が成果発表を行ないました。その後、本研修の2名の講演者が講評を行ないました。
日 時 | 令和4年8月1日(月) 16:35〜17:30 |
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会 場 | 国立西洋美術館 地下2階講堂
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司 会 | 秋田 美緖(国立西洋美術館 学芸課 研究員) |
内 容 |
グループワーク成果発表 |
中根グループ |
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発表者 | 住田 佳子(広島県教育委員会 指導主事) |
私のグループでは全員、1度ファシリテーターを経験しました。ファシリテーターが代わる度に話の展開が大きく変わり、 新しい気づきがどんどん生まれ、飽きることなく、同じ絵について2時間も語り続けていたのです。この経験をぜひ子供たちにもしてもらいたいと思います。 絵を見て対話することが楽しいと気づいてもらえるように、生涯にわたって美術作品に親しむことにつなげるために、 どんなねらいをもって子供と対話鑑賞を行なうのかをしっかりと考えていきたいですし、 子供たちが絵を見たときに楽しさに気づく最初のステップが小学校段階では大切だと気づきました。 |
渡邉グループ |
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発表者 | 渡邉 美香(ファシリテーター) |
今回のグループワークのねらいは、作品を主体的、探求的に見ることでした。
自分の見方や考え方を更新させていくものとして、宗教画のように決まりごとが多い作品の鑑賞に挑戦しました。 比較鑑賞では、作品の謎を意識化することで、意欲をもって実際に調べ、調べた結果をクイズにしていただきました。 そのことによって記憶に残りますので、知識の定着にもなります。知識と鑑賞を結びつけるときに、自分が知識を獲得する主体であることに気づくためのひとつの方法を皆で体験しました。 鑑賞の授業で一番大事なのは、どの絵を子供に見せたいかという選択ができるかというところになります。 このグループは皆さん上級者なので、それに応じた授業を組み、自分が題材として選ぶ理由を明確にすることを考えてもらいました。 |
東良グループ |
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発表者 | 東良 雅人(ファシリテーター) |
ゴーガンの《ブルターニュ風景》を選んだ理由は、情報の活用という点で作品を情報なしで見たときと、情報を得たときで見方が変わるような作品だからです。
実際にその違いを体験してもらいました。作品はある一定のねらいに応じて選びますが、それは鑑賞活動をするときのねらいと同じであることを実感していただきたかったのです。 私は、美術館の短い滞在時間で鑑賞の学習を完結するのは難しいと思っています。 ですから今回、事前に学校で準備学習し、美術館へ行き、戻って学校で学ぶ、という流れで美術館を活用した鑑賞プログラムを考えていただきました。 この流れでは、美術館に行くのは必ずしも図工や美術の時間だけではなく、校外行事なども考えられるわけです。そういった実効性の高い美術館での活動を提案しました。 その時に大事なのが、どのようなねらいを根拠に作品を選定するのかです。今回、鑑賞の考え方について学んでいただければ嬉しく思います。 |
松永グループ |
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発表者 | 山田 敦子(愛知県東海市立平洲中学校 教諭) |
二つのグループに分かれた協議では、作品を楽しみながら味わう鑑賞の大切さや、制作と鑑賞の相互性について、 美術館の学芸員の専門性を生かした関わりや美術館がもつ資料やウェブの活用による連携、などが語られました。 また、グループワークのまとめでは、実物に出会う大切さやICT機器による学びの拡大、 鑑賞で中学生にどんな力を身につけさせたいか、より深く考えることの大切さなどが話題となりました。 |
道越グループ |
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発表者 | 久保 美希(愛媛県松山市立勝山中学校 教諭) |
私たち道越グループは、3つの目標をもって活動に取り組みました。
1つは、造形的な見方・考え方を働かせること。2つめは他者と関わりあって自身の見方や感じ方を深めること、3つめは生徒たちの学びを深めていくことです。 ヴァニタスの鑑賞、そして指導案もしくは教育プログラムを考える活動を経て、最後の振り返りでは、先生たちから様々な意見が出されましたが、 「鑑賞教育に携わっている先生たちと1日の活動を通して、作品の見方が深まった」「生徒の立場で、どのように思考が深まっていくのかが体感できた」 「鑑賞教育の大切さや面白さにあらためて気がつくことができた」などがありました。人との関わりを通して見方が変わり、作品の理解が深まっていくことの面白さや大切さ、 あるいは生徒の豊かな気づきや発見を大切にした授業を、これからも行なっていきたいという言葉がたくさん生まれていました。 |
星グループ |
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発表者 | 星 博人(ファシリテーター) |
ハンマースホイの《ピアノを弾く妻イーダのいる室内》という作品を、3時間弱にわたり鑑賞する活動を行ないました。 高等学校学習指導要領解説の美術ⅠB鑑賞(1)アにある「作品の特徴や印象などを自分の見方や感じ方を大切にしながら主体的に感じ取る」を賞(めでたのしむ)の視点、 「作品の背景にある生活や社会、時代などを分析的に総合的に捉える」を鑑(照らし合わせ考える)の視点、 「自分の生き方や表現に対する姿勢と比較する」を賞と鑑を合わせた(照らし合わせめでたのしむ)視点として捉え、 それぞれ3つの問いにより見方感じ方を深めました。2つの鑑の視点では文献資料を読み、 情報を得ることによって新たな視点で感じたことや考えたことを深めました。これらの後、活動を振り返るとともに、 2つのグループに分かれて「鑑賞で大切にしたいこと」を「ICTを活用した視点」と「美術館を活用した視点」によりまとめ、相互に発表して成果を共有しました。 |
講評者 | 平田 朝一(文化庁参事官(芸術文化担当)付 教科調査官/文部科学省初等中等教育局教育課程課 教科調査官/国立教育政策研究所教育課程研究センター研究開発部 教育課程調査官) |
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時間をかけてひとつの作品を鑑賞し、丁寧に話し合いをされていました。ファシリテーターを交代して行なってみると見方が変わったと発表されていました。 ファシリテーター役と児童生徒役の両方を体験できたことで、先生たちがそれぞれの進め方でそれぞれの子供たちを意識しながら鑑賞体験ができたと思います。 作品選びは難しかったと思いますが、ねらいをしっかりと考えながら、丁寧に選考することができていたと思います。
クイズをされたと発表で語られていましたが、作品をどう読み取っていくのかについてポイントを押さえることができたのではないかと思います。後半の比較の鑑賞をする際には、時間をかけて選考し、2点選ぶ方、より複数の作品を選ぶ方もいらっしゃいました。どんなことを子供たちに気づかせたいのかを考えながら、比較する作品を熱心に選ばれている様子が印象的でした。
情報をもって、もしくはもたずに作品を鑑賞するとどうなるかについて試されていました。また、美術館訪問の事前授業、美術館での鑑賞、事後授業の鑑賞プログラムを考える課題では、子供たちを意識しながら、美術館に来て本物と出会う前後の場面をどうすればよいのかについて、効果的な鑑賞ができるようしっかりと考えていらっしゃいました。
とても熱心に話し合いをされていました。鑑賞素材BOXなどのICTも使いながら、話し合いを深めていらっしゃいました。鑑賞だけでなく表現の活動にもつなげて、表現と鑑賞の指導を関連できるように授業提案している発表もありました。本日話し合いをされたことは次に生きていくと思います。
最初に鑑賞した時と後では作品の見方が変わってきたという発表がありました。自分が感じ考えたことと、他の人が言ったことを聞いて対話を通してどんどん自分の考えが変わっていきます。子供たちのなかでも起きていることを実体験できたのではと思っています。その体験を今後の授業でも大事にしてください。
グループの先生たちが深い話をされているのが見ている私にもわかりました。作品から作者の心情や表現の工夫を読み取っていくなかで、作者の内面についても深く考えていきますが、高校ではそういう活動が大事です。その意味でもしっかりと話し合いができていました。今後の授業につながる体験になったのではないでしょうか。
今回実物を通して鑑賞されていかがだったでしょうか。子供たちの気持ちもわかったのではないかと思います。美術館に来て、実際本物の作品を目にすると、わくわくしますよね。また、より効果的に鑑賞をしていくにはどうしたらいいのか。今回の研修でファシリテーターとしての先生や美術館の方たちの立場、鑑賞する子供たちの立場といったいろいろな視点で体験をもとに考えられたと思います。自分だけではなく、多くの人の意見を通して考えたのではないでしょうか。この体験を次につなげていってください。地域の美術館、先生たちと一緒に鑑賞に挑戦してくださればと思います。
講評者 | 神野 真吾(千葉大学教育学部 准教授) |
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対話型鑑賞の難しさが語られていたと思います。同時に、美術作品は豊かなリソースとして存在するのだということが大事な視点だと思いました。一生涯つきあっていくものとしての美術作品の意味や価値を、先生たちが実感をもって知ることが第一かと思います。その後でそれをどうやって子供たちに伝えていくのかを考える上で、美術館との連携が大きな意味をもつと思いました。
宗教画を扱っていました。異なる文化における美術の歴史を学ぶということは、そう簡単ではなく、簡単には全体をつかむということができないと思っています。なので逆に、自分がいろんなものを見て、知識をつけてわかっていったプロセスを、学生たちにどうやって伝えるかに重点を置くことが重要だと思っています。
視点をどのようにもつのか、考えるのかを徹底的に追求したプログラムでした。核となるのは、美術館では作品を深く見ることが大事であり、その事前と事後でどのように学びを作れるのかを意識するということだと思いました。
発表での「制作と鑑賞を行ったり来たり」という話が印象に残りました。風景の扱い方がこれほどに違うということを教えるのに、西洋美術館の収蔵作品は適していると思います。クールベとクロード・ロランは同じように描いていても意識はまったく違いますから。それは中小学生には必要ない視点かもしれませんが、何を学ばせるのかを取捨選択するときには、教師は持っているべきだと思いました。
最後に種明かしとしてヴァニタスとはどういう絵であるかを伝えると、それまで出てきた様々なことがつながって実感をともなう理解になる。ひとつの作品をしつこく見ていくことには大きな学びがあると思いました。学校教育のなかで、宗教画はむずかしいテーマかもしれませんが、それをどう乗り越えるのかを共有していけたらと思いました。
ハンマースホイ、フェルメールのようなタイプの絵はたくさん描かれています。要は、オランダでは自分たちの生活世界を肯定的に描いた絵を家に飾ることが流行っていたわけです。生活世界を構成するパーツを組み合わせることによって絵ができている。絵の中に何を入れていくのか、どのように入れていくのか、それくらいしか自由度はないのかもしれませんが。完全に自由な表現だけが美術ではないこと、ルールがある絵を見る楽しさを徹底して議論されたのだと思います。
私は毎回視察させてもらっていますが、これまでは全てのグループを横断して見ていました。今日は東良先生のグループに張り付いて見学しました。ですので、他のグループに関しては発表で語られたことについてコメントしています。
全体として、10年前と今の鑑賞教育では隔世の感があると思いました。話が通じるレベルが上がっているということが言えると思います。先生たちが現場に戻られ実践されることで、またさらにレベルが上がると、鑑賞教育の意義がより多くの人に伝えられ、教育が充実していくはずです。これからも期待しております。